三島由紀夫

ここに三島由紀夫の肉声が聴けるカセットテープがある。死の7日前のインタビュー。

彼は狂っていたのかどうか・・・は、わからない。ただ、断定的に発せられる言葉には自信がみなぎっていて、よどみがない。耳をそばだてて何回も聴いた。時々ガハハッハッと笑う。それは自己を装う技術として、後天的に身につけた−ということを後で知った。

幼児期から少年期に植え付けられた特異な精神形成を土台に、私的な幻想、すなわち《美・エロチシズム・死》を合理的に解決しようとした時、そこに「天皇」という絶対(らしき)存在を見つけた。
それは、彼の心の中で観念として都合のよいように膨張し、結果的にその“観念としての天皇”と心中したと思える。

三島は自我が欠落していた−と書いたのは岸田秀だが・・、
さて確かに、私的な幻想の中では何事も断定することが容易に可能だ。自決をもって自分の人生に終止符を打つ、どう考えてもオレには納得がいかない。“夭折の美学”? まぁそういうことか。長く生きて醜態をさらしたくなかったのか。動機付けは、なんでもよかったのだろう。(2・26事件と同様、天皇は困惑したことだろう)

ゆえに、三島由紀夫が「天皇陛下万歳」と叫び自決したからといって、右翼と決めつけてはいけない。現に憲法に対する矛盾を指摘している。
第一条で『天皇の地位は主権の在する日本国民の総意に基づく』であるのに、第二条で『皇位は世襲制であり、皇室典範の定めるところにより、これを継承する』とある。ということは、皇位は世襲制としても、即位のたびに主権者の総意を受けなければならないのではないか−と。

face 市ヶ谷駐屯基地において、仮に自衛隊の賛同を得たとしても、また、後に当時の体制にクーデターを起こしたとしても、結局は腹の切り場所を探していただけのこと。

私的な幻想は、現実と相対するからこそ生じる。

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