■モニタリング
モニタリングはやや大型のラジカセスピーカーがメインなんだけど、PCのスピーカー(PCモニタの左右にくっついているチャチなもの)でも聴いてみるのが大切!定位バランスの悪さや発音のタイミングやら、低音が出ていない状態でのアラが見えてくる。
定位確認はヘッドフォンでも出来るが、音が良いので、ある意味、誤魔化されてしまう。誤魔化される耳しか持っていないとも言えるが…。
ちょっとしたアラは、もちろん楽曲そのものを壊すほどではなく、第三者のリスナーの立場からすれば、当然メインの旋律や歌がちゃんと聴こえていれば、それでおおよそ良いわけで、細かいバッキングのニュアンスの違いはそれほど気にならないだろう。
しかし、音楽というものにはマジックがあって、聴いている人の意識下に無い音が、実は全体の印象にはじわじわと影響しているものなのだ。
「恋姫ブルース」の原型は、1987年くらいにギターを弾きながら作ったと思う。
特定のモデルはないんだけど、《森進一の「港町ブルース」、みなみらんぼうの「ウイスキーの小瓶」、平皓二の「バスストップ」などが混ざった感じ》と2002年2月の灰皿日記帳に書いているので、そうかもしれない。
なぜ2002年の日記に書いているかというと、当時、「豊水橋」というタイトルのインストとしてmuzieで公開していたから。それを聴いた禁さんが、同年8月に歌詞をつけて歌ったのだった。そして、4年後の2006年にコーラスとトランペットソロが加わり、全体的にヴァージョンアップした。作った当時はただの鼻唄に過ぎず、こんな展開はまったく予想していなかったね。
■頑張れよ!
つい口に出してしまう言葉だ。言った後で内心ちょっと後ろめたくなることがある。頑張る必要なんてあるのかと。やりたくないことを無理してまでやる必要があるのかと。
人は、自分でやりたいことならいくらでも頑張れる。なにかを犠牲にしてまでも頑張れる。そんなこと、人に言われなくたって頑張れる。
なにかを得ようとすれば、必ずなにかを失う。エネルギー保存の法則ってやつだ。なにかを失うのがわかっていても、なにかを得たければ、人は頑張るものだ。
その人が頑張りたくもないのに、無責任に「頑張れよ」なんて言ってはだめなんだ。
「まぁ、テキト〜にやればぁ。楽にいけよ♪」
すると、意地をはってナニクソと頑張ってしまう人と、素直に楽になる人、両方ある。結局は、他人がなんと言おうと、その人が決めることなのだ。
既知感が無いから、けしてとっつきやすいとはいえない。
しかし、少しずつ馴染んでくると、静かに心の中に染渡ってくる音楽。
やたら明るくも無く、やたら暗くも無い。平穏。
視線が遠めで、音が減退しながらも、永遠に続く気配。
モノトーンか淡い色彩。
贅沢な間(ま)をたくさん含んでいる。
フリューゲルはトランペットやコルネットより丸くてふくよかな音色。
吹き放つのではなく、静かに丁寧に“フレーズをそこに置いている”。
Tetsurohさんには、原色好きで大食漢のイメージもあるのだが。(笑)
■音楽好き
たまに好きなものはあるけど、映画も芝居もほとんど観ない。本もほとんど読まない。絵にも特別な興味が無い。
好きな本や映画を自分のサイトのProfileで挙げてはいるが、おおよそある時期に集中して観たり読んだりしたものだけだ。その映画も音楽絡みがほとんど。所有するビデオやDVDもほとんどが音楽関係ばかりだ。
“アーティスティックな人たち”は、作る立場においても接する立場においても、それらすべての創作表現に対して、わけ隔てなく興味を持てることが多い。
音楽を作る才能がある人は、他の分野でも才能を発揮することも少なくない。「創作物は人間が作るものであり、創作表現はすべてどこかでつながっている」という理屈からすれば、たまたま表現手段が異なるだけで、音楽も映画も芝居も小説も絵も、こだわりなく接するのが正論かもしれない。
しかし、個人的には音楽だけで十分なのだ。本当に拘りをもってのめり込むものは、なぜか音楽で事足りる。
その善し悪しは別として、聴覚のみにゆだねられる音楽そのものが好きで、あえて視覚は邪魔なのかもしれない。と、思ってもみたが、例外もある。音楽のライブ映像はドキュメンタリーとして十分楽しんでいる。
結局、音楽が単純に好き、そういうことなんだな。
■未だに...
先日、久しぶりに東京・新宿に出かけたけど、やっぱり大都会って活気があって混沌としていて魅力的だな。 まぁ、三十代の頃の職場があった地域だから慣れ親しんでいたということもあるんだけど。
人は歳をとるにつれ、単純に人込みを受けつけなくなったり、過剰な街並みや喧騒に拒否反応を抱くようになるようだが、未だにそんなことが自分にあまり無いことを自覚できて、安心した。(笑)
たまに行くからこそ魅力的なのか、とも考えられるし、そんなに好きならば実家に戻らず、都会にずっと居すわれば良かったじゃないか、とも言われそうだが、自分一人では制御できない事の流れというものがあるもので、それはそれで納得している。
今、住んでいる地域は生まれ育った場所であり、それなりに親しみはある。しかし、街自体は死んでいると言ってもいいだろう。いくら交通が以前より便利になったからといっても、所詮、老年人口の多い保守的な田舎の小都市だ。
漠然とだが、いつか、また東京に戻りたいと、密かに思っている。
B.G.M.はミュージックガバメントと共作した「東京ペシミストリート」。田近さんの逆説的な歌詞は大好きだ。2006/2/11
■うっとおし〜〜〜〜!!!
この地域に光ケーブルがひかれてから、「代理店」と称する営業(電話と飛び込み訪問)が頻繁にやってくる。
契約を獲得したらNTTや日本テレコムに持ち込んで手数料を稼いでいるわけで、あいつらのほとんどは、正式な代理店ではないのよね。
(あまりにもしつこいのがあったので、親会社に確認をとったことがある。正式代理店ではないから、当然、各家庭や事業所の既契約状況などをまったく把握してない。)
光やマイラインやら契約したい時は、わけのわからない“自称代理店”ではなく、こちらから親会社に問い合わせるのが安全だ。
うっとしいといえばご存じ保険のCM。4月に誇大広告まがいの表現に対して一定の規制がかかるようだけど、遅過ぎるよな。
CMに出演しているタレントに罪はないが、人のよさそうな顔をして演じているのを見ると、白々しくてしょうがない。オレの中では好感度が一気に下落する。
■誰か教えてくれ
未だに誰にもわからない(?)事実だけがそこにある。というのは、坂本九の「上を向いて歩こう」(英題:SUKIYAKI)が、なぜ1963年に全米第一位のヒット曲になったか。
だいたいが、アメリカの場合、他の国の音楽など知ったこっちゃない―という国民性だし、それでも、まぁそこそこのヒットだったら驚かない。しかし、ビルボード誌で3週連続、キャッシュボックス誌で4週連続!一位とはどういうことなんだ?
なぜ英語圏で広く受けいれられたのかを、文化人類学的に考察した人はいないのだろうか?(注:上記リンクはやや重いです)
■血液型による性格判断の不思議
血液型による性格判断(診断)には科学的根拠がまったくない。
起源については「古川竹二」という四文字で検索すれば容易にわかる。
大正時代に始まったそれは、多くの非難を浴び衰退したのだったが、1970年代から、ある著作物をきっかけになぜか一人歩きし始めて(自分探しブーム?)、現在では当たり前にタレントのプロフィールにも付け加えられるほどに定着してしまった日本独特の文化だ。(韓国もかな?)
しかし、A,B,O,ABの概念だけで性格傾向など分類できるはずないのに、なぜ当るの?(笑)参考サイト【ABO FAN】
血液型は赤血球の表面にある抗原によって決まる。ABO式以外にも、赤血球型で11種、血清型で16種、酵素型で12種、白血球型で4種、それに、それぞれのサブタイプがあって、すべて一致する他者の存在は943億分の1となるそう。
■MP3の聴こえ方
ネットで自作のMP3を公開するのに、ネットミュージシャンは最終的な音像確認はどうしているのだろう?
自分の場合、あまりハイファイなものを使うと(よく聴こえすぎて)耳が誤魔化されてしまうような気がして、ごくふつうのラジカセで最終的に確認しているんだけど。(ただ、それをステレオコンポで聴くと、明らかに低音が出すぎ!)
でもノートPCで聴く人もいるわけだからね。低音が出すぎくらいでよいのかも?
PCで音楽を鳴らす場合、みなさん、スピーカはなにを使っているのだろう?
とくにパソコンで音楽を聴くことを重要視していない一般の人の場合は、残念ながら、デスクトップなら付属の小型スピーカ、ノートなら内蔵スピーカだろうかな?
ノートの内蔵スピーカで聴かれるとしたら、おもちゃみたいな音になってしまう。現実はそんなものか。関連コラム
■栄枯盛衰2
(個人的な音楽活動とは別の話)
放置している“音道楽”のMEDIAページからのリンクを確認してみたら、すでに無くなってしまったサイトが多数あって、リンク設定を消去した。それでもまだ、たくさんのサイト(アーティストを紹介するネットラジオやMP3音源の掲載メディア)が存在していて、それなりのコミュニティが成立していたり、していなかったり…。
ふだんは自分が登録しているエリアにしか接していないわけで、ちょっと意識してネットサーフィンしてみると、実はmuzieもNextMusicも無数に存在するネット上のメディアの中のひとつに過ぎない、ということを実感した。
また、世の中に“ネットインディーズ”または“ネットミュージシャン”なるものは星の数ほど存在しているわけだが、イージーに立ち上げられる分、一方ではとても儚く実態が曖昧なもの、とも思えた。
■世知辛い世の中
ちょっと前の話だが、車に乗っていて道がわからなくなり、窓を開けて横を歩いていた小学生に「×××はどっち?」と尋ねた。すると、その子供はすかさず全速力で走って逃げて行った。
すぐに理由は飲み込めた。おそらく親から「知らない大人に声をかけられたら逃げなさい」と教えられ、それを忠実に実行したのだ。残念ながら彼の行動は正しい。そして、言いようのない虚しさがしばらく尾を引いたものだ。
東京の雑踏を歩いていた時、やはり道がわからなくなり、「ちょっとすみません・・・」と中年女性に声をかけた。すると、こちらを見ず手で遮りながら足早に歩いて行った。
この場合は、モノを買わせる胡散臭いアンケートか宗教の勧誘と間違われたのだろう。ヘンテコな音楽を作ったりはするが、オレはけして怪しいものではありませぬ!
■三島由紀夫
三島の小説はだいぶ前に数冊続けて読んだ。
あまりにも特異な人物がゆえにちょっと興味を持ち、こちらに書いたことがあるが、この作家の人物像を的確に捉えた人は、本当のところ、はたして今までにいたのだろうか?
最近、作家デビュー前に書かれた原稿が発見されたとかで、マスコミにも取り上げられ話題になっていた。公共放送であるNHKニュースでの取り上げかたは、あくまでも“著名な小説家”ということをベースにしていた。まぁ、それはそうだろう。しかし、そこでフツフツと疑問がわいた。
「三島ってとんでもない犯罪者だろうが!」
自衛隊市ヶ谷駐屯地における東部方面総監に対する拉致・監禁・脅迫・傷害、銃刀法違反、そして国家転覆未遂(破防法適用?)などなど、、、仮に自決が失敗に終わり生き延びていたとしたら、あの事件においてどれだけの罪状が付いただろうと考えたのだ。《三島由紀夫が死んだ日》
いや、三島を嫌いなわけでもなく、批判したいわけでもない。また、作品の評価と作者の反社会性は別物という見方もあるだろう。ただ、客観的に、社会的な個人の扱いについて、ふと首を傾げただけだ。
創作物が広く世間に認められている場合、(作者がどれだけの犯罪を犯した人間であっても、)やがて、(犯した罪は)風化されてしまうものなのだな、と奇妙に思ったのだった。
■小さい音での演奏は難しい
"THE OLD GREY WHISTLE TEST"のDVDを観ている。
これは、イギリスBBCで1970〜80年代に、当時の新進ロック系アーティストを、ヒットチャートに影響されずに紹介していた画期的な音楽テレビ番組で、後に大物になったアーティストたちのデビュー間もない頃の演奏がたくさん収録されている。
初期の出演者の回想コメントで多くに共通しているのは、「スタジオが予想以上に狭かった」というもの。タタミ8畳程度ってところかな? 加えて、「狭いので音量を下げて演奏しなければならなかった。自分たちがふだんライブで聴いているモニター音と異なり面食らってしまった」というコメントもあり興味深い。
みんなそれなりの演奏をしているが、生放送一発で、いつもより音量を下げて演奏する、ということ自体、実はとても難しいことであり、経験不足のミュージシャンにとっては、結構ストレスがあったのではないだろうか。
思い切り音を出せないとなると、弦楽器や鍵盤楽器の場合、指使いのニュアンスの違いが生じたりサスティーンが効かなかったりするし、打楽器の場合は打ち下ろした響きが異なったり、ノリにも多大な影響が出る。また、大きな音を出せば音に厚みが出て、ある意味“安心”できるが、小さい音では隙間があって不安になる。
ただひとつ利点もある。スタジオがとても狭いということは、他のメンバーとの距離が接近し、呼吸が合わせやすくなる。
■仕事上、風邪薬の成分で思うこと
必ずしも新しい成分が効くかというと、そうでもない。むしろ古典的な成分のほうがシャープに効く場合が多分にある。
ただし、古典的な成分は、眠くなったり、胃腸に負担がかかったり、尿の出が悪くなったり、喉が乾いたりと、副作用が多い傾向にあり、今の時代、なによりも安全性が優先されるし、単純に効けばいいってものでもないわけで、新しいものを薦めるのは致し方のないところだ。
一概には言えないが、音楽にも同じことが言える。最近の毒性の少ない耳障りの良い音楽よりも、昔のVUメーターを振り切ったような音楽のほうが体に“効く”んだよねぇ。
■国勢調査って馬鹿げている!
国勢調査は大正9年から5年ごとに実施されている国の最も基本的な統計調査なんだそうだ。しかし、今どきこんな時代遅れなことをやる必要があるのか?
すでに、市役所(町役場)や税務署や社会保険庁にすべての情報があるじゃないか。市民課には住民台帳があるし、住居の床面積は税務課にある。税務署には納税者の就労内容があるではないか。
それらをコンピュータ・ネットワークでつなげば国勢調査などいらないはずだ。お役所同士が情報を出して国が統括するシステムは十分可能なはず。(もちろんセキュリティも万全に行うことは言うまでも無い。)
未だに、鉛筆使って書き込んだり塗りつぶしたりなんて、不正確で馬鹿げている。あ〜クダラナイ!
ところで、記入用紙を配布して回収する調査員さんの手当てに、総額でどのくらい費用がかかっているのだろう。
■ネットミュージシャン“Kin’sRoo”
Kin’sRoo&美麗唯の「難しい時間」が発表された。男女の心の動きがリアルで、ほろ苦さを伴った大人の作品だ。■ステレオコンポ
最近は、手軽で場所をとらないCD/MDラジカセを使っている人が多いのだろうか?オレも使っているが、ステレオコンポも相変わらず使っている。
中学生の頃はステレオコンポを持つのがある種の憧れで、パイオニアの8万円くらいのモジュラーセットを親に頼んで買ってもらった。大学で東京に住んでからは、小遣いを貯めてテクニクスの12万円くらいのセットを購入。
その後、アンプやレコードプレーヤーを取り替えたり、カセットデッキ、CDプレーヤー、ビデオデッキ、LDプレーヤー、DVDプレーヤーを新たにつなげたりしているが、スピーカーは大学一年の時から使い続けていて、故障も無く今でも立派に現役なのだ!
考えてみたら、生まれてからいちばん長く使っている道具はこのスピーカーのようだ。オーディオマニアではないし、音さえ出れば買い換える気は全くない。
■バリー・マニロウ
軟弱と言われそうで大きな声では恥ずかしくて言えなかったが、白状する。実はバリー・マニロウのベスト盤が長年のお気に入り。
バリー・マニロウといえば、フランク・シナトラの流れを汲むアメリカのポピュラーミュージックの王道エンターテイナー&ソングライター。1970年代に連発した大ヒット曲がスタンダード化しているが、現在も現役だそう。ミュージカルの音楽なども作っているらしい。
都会的でしかも適度に野暮ったく(←矛盾しているが)、歌い上げても感情過多にならない素晴らしい声質と、胸に迫りまくるメランコリック〜なメロディ♪・・・いや、言葉でいうのはとても難しいのだが、他のどんなバラード・シンガーよりも好きかもしれない。
もちろん大人の女性ファンの多いシンガーだが、むしろ男だからこそのロマンチックなニュアンスに満ちあふれていて、大人の男も十分に感情移入できると思うな。ク〜〜〜〜〜〜!!!(照) いつもこんなのばっかり聴いているわけではないのだが、たまに聴くと泣くね。とくに好きな曲は…
■妥協
有権者はイメージで判断してしまうことからして、どの政党も安易に「その代わり必ず増税しますから覚悟してください」とか、「その代わり日本は国際的に孤立しますから覚悟してください」とか、都合の悪いことを言えない。
威勢よく都合のよいことだけ言って、“痛み”が伴う部分については具体的な説明を避けている。
だから投票する立場としては、どこがどちらが少しでもマシか、という判断になる。
■利便性の恐怖(?)
手数料の安いネットを使った株の売買が浸透して数年が経過したが、あまりにも便利なために一般投資家の金銭感覚が麻痺し、マネーゲームで手痛い目にあうという話をきく。
とても真似の出来ないディープなレコード(CD)コレクターの古くからの友人は、頑にネットでのCD購入を拒否している。また、DVDプレーヤーも頑に買おうとしない。なぜなら、その尋常でない購買欲と好奇心からして、「ネットでの注文など始めたら、今以上にのめり込むに違いない。それは経済的にとても危険で怖いことだから。」という。また、「ハードさえ買わなければソフトを買わなくてすむから絶対にDVDプレーヤーは買わない。」ともいう。(苦笑)
価格が安くなったり便利になるのはいいが、人によっては非常に危険で有り難迷惑なことらしい。
■英国の候補者選び
二大政党制の元祖、英国の候補者選びはというと…、
中央の執行部が政策方針を守れる人物を公募などを経てリストアップし、選挙区ごとの地方組織がその中から候補者を選ぶ、という流れが定着している。つまり地元に元々縁があるかはほとんど関係なく、当たり前に“落下傘候補”ということだ。したがって、党の方針から造反した元議員や無所属候補者の生き残る道は極めて厳しい。
英国の手法を議会制民主主義のお手本とするならば、(政策の中身は別として、)小泉さんの手法はそれにかなり近く、画期的なことと思う。ただ、義理や人情が大好きな日本で、今後根付くかどうかはわからない。
はたして“既得権を利用し地元にオイシイものを運ぶおらが町のセンセイ”や“特定の団体に利益を運ぶ族議員”は減っていくのだろうか。
■井川
「ただミットをめがけて投げるだけ。敵も味方も目に入らないような超然とした投球」・・・これは新聞(読売)による阪神・井川投手に対する印象のひとつだ。まさにそのとおり。
長身で胴長短足。大腿部ははち切れそうに太く尻もでかい。色黒で無表情。出っ歯で口を結ばない。無造作に延ばした長髪。いつまでたっても垢抜けない。まるで、人里離れた山奥で獣と暮らしている少年のようだ。実は同郷で、オレはファンである。
■コエンザイムQ10
コエンザイムQ10の成分名はユビデカレノンで、医療用医薬品としてノイキノン(エーザイ)の名称で使用されている。薬価収載は1974年。医療用医薬品ユビデカレノンの1日投与量は30mgで、効能・効果は「基礎治療施行中の軽度及び中程度のうっ血性心不全症状」の改善。要するに心臓の血流を改善する強心剤だ。
それが、ここにきて脂質の酸化を防ぐことによる細胞の“老化防止”を唄った健康補助食品(サプリメント)として大ブームになり、化粧品や清涼飲料にまでも応用されている。
しかも、医薬品以外だと、驚くことに含有量の規定も一日の摂取量の規定も無い。どれだけ含有されていてもかまわなく、その旨の記載が、薬事法のような法律で義務づけられていない。笑っちゃうけど、厚生労働省は「業者の良識にゆだねている」そうだ。
厚生労働省はこの成分をなめてかかっているのか???
だとしたら、逆に言えば、100%安全で“毒にも薬にもならない”ということを証明していることになる。みなさん、ブームに惑わされず、冷静になりましょうね♪
(ちなみに、日本国内では欧米に10年程度遅れた2001年に食品、2004年に化粧品への使用を許可した。)
■無記名投票
多くの人は、地元出身だからとか、お世話になったことがあるからとか、所属団体に密接に関係しているからとかの理由で、投票行動が妙に従順だったりする。
言うまでもなく、国政選挙も地方選挙も無記名で投票する。何事にも縛られることなく誰にも影響されることなく、自らの意のままに投票する権利があるというのに…。いざ投票となると、お人好しになってはいないか?いい人ぶってはいないか?流されてはいないか?
集会に参加しようが、笑顔で握手しようが、手を振ろうが、激励しようが、
投票行動でいとも簡単にその立候補者を“裏切る権利”があることを、悪魔になれることを、誰もが強く意識するべきだ。
■郵政民営化
小泉さんの趣味丸出しの一法案にすぎないと捉えるか?行政改革を推進する上での象徴的な第一歩と捉えるか?
自民党に公認されない野田聖子元代議士は「単なる一法案に反対して、こんな仕打ちを受けるとは思ってもみなかった」と涙を流していた。その涙は地元後援会には情として受け止められるだろうけど、オレには、日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞した歌手が泣きながら音程を外している無様な姿がだぶったね。考えがメッチャ甘いよ。
はっきり言って、地域密着型・利益誘導型政治は大嫌いだ。国会は地方自治じゃないんだから、国の将来を真剣に考える人に当選してもらいたい。
ちなみに我が地元では、旧亀井派所属なのに寝返って郵政民営化に賛成の投票をした自民党代議士が自殺(理由は不明)した。
衆議院解散で総選挙が行なわれるが、大本命は汚職で有罪になり刑期を終え復帰を狙っている無所属の元自民党議員だ。それに民主党と共産党の新人が出馬。自民党からは、亡くなった夫の後継で夫人が出馬する、とのこと。
“刑期後のみそぎ”だの、“夫の弔い”だの、生ぐさい意味合いに惑わされずに、人格と政策を見極めて投票しようと思う。
1999年、首相になる前の小泉さんが超党派で「郵政民営化研究会」を立ち上げた。そこには意を同じくする民主党の議員も多数参加していた。しかし、その議員たちの多くは、その後に離党して無所属となり、地方自治体の首長になっている。ちなみに、現党首の岡田さんも、元々は郵政民営化賛成派だ。
さて、2005年の夏、民主党は全員一致で郵政民営化反対だそうである。それは言うまでも無く、小泉自民党を倒して政権を担当したいからだ。
元々、民主党だって行政改革を公約として掲げて小さな政府をつくる大義があったが、公社労組を支持母体とする議員が多く、小泉自民党に対抗するだけの具体的なヴィジョンを発表しずらい。たとえ発表したとしても総花的な内容にならざるおえないだろう。実は、寄り合い所帯の民主党もふたつに割れるべきなのだ。
いずれにしろ、“郵政民営化反対”という一点においては、(反対理由にズレはあるにしても)自民党の反小泉一派、民主党、社民党、共産党が同じである。
■市民宗教
読売の連載記事で劇作家の山崎正和氏が日本の戦後60年にちなんで、《「市民宗教」繁栄の礎》というコラムを書いている。僣越ながら、この方の考え方、ものの捉えかたにはとても共感する。