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1971年
月日 出来事
12月 財津和夫単身で上京 デモテープ持参し東芝レコードに売込

1972年
月日 出来事
1/18 メンバー全員上京
(財津和夫 吉田彰 安部俊幸 上田雅利 姫野達也)
上京当時のメンバーの容姿は、現在では想像を絶するもので、姫野氏は髭をはやし、2月6日から南青山のアパート(2DK)で5人は苦しい共同生活を始めた。
2/17 TBSラジオ「ヤング・スタジオ・ライブ」で初ステージ
3/3 渋谷ジャン・ジャン初出演
3/18 渋谷公会堂で本格的なコンサート初出演
4/7 映画初出演「戦争を知らない子供たち」
「どこまでもどこまでも」という曲を演奏した。同名のサウンドトラック盤に収録、発売された。
5/1 東芝エキスプレス・レーベルと専属契約
5/13 「日本語によるフォークとロックのコンサート」に出演
5/30 チューリップ号(車)とビンソン・ヴォーカルアンプを入手
6/4 学園祭初出演「共立女子大寮祭」
6/5 レコードデビュー、アルバム発売
「魔法の黄色い靴」 ◎Discography
スタッフサイドの意向で最初「黄色い魔法の靴」であったのだが「魔法の黄色い靴」に。
※1
6/7 シングル発売
A.魔法の黄色い靴 B.ハーモニー
♪MIDI
6/9 TV初出演「イレブンPM」
6/30 九州へコンサートツアーに出発
7/7 青山タワーホールで「チューリップ独演会」
入場数は少数のファンと多数の関係者という状態だった。
7/25 北海道、東北へコンサートツアーに出発
9/20 セカンドシングル発売
A.一人の部屋 B.田舎へ引越そう
※2
12/20 セカンドアルバム発売
「君のために生まれかわろう」 ♪MIDI ◎Discography
このアルバムの帯2に使われたキャッチコピーは「もうロック・フォークと呼ばれるのはあきあきしたよ。チューリップと呼んでくれ。」だった。


※1/「魔法の黄色い靴は」業界にセンセーショナルな話題を投じたが、ヒットチャートの75位にランクされたものの、以後パッとせず、関係者を落胆させた。
※2/2枚目のシングル「一人の部屋」は、名曲と言われながらヒットせず、財津氏をはじめ5人は焦り始めた。この時期がチューリップにとって一番苦しく辛かったのである。そんな逆境の中でも不屈の闘志で少ないスケジュールを着実にこなしていった。

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