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かつて看板に掲げていた多芸多才を捨て、新たにシリアスな音楽一本で勝負してきたオインゴ・ボインゴ。LAのクラブ・シーンが生んだ歴史ある摩訶不思議な音楽集団が、'90年代到来と共に提示したニュー・スタイルは、ブラックホールのようなインパクトあるものとして存在する。――山田道成――
オインゴ・ボインゴ――忘れた頃に突如として再び姿をあらわすバンドとは、まさしく彼等のようことを言うのだろう。少なくとも日本でのオインゴ・ボインゴはそういう存在だった。しかし、これだけはハッキリした言葉で強調しておかなければならない。オインゴ・ボインゴが過去に日本で紹介される機会が少なかったのは、バンド自体の責任でなく、たまたま運が悪かったというだけのことである、と……。
LAのクラブ・シーンが生んだ多芸多才な上に摩訶不思議な音楽集団。それがオインゴ・ボインゴを表現する際には、一番ピッタリとあてはまる。何しろ'80年代幕開けと同時に出現した彼等を確認した
時、その独創性に富んだサウンドスタイルにはありあまるほどの個性を感じた。それこそ当時のアメリカにおいては、あのディーヴォやB−52'Sと並び、多大なる意外性を持ったバンドとさえ思われたほどだ。当時のごとくそんなオインゴ・ボインゴは、当時のLAのクラブ・シーンにおいては絶大なる支持を得た。が、日本ではそういうわけかその人気が飛び火しないばかりか、アルバムが紹介されることすらまるで偶然の産物であるかのようだった。
’70年代中期よりLAでザ・ミスティック。ナイツ・オブ・ジ・オインゴ・ボインゴの名で活動し始め、'77年には第8回世界歌謡際の出場のために来日したこのバンドが、オインゴ・ボインゴと名前を改めたのは'80のこと。その直後にIRS/A&Mと契約した彼らは、
『Oingo Boingo』('80) Mini Album
『Only A Red 』('80)(←原文ママ・管理人注)
『Nothing To Fear』('82)
『Good For Your Soul』('83)
という一枚のミニ・アルバムと三枚のアルバムを発表。しかし、この間日本でリリースされたのは、『オインゴ・ボインゴの謎』という邦題がつけられた『Nothing To Fear』だけだった。
さらにオインゴ・ボインゴは'85年に入るとMCAに移籍。以後の彼等は、
Dead Man's Party』('85)
『Boi-Ngo』('87)
『Boingo Alive』('88)
という3枚のアルバムを発表したが、この間にも日本でリリースされたのは、『オインゴ・ボインゴ』と名づけられた『Boi-Ngo』一枚のみだったのだ。
しかし、その間のオインゴ・ボインゴに何の話題や実績がなかったわけではない。例えば日本では、『Nothing To Fear』がリリースされるのと時を同じくして、当時のニュー・ミュージック界で活動していた庄野真代LA録音によるアルバム『逢、愛、哀』のバックを全面的に担当したということもあった。さらにアメリカでは、各アルバムがつねに着実なセールスを記録したばかりでなく、84年にはあのトム・ハンクス主演で話題となった映画<Bachelor Party>のサウンド・トラックで「Bachelor Party」と「Something Isn't Right」の2曲を披露。その後も、'85年には<Weird Sience>のメイン・テーマ「Weird Sience」、'86年には<Back To School>の中の1曲である「The Dead Man's Party」を担当し、そのいずれもがシングルとなって、全米トップ40内にランクされるまでにいたっている。
そんなオインゴ・ボインゴは、鬼才と呼ぶのに相応しいダニー・エルフマンを中心とするバンドだ。彼等がオインゴ・ボインゴの名前で活動をスタートさせた答辞は、そのダニー・エルフマン(リード・ヴォーカル)を始め、スティーブ・バルテック(リード・ギター、ヴォーカル)、ジョニー“ヴァトス”ヘルナンデス(ドラムス)、サム“スラッゴ”フィップス(サックス)、レオン・シュネイダーマン(サックス)、デール・ターナー(トランペット、トロンボーン)、リテャード・ギブス(キーボード、ヴォーカル)ケリー・ハッチ(ベース、キーボード、ヴォーカル)という8人だった。その後、何度かのメンバー・チェンジも行われたオインゴ・ボインゴは、次第にダニー・エルフマンのカラーが前面に打ち出されていくことになる。
'84年には自らのソロ・アルバム『So-Lo』も発表したダニー・エルフマンだが、それ以降彼はオインゴ・ボインゴにおいて、その高い才覚を発揮する一方で、個人的な活動も行うようになった。それが<Beetlejuice>や<Midnight Run>、あるいは<Scrooged>、それに<Big Top Pee Wee>といった映画のサウンドトラックにおける作業だ。おそらくこれらは、オインゴ・ボインゴで手がけたサウンドトラックによる成功が、大きなきっかけとなっているに違いない。そして'89年、ダニー・エルフマンにとっては、またとない大きな仕事を得ることになる。それがアメリカで史上空前の超大ヒットを記録した<Batman>のサウンドトラックだ。もちろんこの映画のサウンドトラックは、例のプリンスが全面的に担当したことになっている。しかし、ダニーはその影に隠れてしまったものの、この中でフィルム・スコアを担当し、その実力は大いに発揮していたのだ。
そのダニー・エルフマンが中心となるオインゴ・ボインゴは、これまで最もLAに執着した活動を展開する一方で、最もLAらしからぬ型破りなサウンド・スタイルを披露し続けてきた。ギター、ベース、ドラムスという通常のリズム体に、キーボードとホーン・セクションを絡めながら形成されるそのサウンドは、実にエキセントリックなパーカッシブな感覚を持ち、時代の流れとは無関係なところで個性を光らせていたと言える。何しろそこはニュー・ウェイブやハード・ロック、あるいはR&Bといったあらゆるジャンルも超越したものが存在し、その上で、今ワールド・ミュージックなどと表現されてブームとなるエスニックな要素さえも、彼等はいち早く取り入れ、一種独特な無国籍的イメージさえも漂わせていたのだ。そんなオインゴ・ボインゴだからこそ、個人的にはつねにその存在に注目していたし、今後もまだまだ何かとんでもないことをやらかしてくれるという気体を抱いてしまう。
そのオインゴ・ボインゴの'90年代最初のアルバムがこの『Dark at The End Of The Tunnel』だ。彼等にとっては、IRS/A&M時代からの作品を含め、アルバムとしては通算7作目。日本でリリースされたものとしては、ようやくこれで3作目ということになるが、何はともあれ彼等の最新のアルバムが、こうして日本で日の目を浴びる機会が得られたのはうれしい限りだ。
一応現在のオインゴ・ボインゴのメンバーを紹介しておくと、ダニー・エルフマン、スティーブ・バルテック、ジョニー・ヘルナンデス、サム・フィップス、レオン・シュネイダーマン、デール・ターナーというオリジナルの6人に加え、'80年代中半から参加したジョン・アビラ(ベース)、そして'80年代後半に加わったカール・グレイヴス(キーボード、ヴォーカル)という計8人ということになる。
そのオインゴ・ボインゴの最新アルバムである『Dark At The End Of The Tunnel』の発表に際し、ダニー・エルフマンはこんなことを語っている。
「今の僕達にとって過去のオインゴ・ボインゴは関係のないものだ。僕達は組織的にも音楽的にもこれまでの概念を取り払うという、新しい選択をした。より内省的なアプローチを考え、1つの大きな目的に進むことにしたんだ。だから今のオインゴ・ボインゴは、今までの僕等とはかなり異なったイメージを持ったバンドという印象を受けるだろうネ」
これはなかなか興味深い発言と言える。そして、事実今回のアルバム『Dark At The End Of The Tunnel』に耳を傾けた時には、ダニー・エルフマンの言葉どおりに過去のオインゴ・ボインゴとは少なからず異なったイメージを感じた。前作『Boingo Alive』で全31曲もの壮絶なライヴ・パフォーマンスを披露した彼等だが、おそらくそれがバンドにとっては'80年代の集大成を描くことを狙ったものだったのだろう、今回のアルバムでは、アメリカでの第1弾シングルにもなったオープニング・ナンバー「When The Lights Go Out」でこそ、過去の延長線上にあると思えるようなアプローチを展開しつつも、続く「Skin」、「Out Of Controll」など、曲が進むにつれて新たなオインゴ・ボインゴの音楽が顔をのぞかせる。確かにありあまるような個性と毒、さらには無国籍的なイメージということについては、依然と同様なものを持っているのだが、これまでのビート感溢れるパーカッシブなサウンド・スタイルは弱まり、むしろメロディを生かしたスタイルへと変貌してきているのだ。特にダニー・エルフマンの神経質な性格があらわれているヴォーカルも存在感というものが、ここでは最もインパクトのあるものになってきている。それだけにアルバム全体を通した音楽性というものは、実にシリアスな感溢れるものになってきていると言っていい。
多芸多才な上に摩訶不思議な音楽集団であるオインゴ・ボインゴが、あえて多芸多才という看板を捨てて挑んだ、ストレートにシリアスさを追求した音楽の世界。『Dark At The End Of Tunnel』は、まるでブラックホールのような魔力と威力を持ったアルバムだ。これが'90年代到来と共に提示したオインゴ・ボインゴの新しいスタイルなのである。
<1990.3.10 Michinari Yamada>
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