一月二十六日
ベースに飛び散った血はきれいに拭いてあげた。終わるまで気付かなかったということは、それなりに気持ちの入ったライブだったんかなと思う。でもたくさん間違えた。アンチの方々がしてくれた話は大事だった。あと来てくれたお客さん(約一名)、どうもありがとう。
三月に向けてがんばろう。おやすみなさい。
一月二十一日
スマイル練して、CDを買って、井の頭公園に行って、安部公房という人の本を読んで、個人練して、ピッグ練して、ラーメンを食って、帰宅して、洗い物をしたあと、電気を消し布団に入って真空メロウを聴くわけだが、夜中三時になっても雨は雪に変わらない。うまくいかんもんだな。一年前と今を行ったり来たりしている。おやすみなさい。
一月二十日
空港にも雪は降ったのだろうか。見損ねた。全体的に、やる気が抜けていくな。洗い物しとらんけどおやすみなさい。
一月十七日
家でだらだらした。本当にだらっだらした。朝に目覚めながらも二度寝して昼過ぎに起き上がり、焼うどんを作って食い、夕方からはクリームシチューを煮込んだ。途中で味噌汁が飲みたくなったので味噌を入れてみたところ、コクが増して美味しくなった。よかった。料理でもせねばやってられん。理由あって明日も休日。自分が一番しょうもないな。明日は出かけようと思う。
一月十五日
いい大人どうしが、困ったもんだ、という感じの一日だった。疲れたー。おやすみなさい。
一月十四日
デンジャラ楽しかった。バンドの皆様、リザードの皆様、そしてお客様、ありがとうございました。ものすごく内輪でゆるかったけれど、それで全然よかった。どのバンドもかっこよかった。かけもちは不思議ながら面白かった。
朝まで飲んで仕事行って帰ってテレビをつけて初めて、そういえば日曜やなと気づいた。いい週末だった。次のデンジャラまでは気合い入れてバンドに打ち込みたい。なんとか音源も作りたい。その後はしばらくいいかなとも思う。がんばろう。
一月十二日
夜勤明け、近所のスーパーでの買い物は至福の時間である。店内に流れる音楽、レジのおばさんの穏やかな声、小さな子どもとお母さんのやりとり。救われる。昼下がりという頃合いがまた絶妙によい。夕食の献立は、豚キムチ、かぼちゃ煮、酢の物、納豆にした。満足した。
明日はデンジャラ祭り兼新年会だ。音出して酒飲んで楽しもう。おやすみなさい。
一月十日
外国人の芸人が、ネタで自分のことを「安い労働力」と呼んで笑いをとっていた。それは笑えない。フレキシブルで代わりのきく、都合のよい存在。実は自分もそうだったりして。いったい何が自分の価値や意義を保証してくれるんだろう。それを求めた時点で終わりなんだろう。別に仕事の話ではないし、悩んでいるわけでもない。これは愚痴だな。くだらない。おやすみなさい。
一月九日
ピッグの今年最初のライブだった。観てくださった皆様、本当にありがとうございました。楽しかった。フロアからPAまでちゃんと見えて気持ちよかった。三か月分の鬱憤を出しきったつもりでも、終わったそばから次が待ち遠しい。がんばろう。そして今年中に企画をやる。
ライブのビデオは明日観るとして、こないだのOB会の小谷音源をもらったので帰ってから聴いた。なんだかすごくよくて泣いた。音源もそれができた過程も、大事にしたい。もう一回軽音をやりたいな。それは無理なので今できることをする。よし。おやすみなさい。言ったものの気がかりで眠れない。
一月四日
久々に帰宅して、焼きうどんを作って食った。消化の良いうどんを油で炒めるという、まさに最高の胃リハビリ料理(のつもり)である。うまかった。そのあと、玄関にたまった新聞を読みながらスマイル仮録CD秀吾ミックスを聴いた。秀吾さんくす。面白くて、わくわくした。きっと各々色々考えることがある。あとは練習だ。がんばろう。
今年初めて寝る自分の部屋に、カレンダーを飾ったら、あっけなく年が明けた。ありがとう。今年もよろしくお願いします。おやすみなさい。
一月三日
夜勤明けの大晦日に茨城行って、その晩に腹こわして、元旦に病院行って、ノロウイルスと診断され、薬飲んで寝て、二日の初仕事は休み、二キロ痩せ、でも意外とあっさり回復し、この泊まりから出勤した。散々な年明け、どころではなく、いつ新年が始まるかと心待ちにしているところ。早くバンドがやりたい。
皆さんもノロにはくれぐれもご注意ください。でも本当はノロじゃないかも。医者のおじさん、看護婦さんから俺の病状伝え聞いただけで、触診もせずに「あーこれ、ノロ。ノロだね。まあ二、三日で治るよ。」て言いながらカルテ書いてましたから。顔色も見てなかった。何でも、名前を与えてやると平らで分かりやすくて便利なんだろうな。元旦に診察する医者の苦労が察せられた。
会っても俺のことを避けないでください。安全です。