Last Update:Apr 9,2004


月日

出来事

解説

1月
イギリスでシングル「タイトゥン・アップ」発売。 12インチのみの発売。

1月15日
アルバム「BGM」のレコーディング開始。  
NHK-FMでYMOのライブ特番放送。 放送は2部構成で放送された。1部では1980年に英BBCで放送されたハマースミス・オデオン公演(ロンドン)、2部では1980年12月の日本武道館公演をオン・エア。

2月5日
矢野顕子のシングル「春咲小紅」(ジャパン)発売。 B面には「在広東少年」のニュー・バージョンを収録され、アレンジは”ymoymo”名義になっている。

2月14日

アルファレコード本社前で、アルバム「BGM」のTV-CFの撮影が行われる。

CF撮影では、細野晴臣が老人、高橋ユキヒロが警察官、坂本龍一が看護婦に扮した。また、ニュース・キャスター役でスネークマン・ショウの伊武雅刀も参加している。
制作費は500万円で、「BGM」の発売日当日にオン・エアされた。

雑誌「ぴあ」の”ぴあテン コンサート”、”ぴあテン レコード”、”もあテン”の3部門でYMOが1位になる。  

2月15日
東京12チャンネル(現テレビ東京)で1980年11月2日にアメリカで録画された「ソウル・トレイン」がオン・エア。  
サンケイ・スポーツに前日のCF撮影の記事が掲載される。  

2月20日
アルバム「BGM」のレコーディングが終了。  

2月21日

大村憲司のアルバム「春がいっぱい」(アルファ)発売。

YMO全面協力のこのアルバムには、1980年のワールドツアーでレパートリーだった「マップス」(高橋ユキヒロ作曲)が収録されている。
スネークマン・ショウのファースト・アルバム「急いで口で吸え!」(アルファ)発売。 フジ・カセットCF曲「磁世紀〜開け心」収録。
プロデュースは細野晴臣。細野はごきげんいかがワン・ツー・スリー」で曲も提供している。

3月10日

YMO初の写真集「OMIYAGE」(小学館)発売。

タイトルは「YMO AGEに愛(I)をこめて」と言う意味。雑誌「GORO」の特別編集と言う形で発売された。
第2回ワールドツアーの写真を中心に、「GORO」に掲載されていた記事も再収録されていた。また、YMOを詠みこんだ俳句を募集し、抽選で1万人に”YMOスカーフ”が当たる企画もあった。

3月16日
高橋ユキヒロ、ソロ・アルバムのレコーディング開始。  

3月20日
〜25日
東京、池袋の西武百貨店8Fの特別催事場で「YMO百貨店」が開催される。 会場ではYMOのビデオを上映したり、ステージ衣装を展示したほか、ライブのパンフレット(「Sutra」や「國際画報」など)も販売された。
期間中、メンバーも姿を見せた。

3月21日

アルバム「BGM」発売。

第2期YMOを象徴する重厚なサウンドは、それまでいた不特定多数のファンと決別することになった。細野晴臣は次のように語っている。「何をやっても売れちゃう。こんな状況は二度と来ない。だったら遊んじゃおう。」
前作までとは、あまりにかけ離れた曲調に対して、海外発売盤に関してA&M側から”シングルカットできるような曲を作れ」とクレームが来たそうだ。
内容は、前年のワールドツアーでも演奏された坂本龍一の「千のナイフ」のYMOバージョン、レコーディング終了時に記念撮影をするほど思い入れた「キュー」、スネークマン調のおしゃべりが入った「U.T.」、名曲「マス」(なぜか小学生に人気があったらしい)などバラエティにとんだ曲が収録されている。
アルバム「テクノデリック」のレコーディングを開始。  

3月28日
高橋ユキヒロが、ソロ・アルバムのレコーディングのためロンドンに出発。 日本からは、細野晴臣、大村憲司、松武秀樹らが同行した。ロンドンでのレコーディングには、トニー・マンスフィールド、アンディ・マッケイ、フィル・マンザネラが参加した。

4月2日
TBS「ザ・ベストテン」に矢野顕子の「春咲小紅」がランクイン。坂本龍一と高橋ユキヒロがバックミュージシャンで出演。  

4月3日
加藤和彦のレコーディングに参加するため、坂本龍一と矢野顕子がパリに出発。  

4月5日
〜11日
加藤和彦のパリでのレコーディングにロンドンに滞在していた高橋ユキヒロ、細野晴臣、大村憲司が参加。  

4月7日
NHK-FMで「坂本龍一のサウンドストリート」がスタート。 伝説の「デモ・テープ特集」には、デビュー前のテイ・トーワ、槙原敬之らが登場。

4月21日
シングル「キュー」(アルファ)発売。  
坂本龍一のシングル「フロント・ライン」(アルファ)発売。 「フロント・ライン」のB面には「ハッピーエンド」が収められた。この曲は「BGM」に収められた曲のリメイク版。
矢野顕子のツアー「また会おうね」スタート。
坂本龍一が参加した。
このツアーは中野サンプラザを皮切りに全国28ヶ所で行われた。

5月
イギリスで坂本龍一のシングル「ライオット・イン・ラゴス」(アイランド)発売。  

5月1日

フジ・カセットのキャンペーン「YMOワールド・ツアー・コレクション」プレゼントが開始される。

7月20日の最終抽選まで計4回の抽選を実施した。
このキャンペーンでのプレゼントは以下の通り。(応募ハガキから引用)
Aコース:YMOステージシャツ(サイズはMサイズのみ)・・・合計2,000名
   YMOのメンバーが、80年のワールドツアーの際、演奏時に着用した
   のと同じシャツ。高橋ユキヒロデザインによるハイ−ファッション
   なシャツは君にステージの興奮を分けてくれる。
Bコース:YMO Tシャツ(サイズはMサイズのみ)・・・合計10,000名
   この夏、街の話題を独占すること間違いなしの、テクノ感覚あふれ
   るTシャツ。細野晴臣デザイン。布地はHanes社(米国)製の最高級
   品。
Cコース:YMOテクノバッヂ・・・合計4,000名
   音が、光が、まるでルーレットのように工作するコミュニケーショ
   ンバッヂ。マイコン世代の君たちに送るハードな面構え。仲間に出
   会ったら、ピッと触れて、ピピピピっとテクノなあいさつを。
YMOバッヂ・・・A,B,C各コースの抽選にもれた中から、再抽選で毎回5、000
       名に

5月4日
NHK-FMで1980年ワールド・ツアーのハマースミス・オデオン公演(ロンドン)の模様が再放送される。  

5月13日

旺文社「高一時代」6月号発売。YMO Special号。

特別付録として、YMOポスターがついた。(ハマースミス・オデオンのライブ・シーン)
この号では誌面の約半分にあたる100ページ強をYMO特集に使っている。内容は1980,年のワールドツアー時の写真やメンバーへのインタビュー、メンバーの個人史等高一時代にしてはがんばっている。なかでもO! MY YMOと題したコーナーでは、糸井重里、近田春夫、シーナ&ロケット、大貫妙子等がYMOについて語っている。
肯定的な発言が多い中、唯一桑田佳祐だけが次のような否定的な発言をしている。「YMOの無機質な音楽はつまらない。音楽は暖かくなくちゃ、おもしろくないもんね。はっぴいえんど、ティン・パン・アレーの頃の細野さんに、今憧れているし、目指しているのもあの当時の細野さんのサウンド。矢野顕子も彼らを離れて、もっと東洋的なサウンドを作ればいいのに。僕にとって、今のYMOはあまり興味がないの一言です」

5月21日
矢野顕子のアルバム「ただいま」(ジャパン)発売。 坂本龍一と矢野顕子の共同プロデュース。他のメンバーも全面参加。
大貫妙子のアルバム「アヴァンチュール」(RVC)発売。 YMOのメンバー全面参加。

6月5日

高橋幸宏のソロ・アルバム「ニウロマンティック」(アルファ)発売。

”この日はみんなでネ”というたすき文句は、6月6日が高橋幸宏の誕生日のためにつけられた。
また、このアルバム以降、高橋の表記は、”ユキヒロ”から”幸宏”に変わる。

6月22日
FM東京「セレクテッド・アーティスト'81」で行われた「マイ・セレクティッド・アーティスト」の1位にYMOが選ばれ、番組には松武秀樹がゲスト出演した。  

7月
坂本龍一新潮文庫の宣伝キャラクターに起用される。

7月6日
坂本龍一がニューアルバムのレコーディングを開始。 参加ミュージシャンは、細野晴臣、高橋幸宏、エイドリアン・ブリュー、Mのロビン・スコット。

7月25日
加藤和彦のアルバム「ベル・エキセントリック」(ワーナー・パイオニア」発売。 YMOのメンバー全員が参加した。

8月5日
イモ欽トリオのシングル「ハイスクール・ララバイ」(フォーライフ)発売。 細野晴臣の作、編曲。

8月10日
〜14日
NHK-FMで「坂本教授の電気的音楽講座」放送。 NHK-FM「サウンド・ストリート」(火曜日、坂本龍一担当)の時間枠でプログラムされた夏休み特別番組。この講義中、坂本が作曲した曲が、9月以降「サウンド・ストリート」のテーマ曲になった。番組内で曲のタイトルを一般公募し、「カメラのファインダーを覗くと、こんな音楽が聴こえてきそう」という理由で「フォト・ムジーク」に決まった。

8月13日
坂本龍一がニューアルバムのレコーディングで「ヴェネチア」のヴォーカルダビングを行う。  

8月18日
坂本龍一がニューアルバムのミックスダウンの行程に入る。  

8月21日
サンディ&サンセッツのアルバム「ヒート・スケール」(アルファ)発売。 プロデュースは細野晴臣。曲も2曲提供している。

9月5日
シングル「マス」発売。  

9月9日
来日中のクラフトワークと坂本龍一、高橋幸宏が対談を行う。 対談の内容は、ミュージック・ライフ誌1981年11月号に掲載された。

9月21日
スーザンのアルバム「恋せよおとめ」(EPICソニー)発売。 高橋幸宏プロデュース。

10月5日

坂本龍一のソロ・アルバム「左うでの夢」(アルファ)発売。

プロデュースは坂本龍一+ロビン・スコット。
10曲中6曲がヴォーカル入りとなり、作詞は矢野顕子、糸井重里、ムーンライダースのかしぶち哲郎が2曲づつ担当した。

10月13日
アルバム「テクノデリック」のレコーディング終了。  

10月21日
ベスト・カセット「YMO大全集」発売。  
スネークマン・ショウのアルバム「死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対」(アルファ)発売。 高橋幸宏の「今日、恋が」とエリック・サティの曲を坂本龍一がピアノ演奏した「愛の匂い(ジムノペティ)」が収録されている。
オムニバス・カセット「テクノポップ大全集」発売。  

11月1日
フジ・カセットのキャンペーンが始まる。 「YMOポスター」、「YMOトレーナー」、「YMO下敷き」、「YMOカセット・インデックス」がプレゼントされた。

11月4日
坂本龍一の”B-2UNITバンド”のライブが行われる。(川崎産業文化会館) メンバーは、坂本龍一、立花ハジメ、沢村満、ロビン・トンプソン、永田どんべい、鈴木さえ子。

11月5日
矢野顕子のシングル「明日こそ、あなた」(ジャパン)発売。 坂本龍一が編曲。

11月9日
”アーバン・シンクロニシティ”にB-2UNITバンドが出演。(京都会館別館)  

11月20日
〜21日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

ランスルー(東京国際放映 2スタジオ)

 

11月21日

アルバム「テクノデリック」(アルファ)発売。

「テクノデリック」は、細野晴臣の「非常に暗い、トンネルのようなサウンド」という言葉通り、重厚サウンドをより追求した第2期YMOを象徴するアルバムである。
アルバム・ジャケットは2種類存在し、初回プレス分にはメンバー3人のポラロイドを配したものが使われたが、それ以降はメンバーの意向により女性の写真のものに差し替えられた。
初のサンプリング使用レコードとなった本作では、LMD649という自作サンプラー(松武秀樹と村田研二が共同開発)を使用。ドラム缶の音やスタジオの机やドアを叩いた音をサンプリングして使用している。
また、「プロデュースド・バイ・細野晴臣だけにはこだわりたい」と細野は言っていたが、今回のアルバムからは「細野+YMO」というプロデュース表記になっている。高橋幸宏も「3人以外に”YMO”というメンバーがいるようだ」と発言しているように、、YMOが大きく変動していた時期であった。
「ピュア・ジャム」の冒頭で歌われる、”This must be the ugliest piece of bread I've ever eaten”(今までにこんなにかわいくないパンは食べたことがない)とは、レコーディング中に、アルファ・レコードのそばにある喫茶店で食べたジャム・トーストのまずさを歌ったものらしい。
チャクラのアルバム「さてこそ」(ビクター)発売。 細野晴臣プロデュース。

11月24日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

仙台、宮城県民会館公演。

サポート・メンバーは、松武秀樹。
この日からスタートした<Winter Live>は<Technopolis 2000-20>以来の国内ツアーであり、演奏曲目は「BGM」と「テクノデリック」を中心に選曲された。
「テクノポリス」の”トキオ”の部分が、ライブ開催地に地名に変えられた。
なお、コンサート・パンフレットは作成されていない。

11月26日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

盛岡、岩手県民会館公演。

11月28日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

広島、郵便貯金会館公演。

 

11月29日
〜30日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

大阪、フェスティバル・ホール公演。

12月1日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

名古屋、市民会館公演。

 
坂本龍一プロデュースによるシングル「コンピューターおばあちゃん」(東芝EMI)発売。 「コンピューターおばあちゃん」はNHKみんなのうたで使用され、NHK東京放送児童合唱団の酒井司優子が歌った。B面には「フォト・ムジーク」が収録されている。

12月2日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

予定されていた京都、京大西部講堂公演が中止に。

 

12月5日
高橋幸宏とムーンライダースの鈴木慶一によるユニット、ビートニクスのアルバム「出口主義」、シングル「出口なし」(ともにバップ)発売。

 
イモ欽トリオのアルバム「ポテトボーイズ No.1」(フォーライフ)発売。 細野晴臣、作、編曲。

12月7日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

札幌、厚生年金会館公演。

12月16日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

福岡、サンパレス公演。

12月18日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

金沢、観光会館公演。

12月22日
〜24日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

新宿、コマ劇場公演。

ホール・クラスでの締めくくりとして行われたこの3日間の公演では、ステージが円状になっており、奥村靱正による独特な舞台美術(後にADC賞を受賞)を引きたてていた。
また、24日公演では2回演奏された「体操」の2回目の演奏時には、運動着姿のダンサーがステージで曲に合わせて体操をするパフォーマンスも行われた。このダンサーは。本多三記夫、ピーター・バラカン、KOJIRA会長(中川浩之)(ケイレン体操オリンピック正式種目化実現実行連絡協会)他。

12月27日

<YMO-WINTER-LIVE-1981>

新宿、ツバキハウス公演。

久々のライブハウス公演。これ以降ライブハウス公演は行われていない。
20:00、22:00の2回公演。
ゲスト・ミュージシャンは、立花ハジメ、梅原茂。

12月28日
RCサクセションのライブに坂本龍一がゲスト出演。(渋谷、東映)  

 

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