19 May
Crunbury, NJ

ポリグラム・レコードへ

昨夜、Colieがここを発つ前にニュージャージーのポリグラム・レコードを案内してくれるというので、好意に甘えることにする。Colieと私以外、皆まだベッドの中にいる朝8時半、Crazy Wolf Runchを後にした。

ポリグラムに向かう車中、Colieから準備中の次のソロCDでギターを弾いてくれと頼まれる。昨晩二人きりでジャムった時、バラードでEmに行ったときの私のソロがGary Mooreしていたそうで、どうもこの"Gary Moore"と言う形容は褒め言葉であるらしいと気づく。Colieの次回作のレコーディングについては、"ADATで録音したものを日本に送るから、それにギター・パートをダビングして送り返してくれ。"ということであるが、ADATによるレコーディングというのがどういうものか分からない私は、日本に帰ってそこら辺のことに詳しい人に聞いてレコーディングできるところを見つけたら連絡する、というところで話をまとめる。

さて、世界のポリグラムである。Colieがスタジオやオフィスを案内して皆に紹介してくれる。テープ庫には、ロック・ファン垂涎のマスター・テープがめじろ押し。オールマンズはフィルモアのライブのマスターがここに、ドミノスはレイラのマスターがあそこにといった具合で、"ここはロック・ファンには宝の島だな。"と言って思わずよからぬ目付きをしてしまいました。

以前ニューヨークのスタジオに居た頃ボ・ガンボスのレコーディングでエンジニアを務めた、というここのスタッフが私のところにやって来た。ボ・ガンボスといえばミスター・オカチはベースのなっちゃんといっしょに演奏していたこともあり、我々脂増しバンドのステージも何度か見に来てくれたことがある、縁の人である。そう伝えると"お前、オカチを知っているのか。ああ、音楽っていうのはつくづくユニバーサルなもんだなー。"と大喜び。しかし、さすがにボ・ガンボスの解散は知らなかったようだ。"ミスター・オカチはグレイトなドラマーだ。"といって二人で盛り上がる。


So long to Broadway

ポリグラムを出て、サウス・アンボイの街に戻る。Colieのピックアップを降り、小腹がすいてきたので二人してベーカリーへ。そこでデニッシュを買って駅に向かう道すがら、"Phantom's Operaのニュー・アルバムのタイトル、So long to Broadwayってのはニューヨークのブロードウェイではなく、サウス・アンボイのこのブロードウェイのことなんだ。メンバー皆、昔はこの近所に住んでいたんだけど、今じゃ奥の方に引っ越しちゃったからね。"と、Colieが教えてくれる。

駅で列車を待つ間、Colieが次のソロCDの話や"日本にツアーに行きたい。Phantom's Operaでも行きたいし、ソロとしてもいってみたい。俺が日本でコンサートをやるときには、お前、ギターを弾いてくれるか。"、と彼の夢を語り、"日本に帰ったら、ADATでのレコーディングのことを調べて連絡してくれ。いっしょにCDを作ろう。"ということで締める。私は、"これからも、一緒に頑張ろう。"とか何とか言って、楽しかった二日間の滞在に礼を言う。やがてニューヨーク行きの列車が入線。Colieと再会を約束し、サウス・アンボイを後にした。

Colieが帰りにくれたメッセージ・カード。ここに記された台詞が泣かせるんだな、これが。

"Hideaki rocked the blues with Phantom's Opera... This man can JAM!   5-19-97 Colie"


New York, again

再びニューヨークへ

ニューヨークに戻ったは良いが、予定では初日の一泊しか考えていなかったのでガイドブックの類を持ち合わせていない。今宵の宿を求めて、小さなスーツケースとは言え荷物を引っ張ってニューヨークの街をぶらぶらするのは頂けない。ニュージャージー・トランジットの終点、ペン駅の前にPennsylvania Hotelというダウンタウンの中では比較的リーズナブルなホテルがあることを知っていたので、さっそく行ってみるとする。幸い空き室もあったのですんなりとチェックイン。シングル一泊、$129ということであった。とすると最初の晩泊まったThe Milleniumは法外に高いということになる。まあPennsylvania Hotelについては値段通りというか、古いホテルということもあって部屋は狭い、ちょっとかび臭い、テレビの調子良くない、窓の外からゴムの焼け焦げた様な異臭が入ってくる、と大分快適性は劣っていることは確か。それでも7th Ave.に面してペン駅の目の前、当然マディソン・スクエア・ガーデンも目の前、徒歩・地下鉄・バス、何処に行くにも便利この上ない立地という利点は見逃せない。日本の観光会社のツアーでも、エコノミー・クラスとして宿泊に利用されているこのホテル、所謂観光旅行慣れしているお嬢さん達には、ちょっときついかな。ホテルを単に休息場所として捉える向きには、よろしいかと存じます。事実、このホテルは世界中のお上りさんの集まるホテルといった風情で、アジア系から修学旅行風まで様々な人達が利用していた。

ということで、荷物を置き、若干の着替えと休息をとった私は、早速街へ。以前一週間ほどニューヨークに滞在した頃の記憶を頼りに、セントラルパーク方面に向かって7th Av.を歩きはじめる。まず最初に気づいたのが、街が明るくなったこと。以前の訪問が3月中ば頃で、冬の薄暗さが充分残っている上に治安があまり良くなく、胡散臭い人が有象無象居たこともあって、陰鬱な街という印象が強かった。一方で都会のエネルギーに溢れ、多くの素晴らしい音楽を耳にし、美術館その他見どころも多かったので、その旅行中最も印象的な、そして気に入った街ではあった。異常気象だった様で例年のように気温が上がらない毎日が続いていたが、この日は快晴、おまけに気温もスカッと上昇したことも手伝い、街全体がとても明るい雰囲気に包まれていた。これも後日知ったことだが、ニューヨーク市はアメリカで最も安全な大都市に選ばれたということで、治安もかなり良くなっているらしい。事実、私とニューオーリンズで過ごした後ここを訪れたドラマー清水も、また、7月に入って友人とここに来た私の妹も口を揃えて"楽勝だった。"ということで、"うーむ、滞在中にそれが分かってればなー。"、と悔やむ私であった。

さてさて私はタイムズ・スクエアに辿り着きました。そこからほんのちょっと上がった右手が、楽器屋街です。通りの入り口にピザ屋があったはずだが、影も形もない。今じゃ八百屋さんが目印です。この通りで驚いたのはSam Ashの躍進振り。楽器別に何件もの店を構えている。そのSam Ashのビンテージ・ギターを扱っている店舗に入ってみる。以前来たときは地味ーな店だったが、ビンテージものの品揃えは今やこの通りでもトップ・クラス。感心して眺めていると、"Can I help you?"の声。"No, thanks. I'm just browsing."、とやり過ごそうとしたら、"あ、僕日本人ですから、気にしないで下さい。"の声。ふとみると声を掛けてきたのは日本人アルバイター。せっかくなので色々と話をしてみた。この日これだけビンテージものが充実していたのは、先週末ロングアイランドで開かれたギター・ショウで結構買い付けてきたから、ということで、納得。せっかくだから何本か弾かせてもらおうかとも思いましたが、欲しくなるといけないので却下。彼には礼を言って、店を出る。この後有名なManny's他にも行ってみたが、Sam Ash程美味しそうなものは置いてなかった。ちなみにManny'sは昔は倉庫みたいな店作りだったのに、すっかりお洒落に変身していました。でも置いてるものは新品中心で、あまり興味を引くものは見当たらずじまい。そうだ、We By Guitarsという、前回来た時オールドのストラトを何本か弾かせてもらった店に行こう。その時は何本か店頭のを弾かせてもらっているうちに店の人に気に入ってもらえたみたいで、奥の方から状態の良い60年のストラトを持ってきて弾かせてくれたんだよな。張ってあった弦が古くてしかも2本切れていたので音が良いか悪いか分からず、予算もなかったので諦めたけど、あれが3000ドル程度で買えたのかと思うと未だに悔しい。よし、お礼参りだ、と勇んで通りを歩いたものの結局お店は以前の場所にはなく、断念。

さて、楽器街を出てさらに北へ。妹が7月に宿泊するというシェラトンの辺りで右折し5th Ave.まで東進。この道は初めて通るのでお上りさんよろしくそぞろ歩き。カーネギー・ホールやらロシアン・ティー・ルームやらプラネット・ハリウッドやら。朝のデニッシュ以来何も食べていない飲んでいない、で血糖値が下がってくる。安く済ませたい私としてはここらのレストランに入るわけにはいかない。そこで5th Ave.を左折、セントラル・パーク付近のベンダーを物色。程なくシシカバブ・サンドとかBBQボブやらを売る屋台発見。アラブ系と思われるおじさんに注文するが、こっちの英語が通じないわ向こうが何を言っているのか分からないわで、四苦八苦。出来上がったあつあつと缶コーラを手にセントラル・パーク内のベンチへ。腹が減っていたこともあって、いや、その美味いこと。しかも安い。ちょっとこってり目でしたが、がつがつと食いまくってしまいました。食後しばらく一服しながら周りを観察。パーク内のこの小径、私の他にもベンチで食事する人は沢山いたのだが、お掃除のおじさんが頻繁に巡回していて、食事が終わったのならごみを片付けても良いか、と聞いて回っている。勿論ごみ箱もそこここに設置されているが、彼らの働きで通りの清潔さが常に保たれている。ちょっと感心。

腹も膨れたが、歩き疲れて足許が怪しくなってきた。5th Ave.を南下して頃合を見計らって右折、西進してホテルに戻る。しばしの休息と、この後の作戦タイム。


I'm straight!

青春の街、グリニッジ・ビレッジ。といってもべつにニューヨーク市立大学に留学していたわけではない。学生時代に一週間ほどビレッジのホテルを根城にしていただけである。夕刻までをビレッジ散策で過ごそう、あの頃泊まったホテルや周辺の変化を見てこよう。私は夕方のラッシュが始まった地下鉄に乗り、ビレッジへと向かった。

地下鉄を降り地上に上がる。以前の記憶とそう変わっていないようではある。かつて結構危ないところもあったよなーとかクリストファー・ストリートはゲイが多いから気をつけなきゃ、とか思いながら気合を入れてワシントン・スクエア方向へ歩く。

"今日はやけに人が多いね。"という声がすぐ後ろからする。誰か友達同士でお喋りしながら歩いてるんだろう、と思っているともう一度、"今日はやけに人が多いね。"という声が、今度は右斜めすぐ後ろからするではありませんか。これは私に掛けられた言葉に違いない、と振り向くと、ゲイ、といったら簡単に信じられそうな印象のおじさんが。自慢ではないが私はアメリカのゲイに受けが良い。サンフランシスコでもニューオーリンズでも、それっぽいお兄さんにあっけなく声を掛けられてしまっている。で、このおじさん、イタリアから来たビジネスマンでニューヨークにしばし滞在中とか自己紹介をする。私に"学生?"とか聞いてくるので、"ファー・イーストからやって来たグレイトなギター・プレイヤーだ。"とか言ってかわそうと試みる。おじさん、"これからバナナ・リパブリックに行くんだけど、一緒に行かないか。"と誘ってくる。このままバナリパについてったら、今度は食事一緒にどう、その後は......と考えるとかなりヤバイ。"友人に土産物を探しに来たので、申し訳ないけどここで。"と言って別れようとすると、親切に"土産物なら通りのこっち側に色々あるよ。因みにクリストファー・ストリートには行かないほうが良い、あそこはゲイの集まるところだから。きみはゲイじゃないだろう?"、と言ってきたので人込みの中で思わず"I'm straight!"と大声を上げてしまった。しかもしつこく聞いてきたもんでそれを数回繰り返してしまいました。ああ恥ずかしい。

モーホーと思われた彼と別れて通りを渡る。以前と変わらずストリートのバスケットボール・コートが。ジャコ・パストリアスは生前、バスケットが好きでここらのコートでプレイしていたという話を聞き及んでいたので、しばし感慨に更ける。ジャコといえば昔、Seventh Avenue Southでのギル・エバンス・オーケストラのギグを見に行った際、ハイラム・ブロックとマーク・イーガンのトラとして登場して驚かされたっけ。当時ジャズなど全く聴きもしなかった私ではあるが、ハイラム・ブロックはニューヨークにいる間に見ておきたい一人であった。そこでギルとのギグに出演するハイラムを見ようと店に行ったわけであるが、ステージまではまだ時間が早かった。しばらく1Fのバー・カウンターでビールをやりながら時間を潰していると、野球帽を被った奴がすぐ脇に来て店の人と話しはじめた。そいつがまたジャコそっくり。大学時代の音楽サークルにも本名は覚えられなかったがジャコくりそつで"ジャコ"と呼ばれていた後輩がいたので、ニューヨークでここまでジャコに似てたら洒落になんないよなー、とか思いながら眺めていた。ステージが始まる頃合を見計らって2Fに上がるとオケのメンツが徐々にステージに乗ってきた。と、ベーシストに向かって"ジャコー。"と叫ぶ輩がいるではないか。ステージを見やると先ほどの野球帽のジャコ似、ではなくモノホンだあー。その時になってようやくジャコがトラで入っていたことを知った、間抜けな私ではあるが、今考えるとギルとジャコという今は亡き二人の天才の共演をニューヨークのクラブで目の当たりにすることが出来たのは、本当にラッキーなことであった。

ワシントン・スクエアに足を踏み入れる。と、"ハポン?"とアフリカ系アメリカ人から声を掛けられる。この公園は、かつて麻薬売買のメッカとして有名であったが、未だにその手の人達は出没してるのね、と思いながら無視。一回りしてみるとそこここにお巡りさんがべったりと張り付いて監視の目を光らせている。かつて程おおっぴらには出来なくなってるんでしょうね、葉っぱとかお薬の売買も。公園の中に鉄のフェンスでぐるっと囲まれた狭いエリアがあって、そこに入ることを許可された子供とその親だけが遊んでいる。何か物凄く煮詰まった気分にさせられる。

さっさとそこを出て近所にあったはずのEarl Hotelという以前泊まった格安ホテルを探す。どうやらこのEarl Hotel、その名もWashington Square Hotelと改名・改装して営業中の模様。宿泊料や部屋の感じとかは変わっちゃったんだろうな、と思いながら通り過ぎる。

無目的にビレッジ内を歩いていると楽器屋を数軒発見。ちゃんとしたビンテージ・ショップもあってちょっとびっくり。住所や店名を確認してこなかったので、ここで案内できないのが残念である。

薄暗くなりつつある中、ホテルまで歩いて戻る。疲れたからだが猛然とピザを求めていたので、近所のピザ屋に行ってSupreme Pizzaを注文。私の友人のようにSpermと言うようなボケをおかすこともなく、無事ミラー・ビールとともにテイクアウト。その晩は盛り上がるNBAプレイオフの中継とピザを楽しみながらのんびり過ごす。


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