音楽編123456789

直感DE雑感5

無料MP3サイトは大変だぁ

かつて60年代後期から70年代初期にかけて、反体制ロック集会なるものがあった。聴衆は「資本主義反対!コンサートを無料で開放せよ!」と主催者に詰め寄った。
しかし、そんなこと現実には無理なハナシ。設備費、広告費、出演者へのギャラなど、たとえスタッフがボランティアであったとしても、資金を回収しなければ成り立たない。
結局、聴衆が無責任に暴徒化し、終わってみれば主催者には膨大な借金が残った。
で、いつしか時代の趨勢とともにロックミュージックは成熟したサービス産業の一つになり、初期概念であった“反体制”なるものは死語と化した。

世界最大の某MP3サイトが2003年末に消滅した。3曲以上の登録を有料にしたのはたしか昨年から。資金調達が理由だろうが、かえって登録が伸び悩んだようで経営困難に拍車がかかってしまった。

日本最大の某MP3無料登録サイトも苦しんでいる。こちらは通常アクセスに耐えられるだけのサーバ増強(膨大な費用がかかる)がなかなかできない。
ネット上でアマチュア/インディーズアーティストの音楽を無料で掲載するシステムは、メジャーシステムに対抗する音楽メディアとして画期的なものであったが、拡大拡張するにつれ、大手企業でもスポンサーにつかない限り資金は底をつく。詰まるところ、資本主義社会の矛盾を堂々巡りで繰り返すことになってしまうのであった。
とは言っても、現時点においては、どこかがダメになれば需要がある限りまた別のMP3サイトが立ち上がるのだから、世の中不思議なものだ。
サイトを作るほうも、それを利用するほうも、それぞれの立場である種の夢を見続けている限り、簡単には無くならないものなのかもしれない。
非情なようだが、無料で掲載させてもらっている立場としては、結局は「こっちがダメならあっちに行こう」と、考えるだけのハナシなのであった。関連雑記

日本のポップス

「時を駆ける少女」「木綿のハンカチーフ」「ラブストーリーは突然に」「見上げてごらん夜の星を」「ストップモーション」「まちぶせ」「学生街の喫茶店」…etc. 
WAJIN女史とは電話でよく音楽談義をするのだが、たまたま上記のような日本のポップスの話題がでた。一言でいえば、どれも超のつく名曲。で、聴けば聴くほど新たな発見があり、緻密に計算されつくされたプロフェッショナルの職人技が垣間見られることに頷きあった。
なぜよいのか、なぜ人を惹きつけるのか、おそらく音楽を作っている立場だからこそ強烈に意識できることってのもあるかもしれない。

島倉千代子の「愛のさざなみ」は、”いざなぎ景気”の真っ只中の1968年、彼女の離婚直後の作品であることを、最近新聞記事で知った。
浜口庫之助氏によるこの曲の歌詞に、絶妙なお色気要素が見え隠れしていることに気づいたのは、30を過ぎてからだった。

音圧

ネット上で人様にMP3を聴いてもらっているわけだが、音をつぶさずに豊かな音像を最大限に引き出すことについては、まだまだ満足のいくものを作れていない。単純に出音の量が多いと、個々の音同士が干渉し合い、全体に平坦なものになってしまう。
で、日頃いろんなものをネット上で聴くのだが、某氏の作る音像には参った。音がでかく(聴こえ)迫力があり、しかもそれぞれの粒が立っている。そこで思い切ってメールで質問してみた。企業秘密(微笑)だったようだが特別に使っている道具を教えてくれた。う〜ん、さすがに贅沢なものを使いこなしている!
コンピュータベースでインストロメンタルを作る場合、言葉が無い分、音楽そのものの質と音像のミキシング/マスタリングのテクニックはより密接な関係になる。
あくまでも自分の感性を信じて満足のいく”音”を作りあげたい。そのためには思い切った投資をしてもよいかな、と考えている。

嗚呼、さすらいのネットミュージシャン

アクセス数日本一のMP3無料公開サイトmuzie、夜はなかなか入れない。まったく入れない時もよくある。(その後やや改善の兆し)
それに加えてダウンロード速度も登録が古いものほど遅く、ナローバンド並になる傾向があるので、理由をサイトにメールで問い合わせてみたら、「複数のサーバにファイルを振り分けていて、古い登録のファイルのダウンロード速度を作為的に制御しています。ご迷惑をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。」とのこと。そこまでしないとサイトがパンクするということだね。
広告収入なんて大した利益にならないわけで、サーバを増強する膨大な費用を賄えないのだろう。
しかし、そんな状況にも関わらず未だにポツポツとダウンロードカウントが動いていることも事実で、muzieの絶対的なアクセス数が他のサイトより桁違いに多いことに変わりはないようだ。
アマチュアの素朴な発表の場としてサイトを利用している人からCDのプロモーションに利用している人まで、数えきれない”ネットミュージシャン”が存在し、出来るだけ快適な動作環境で不特定のリスナーがたくさん存在する場をみな望んでいることは言うまでもない。しかし、残念ながら現実には、そんな都合のよいサイトは見当たらない。関連雑記

大関の陥落

「重くて”軽い”平成の大関」「地位(角界ナンバー2)の形骸化」「けが多発で陥落ついに6人目」→「原因は大型化と体力不足」
これは読売の記事だが、原因のひとつは確かにそうなのだろう。
しかし、陥落多発の大きな要因がもうひとつ間違いなくある。それは、「以前のような星勘定の互助会相撲がなくなった」から。┓ー_ー┏

年金

未払い率が4割。そしてここにきて年金を払っていなかった政治家がゴロゴロ出てきた。ボクは一応払っているよ。その政治家たちを擁護するわけではないが、彼らはおそらく確信犯ではないだろう。問題は、それで済んでいたという”事実”のほうだ。
国は督促したのか?しても本人は気づかなかったのか?じゃぁ、延滞金は取らないのか?払わざる負えないようなペナルティはなにもないのか???
たとえあるとしても、強制力の弱い大した罰則もないからそうなっただけ。業種が変わった時に福利厚生の制度も移行するんだよ!という国民への啓蒙も不足していたんだろう。国(行政)の怠慢だ。
国民健康保険だって同じこと。払わない人は医療費負担率を上げればいいのに!一生健康でいられる自信があるんだろうかね。そうでなければ、任意保険で賄うわけだろうから。それこそ、今年の流行語大賞間違いなしの「自己責任」というやつだろう? 原則的な決め事がまかり通らない世の中なんだなぁ。2004.4.28記

HTML(1)

(わかっている人には退屈なハナシ…)

HTMLリファレンスHTMLの変遷がどうなっているのか、なぜカスケーディングスタイルシート(CSS)を使用することが現在推奨されているのか、その分野のサイトを見ているとなんとなくわかってきた。で、いくらWeb閲覧が便利とはいえ、傍らに置いておきたくなり、書店でHTMLリファレンスのハンドブックを購入した。
4月10日の日記に書いた、
HP作成ソフトでページを作ると、文法チェックサイトからすれば感心しない記述がたくさん出てくる件だが、現在W3C(文法仕様の世界標準を勧告している公的機関)が、流動的でやや不完全ながらも推奨するHTML4.01規格に一般向けHP作成ソフトが追いついていない(あえて追いつかない?)。
(具体的には様々なことがあるようだが、面倒だからひとつだけ↓)
例えば、レイアウトを揃える目的でつい安易に多用してしまうTABLE要素。それは本来の「表」の概念から逸脱した使い方であり、プラウザでの読み込みが重くなる要因で感心する使い方ではないらしい。(このページは、その好ましくない典型的な実例だったのだ)

テキストを読みやすくレイアウトしたい場合は、なるべくならスタイルシートで上下左右のマージンを指定して<DIV>で囲むべきだと。。。参照URL
なるほど!
しかし現状では多種多様なネット接続環境や画面解像度や、個人個人の好き勝手なブラウザの表示設定すべてに対応する究極のレイアウトが不可能であることも確か。
例えば、ノートの小さい画面でも不自然な改行のないレイアウトを作るとすると、1024*768のモニタ全画面表示では左に寄って右がぽっかり空いてしまう。(企業のページに多い)
だから超強力なサーバを使っているであろうYahooなどはテーブルレイアウトのセンター表示をあえて変えないでいるのだろう。

サイトを作り始めたころは文法などさっぱりわからず、ソフトの指示に従って作っていたが、そのうち多少ソースの意味がわかってくると、様式をどこからか拾ってきて使うようになった。しかし、それは行き当たりばったりのまねごとで、どんな概念が基盤にあるのかまではいちいち考えなかったのだが、そのままにしていることに多少の居心地の悪さを覚え、ちょっと興味が出てきたところ。といっても、理解できる部分は限られているのだが、多少は知っていて損は無いんじゃないかな、と思っている。 2004.4.26記

外来語のずれ

ヒーロー(女性はヒロイン)を辞書でひくと、【1.英雄 2.主人公】となっている。しかし、日本語では一般的に1の意味は男のみ(ヒーロー)で、2の意味は女のみ(ヒロイン)で使われている傾向があるようだ。
団体スポーツの立役者をいうとき、野球やサッカーで「ヒーローインタビュー」はごく自然だが、女子バレーで「ヒロインインタビュー」とはあまり聞かない。逆にテレビドラマなどの主役をいうとき、「NHK銀河小説のヒロイン」とはいうが、「月曜夜九時からの連続ドラマのヒーロー」とはあまり聞いたことが無い。

NHKの銀河小説の主人公に抜擢された新人女優が、「今度○○○のヒロインに選ばれました△△△と申します」とマスコミへの挨拶をしているところをテレビで見た。あれ?この人自分で自分のことをヒロインと言っているよ、おかしいんじゃないか?と一瞬思った。が、2の意味だから間違っていないのか、と思い直した。

当然

吉田拓郎の歌の歌詞に、♪自由になると寂しいのかい?やっぱり僕は人に揉まれてみんなの中で生きるのさ♪と、ある。
野田知佑さんという放浪好きのエッセイストの紹介記事で、
「周囲100キロ誰もいない自然の中で独りぼっちになったとき、寂しくて耐えられなくならないか」との問いに、「のたれ死にしようが、誰にも束縛されずに生身の人間として自己の意のままに暮らす自由は最高だ」と答えている。
どちらに共感するか人それぞれと思うが、若い頃の自分は前者だったが、今は後者だ。

これは2年半前に書いた日記からの抜粋だが、あと30年経っても間違いなく同じ思いだろう。

闘争本能の代償行為

人間は闘争本能を少なからず保持しているが、スポーツの競い合いはその代償行為の側面がある。また、音楽を演奏したりいっしょに唄ったりする行為は、娯楽として人々の心を開放する。政情が不安定で争いが絶えない国や地域ではその代償行為や娯楽がほとんど見当たらない。誤解を承知で言えば、殺し合いほど人々が興奮する行為はないし、戦争に勝ったときの高揚感ほど人々の心を開放するものはないのだろう。

そういう意味で、皮肉でもなんでもなく、KIやプロ野球やプロサッカーがあり、歌謡曲やロックバンドや演歌があるこの国に生きていることは、幸せなことであるとしみじみ思うのだ。

宗教漬けの保安官

24日国連人権委員会にてイスラエル非難決議が採択されたが、反対したのはアメリカとオーストラリアのみ(日本は棄権)。
国連安全保障理事会でのイスラエル非難決議案はアメリカが拒否権を行使し否決。アメリカとオーストラリアは人権を尊ぶ国ではないのかい?そして日本はずるい。ここでも意思表示が曖昧なままだ。

宗教を信じているがために、いったい今までどれだけの人が殺されてきただろうか。
アメリカ。実は宗教国家である。世界の警察、世界の保安官を自他ともに認めるのならば、パレスチナのテロを非難するのと同様に、イスラエルのテロも黙認するな!バカヤロー!参照はこちらのメルマガ

場違い

アマチュア/インディーズ向け(という厳密な規定はないようだが)某MP3サイトに、超一流のプロアーティストが、プロモ目的の低音質・試聴のみで作品を数曲公開した。しかもサイトのオススメ(リコメンド)までついている。これははっきり言って白ける。どんな裏事情があるか知らないけど、楽しくも真剣な草野球に超一流プロ野球選手が参加したようなもの。
アマチュアの同好会体質を打破する画期的な試み?いや、そうは思わない。
富も名誉も実績も十分に有るであろうアーティストが、わざわざ無料配信サイトを使ってプロモートするという根性が気に食わないのだ。おそらく本人ではなくスタッフが考えたことなのだろうが、安易なことをしたものだ。
肝心の音楽? ボクはなにも感じなかった。

独自の編曲が権利侵害になる?

オリジナルと異なる独自の編曲は原曲作曲者の権利を侵害する、という新聞記事があった。「作曲者には、作品を勝手に改変されない権利がある」との主張が認められたらしい。前提として、独自の解釈による編曲(カバー)は大いに結構なことと思う。解釈が意にそぐわないという理由からそれを拒む原曲の作曲者は、心が狭いな、と。
う〜む。しかし、これは礼儀の問題と理解したい。事前に許可を取っていなかったのかな?そういえば1970年代前半、モップスがカバーした「月光仮面」に原曲の作詞者が激怒した、という話を聞いたことがある。これも事前許可を取らなかったのかな?そこで思い浮かんだのが、声態模写と形態模写。つまり有名人の”ものまね”というエンタテイメント。デフォルメしたそれは、オリジナルをパロった”独自編曲”と似てなくもない。肖像権の侵害!キャラクターイメージへの冒とくと訴えるタレントもいるのだろうか?まぁ、真似されるほうも、それがオイシイ場合と不愉快な場合、それぞれあるのだろうが。

ハエ叩き

ピレスロイド系殺虫スプレーはどこの家庭にも一本は置いているだろう。いちばん有名なのはキン○ョール。使ったことがあればわかるだろうが、蚊は即死する。意外にも、蜂にもすぐ効く。しかし、ゴキブリやハエはしぶとい。多少弱っても暴れ続けて、なかなか死なない。つまり、殺虫効果は敵の体表面積や体力には比例しないようだ。
我が家の場合、ハエは3月の暖かい日から登場する。台所においては、食器や醤油差しなどがあるので殺虫スプレーは使いにくい。使ったとしても即死せずに暴れ回り、果てはとんでもない場所で息絶えている場合があり処分に困る。なので、ハエは叩き殺すに限る!薄い雑誌などを丸めて、じ〜〜〜〜っと近づき、バシッと叩く。しかし、敵も俊敏で風圧をとっさに関知し、逃げる。で、また人をバカにしたように近くに寄ってくる。
おふくろはハエ叩きの名人だ。十中八九成功する。叩くものは柔らかめのしなるものが良いそうだ。敵に近づきすぎては感づかれるし、遠すぎても風圧で逃げられる。どの距離から叩けば敵が逃げそびれるか、その加減が絶妙だ。角度も重要らしい。ハエ叩きの上手さは、人の運動神経能力とあまり関係がないようだ。

ヒーロー

いつからだろうか、英雄願望がまったくない。誰かを神様のように崇拝する−なんて、よくできるなと感心してしまう。たとえば脳梗塞で倒れた長嶋氏に対しても特別な感情はない。好きでも嫌いでもない。彼はよく”太陽のような人”と形容されるが、ボクには眩し過ぎるようだ。

要領という名のくだらない行為

仕事上での某公的機関への申請書類を作るにあたってなにが重要かというと、とにかく、体裁なのである。
たとえば、日常業務に関して報告する欄がある場合、たとえ実態にそぐわなくとも、たとえ非現実的であろうと、マニュアルに沿って作り上げることが大事。バカ正直に書いては印象を悪くする。
実際は書きようがないくらい平凡な業務実態であろうと、なんらかのもっともらしいエピソードをでっち上げ、さりげないエピソードを拾い上げ、誠実に対応した旨を記述する。奇麗事こそが印象をよくする。そしてそれがいかに嘘臭くとも、役人さんは阿吽の呼吸で快く判子をペッタンと押す。
いったい何のための報告なのか!、などと問題意識を持ったところで意味はない。淡々粛々と機械的に「無難で体裁のよい」書類を作ることだ。
だからボクは大嫌い。親からも学校でも教えられた記憶はないし、もちろん倫理の教科書にも書かれていない。しかし、要領は生きていく中で自然に身に付いてしまうもの。
なぜそんなことをするの?と小さな子供に尋ねられて、ちゃんと応えられる大人はいるだろうか?

意味なし

ボクは既存の既知の「安定」が大嫌いだ。

流転

かつての日本領土・樺太に住んでいた、朝鮮系ロシア人の老夫婦のハナシをテレビで見た。
風貌は朝鮮系、国籍はロシア。日本には一度も行ったことがないが、いちばん話しやすいのは日本語で、自ら「心は100%日本人」と言い切る。
以前に小笠原のセーボレー一族のハナシを書いたことがあるが、ふだん日本人であることを意識せず、当たり前に日本人である我が身からすれば、なぜにそこまで彼らが”日本”を愛するのか、その人生に興味を抱かずにはいられない。
彼らからしてみれば「人の人生を興味本位で捉えるな!」といいたいところだろうが。

テロ

イ●ラム過激派の自爆テロ。これは日本人には到底理解できない。そんなことを、ふと地元の友人と話した。
かつて、第二次大戦中の日本には特攻隊などの自爆行為があったが、生き神様が敗戦により人間宣言をしたあとにまで“神道過激派”?が占領米軍に対して自爆テロ行為をする、なんてことは無かった。もっともなことと思う。
それが、イラクではフセインが拘束された後でも、自爆テロが起こっている。
つまり、フセイン云々とはまったく関係なく、宗教の名の下に(イ●ラム社会に土足で踏み込んだ異教徒に対して)、行われている。これは、本質的に宗教が社会に根付いていない日本人には絶対にワカラン。
日本はおおよそ仏教国ではないか?と反論する人もいるのかな?では毎日お経を読んでいる熱心な信者がどれだけ存在する?
ほとんどの日本人は、人の死に関わる行事の時だけ宗教者に変身する。無頓着で平和でトーテモ良い国じゃないか。メリークリスマス♪

厚生労働省所管の特殊法人が職業能力開発大学校の短期校を廃校にするのに伴い、施設建設費29億円!!がすべて無駄になるそうだ。
その中には1998年に3億8千万円を投じて作られた豪華な学生寮も含まれるとか。財政展望も無く、責任の所在も曖昧なこんな愚行は、残念ながら日本国中で今回に限ったことではないだろう。
イ●ラム過激派の方々にお願いしたい。こんなバカヤローな役人どもにだったら、どんどん自爆テロを仕掛けて欲しい。そして、こんなクダラナイ冗談を言うしか能の無いボクを哀れむ方は、29億円の1000分の一でもいいから、チョウダイな。

読売

読売ジャイアンツだけ、なぜ【巨人】と特別扱いするのだろう、ということだが、●知▲学さんからこんな説を教えてもらった。

《私の推測では、野球の「巨人」は好きだけど、企業の「読売」は嫌いっていう人が案外いるのかも知れません。朝日新聞などが「読売、3連勝」などと書くのは他紙の宣伝にもなりそうで抵抗あるでしょうし。「巨人」という俗称は、スポンサーがメディアだからなのかも知れません。》

な〜るほど!そういうことなのか。

そういえば、サッカーのJリーグ発足時に、地域名を名乗らず企業名にしていたのは「読売ヴェルディ(現・東京ヴェルディ1969)」だけだった。
地域名を名乗る取り決め(地域密着のJリーグの精神)を逸脱しているということで批判を浴び、たしか2年後くらいにしぶしぶ名前を変えている。。。

読売ジャイアンツ

なんでもプロ野球ファンの70%強がジャイアンツのファンだそうだ。(ちなみにタイガースは10%)読売ジャイアンツに元気がないと日本人の社会生活も沈滞するとか。
朝飯時何気なくテレビをつけていたら、誰かが「巨人ファンがこんなにいるようじゃ日本は変われない」と言っていた。まさしくその通りだと思った。

日本人の好きなものを三つあげるなら巨人、大鵬、玉子焼きと言われていた高度経済成長期から、だんとつでジャイアンツがプロ野球の一番人気。首都東京をホームグラウンドとし、親会社の豊富な資金をつぎ込み、各チームの中心選手をトレードで獲得し、全国ネットのテレビ中継を系列ネットで放映し、、、、負けることが許されない、中央集権、権威主義の象徴だった。仮にこの国が発展途上ならば牽引車的は企業体は、ある意味で必要なのだろう。
しかし、今この時代にそんなものは必要ない。同様に、プロ野球界においての読売ジャイアンツの存在意義はもうすでに過去のものだ。
というか、あんなものが人気があるうちは、日本人の意識など変わるはずもない−と思う。「やっぱり巨人に元気がないとプロ野球は盛り上がらないよなぁ」そんなこと言っているようじゃダメじゃん。

黄金のC-Am

職場では有線を流している。2、3日の間、50年代後半〜60年代前半の洋楽が流れるオールドポップスというチャンネルにしていた。
コード進行を耳で追っていくと、C-F-G7系が20%、C7-F7-G7系が10%程度。C-E7-F-G7が少し。そして、C-Am-F-G7系がなんと60%程度!をしめる。
わかってはいても、改めていかに黄金のコード進行かと思い知らされる。今更C-Am〜なんて流れの曲は恥ずかしくて作れない−という人もいるだろうが、万人に親しみやすく一定の心地よさを保証するコード進行であることは、誰も否定できないだろう。(もちろんアフリカの赤道付近やアンデス山脈の奥地では保証されないが、、、)

昔、「演歌チャンチャカチャン」という企画ものが流行った。既成の演歌をチャ〜カチャンチャンチャンチャンでつないでメドレーにしたもの。そこでボクは考えたものだ。C-Amの有名フレーズを100個つなげたらどうだろうかと。それぞれのつなぎは「ウォ〜ゥウォ〜イェ〜ィイェ〜」で。 誰かやらないかな?つまんね〜か。。。

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