五月三十一日
自分と同じ黒のスウォッチを着けたフランス人が来て、一瞬で仲良くなった。お互いの時計をほめあって、いやいや同じやから、という笑いが通じてよかった。
先生の命日。時間が経つのは早い。それでいてほんの一年前が懐かしくもある。思い出になるのは怖い。
五月二十七日
高校生のころ、地元のライブハウスで素敵なバンドのライブを偶然に観た。気に入ってその場でCDを買って、でも東京からツアーに来ていたそのバンドを二度と観られないとは思わなかった。上京して落ち着いたころ、すでにハートバザールは解散していた。それから自分もバンドをそれなりにやるようになって、今またライブを観たい願望が強くなっている。それは叶わないから、喪失感や後悔みたいなものは前よりも大きくなっている。ミッシェルやナンバーガールに対するそれと違うのは、一度だけ観てしまったせいかもしれない。だから、好きなバンドのライブはできる限り観に行くようになったのかもしれない。
いったん沸騰した水が冷めるということが、自分には信じられなかったのだろうと思う。冷めてぬるくなるか、蒸発して跡形なくなるまで沸き続けるか。後のほうがいいだろうと、今でも思っている。馬鹿者と言われたなら、馬や鹿のほうがまだ賢かろうと、そう思っている。
疲れた。おやすみなさい。
五月二十六日
スマイル三人練は面白かった。もちろんギターボーカル荒井が。うまくいくかどうかは別として、新しい試みというのは楽しいものだ。何事もやってみないと始まらない。何もしないのがよいなどと、何もしないうちに言えるのは仙人ぐらいだ。あなたは仙人ですか。いかん、愚痴だ。おやすみなさい。
五月二十四日
そうめんやひやむぎが美味しい季節になってきた。夜勤明けのけだるさに、あの喉越しがたまらない。ただ問題なのは、一食のためにわざわざ薬味を用意する気にならないということだ。こないだ実家でそうめんを食べたときには、みょうが、ねぎ、青じその三種類の薬味が付いて、その美味さに感動した。今度は自分で準備してみょうがと思う。
今日のような日、西日が直撃する我が家は暑い。明日は雨らしいので満喫したい。おやすみなさい。
五月二十二日
こないだのシェリーズとルミナスはよかったなあ。思うことは色々あるだろうけども、本当に素敵な2マンだった。
あっという間で、もう谷津に帰ってきた。きてしまった。暗い部屋でビールを飲みながら膨らませる倦怠感も、明日からの生活が吹き飛ばしてくれるであろう。がんばろう。
五月二十日
今日は西町を歩いた。日曜の午後を狙って行ったわけだが、人通りはまばらで寂しかった。でも天気がよくて気持ちよかった。総曲輪通り沿いに建設中の建物が九月に完成するらしいので、それでまた盛り上がってくるといい。
ハッピー食堂の近くのARTIST'sというライブハウス(一回くらい行ったことがあるようなないような)の前でスケジュールをながめていたら、来月のところに聞いたことのあるバンド名があって驚いた。MALEGOATとか。富山のバンドシーンはどうなのだろう。いつかライブしに来れるといいなと思う。
スマイリーでよく企画をした市民プラザのマルチスタジオ、今日は大正琴のお稽古に使われていたようだ。持て余しそうだ。そして野原さんは相変わらずお元気そうで何よりだった。
総じて、やっぱり西町はいいなあと思ったのだった。次回は腹を空かせて行って、多来福で飯をたらふく食いたいと思う。
五月十七日
二、三ヶ月前からノーレジ袋運動を部分的に始めた。近所のスーパーでレジ袋を断る度にもらえるスタンプが、昨日めでたくいっぱいになり、百円の割引をしてもらった。こないだ空港の売店で断ったときは、ノーレジ袋運動について売店のおばさんと話が弾んだ。まだまだそういう人は少ないけど、増えるといいわねえと。小さな心がけやこだわりは生活に張りを与えてくれる。それが資源の節約にほんの少しでも役立って、さらに売店のおばさんとお話しするきっかけにもなるなら、こんなにうれしいことはない。なるべく続けていきたいと思う。
実は今日から六連休だ。今日は久しぶりのサイクロンでライブだった。とても楽しかった。抜け出して屋根裏にピープルを観に行ったあとで、なんで自分はこんなにできないのかと泣きたくなった。次のライブが決まったのでがんばりたい。
なんとなくみじめな気分だ。酒臭いと言われたショックが思いのほか大きいのだろうか。でも今日は二杯しか飲んでないんです、本当なんです、と声を大にして言いたい。疲れた。おやすみなさい。
五月十四日
スタンプを押しながら、頭の中に繰り返し流れるのは、ゆうべ観たピープルインザボックスの曲である。ギターとベースとドラムの音、ひとつひとつの音の選びが素敵で気持ちよい。そして歌のメロディーやリズムをすごく大事にしている。なんとなくシェリーズにも似ていて好きなのである。
メンバーの音に対していかに敏感になれるか。ライブはもちろん、アレンジでもそういうことが大事なんだろうなあ。考えてすぐわかるものでもないけど、意識できるとよいと思う。思うのは一瞬で明日の朝には忘れているかもしれない。だからこそ日記に書くのだ。そうなのだ。おやすみなさい。
五月十三日
寝坊してピッグ練に向かう途中の御茶ノ水駅のホーム、電車を待つ列の先頭で年配の夫婦と隣どうしになった。高尾山あたりにハイキングでもしに行くのか、トレッキングシューズにリュック姿で、いい天気だねえなどと話している様子を見て、穏やかな気持ちになった。次の瞬間、おじいさんが手に持っていたごみをホームに投げ捨てた。おばあさんは無反応だった。とたんに悲しい気持ちになった。ご夫婦が登るべき山はどこにもないなと思った。
練習のあと、初めて観るバンドばかりのライブに出かけた。バンドはいいなあと思った。行ってよかった。
今夜は無事に帰った。疲れた。猛烈に眠い。こんななのに夜中から煮物を作っている。いま食べるでもなく。自分でもわけがわからない。
五月十二日
おととい深夜のピッグPA練から夜勤をはさんで、今日は夕方からスマイル三人練。楽しかった。PA練の経験を木曜のライブにさっそく生かせるとよいと思う。
練習後に飲んで、終電の二本ほど前の電車に乗ったら寝過ごして千葉まで来てしまった。さすがに疲れていたらしい。せっかくなので駅前を散策していると、吉祥寺でよくお世話になる一風堂を千葉で見つけた。うれしくなって白丸を一杯たいらげ、漫喫でまたもミートイーターズのライブ音源を聴き興奮し、総武線の始発で帰る。今度は明るい時間帯に来てみようと思う。家に着くまで約二十分、我が家の柔らかいベッドがこんなにも恋しい。
五月九日
銀座でお酒を飲んだ。学生のころ初めて来たときはTシャツGパンにBチサンダルで残念な感じだったので、今日は靴下を履いてカーディガンを羽織って行った。おかげでとても楽しい飲みだった。お土産にもらったモチクリームなる甘味がすごく美味だった。津田沼から銀座へのアクセスがかなり便利であることがわかったので、そのうちまた行ってみたいかもしれない。あの路地が歩行者天国になるさまを見届けて、ピーコ(最近は別の人)のファッションチェック気分を味わいたいかもしれない。いや、たぶんそうでもない。
明日は長いのでがんばりたい。おやすみなさい。
五月六日
あーやっとGW終わった。真逆なリアクションは空港勤務ならではだ。飲みにPA練にライブに帰省、楽しみはこれからなのである。
しかし疲れた。おやすみなさい。
五月五日
夢の中、ベランダからの眺めは一面の銀世界だった。やっぱり冬が好きらしい。
GW唯一の休日は祭りのさなかの府中に出かけた。懐かしい町並みにもいくらか変化があって、訪ねる側も以前とは違くて、お蔵入りした曲を久々に掘り起こして演奏したときのような感覚だった。いや、このたとえはあまり上手くない。でも楽しかった。
両国に行きたいな。今度は国技館で相撲を観て、ちゃんこを食べたい。そういう気分だ。でも眠いのでとりあえず寝て、明日の帰国ピークを乗り切ってから考えたいと思う。がんばろう。
五月一日
雨が止んでから近所の図書館に初めて行ってみた。こないだ投票をした公民館の二階。館内に入ると、GWの喧騒とは無縁の静けさとたくさんの蔵書に胸が躍った。自転車で一分の距離にありながらこの一年まったく利用しなかったことを悔やんだ。
初めてということで、まず貸出に使うカードを交付してもらうための申込用紙を記入し、受付のパソコンで登録をしてもらった。担当の職員のおばさんがあわせて利用方法や休館日などを丁寧に説明してくれたのだが、「二月は蔵書点検で一週間ほど休館する」という説明をしながら卓上カレンダーの九月の部分を指差していたので、このおばさんのパソコン操作で自分の身分事項が正しく登録されたのか、やや不安になった。あまり気にしないことにして、安部公房を一冊借りて帰った。
帰宅後、もらった名刺サイズの休館日カレンダーを見てみると、二月ではなく九月の十三〜十九日の欄を、おばさんが親切に赤ペンでチェックしてくれていた。だから二月やて。よほど九月に思い入れがあるのだろう。もしくは申込用紙に書かれた自分の誕生日が九月だったもんだから、ごっちゃになったのかもしれない。もしくは何らかの確信犯的な愛情表現かもしれない。いずれにしても、これからは足繁く通いたいと思う。