■またまたまたまた盗作騒動…
1980年の日本のヒット曲「愛はかげろう」を当時耳にしたことのある四十代なら、「冬のソナタ」の主題歌のサビを聴いた時に「あれっ!」と思った人は少なくないだろう。たしかにそっくりなメロディで、巷では”盗作疑惑”がもち上がっている。(ちなみにAメロはまた別の曲に似ている)■20years
これを書いている今は、1985年のライヴエイドから約20年が経過している。では、ということで遡ってみると…ライヴエイドからその約20年前に東京オリンピックがあり、ビートルズがブレイクしていた。さらに20年前はというと、日本が戦争に負けた頃、ということになる。■今再びライヴエイド(日記既出の再構成)
1985年の夏、ボクは「ライヴエイド」のために仕事を休み、徹夜でテレビを観ながらビデオに録画した。あれほどまでに興奮してテレビを長時間(16時間ぶっ続け)観たことは後にも先にもない。当時の職場の同僚のうち少なくとも3人は同じように徹夜で録画していたようだ。■今は昔
Profileにも書いているが、パソコンを初めて触ったのは1997年で遅かった。仕事上必要になったのとDTMに興味をもったことがきっかけ。■target="*****"とframeset
W3C(Webにおける文法仕様の世界標準を勧告する公的機関)によると、リンクページの表示指定方法は(フォントサイズと同様に)、読み手の意志・判断に任せるべきで、target属性はなるべく使うべきでない!ということになっている。→参考URL■レゲエ
「犬と電話」はレゲエのリズム。それもベースとベードラ頭抜き&3拍目はリムのSide Stick+ベードラ。これには大いにこだわりがある。■えいご
英語って合理的な言語だとつくづく思うが、裏を返せば大雑把で、同じ言葉でも前後の内容で意味が変わってくる。(ちなみにボクは英語が不得意...)■呆れてしまった
こちらに一度書いたが、国家を情緒的に意識することなんて幻想にすぎないと思っている。そんなボクだって当たり前に社会制度の基盤としての国家は必要と思っている。■個人サイト
個人サイトを続けていくか、誰でも少なからず悩むことがあるだろう。もちろん続けるかやめるかはそれぞれの自由だし、それをとやかく言うつもりは毛頭無いです。■タイアップ
なんでもアメリカではヒットソングの企業(CM)タイアップって滅多に無いそうで、仮にタイアップなどしようものなら、価値が下がってしまい見向きもされないそう。ヒットするきっかけはラジオのオンエアや地道なライヴの積み重ね(最近はクラブなど)だそうで、日本とエライ違いだ。■Ichiro Suzuki
イチローの偉業達成には自然と涙が出た。「***は”記録”に残らずとも”記憶”に残る選手」という言い方がある。それは、記録に無縁な無冠の選手を讃える場合に常套句として使われる。もしあなたがPC付属のスピーカを使って他人のMP3を聴いているのなら、ひとつだけ提案がある。一番安物でいいからヘッドフォンを買ってきて欲しい。家に古いウォークマンが眠っているなら、その付属のヘッドフォンでもいい。それをPCのヘッドフォン出力につなげて、聴いてみて欲しい。
とにかく細かいニュアンスを少しは感じて聴けるだろうから。へー、こんなこともやっているんだ!って発見があるだろうから。へー、ここでボーカルが息を吸っているんだ、ってこともわかるだろうから。へー、へーってね。
なにかをしながらMP3をB.G.Mとして流す方もいるだろう。しかし、たまにでいいからヘッドフォンから聴こえる音だけを聴いてみて欲しい。
■えねるぎー不足
既成概念をはみ出した音楽や異能のアーティストに対する好奇心を失ってしまったわけではないのだが、金を出してDVDやCDをいざ買うとなると、まずエンタテイメントとして保証されているかを意識してしまい、ついつい”安全なもの”を手に入れている。
今さら言うまでもなく、巷では気の遠くなるような数の音楽作品が出回っている。(毎月MUSIC MAGAZINEの新譜情報を見るにつれ溜息が出てくる。)
その、世の中に出回っているものの中には、煩悩を消毒されるような凄いものでまだ聴いたことのないものがきっとあるはず。しかし、それを見つけるのはそうたやすいことではないのも事実だ・・・と、少々弱気になっている。クソッ!
■録画再生
1984年に初めてβHi-Fiのビデオレコーダというものを購入した。
最初は録画すること自体が面白く、その中には今となってはとても貴重な記録もある。しかし、それらをどれだけ再生したか考えると、ほんの数える程度の本数しか何度も繰り返して観ることはなかったのだった。
最近では、電化製品量販店の新聞折り込みチラシの花形商品としてDVDレコーダがたくさん載っている。しかし、10〜20年前よりはるかに情報メディアの種類が増えた現在、使用効率を考えれば、個人的にはDVDレコーダというものにまったく食指が動かない。
むしろレコーダが出現したおかげで、商品価値の下がった再生専用プレーヤをわずか数千円で買えたことのほうが非常に嬉しいのだ。
■プロ野球
オリンピックの野球だが、オーストラリアに二回負けたことが2chでも大叩きされている。でも冷静に見れば、けして驚くことではない。
現在日本ハムの主力である新庄は、メジャーで昨年解雇されるまでレギュラーにはなれなかった。また、オリックスの主力だった田口は3Aとメジャー(の控え)を行き来している−これが現状。つまり、日本の野球は特別な何人かの選手を除いてその程度のレベルだ。オーストラリアの選手達は3A〜2Aレベル。二連敗はいただけないにしても、一発勝負で負けたって不思議じゃない。
■ナショナリズム?
「スポーツの国際試合で応援する近頃の若者を見ていると、ナショナリズムに傾いているようで心配だ」などという短絡的なエセ左翼の意見をたまに見かけるが、アホか。笑ってしまう。
身近なものを応援しているだけで、日章旗を振ったり「君が代」を歌ったからといってそこに思想や信条は存在していないって。要するにナショナリズム”ごっこ”ってことだ。関連雑記
■逆説(東京ペシミストリートにちなんで)
ミュージックガバメントの作品は田近さんの語学力を生かした英語詞が多いが、日本語のものもイケている。2、3年前に発表された「僕は君が大嫌い」の歌詞は逆説的な恋の歌にもとれるし、自分のことを嘆いているようにもとれるしで、ニヤニヤしながら聴いていたものだ。
ボクが参加した「東京ペシミストリート」は、否定的な文句を並べて、そんな街が”大好き〜!!”と叫んでいる。ペシミスティックな言い回しの奥にはちょっと屈折した対象への愛情が内包されている(ように思う)。
これはある種のユーモアであり、日本人の表現にはあまり見かけないものだ。
話は飛ぶが、アフリカ系アメリカ人の葬送でブラスバンドが奏でる「聖者が街にやってくる」は、人が死んだというのにやたら明るい曲だ。ブラスパートはそんなことを思い出しながら作った。
■根性!根性!根性!か
オリンピック期間中には国内でも高校野球やプロ野球も行われていて、本日(04.8.18)の読売36面中スポーツ関連は実に9面にも及ぶ。
そのプロ野球では工藤投手がついに200勝目をあげた。読売に彼の高校時代のエピソードがあり、愛知県大会準決勝で右目に死球を受け流血しているにも関わらず、「続行不能」という医師の判断を遮って(!)投げ抜き勝利を掴んだ−そうだ。
たしかに結果は事なきを得たようだが、こんな非常識で危険な行為までも美化してしまうのはおかしなハナシと思うのだが。
■初めにリズムありき
あるロックボーカリストが言っていた。「バンドってさ、ドラムとベースがしっかりしていれば、ギターやボーカルはなにをやってもよいんだよ。」 名言だ。その通りだ。
もちろんこれは、あえて究極の言い切り表現を試みているわけだが、言いたいことはよ〜くわかる。
ボクは、バンド形態にしてもオーケストラにしてもピアノバラードであっても、リズム、ノリが気持ち悪かったらノーサンキューだ。モタろうが走ろうがかまわない。気持ちよいかどうかってこと。
作る立場でも、ドラムとベースのコンビネーションから作ることが多い。メロディはリズムトラックやコード楽器を作ってから、やっとそこで乗せている。
元々打楽器が好きだったということもあるが、自分でリズムが気持ちよくないとダメ。
メロディは、音楽を作る上で、そんなに大きな要素とは認識していない。むしろ丈夫な骨格(リズム要素)があるからこそ、結果、これでなきゃというメロディが生まれるような気がする。これは一概にはいえないだろうけど、個人的にはそんなかんじだ。
今、巷では、リズムトラックが打ち込みの音楽は当たり前に存在する。ネット上で聴かれるアマチュア/インディーズの音楽は90%?がそれだろう。
しかし、いくら綺麗なメロディであっても、ギターソロがカッコよくても、リズムコンビネーションがあまい、ノリがあまいと、「あぁとてももったいないなぁ」と思ってしまう。
■オバちゃん、長嶋ジャパンを語る
長嶋氏がアテネ行きを断念したことについてのワイドショーの街角インタビューで、どこかのオバちゃんが「(アテネ行き断念による)選手の動揺が心配ですね」などと、ピントはずれなことを言っていた。
逆だよ、オバちゃん。長嶋さんがリハビリ中の身でアテネ行きを強行したら、それこそ周囲は動揺してしまう。そういうオバちゃんの軽はずみな発言を堂々と放映してしまう無神経なテレビ局もテレビ局だ。
■アメリカ人がたまたまJ-POPを聴いた時の感覚に似てるか?
職場の有線放送は、ジャンルが細分化された数百チャンネルのほうではなく古い24チャンネルの契約なのだが、最近話題の韓国のテレビ主題歌は「ポピュラー」というチャンネルでよくかかる。
う〜ん、たしかに外国語のポップスには違いないのだが、最近の洋楽の中に突然昭和50〜60年代のしみったれた日本の叙情フォークが紛れ込んでいるような感覚で、とても違和感を覚えるのだ。
■木綿のハンカチーフ
まさに不意打ちとはこのことなり。
車で走っているとき、普段民放のAMラジオなど聴かないのだが、きょうはたまたまボタンを押してしまい、偶然に太田裕美の1975年の大ヒット曲、「木綿のハンカチーフ」が流れ始めた。そして♪ハンカチーフ下〜さい♪と曲が終わるころには目頭に熱いものがジワ〜〜〜ン、、、。いや、歌詞のようなことが昔あったわけではないですよ。
歌詞、歌唱、メロ、編曲とも完璧。歌詞を追っていくと行間の主人公の想いも浮かぶ。
これ、松本隆&筒美京平コンビなんだよなぁ。時系列で対話形式の切ない歌詞なのに、軽やかなサウンドがかえって膨らみをもたせるのだった。
■ロバート・クワイン
ギタリストのロバート・クワインが亡くなったそうだ。彼のギターはルー・リードのイタリアでのライヴCDとニューヨーク・ボトムラインのライヴLDでしか知らないが、ボクにとっては”ツボ”のギタリスト。弁護士資格を持つインテリで、頭髪もかなり薄くやや中年太り。風貌はいわゆるロックらしさがまるでないが、ギターフレーズは禁欲的で金属的で衝動的でまさに”ロック”だった。
■王様の耳はロバの耳
某サイトで発表と同時にたくさんの方に聴かれている曲があり、ふーん、どれどれ、、、と聴いてみた。
印象は、率直に言ってあまり気持ちよいものではなかった。
オケは生音もどきなのにベロシティ一定の“どベタ打ち”MIDIで、合いの手フレーズは明らかにボーカルと調和していない。ボーカルはメロディを追うのがやっとで、のっぺりしていてスウィング度0%、歌詞は無個性でありきたりの言葉をつなげただけ。つまり、すべてがバーラバラで、それぞれが好き勝手にやったものを重ねてみました−としか聴こえない。
しかしBBSを見ると、社交辞令はあるにせよ、おおむね"絶賛"されているぞ。これでいいのか?ボクの感性がおかしいのか?
いや、これでいいのだろうね。彼らが心から楽しんで音楽をやっているのなら。
学生の頃、音楽サークルで身内のみの発表会が度々あった。最初から「練習不足デース!笑って許してくださーい」なんて馴れ合いもあったが、時にはお互いを率直に批評(批判ではない、誤解なきよう。)し合えたし、熱くなって喧嘩もできた。それはみんな面と向かっているから可能だったんだな。
しかし、ネットの世界は基本的に文字のみのコミュニケーションだから、よほど慎重にやらないと直接の批評は難しいもの。つい通り過ぎてしまうのだった。
仕事上のBGMは有線。たまにオールドポップスのチャンネルに合わせてみる。かかっている曲はみんな有名なものなんだが、やはりC-Am-F-G7のコード進行が圧倒的に多い。
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ブルース・スプリングスティーン、1978年のブートレッグのライヴビデオ(β)を持っている。1985年に東京新宿のそのスジの店で1万円以上で買ったもの。画質は最悪だが、会場スクリーン用に撮られたかのコピーで、その日のステージがなんの演出もされずに丸まる収められている。
なにしろ彼のステージは昔から長い。3時間は”ふつう”なのだ。社会的なテーマのもの、恋愛を歌ったもの、生きざまを歌ったものなどテーマは色々だが、シリアスな傾向の曲が休憩を挟んで2時間以上歌われたあとに、アンコールは一変!照明をすべてつけ、まさにパーティー会場と化する。
当時のアンコールにはゲイリー・US・ボンズの「クォーター・トゥ・スリー」が必ず演奏されていた。これが上記のC-Am-F-G7のまさに典型的な曲。そして観客とのコール&レスポンスを絡めて10分以上続けられる。
バンドマンが「ライヴは打ち上げで美味い酒を呑むためにやっている」などと本音とも冗談ともとれることを言ったりするが、スプリングスティーンの場合はアンコールのロックンロールパーティをしたいがために本編のシリアスな作品群が存在するんじゃないかと思えたりする。とにかく心の底から楽しめるアンコールの”パーティ”なのだ。
そして、「クォーター・トゥ・スリー」の冒頭、C-Am-F-G7のアカペラリフが始まったとたん、使い古された感のあるこのリフがこれほどまでにカッコイイものなんだ!と感激し、体中に電気が走るのであった。関連雑記