日記 Dr
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12月2日(土)
今日はバンドの練習。先週寝坊して、電車に乗るのも、いや、布団から出るのさえも諦めたという経緯もあり、頑張って早起きしたぜ。イェイ。六時半に目を覚まし、「寒いぜハーハー、あっ!隣りのお嬢さんおはよう」といろんな意味で非常にハアハアいいながら新聞を取りに玄関先に出て、そして自分でご飯を作って食べる。このさわやかさ、すごく久しぶり。
練習は久しぶりにドラムの楽しさに触れ、満足。だけど、うまくなりたい。気持ちいいおかずを鳴らせる叩き手になりたい。
あと、結婚したい。イェイ。おやすみなさい。
12月3日(日)
昨日、ひっさびさに布を買った。布って服ね。四月に買ったカラフルなウィンドブレイカー以来だ。柏で。いや、違う、思い出した。靴下とワイシャツ買ったな、ユニクロとメンズプラザアオキでさあ。したら一回穿いただけの靴下よ、一回洗濯に出したら帰ってこないでやんす。うちでは真っ黒の靴下はおれの靴下じゃないらしいです。たぶんお父さんのタンスに入ってるんじゃないかしら。その代わりなにかしら柄の入ってるものや、紺色やら、灰色や、ローカットの靴下は、おれのじゃないのに戻ってくるんだわ。言おう言おうと思ってから早半年以上経つのに、言えないっす。その割にそれが嫌で、心の中で不満に思ってる。性格悪いな、おれ。
話が脱線したんだばってん荒川、そう、柏のとある店で布のカバンをいいなと思って眺めてたんすけど、そこの店長…「そのバッグいいっすよね、アメリカ製でハーイ、ジョンソンっていう会社のハーイ。冬場って黒い服が多いじゃないっすかぁ、柄がさし色になってハーイ、すごいいいと思うんすよねハーイ。」ってホリケンのキャラみたいなしゃべり方でした。よくいるんだ。ちょっと気になったけど、買ったよ。
ゴスペラーズの低いパートの人、歌ってる間中、顔が暗くないか?
12月4日(月)
次の「うむーむ」以降は昨夜の苦しみ。眠れぬ苦悩。発狂寸前の叫び。
うむーむ。ドゥニーム。どうにも眠れない。ドゥーニム眠れない。そしてきっと起きられない。夕方寝ほうけたため、いま午前三時だが眠くない。寝過ぎで頭が痛いって言うのに、でも少しでも寝なきゃ体調悪くするってわかってる以上、寝ようと努力した。が、もう無理っ!ってことであきらめようと、撮りだめておいた映画を観始める。したらいつの間にか眠れるんじゃないかという淡い期待は見事に打ち砕かれ、四時。五時。うわーどうしよう。空が白んできた。こうなるとなぜか、眠くなってきたよ。やったぜ。起きれるかな。よし、寝よう。
って寝たら今日は七時半に起きた。危ない。今日はすぐに寝られそう。おやふみなさい。
12月5日(火)
寒いです。満月がくっきり美しい夜が明けた朝は、寒さが厳しいそうです。このことを「満月の大霜」というそうです。
この調子で毎日書こうと思っています。日記。おやすみなさい。
12月6日(水)
日曜日に引き続き、「笑ってコラえて!」に泣かされました。この番組は素敵だ。
12月8日(金)
タクシーに乗ったら懐かしい訛りが。おもわず「運転手さん、生まれは東北ですか?」と聞く。
運転手は、青森に近い秋田県鹿角(かづの)地方から出稼ぎに来ている人だった。その運転手はこないだ、いちタクシー運転手として、秋田に帰省したのだそうだ。
そのいきさつがアツい。「始めは大宮駅まで行く予定だったんです」。運転手は話し出す。客は父親が死に、夫婦で葬式に行くために新幹線で秋田に行く予定だった。新幹線の切符は既に買ってある。あとは駅に着いて軽い食事をし、こまち号に乗り、四時間待つだけ。それなのに、運転手が秋田出身だってことを知って、『運転手さんと秋田に行きたい』と、そう言い出したんだそうだ。『十七、八万くらいかかりますよ。時間だって新幹線の何倍もかかります』と運転手は言ったのだが、客はそれでもいいと言った。冗談だと踏んだ運転手はとにかく大宮へ向けて車を走らせた。その道のり、お互いの来た道を述べあった。なぜ東京で働くに至ったかを。大宮駅に着くと客は、『運転手さん、奥さんに会いたいんだべ?』と語りかける。『はい、去年の暮れから会ってないですから』と運転手。『じゃあ一緒に帰ろうよ』。
運転手は、北へ北へ。燃料のプロパンガスを何度も補給しながら約半日かけて客を送り届けたあと、さらに北へ向かい、鹿角の、収穫の終わった田んぼにポツンと浮かぶように立つ墓で、去年亡くなった奥さんと再会したそうな。
この話に鳥肌が立ち、僕は「運転手さん、青森まで」って言いそうになった。僕にだって愛する人がいて、いつも隣りにいて欲しい人がいる。守るつもりが守られたい人がいるんだ。それを改めて噛み締めた金曜日の夜。
12月9日(土)
今日は夜スマイル練習。個人的に新しいことに取り組めた。まだ下手くそだけど向上心だけはある。
12月10日(日)
日テレのサッカー放送って本当に面白くない。テルゥー!って叫ぶだけだったり、あらかじめ用意された選手の経歴やチームの去年からの反省点を紹介するだけの実況。駅伝はそれでいいけど、サッカーはそれだけじゃ物足りない。あと、そうですねーしか言わない武田。岩本がゴール前でチャージを受け倒れたがノーファウルだったときに「審判は彼が日本人だってこと知らないんじゃない?」っていってしまうオカちゃん。やっぱりフジが一番なのか。バルセロナ戦もこれだったら最悪だ。
12月11日(月)
集中しすぎて目頭が痛くなり肩が凝ります。そして頭痛がしてきます。社会人って大変だ。出来れば一生子供がよかったなあ。
と思う月曜日。
三か月ぶりに「タ」。文句なく「タクシードライバー」です。デニーロのモヒカンはかっこよすぎる。ジョディフォスターは子供のくせにセクシーすぎる。もう二回くらいは観るだろう。
12月12日(火)
本当に忘れてしまった作品が多いが「チ」はピーター・セラーズの「チャンス」でお願いします。中学生のときに観たのだけれど、笑いと涙を両方もらったことは覚えています。でも詳細は忘れてしまったー。もう一度みたいです。最近の日記ゆるーい。それはなにも起こらないからなのでしょうがありません。おやすみなさい。
12月13日(水)
今日は十一時半勤務開始の遅番だったから「わりと朝ゆったり出来るぅ」と思っていたんだけど、いつもより早く起きてしまい、まあそれはそれで良い生活だななんて本などを読んでいたら、眠くなってきて、暖かいストーブの前で転た寝をしていた。でも遅刻する夢をみて五分毎に目を覚ます。何回ウォアッ!って叫んだことか。結局全然ゆったりできなかった。やっぱり朝は活動的でありたいな。
とかいいつつ、明日もぎりぎりまで寝ようとするんだろう。夜に決意したことって大抵、朝の瞬間的な欲に負けるんだ。おやすみなさい。
12月14日(木)
案の定でした。またギリギリに起きちまいました。
やはり日テレにサッカーを中継する権利はなかった。「国の代表が8か国で10人」って何回言えば気が済むんだ。クラブの伝統や選手の生い立ちをたれながすだけの実況は必要ない。
12月17日(日)
暖かい。もう十二月半ばなのにかなり暖かい。いいことだ。寒い冬と暑い夏は嫌いだから。だからといって夏並みに暑い冬や冬並みに寒い夏は嫌だ。要は暑いのと寒いのが嫌いなのだ。
今日は姉貴が甥っ子にプレゼントを買うと言うので、柏の葉キャンパス駅につい一か月ほど前に出来たばかりのショッピングモール「ららぽーと」に同行するハメになった。一人で行くには忍びないが旦那が仕事だということでおれが行くことになった。なんだよ「忍びない」って、一人で行けよ、と思っていたんだが、エントランスで「ここからは自由行動、一人で観て回るでしょ」と言われ、実際に歩いてみると、忍びなぁ!し、の、び、なぁ!寂し過ぎるぜ、カップルや家族連れがワイワイガヤガヤクリスマスプレゼントを買いに回る中を、俺、寝癖ついたまま歩いている。特になにも買うでもなく(というのも財布を持ってこなかったから)。変だ。絶対に変だ。恥ずかしい。帰りたい。一人で映画に行くことは当然だ。買い物も柏や渋谷なら一人で全然オッケーなのに、ここはなんなんだ。一人ピクニックと同じ状態じゃないか。一人で喫茶店、OK。一人でファミレス、OK。一人で回転寿司、OK。でもここはなんなんだ。一人キャンプじゃないか。一人で行かなければならないところ(must)は刑務所とかだろう。一人で行くべきところ(should)は美容
室とかだろう。一人でも行けるところ(can)はさっきも言ったが喫茶店とか寿司屋だろう。だけど、「ららぽーと」はmust notだね。いっちゃいけない。参りました。そのあと電車で柏に行き、コートを買って鬱憤を晴らしましたとさ。
あ、突然眠気が。おやすみなさい。
12月19日(火)
さっむぅい。客の出す小銭が冷たいし、国道16号線を走る大型車の作る風がイッタァい。モモヒキ穿くべきかマジで悩みます。
で、一番寒いのが風呂場。床つめたぁ。シャワーが温まるまでペンギンみたくかかとで立ってて、さらに気付いたら、「ござーるござるよペンギン村にー」とハットリ君とアラレちゃんのコラボ曲を歌ってましたよ。寒さで頭おかしくなってしまったようです。嫌だよぅ、冬。
12月22日(金)
疲れていて「たそがれ清平」が「日清どん平」に見える。いやほんとなんだって。
今日は生まれて初めてカメルーン人と話をした。しかも下北沢の雑貨屋さんみたいな匂いのする女性だった。日本語が通じなくて難儀したが、得意のジャパニーズイングリッシュでなんとかパッスィングバイ(通り過ぎ)させてやった。サンキューと言われて、「ユアウェルカム、バーイ」と出てこなかったのが悔やまれる。
あー年賀状書かねば。おやすみなさい。
12月23日(土)
高校卒業以来、関東へ出て来た野球部のみんなで毎年有馬記念の日に忘年会をしてきたのだが、大方が社会人になった今年、競馬好きなやつがスポーツ新聞の競馬担当となり、仕事じゃ仕事!で忘年会などしてる暇がないっつうことで、前日の今日にずれこんだ。が、結局集まったのは三人。どうやらクリスマスの影響らしいな。っていう愚痴は言うまい。
ということで家でキムチ鍋にした。去年はもつ鍋だった。動物園のような匂いのするもつ鍋であった。そんときは全員、なぜか屁が止まらなくなったものだが、今日もだった。あんまり出るから勿体ないもんで、ライターで火を点けてやった。ブォッって小爆発し、お尻のあたりが熱くなる。面白かった。だが、それを数回やったとき、なんだか急に虚しくなり二度とやるまいと決めたが、参加者の日記で三十日青森でもやってと言われたので考えておく。
12月24日(日)
クリスマスイヴにスマイル音源作り練習。外はここ一番の好天なのに、スタジオ内で日光を浴びず。余裕はなかったが楽しかった。あとはシュウゴ、ミックスがんばれ!
家に帰り、年賀状作り。左腕のどこかしらの筋を違えた。60枚も書いた。同じような当たり障りのなさそうなことを60枚も書いた。こんなに苦労したんだから、来年こそはお年玉の一等が当たるといいな。
12月25日(月)
クリスマスイブに婚姻届を出したカップルがやはり多くて、その処理作業に追われた。忙しかったが、七夕に提出に来る人達より理解できる。だいたいさ、七夕って織り姫と彦星が一年に一度会えるロマンチックな日ではあるけど、一年に一回しか会えない二人になっちゃ大変でしょうに。って愚痴はおわり。
すっげえ関係ないけど、「予定はミテイ」ってメールを作ろうかと思ったら「予定はミキティ」ってなんだかわかんない文章が出来上がってしまったよ。
おやすみなさい。
12月26日(火)
朝、機転を利かせて合羽を持って出たから、大雨だって情報が入っても「拙者には合羽があるのだ」ってかなり余裕があったのに、仕事を終えて合羽を着て、「いざ出陣せむ」と勝利の確信を持って役所の玄関を出たら、外では嵐が「合羽とかそういう問題じゃないぜこの阿呆が」っていうような勢いで荒れ狂ってた。しかし、ここで引いては男が廃る故、わたくしは合羽の裾を輪ゴムで止めるなどの更なる雨対策をして(後にその輪ゴムがきつすぎて足の感覚が麻痺しそうになったので外した)、戦場に出たのであるが、トラックの撥ねる水が容赦なくわたくしの左半身を襲い、合羽はみるみるうちに嵐サイドに懐柔され(簡単に言うとめっさ雨がしみて濡れてしまったのである)、わたくしは凍える体で帰路につかざるを得なかった。さあ、これから敵に寝返ったカッパ野郎を吊るし上げてやろう(簡単に言うとハンガーに掛けて干そうと思ったのである)と思っていた矢先、わたくしの目の前に現われたのは、白い肌の姫君その名もYuDo-fu!(簡単に言うと夕飯が湯豆腐だったのである。)あったかい。芯からあったまる。助かった
。今日ばかりは一人暮らしじゃなくて助かった。
あー、明日履いて行く革靴がねえ。まあなんとかなる。おやすみなさい。
12月27日(水)
風は強いが暖かい日だった。こういう暖かい日は意味もなく散歩したくなって、結構歩いて本屋に立ち寄って数十分立ち読みなどするのだが、帰りには「なぜチャリンコでこなかったのか」と後悔する。しかも陽が傾いて寒い。割とよくあるんだって。
今日は接客スキルが上がったと感じた。前回怒って帰って行ったお客が改めてきて、同じ件で相談を聞いたら、「どもねっ。」って満足して帰っていった。まあやつのことで一晩考えたからな。その甲斐があったってもんだぜ。明日終わったら青森だ。おやすみなさい。
12月29日(金)
青森に帰って来た。晩飯はいとこが働いていた牧場の牛のステーキでした。うまかった。
うちはフジが映らないので人志松本のすべらない話を見逃したのが一番残念でした。
12月30日(土)
今日はビリヤードを一時間、卓球を一時間、ダーツを百投ほど、そのあと野球部のやつらと飲み、はしごしてクラスメイトと飲み、カラオケに行き、と遊戯王でした。
あ、その前に姪っ子とトランプやったな。ババ抜きやって驚いたんだけど、姪っ子のやつ、手が大きくなっていやがる。ババ抜きって最初にペアになってるカードを外していくじゃないですか、その作業のとき今までだったら、部屋の隅の方に行って床にカードを広げてやってたんだけど、今日はそれを手元でやってたね。しばらく会わない内に成長したんですな。
12月31日(日)
大晦日の昼、僕らは苦渋の決断をした。でも僕らの名前が変わったこと以外はなにも変わらない。この決断は僕らにとって悪いことじゃないだろう。
大晦日だった。今年の紅白は白が勝ったらしい。姉から聞いたのだが、母親は結果を知らないらしい。中居くんと仲間由紀恵がボールを投げているところでは起きていたのに、集計結果のときには眠りに落ちていたのだそうだ。はっ、と目を覚まし、どっち勝った?って聞いた時には時計は2007年まであと十五分。母は再び眠りに落ち、夢の中で2007年を迎えた。きっとこの歳になると年が変わることになんか無頓着なんだろう。姪や僕なんかは日付が変わる瞬間なにをしているかで、その後の人生が左右するとまで思っているから、姪は自由帳に絵を書き、ぼくは軽くジャンプしたのに、母はこんなだし、親父は二時間前からベッドにいた。ああ、思えば親父のカウントダウンへの無頓着ぶりは昔からだったか。あれは十三年前の12月28日、母方のひいおばあちゃんが亡くなり、大晦日はばあちゃんの家で親戚一同で年越しした。おじいちゃん(親父からみれば恐るべき義理の父)もいたなあ。そんな親戚みんながテレビの前に集まってサザンのライブでカウントダウンしようとその場の雰囲気で決まっていたのに、「5、4、3、2、1…」とここまでいったところで、おもむろにリモコンを取った親父はなんとチャンネルを変えた。しかも変えた先が砂嵐。「なにしてんのさっ」と姉、母ぶちぎれ。ぼくはもう息子として「プッ」と笑うことしかできなかったね。ウケ狙いの確信犯としか思えなかったから。あの状況であれほどのことをできるのはすごいわ、うちの親父。あっ、まだ教えてないや紅白の結果。
みなさん2006年もありがとうございました。2007年もよろしくおねがいします。
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