直線上に配置
 
SugarBabe on Radio
1975年 1976年 1977年 1978年 1979年
1980年 1981年 1982年 1983年 1984年 1985年
※Liveの公開録音は除く

※作成中・・ネタはまだまだありますが検証に時間が掛かります。
人間の記憶なんて当てにならないものです。
たぶん、何箇所も間違えてます。
特に日付の間違いはご容赦ください。
特に「私が勝手につけた曲名」があります。
コピペすると恥かくかも。従ってコピペはご遠慮ください。
なにかございましたら、こちらをご覧になった後、メールをお願いいたします。
とくにFM大阪、ター坊&高橋基子のSugarBabeを越えて(?)が見つかりません。
なお、基本的に山下達郎のレギュラー番組は省略させていただきます。


SugarBabe Live 大貫妙子 Live 山下達郎 Live ラジオ番組出演
1975年 このページのTopへ
ラジオ関東 Go Go Niagara
1975年09月29日(水)・10月06日(水) 03:00-04:00AM
2週にわたり、NIAGARA SPECIALを放送。SugarBabeは、1週目にDEMO TAPE、2週目はLIVE音源を1曲放送。
1週目: 留子ちゃんたら(ごまのはえ)、日射病、無頼横丁(以上ココナツバンク)、5番街、冷たい女(以上布谷文夫)、夏の終りに、パレード、指切り(以上SugarBabe Demo Tape)、Down Town(SugarBabe)。
2週目: のぞきからくり(ごまのはえ)、おはよう眠り猫君、ココナツホリデー(以上ココナツバンク)、深南部牛追い唄、悲しき夏バテ(以上布谷文夫)、Darlin'(三ツ矢フォークメイツのSugarBabe Live)、素敵なメロディー、雨は手のひらにいっぱい(以上SugarBabeのSongsより)、わたし(吉田美奈子)。
※とにかく3人とも最初から最後まで笑いっぱなし。伊藤銀次のあまりにも凄い歌詞、布谷文夫のあまりにも凄い歌声に比べると、SugarBabeだけとってもマトモに思えた。とにかく深夜早朝に関わらず大笑いの1時間X2本。これ以上に面白かったGo Go Niagaraはないです。
「うちの子供も好きなDown Town」(大瀧)、「もともとキングトーンズの企画で作った曲」(達郎)、「サビは俺が作って、最初の部分も作ったがあまりよくないので山下君に頼んだ」(銀次)。
「SugarBabeの未公開TAPEでも貴重なDarlin'でした、出来はどうでしたか」(大瀧)、「ひどいね、これは」(達郎)。
「残り12分になりました」(大瀧)、「まだそんなにあるの」(達郎)。
達郎がDown Townのエンディングにキメ台詞をいれようとしてタイミングを誤る、「エンディングに曲紹介するやつがいるかよ」(大瀧)。
DJ: 大瀧詠一。
ゲスト: 山下達郎、伊藤銀次。
1976年 このページのTopへ
ニッポン放送 オールナイト・ニッポン
1976年01月08日(火) 03:00-05:00AM
山下達郎のオールナイト・ニッポン第2部、記念すべき第1回放送。特集は、Spanky & Our Gang 。徹夜をした朝に聴き、深く感動して音楽を始めるきっかけになったと云う話しから、彼らのもじりで「ピンキーとキラーズ」が出てきたなどの話まで。放送をきっかけに山下達郎のファンが増える。なお、うちの近所には「アワ・ギャング」というスナックがある。資料紛失の為、記憶で書きました。
DJ: 山下達郎。
ナイアガラ・トライアングル・深夜放送ジャック事件
1976年02月13日(金)・19日(木)・22日(日)
13日のラジオ関東Go Go Niagara、19日のニッポン放送・山下達郎のオールナイト・ニッポン、22日のTBS・馬場こずえの深夜営業、3つの放送局・3つの深夜番組を放送ジャック。大瀧詠一、山下達郎、伊藤銀次、布谷文夫のうち2人から4人がゲストになり、各放送をナイアガラ・トライアングル1色に染める。ファンは抱腹絶倒の眠れない1週間を過ごす。
Go Go Niagaraは、達郎の曲など、オールナイト・ニッポンは、日射病、幸せにさよなら、フライング・キッド、福生ストラッド、夜明け前の浜辺、深夜営業は、Dreaming Day、土曜の夜の恋人へ。
「山下さん、シュガーベイブはずっと続けていくつもりですか?」(馬場こずえ)、「まあ、そのつもりですけど・・」(解散宣言数日前の達郎)。「次は山下さんの曲を掛けます」(馬場こずえ)、「うるさいですので耳をふさいでください」(銀次)、「ラジオのボリュームを小さくしてください」(大瀧)。
ニッポン放送 オールナイト・ニッポン
1976年04月13日・20日・27日(火) 03:00-05:00AM
SugarBabe特集。LIVE音源やDEMOテープを放送。1部記憶が蘇った為にUPDATEしました!
※新婚旅行中の村松邦男以外が4/20にあつまり、解散コンサート特集。4/27は達郎&ター坊でSugarBabe Storyとなった。「SugarBabe の特集をやるのはこれが最初で最後になります」(達郎)。
4/13: Down Town、砂の女。
※この夜は全くレギュラーの内容。解散の余韻が冷めてなかったため、予告の意味で、解散コンサート2日目から「Down Town」「砂の女」を放送。ゲストも特になし。シュガー・ベイブのファンの良い子はみんな、「何か解散コンサートや解散自体に関連した事を言うんじゃないか、放送するんじゃないか」と、眠れない夜を過ごした。
4/20: Show、パレード、いつも通り、雨は手のひらにいっぱい、風の世界、Windy Lady(1/28)、Down Town、Sugar。
※Windy Lady以外は解散コンサートの音源。Windy Ladyは76年01月28日、仙台のトロピカル・ムーン・コンサートのオーディエンス録音。
4/27: Don't Worry Baby、Why Do Fools Fallin' Love、午后の休息(ター坊+徳武弘文)、夏の終りに、指切り、CM(最初の三愛バーゲン、三ツ矢フルーツソーダ、サイダー75、三ツ矢サイダー76、ラグノオ・シュガーレスケーキ)、想い、Down Town。
※最初2曲はAdd Some・・から。午后の休息はディスクチャートVer、次の2曲はDEMO、想いは小宮やすゆう作曲のホーボーズLive、Down Townはレコード。CMは、ラグノオ・シュガーレスケーキのみシュガー・ベイブで「Sugar」のようにやってくれとオーダーが来たもの(と言うか全くSugarじゃん)。サイダー75は没曲。76年から歌詞に「三ツ矢」を入れることになったそうです。
DJ: 山下達郎。
4/13はゲストなし。
4/20ゲスト: 大貫妙子、寺尾次郎、上原裕。
4/27ゲスト: 大貫妙子。
ニッポン放送 オールナイト・ニッポン
1976年05月某日
高橋良一のオールナイト・ニッポンにター坊がゲスト出演。約束と愛は幻を放送。ソロ・デビューの抱負などを語る。ちなみにグレイ・スカイズはこの年の秋に発売。この日にやっと「ター坊の新曲」のタイトルを「愛は幻」と発表。デビューアルバムのクレジットに「ボータの新曲」(ラッパがパツラなのでター坊はボータ)と言う曲名が載るのを楽しみにしていたのに・・。
DJ: 高橋良一
ゲスト: 大貫妙子。
ニッポン放送 オールナイト・ニッポン
1976年09月21日・28日(火) 03:00-05:00AM
21日は、大貫妙子がゲストで、デビュー・ソロ・アルバム全曲紹介。「Lustって云うのは癖という意味で、Wander Lustで放浪癖という意味だそうですが、どうしてこんなタイトルに?」(達郎)「聴けば分かります」(ター坊)。「愛は幻のアレンジは、SugarBabeのアレンジが焼き付いて、これ以外ないです」(達郎)。
28日は達郎デビュー・ソロ・アルバム全曲紹介。吉田美奈子からのメッセージで「Circus Townと云うのは綱渡りの(中略=長かった)街の事」です。
DJ: 山下達郎。
21日のゲスト: 大貫妙子。
★ニッポン放送 ユーミン・正隆のファッショナブル・パーティ
1976年12月18日(土)
サーカスタウンから数曲掛かる。「8ビートのドラムを本当に出来る人は少ない、分かるでしょ君」(達郎)、「まあ」(マンタ)。新宿ロフトのLIVE音源も1曲掛ける。この番組タイトルは企画段階では、「ユーミン・マンタのファッショナブル・パーティー」だったが、誰もがユーミンの暴走を危惧し、「ユーミン・正隆」となったらしい(内部情報)。どうゆう暴走かって・・・そんな事書けないよ。・・・は想像に任せます。「あなたがマンタであたしは・・・」。
DJ: 松任谷由実。
アシスタント: 松任谷正隆。
ゲスト: 山下達郎。
1977年 このページのTopへ
★ニッポン放送 ユーミン・正隆のファッショナブル・パーティ
1977年01月11日(土)
ソロ・アルバムから「約束」など何曲か掛かる。「去年のイーストウエストで2人ともティンパンのゲストで楽屋がいっしょで」(ユーミン)、「何かっと言うと松任谷さんが来てましたね、どうして」(ター坊)、「いまさらどうしてと言われても」(ユーミン)。「大貫妙子さんは今日着物で来てくれました」(ユーミン)。
DJ: 松任谷由実。
アシスタント: 松任谷正隆。
ゲスト: 大貫妙子。
NHK-FM 矢野顕子の若いこだま
1977年夏 としかINDEXに書いてない! 
「フライングキッドのリクエストが着てます」(顕子)、「いいセンスしてるね、今度ちゃんとレコーディングしなおすから・・」(達郎)、幻のフライングキッド・リメイクVer・・。「今一番やりたいのはアカペラでステージに立ちたい、5人ぐらいでスーツ着て・・」(達郎)。「子供は預かった、布谷文夫の冷たい女を掛けろ」(顕子、葉書を読む)、「ツメ、タイ、ウォンナ」(達郎、布谷とそっくりに歌う)。「何故か中学の頃からあだ名がクマなんだよね、・・・」(達郎)、「その背骨矯正を必要とされているクマにささげる私のクマです」(顕子)。「今年中にもう1枚出して、来年はアカペラのアルバムを出したい」(達郎)、ここにも幻のSpacy-2が・・、オンザストリートコーナーは出たのでよしとするか。「僕は分かりやすいメロディー、好きだから、フックラインがこう来ていろはにこんぺいとうとか」(達郎)、「ありがとう」(顕子)。他は吉田美奈子との話とかしました。
掛かった曲: 朝のような夕暮れ、Dancer (以上山下達郎)、クマ (矢野顕子)、アンブレラ (山下達郎)。
DJ: 矢野顕子。
ゲスト: 山下達郎。
ラジオ関東 電撃ワイド・ウルトラ放送局
1977年09月22日(金) 
元東京キッドブラザーズの坪田直子の番組に出演。最初から話が全くかみ合わず、「下北沢ロフトのライヴ、行こうと思っていたの、でも用事が入って」(坪田)。「あっあれ、中止になったの、私のせいじゃないけど・・」(ター坊)。話が行き詰まり、「都会」を掛けるが、針がバンバン飛びまくり。それをサカナにやっと盛り上がったところで終了。なお、坪田直子は、東京キッドブラザーズの後は、太陽にほえろ出演の他、シングル「ジングル・ジャングル」を出し、「雪待ちパンプキン」と云うコンサートを行った。何故覚えているのかって・・・このギターは伊藤銀次でした。
DJ: 坪田直子。
ゲスト: 大貫妙子。
FM だが不明
1977年ぐらいだが不明
1部しか録音しなかったら、何の番組かわからなくなりました。達郎本人は出演してなかったようでしたが、とんでもないものが掛かりました。元サンフランシスコのブルーアイドソウルBAND=Suns of Champlin、録音当時はソロアルバム「独身貴族」をリリースした頃、放送当時はChicagoへの加入が噂されていたBill Champlinが歌った「Love me or leave me」と言う曲です。これはサーカスタウンの「Windy Lady」のオケに英語の歌詞を付けたもの。レコード会社の問題で、発売にならなかったと説明された幻のシングルでした。Champlinはあと数枚のソロアルバムを出し、Chicagoへの正式加入は82年ぐらいで放送のかなり後でした。従って、「レコード会社の契約の都合」という言葉に納得が出来なかった事を覚えています。
DJ: 不明=小林義人(?)。
ゲスト: 不明。
1978年 このページのTopへ
★FM東京 ニューミュージック共和国
◆1978年07月16日(月) 時間不明(約30分)
Last Step、Down Townなど数曲が放送された。
DJ: 小林義人(?)。
ゲスト: 山下達郎。
1979年 このページのTopへ
FM大阪 マイナー放送局(これが番組名だそうです)
1979年03月某日
初シングルのLet's Dance Babyをリリースした頃。ビーチボーイズとコーラスの話からスタートし、最近聴いているレコードの紹介など。タバレス、マンハッタンなどの名前があがる。実は79年に貰った(もしくは借りっぱ?)TAPEを今初めて聴きました。ごめんと言ってもくれた人はもう日本にいないし・・・。
DJ: 忘れた。
ゲスト: 山下達郎。
★FM東京 音楽ってなんだ
◆1979年04月21日(土) 
コーラスなんて怖くない、山下達郎特集。「ニックネームはクマ、由来はまさにその顔貌から来ているそうです」(ナレーション=笑いました)。アメリカの音楽からのコーラス曲数曲、自作テープ数曲など。「後ろでDoo Wooとやっているので、Doo-Wopと云います」、「白人的コーラスを完成させたのが、カーペンターズで・・」。以上前半のみ、また続きはいつか書きます。
DJ: 山下達郎。
西日本放送 なんだかんだの10分間
1979年〜1981年ごろ
福岡ローカルのラジオ局で、月曜日から金曜日まで毎日10分間放送されていた謎の番組。台本を読み、用意された曲が掛かるだけでした。ローカル特有の希少価値ゆえ、番組テープが全国のファンの間を駆け巡った(すみません、嘘です、うちだけです)。福岡のHidekoさん、あの時は本当にありがとう! 決して貴女の事は忘れてませんよ。
DJ: 大貫妙子。
1980年 このページのTopへ
FM東京 山下達郎の世界
1980年02月03日・10日・17日・24日の計4日間 07:00-07:54PM 
4週連続の山下達郎特集。
2/03: 76年03月31日・04月01日、SugarBabe解散コンサートから。パレード、指切り、こぬか雨、Windy Lady、砂の女、Down Town。
2/10: 79年12月26日渋谷公会堂から。Paper Doll、ついておいで、Rainy Walk、永遠のFull Moon、Touch Me Lightly、Let's Dance Baby、Circus Town。
2/17: 80年01月23日目黒パイオニアスタジオから(LIVEのページをご参照ください)。1曲のみ78年03月07日六本木ピットインからYou Better Run。
2/24: レコードより。1曲のみ80年01月23日目黒パイオニアスタジオから。掛かったレコードは、Our Player (Beach Boys)、朝のような夕暮れ、Blue Velvet、Wind、Most Of All、Good Lovin' (Rascals)、ランナウェイ (シャネルズ)、他。
DJ: 山下達郎。
FM東京 UCCコヒー・ブレイク スターとともに
1980年09月25日(木) 時間不明(約30分)
ロマンティークのリリース後、シングルの構想中の頃の大貫妙子がゲスト。いきなり、「ロマンティクと云うアルバムを・・」と云われるが聞き流す。ロマンティークから数曲掛かる。
DJ: 忘却。
ゲスト: 大貫妙子。
★TBSラジオ 朝の番組
◆1980年10月12日(日) 時間不明
「皆さん、おはようございます・・・おかげさまでRide On Timeが1位(アルバム)になりまして・・・売れてるときには何でもしようということで、アカペラのレコードを出したいと思っています」(達郎)。なお、全国ツアー中でこの日はどこか地方にいた。
電話のゲスト: 山下達郎。
TBS TV 日本レコード大賞
◆1980年10月26日(日)
「ベストアルバム賞、おめでとうございます、山下さん、RVC奥野社長、どうぞ」(司会者)。
「山下さんはとても若いのに、いままで地味な活動をなさって来たように思いますが、今のお気持ちは?」(女性アナ)。
「とっても嬉しいです、むしろ僕と一緒に頑張ってきたエアーレコードの皆にこの賞は与えられるべきものだと思います」(達郎)。
まさか本人が出演するとは誰も思わなかったので、あっけにとられた。YMOからは残念ながら四人目のYMOと言われた松武秀樹のみが出演。あの75-76年頃の「いつも同じ服を着ている二人」の壇上の再会ならず。Y.M.O.の3人も出演という説もあるが・・、80年には誰も家庭用Videoなんぞを持っていなかったので不明。かろうじて達郎のインタビューの音声のみ残っている(でもマクセルのCFは持ってるけど・・)。ちなみにこの年のレコード大賞は八代亜紀の「雨の慕情」。そう云えば、アメアメ・フレフレは、どこかでRainy Walkの前振りで歌ったっけ・・・。
ベストアルバム受賞者: 「Moon Glow」山下達郎、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」イエローマジックオーケストラ、「逆流」長淵剛。
1981年 このページのTopへ
FM東京 ニューミュージック共和国
1981年06月08日(月) 時間不明(約30分)
アヴァンチュールのリリース直後の大貫妙子がゲスト。「正確にはロマンティークとアヴァンチュールでひとつです」(ター坊)。シングルの「恋人達の明日」、時期シングルだった「チャンス」など数曲が放送された。
DJ: 小林義人。
ゲスト: 大貫妙子。
NHK-FM 特集サウンドオブポップス
1981年08月10日〜14日の5日間 07:15-08:00PM 
5夜連続の山下達郎特集。手元に資料はありますが、今は検証する気分じゃないので・・・(おいおい)。
8/10: Down Town、他
8/11: Day Dream、Yellow Cab、Dancer、他
8/12: Rainy Day、Rainy Walk、他
8/13: Bomber、他
8/14: 山下達郎with大瀧詠一スタジオライヴ。曲名: Cathy's Crown, Crying In The RAIN, ('til) I Kissed You, Love Hearts, When Will I Be Loved, Come Softly To Me, Mr.Blue, All I Have To Do Is Dream, Devoted To You。
FM東京 小室等の音楽夜話
1981年某月某日から5夜連続(15分番組)
アヴァンチュールのリリースから少したった頃。1夜目は渋谷のデパートで偶然あった話、深夜にTVに出た話。2夜目はサーキットの話など。「いきなり前田憲男アレンジですが」(小室)、「私を知らない人にアレンジしてほしかった」(ター坊)。3夜目は、男女と歌の話。「歌を聞いているとかなりあっさりしているように・・」(小室)、「その通りです」(ター坊)。4夜目は、3夜目の続き。「自分を強いと思いますか」(小室)、「最近そう思い始めてきました」(ター坊)。最終夜は大貫妙子のヒストリー。「小学校1年から3年までピアノを習い・・小学校6年ぐらいのときにウクレレを弾き始め、中学1年のときにギターを買って・・」(ター坊)。
DJ: 小室等。
ゲスト: 大貫妙子。
1982年 このページのTopへ
FM東京 マクセル・ユア・ポップス
1982年01月02日(土)
ブラックをテーマにした3人の女性シンガーのLIVEを放送。大貫妙子は1981年09月19日の渋谷公会堂から、カルナバル、じゃじゃ馬娘、愛の行方、黒のクレール、チャンス、恋人達の明日、突然お贈りもの。吉田美奈子は、1981年12月11日日本青年館から、Uptown、Black Eyed lady、窓、Monster Stamp、Town。もう1人はRajieだが、その分は忘却。
FM東京 ニューミュージック・フォーラム
1982年02月12日・19日の2週
For You及びナイアガラ・トライアングルVol.2の頃。大瀧詠一の番組のリクエストコーナーを削って、達郎とスピーチバルーンと云うコーナーで放談。プロのアレンジの事、8ビート、16ビートの話など。「シュガーの時はユカリが右手の16ビートが出来なくて・・・デビュー当時は白人8ビートが流行っていて・・・ポンタと云う16ビートを叩けるドラムスがいたので・・・16ビートの曲を作っていたが・・・この頃は白人8ビートをやる人が少なくなったので・・・最近はやってます」、「人間は格好では変わらない、坂本(龍一)君も・・」(達郎)、「アレは驚いたね」(大瀧)。その他、Rade On TimeのMaxellのCFの話なども。黒木真由美の「北極廻り」も掛かった・・・・。
DJ: 大瀧詠一。
ゲスト: 山下達郎。
FM サウンド・ストリート
1982年02月12日(金) 22:20-23:00PM
おそらく達郎のラジオ番組のゲスト出演で1番「異様」だった番組。脈絡の無い選曲(渋谷談)でおそらくすべて達郎が持参したものと思われるレコードを掛ける。リッチー・ブラックモアのレア曲から、日本屈指のレコード・コレクター同士の突っ張りあいが始まる。他は、ゾンビーズ、サーチャーズ、ラブアフェアー、リアルシング、ビリー・オーシャン、For Youから2曲。ブリッシュな渋谷に合わせたのか ブリッシュが多く掛かった。コアな達郎ファンなら「リアルシング」にピンと来たはず。「渋谷さんに1回お会いしたかった」(達郎)。
DJ: 渋谷陽一。
ゲスト: 山下達郎。
NHK-FM ニューサウンドスペシャル
1982年04月04日(日)
For Youの頃。For Youから数曲かかる。「女神達のドレスは、黄昏の事・・・」(達郎)。「こないだいらした時は、落語家かと・・・」(高橋)。「僕は昔、小林麻美の大ファンだった」(達郎)。注:小林麻美がアイドルだった頃、うちから1つ目か2つ目の駅に住んでいて、ファンクラブは「女神子の会」とか言う名前だった。
DJ: 高橋基子。
ゲスト: 山下達郎。
FM東京 音楽ってなんだ
1982年06月06日(日) 時間不明 もしかしたら日付けが違うかも・・(約45分)
男性ハイトーン・ボーカル特集。達郎は何の特集か知らないでゲストとしてきたそうです。オペラ、ハードロック、日本民謡まで掛ける。なお、達郎プロデュースの魅惑の低音=フランク永井「Woman」も掛ける。「残念ながら僕はテノールではなくバリトンなんです」(達郎)と云ってLove Spaceが掛かる。
DJ: 井上大輔。
ゲスト: 山下達郎。
特別ゲスト: フランク永井。
★FM東京 日石チューン・ナップ・サウンズ
◆1982年07月16日(金)
「私とオールディズ」というテーマで何人かのゲストが登場したうちの1回が達郎。ドゥーアップを含めて達郎の選曲でオールディズが掛かる。レコードをニューヨークで$8で買ったチャーツ、中学高校時代にFENで聴いていたというスパンキー&アワギャング、青春時代のアイドルというラスカルズの他、「あまく危険な香り」。
DJ:中村こずえ。
ゲスト: 山下達郎。
サウンズ・ウィズ・コーク
1982年07月17日(土)
たまには、レギュラー番組も紹介しましょう。「サマーサウンド特集、過去2週はレコードを掛けていましたが・・」(達郎、ギターを弾きながら・・)。掛かった曲は、トニタートトバコ・スティール・バンドのさらばジャマイカや細野晴臣のエキゾチカララバイなど。「7月20日に私のコンサートがあるので来て下さい」(石橋)。
DJ: 山下達郎。
アシスタント: 石橋和子。
NHK-FM ライヴ・スペシャル
1982年07月26日(月) 19:15-20:20
いきなり、達郎の「あれ!」って言う声から始まる。Windy Ladyのみ76年04月01日シュガー・ベイブ解散コンサート、他は全て、81年12月27日・中野サンプラザのLive音源。
放送局名: Sparkle、Day Dream、Morning Glory、Music Book、Windy Lady、いつか Someday、夏の陽、In the still of the Night、Ride on Time、Down Town、Your Eyes。
DJ: 榎雄一郎。
ゲスト: 山下達郎。
NHK-FM ニュー・サウンド・スペシャル
1982年09月05日(日) 08:15-09:00PM
クリシェ(Cliche)のリリース直前の大貫妙子がゲスト。ニュー・アルバム紹介との事で、クリシェ(Cliche)から数曲掛ける。最初に「メルヘンの女王」と紹介される。「私の不倫論」、「おかあさんをこまらせた話」(ピーターラビットとわたしの歌詞より)や「私の美少年感」も話す。
DJ: 高橋基子。
ゲスト: 大貫妙子。
飛び入りゲスト: 榎雄一郎(番組の構成をしている人だが、話に割り込む)。
FM サウンド・レコパル
1982年09月12日(日) 時間不明
クリシェ(Cliche)のリリース直前の大貫妙子がゲスト。光のカーニバル、ピーターラビットとわたしなどが掛かる。「パリは凄く個人主義で冷たいんだけど、だんだんそれが心地よくなった」(ター坊)。
DJ: 忘れた。
ゲスト: 大貫妙子。
FM東京 ニューミュージック共和国
1982年09月19日(日) 時間不明(約30分)
クリシェ(Cliche)のリリース直前の大貫妙子がゲスト。東京録音分とパリ録音分に分けて曲紹介。詳細は追ってもし資料をCHECKすることがあれば、お知らせいたします。
DJ: 小林義人。
ゲスト: 大貫妙子。
FM ステレオ歌謡バラエティ
1982年09月21日(火) 時間不明
クリシェ(Cliche)のリリース日に大貫妙子がゲスト出演。いやいやこの週はよく出た。あっとこの日もう1本出てる。↓を参照。
DJ: 忘れた。
ゲスト: 大貫妙子。
FM サウンド・ストリート
1982年09月21日(火) 時間不明
クリシェ(Cliche)のリリース日に大貫妙子がゲスト出演。いやぁ、よくこんなにラジオに出たねぇ。「今日のゲストはター坊、ボータです、古いな」(坂本)。「私はジャン・ムジーにアレンジして欲しかったから」(パリに行った理由についてター坊)。「風の街はRajieのアルバムでは僕のアレンジですが、これ(ター坊Ver)は僕のアレンジではなくパリ録音です」(坂本)。その他、映画「E.T.」の話で盛り上がる。
DJ: 坂本龍一。
ゲスト: 大貫妙子。
FM東京 スタジオ・テクノポリス27
1982年10月10日(日) 03:00-04:00AM
渋谷公会堂のコンサート直後の大貫妙子がゲスト。「今日は強い大貫妙子と弱い矢野顕子でおおくりします」(冒頭に顕子)。「ピーターラビットと大貫妙子でした」(ピーターラビットとわたしを掛けた後の顕子)。
DJ: 矢野顕子。
ゲスト: 大貫妙子。
1983年 このページのTopへ
FMポップス講座
1983年01月01日・02日・03日・04月・05日02日の5日間
5夜連続の山下達郎特集。
1/01-04: そのうちにチェックします。資料はありますので待っててください。
1/05: 大貫妙子を迎えて、かの有名な「魔法を教えて」を放送した日の分です。まあそのうち、暇なときに聴いてみます。曲自体は英語の歌詞に差し替えになり、Big Waveのテーマとなった。、
DJ: 山下達郎。
1/05 ゲスト: 大貫妙子。
FM サウンドストリート
1983年05月12日・19日・26日・06月02日の計4日間
4週連続の山下達郎ヒストリー。
5/12: Rascalsのレコードのほか、Add Some Music To Your Dayから3曲、DEMOから数曲放送。
5/19: 76年1月28日のSugarBabeのLIVEテープを放送。Windy Lady、Down Town、愛は幻、今日はなんだか。詳しくはLiveのページを見てください。他はDEMOから指切り。
※日付からすると、日本出発寸前で留守録だけしていたらしい。カセットにINDEXも付いてなかったので、何のテープか分からなくてCHECKしてよかった。
5/26: この時私はもう日本を出発したので知らない。
6/02: この時私は日本にいなかったので知らない。
DJ: 山下達郎。
FM サウンドストリート
1983年11月15日(火)
カセットインデックスが明らかにY.I.さんのもので、ロンドンに送って貰ったもの。「SIGNIFIEが売れているそうで」(坂本)、「おかげさまで今週は6位です」(ター坊)、「初登場は11位でしたから・・」(坂本)のやり取りで始まる。SIGNIFIEから数曲かかる。「11月28日は私の誕生日ですが、Y.M.O.は解散コンサートですね」(ター坊)、「そんな過激な事を・・」(坂本=正式発表前だった)。「風呂吹き大根ですよ」(ター坊)、「それって何」(坂本)、「家に帰ってAkkoちゃんに聞いて下さい」(ター坊)。「(聴取者の葉書を読んで)コンタック600のナレーションやってください」「・・・誰かさんとコンタック600」(ター坊)。
DJ: 坂本龍一。
ゲスト: 大貫妙子。
★FM Saturday Adventure
◆1983年不明(土)
ユーミンの番組に「Melodies」の頃の達郎が出演。出会いの曲「12月の雨」や「Melodies」から数曲が掛かる。まるでDJ達郎、ゲスト・ユーミンのような放送になった。この番組が放送されていたときは私はたぶんロンドンにいた。日本から「Melodies」のカセットが送られて来た。日本を出る時にもしかしたら2度と会えないかもと思っていた人からだった。「高気圧ガエル」と書かれたINDEXに笑いながら涙した。この時の感謝の気持ちは今も忘れていない、たぶん、生きている限りずっと・・・。
DJ: 松任谷由実。
ゲスト: 山下達郎。
1984年 このページのTopへ
FM 音楽ってなんだ
1984年05月05日(土)
プロデューサー月間の一話として、達郎がゲスト。達郎選曲でプロデューサーの色が強い曲が数曲掛かる。「日本の場合は、プロデューサーはほとんどアレンジャーになっている」(達郎)。Just Onece In My Love(キング/フィル・スペクター)、Last Chance Texaco(リッキー・リー・ジョーンズ/レニー・ワロンカ)、他。
DJ: 井上大輔。
ゲスト: 山下達郎。
★FM サウンドストリート
◆1984年07月17日(火)
ター坊が「カイエ」、鈴木さえ子が「化学と神秘」をリリースした頃。当時は教授も含め3人ともMIDIレーベルに所属。二人の新譜を数曲紹介。
DJ: 坂本龍一。
ゲスト: 大貫妙子&鈴木さえ子。
FM サウンド・レコパル
1984年07月28日(土)
「明るく楽しい伊藤銀次です」、「もっと明るい村松邦男です」、「暗い大貫妙子です」の自己紹介で始まる。元シュガー・ベイブという事で3人が集まり、罵り合い連発の爆笑TALK。「シュガー・ベイブの説明をして下さい」(手塚)、「長い人から」(銀次)、「ター坊の方が1日2日早い」(村松)。「3人で会うのは8年ぶり」(3人で)。「(銀次の)2年間に4枚(のソロアルバム)が凄い」(村松・ター坊)。「席が悪くて暗くなってきた」(銀次)、「ター坊と向かい合ってると暗くなるのかい」(村松)。他にサボテンの話とかで盛り上がる。村松の声を聴くのは、あのTVK以来だった。
DJ: 手塚理美。
ゲスト: 伊藤銀次、村松邦男、大貫妙子。
FM サンデイ・スタジオ 夜は恋人
1984年 夏(日)
Jazzピアニストの世良譲の番組にゲスト出演。カイエから、カイエ(I)、Amour levant -若き日の望楼-など数曲掛かる。「8月30日から1週間、西武シアターでコンサートがあります、小劇場ならではのものにしたいと思います」(ター坊)。「大貫さん、今夜の予定は」(世良)、「家に帰ろうかな」(ター坊)。
DJ: 世良謙。
ゲスト: 大貫妙子。
FM ザ・ミュージック
1984年07月29日(日)
達郎の番組特製メドレーを放送する。You Belong To Me〜悲しみのJody〜愛を描いて〜高気圧Girl〜Hot Shot〜夏への扉〜Rainy Walk〜2,000tの雨〜Love Space〜Windy Lady〜Music Book〜Magic Ways〜Your Eyes〜I Love You。他に難波弘之の夏への扉、達郎のBig Waveのテーマなどが掛かる。
DJ: 難波弘之。
ゲスト: 山下達郎。
1985年 このページのTopへ
★FM サウンドストリート
◆1985年05月21日(火)
「コパン」リリース前月のター坊がゲスト。Copineはフランス語で、綴りは同じだが、Copineコピーヌ は親しい女友達、Copineコパン は親しい男友達になるとか・・・。収録数日前に出来上がった新譜を数曲紹介。
DJ: 坂本龍一。
ゲスト: 大貫妙子。
※敬称を省かせていただきました。申し訳ございません。

参考資料
各番組の放送内容
Naoko from Mars
O.N.
StoneRiver

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