七月三十日
都会のビルの間にあがる花火はひときわきれいだった。行ったり来たり、自信などかけらもない。夏が明日にでも終わるんでないかという気がするが、ありがたいことに八月はしっかりライブがある。がっつりやって、いっぱいビールを飲んで、いい夏にしたい。おやすみなさい。
七月二十七日
昨日の上陸審査では、フジロック行くぜというミュージシャンやらスタッフやらがたくさん訪れた。有名なのもいたかもしれんが、詳しくないのでとくに興奮はせず。洋楽好きな人には天国だったかもしれん。
そして今日は出国。日本での仕事を終えて国に戻るカナダ人の先生、帰るのが寂しいと話す表情がすごく切なくて仕事中にもらった。在留資格はいったん消えても日本との関係はなくならんから、また遊びに来てねと言った。伝わったようでよかった。忙しかったがこれのおかげでなんだかいい一日だった。おやすみなさい。
七月二十四日
丑の日に一日遅れながらも、仕事のあと先輩とうなぎを食いに行った。夜勤明けのうなぎとビールは最高の贅沢だった。それでもやっぱ三松のうなぎが懐かしい。
金曜のビデオを見たら、サイクロンのスタッフが言ったとおり秀吾は抜けていたように感じた。テンションがちゃんと伝わってきていいなと思った。そんなわけで23日で23歳おめでとうございます。自分もどうにかして再来月の15日で15歳になりたいです。
七月二十二日
ライブは楽しかった。出た。鼻水も出た。すすりながら弾いたらテンションが上がった。一度くらいミートイーターズ級に垂れ流してやってみたいものだ。ゆうべは、少なくとも「社会人ぶってんじゃねえぞこらー」とは言われないライブだったと思う。
始発で帰ってやや寝て仕事。意外と普通だった。こうやって両立していくのだな。社会人ぶらないということは、学生に戻るということではない。何かしら進まねば。一から出直しでバンドをがんばりたい。ほんと、単純だ。
七月二十日
久々のライブ。不安は的中した。忠告もあたった。だしの入っていない味噌汁のように腑抜けで、面白いほど何も出なかった。言い訳をしたがる自分はぶちのめしたい。明日はできるだけのことをする。
七月十七日
一か月余りの研修が金曜で終わり、おととい帰ってきた。帰る前にもう一度牛久大仏を拝みに行った。やっぱでかい。土産を買って売店のおばちゃんらと談笑していた途中、入管の人間であることを言ったらおばちゃんたちの表情が変わった。自分が世話になった研修所はわりと新しい建物なのだが、外国人の収容所がくっついているために建設の際には地元の反対にあった、という話を聞いたことがあった。本当だったらしい。罪のない被収容者も、原発や廃棄物と同じ扱いなのか。無理もないか。おばちゃんらは口には出さんけど、お茶を出したり言葉を交わしたことを後悔しているふうだった。最後の最後でへこまされてしまった。
今週は久しぶりのライブがたてつづけにある。指が動くようにちゃんと練習して、いいライブにしたい。
七月十一日
牛久の電波は気まぐれで、時間帯によっては通話はおろかメールも満足にできない。あーもう、はがやしい。あ、「はがやしい」て久々に使った。これは富山弁で「腹立たしい」みたいな意味だったはず。研修所には全国の方言が集まっていて、その中にいると、東京五年目の自分の言葉はだいぶ変わってしまったんだろうかと、少し不安になる。夏休みはまた帰れるとよいなあ。
今日は講義後、研修所の隣にある収容所の見学をさせてもらった。刑罰を科す場ではないためか、意外と設備は充実していて、収容にかかる費用が莫大であることが想像される。空港の審査官が背負う責任の重さを痛感する。頼むからこういう気持ちを忘れるな、自分。仕事を楽とは言いたくない。楽でないことを言い訳に用いることもしたくない。努力せねば。
七月七日
七夕。天気はもった。今夜はキャンプをしている。バーベキューをしてビールを飲んで、高床式倉庫みたいなコテージで寝る。星が見えんのは残念だった。なりふりかまわず、できるだけのことをしたいと思った。