六月二十五日
軽音の素敵なメンバーによるバンド、ガムキリンの初ライブ。意外とポップで面白かった。でも自分は最後にやった静かめな曲がよかったなあ。次はどう変わるか楽しみだ。久々に食べた春木屋のラーメンに前ほどの感動はなかった。うーむ。
そんなわけで牛久に戻ってきた。モズライトにものすごく後ろ髪を引かれて遅刻した。そして同室の方のいびきがすごい。困ったもんだ。おやすみなさい。
六月二十三日
夜、津田沼に帰還。今週は早く感じた。真新しかった研修所生活もこうして加速度的に過ぎていく。悪いことではない。最近たまに家で一人で食事しながら酒を飲むようになった。今夜もしかり。飲むといっても缶ビール一本だが、前までは考えられんかったことだ。こうして加速度的に腹が出て、中年への道を歩むのか。それは困る。がんばろう。
これからピッグ深夜練。がんばろう。楽しく。
六月十九日
昨日の練習はどっちも楽しかった。ライブまではまだひと月ある。どうせあっという間だが今はものすごく長く感じる。きっとバンドも簡単にはやめられない。
津田沼に携帯の充電器を忘れてしまい、そのうち電源が切れる。連絡がつかなくなったらごめんなさい。おやすみなさい。
六月十八日
年に一度か。それは行かねば。というわけでゆうべはライブに行った。直前に前ちゃんとおいしいお酒を飲んで、とてもいい気分だった。声を聴いたら安心して、力は底から抜けた。でも本当のところ、心の中で厚かましくも心配をした。無用か。
去年は試験勉強の合間に行ったんだった。来年もその次も行けるだろうか。いつかそんな気持ちも忘れてしまうんだろか。荒井はどうなったかな。
六月十四日
講義終了後、同期と連れだって研修所の近くにあるという牛久大仏を見に行った。高さ百二十メートル、ギネス認定。んなあほな。ここ牛久やぞ。と思いながら自転車をこぎ森を抜けると、不意に仏様がお姿を現した。あまりのでかさに笑った。次の瞬間には足がすくんで、手をあわせて拝んでいた。こんなものが何故ここにあるのか全く理解できんが、とりあえずすごいのでまた拝みたい。
ばかみたいにバスケとサッカーばかりしている。何を忘れるでもないが、打ち込めるものがあるのはいい。しかしベースが恋しい。おやすみなさい。
六月十二日
土日は飲んで練習してコダ祭行って、楽しかった。見るべきだったらしいバンドを見逃したのが悔やまれる。まあまた顔を出そう。
今日からまた研修。楽しみは自由時間のバスケとサッカーと自転車である。勉強しにきてるにもかかわらず。近くのコンビニに向かう道路はイノセントエイジ前のに似ていて、自転車をこぐと気持ちよく懐かしい。また合宿行きたいものだ。
明日の朝に便秘が治ることを祈る。おやすみなさい。
六月八日
今日は研修所への移動日。牛久に向かう途中、船橋と柏のあいだで東武野田線を初めて利用した。あの高谷が使っている、いわくつきの路線である。のんびりとしていい電車だった。四人組のおばさんたちが柏の話をしていて、一人が「柏は千葉の原宿って言われてるのよ〜」と自慢げだった。渋谷じゃなかったけか。自分がいた車両には学生らしき若い女性が二十人くらいいたんだが、それが鎌ヶ谷という駅で皆こぞって降りた。女子大でもあるんだろか。高谷と飲むときは鎌ヶ谷にしようと思う。
六月六日
06/06/06。オーメンとかいう映画のCMを見て縁起の悪い日なのかと思ったが、提出フォームの日付欄を記入する欧米人は皆ぞろめで気分よさそうだった。
今日は夜勤の明け、明日は休み、明後日からは研修所に入る。しばらく空港を離れるということで、班の先輩たちとお酒を飲んだ。穏やかですごくいい班だと思う。自分が抜けて多少なりとも迷惑をかけるもんで、研修まじめにやって報いたい。
ひと月が早い。今さら張る意地もないわけだが、いかんせん。
六月二日
南ウイングのオープン。充実した設備と足りない人手が対照的だった。がんばらねば。
解放後、葬儀に参列したあとのゼミ同期に合流して国立で飲んだ。よかった。国立はすでに懐かしい。大学を歩いた。部室からはオフスプリングが聞こえて、やっぱり懐かしかった。偶然会ったじいのとも話せて、なんだかいい一日だった。
六月一日
ゼミ生としての自分は出来損ないだった。発表の日はきまって遅刻するし、発表の内容もないようなもんだし。卒論も中途半端。そんな自分がよりによって入国管理に関わる仕事に就いて、先生は驚いたかもしれない。それでも、経験を積んでいつか先生とまともに議論できるぐらいになれればなあと、なんとなく思っていた。妄想は身勝手だ。
今晩はいいお通夜だった。無宗教というのが先生らしかった。終電で国分寺から空港に戻り、オープンの準備をする。よしがんばろう。おやすみなさい。