1 June
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失われた週末
疲れは、一向に抜ける気配無し。目を覚ます時間もどんどん遅くなる。ひと通りこちらでのイベントも終え、当初計画していた楽器屋巡りもヒューストンのあまりの広さに断念した今となっては、完全にリゾート・モードに入ってしまった。飯も、なんか変化が無くて、喰う処を色々探して歩くのも面倒。と、部屋でもぞもぞうごめく以外、何もしたくない気分。因にこのホテルは、一大モールGalleriaを擁する、ギャラリア地区と呼ばれる高級商業地帯の一角にあり、Westhimerとフリーウエイの交差するところに建っている。眼下の風景がこれである。写真下、水平方向に横切っているのがフリーウエイ、写真右寄りのそれに交差する通りがWesthimerである。GALLERIAは、この写真ほぼど真ん中の一帯である。
さすがに時計の針も1時を指し、腹も減ってきた。何とか気合を入れ直し、この周辺を歩き回ってみることにする。
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SUPER SALADSで九死に一生を得る
Galleriaは高級モールであるが、その斜向かい、Red Lionに近いところにもうちょっと庶民向けの小規模モールがある。表通りに面して、まず日用雑貨の店がある。ここでは台所用品や整理用グッズはじめ梱包用品迄が揃う。アメリカのこういった店は、ニューオーリンズで入ったオフィス・デポ然りであるが、見ているだけでも実に楽しい。私はここで、シールはがし、ニューオーリンズで買った絵を持ちやすくするための3Mの手提げシール等を購入。
この脇を回ると、本屋、CD・ビデオ店、高級ガラス器の店、さらに行くとウエスタン・ファッションの店がある。ウエスタン・ファッションと言えば一頃は色々と買い求めたものだが、今はすっかり興味の対象から外れてしまっている。どれ、久しぶりに、と覗いてみたがウエスタン・ブーツのコレクションは立派なもので、自分が夢中で探してた頃にここに来てたら結構好みのものが見つかったと思われる。お値段は、特に安いという感じはない。もう一軒、フリーウエイ沿いに南にちょっと行ったところに、レザーウエアの店があったと思うがそちらは覗いてないので何とも言えません。CDについては、ちょっと高め。ニューオーリンズ物は、特にCarmit
Raffinなんてここヒューストンのレコード会社からCDが出ているのに、こっちで買うと6ドル以上高いのでは。本屋では、ニューオーリンズの本屋でも目立つようにディスプレイされていたので印象に残っていた新刊書で、日系人ギタリストの書いたZen
Guitarという本を買ってみた。なんか胡散臭くて良いでしょ。
この並びに発見したのが、サラダをメニューの中心に据えたその名もSuper Salads。サラダ・バーにスープ、飲み物を加えて5ドル程度。各種パンは食べ放題。すっかり野菜不足であったことや、濃厚な味の料理に辟易していた私としては、この店の発見は嬉しい出来事。回転が良いのでサラダも瑞々しく、スープも3種類から選べる。飲み物だけは席に着いた時点で店員さんが注文を取りに来る。その際、席に運んできた物をチェックして勘定書きを渡してくれる。お会計はその勘定書きを持って行って、レジで。いや、しかし、ここを見つけたおかげで私、生き返りました。その後、二食に一回はここで食べたんじゃないか、という程通い詰めました。
さて、ここから道を渡ったところにもう一つ小規模モールがあります。その中には、パソコン・ショップやFAOシュワルツ、安いというより安っぽい物を売るスーパーなどが入ってます。発売されて間も無いアメリカ版たまごっちを、主にアメリカ駐在の日本人がお土産用に買い占めているという話だったが、ニューオーリンズの玩具屋で目にすることはなく、ここのFAOシュワルツにも在庫はなかった。案の定、帰ってきてから、実はアメリカ版たまごっちをお土産に買ってきて欲しかったという人がいた。
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ヒューストンのライブハウス事情
ホテルで食事をした際、近くにご機嫌なライブ・バーはないかウエイターに聞いてみたところ、タクシーで5〜10分の距離にあるBilly
Bluesが良い、ということだった。それでは、ということで夜10時頃になってからおもむろに店に向かった。Billy
Bluesの周辺はライブハウスが何軒か集まっている様子。中にひときわ賑やかな店があったが、そこは屋外にステージがありバンドがガンガン演奏中であった。ライブハウスが集まっていると言ってはみたが、それぞれが余裕の駐車スペースを確保していて一軒一軒の間に結構な空間があるためあまり密集感はなく、ハシゴするにも結構歩かなければならない。
さて、Billy Blues到着。入ってみると、ん、なんか様子がおかしい。妙に落ち着いた佇まいなんである。とりあえずカウンター席に着いてビールを注文。店内には有線放送らしいBGMが流れており、ブルース・バーらしくない音楽が続く。カウンター席の他、テーブル席のコーナーもゆったりとってあり、どちらかというと街道沿いのレストランといった風情。表通りに面してどうやらもうひと部屋ある様子で、そこがライブ・スペースになっているようだ。そのスペース、本日は椅子が雑に積み重ねられて照明も点いてない。日曜日は空いてるから落ち着いて楽しめるよ、とホテルのウエイター氏は教えてくれたが、どうやら日曜日は生バンドが入ってないので空いているというだけだったようだ。一人寂しくビールをすする私。
自分の不幸を呪いながら、それでもせっかくタクシー代を払ってきたんだから元を取ろうと、2本目のビールを飲み始めた時、私の横で"今夜はライブやってないの?"、と言う声。見ると、銀髪交じりの長髪を後ろでまとめた30代後半ではあろう、白人男性が一人。最初見たときは男か女か、声からすら判らなかったカウンターのおばさんが、"今夜はライブはお休みだよ。"、とそれに答える。残念そうな白人男性。私も確認の意味で、"え、今夜ライブやらないの?"と言うと、白人男性、いきなり嬉しそうに"お前もライブを見に来たのか。"と言いながら隣の席へと移ってきた。彼はStevieという名のドラマーで、オースティンやニューオーリンズでも仕事でドラムを叩きに行っているらしい。私が日本から来たギタリストであると名乗ると、"ニューオーリンズでお前のような顔で長髪の日本人ギタリストを見たが、奴は、べらぼうに凄かったなぁ。"と、彼。名前は覚えていないらしいが、どうもジュン山岸氏に違いない、私とは大分顔が違うが。で、ここでも私の名前は発音し難かったようで、なんと呼べば良いか聞かれる。他の土地にならって"Hidie"と呼ばせようとしたが、日本では何と呼ばれているんだと言うのでしかたなく、"人は私をじいと呼ぶ。"と答える。あーあ、アメリカまで来てジジイ呼ばわりされちゃうのか、とがっくりしているとあにはからんや、"おー、お前、ミスターGか。そうか、ここテキサスでMr.Gと言えばZZ
TOPはビリー・ギボンズ様に他ならない。お前もミスターGと呼ばれているとは、グレイトだ。"と、一気に場が和んでしまった。
話をしていてすっかり気に入られてしまったのか、一緒にやっているギタリストに紹介したい、彼は今日明日もどこかで演奏しているはずだ、と言いだした。このギタリストというのが凄いらしいのだが、どれくらい凄いかというと、"奴はスティーヴィー・レイの曲をスティーヴィー・レイの様に弾ける"とか、"奴はZZ
TOPの曲をビリー・ギボンズの様に弾ける"と、どうも説得力に欠ける。だが、ヒューストンの音楽シーンを私に体験させたいという彼の熱意は伝わってきた。これから他の店に行ってみないか、と誘われたがヒューストンの広さを考えると、うかつな移動は出来ない。その店は遠いのか、と聞くと、それ程遠くないと言う答え。しかし、じゃ、近いのか、と聞くと急に聞こえない振りをしたので、絶対小1時間は車を走らせる位の距離があるはずだ。この広大なテキサスで、見ず知らずの人に身を委ねるのはどうも危険だ、と、それとなく断る。と、意外と繊細らしく、"俺のことはこの店のオーナーもよく知っているし、信用してくれ。"と彼。"連絡先を教えるから、明日、日中にでも連絡をくれ。楽器屋とかも連れて行ってやるし、地元のミュージシャンも紹介してやる。セッションも出来ると思う。"と積極的。おまけに、これを聴けと言ってマディのベストと、彼が参加しているエレクトリック・マグネッツのメンバーがやっているオースティンのバンドのテープ、エリック・ジョンソンがゲスト参加してるらしい、をくれた。"BILLY
BLUES"も間も無く閉店ということで、彼、タクシーまで呼んでくれ、明日絶対電話くれよと言われ別れる。この晩ライブは見られなかったものの、地元の人と知り合いとても楽しい時間が過ごせた。
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2 June
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マクベイ、有罪
私の泊まっているRed Lionは、ビジネスユースらしく朝刊のサービスがある。この日も朝食をとりに出る際、デリバリーのU.S.A.
Todayを拾い上げ、エレベーターに向かった。私が乗り込んだエレベーターには、すでにビジネス・ウーマンらしきオネエサンが乗っており、お互いに朝の挨拶を交わす。私はこのオネエサンがノーブラ・タンクトップであることに即座に気付き、ちょっとそわそわしてしまう。と、エレベーターのドアが閉まり下降を始めた時、いきなりこのオネエサンが話し掛けてきた。"マクベイ、有罪。"
私は一瞬何のことか分からなかったが、そう言えばTVのニュース番組で、オクラホマ・ボマー、ティモシー・マクベイの裁判が行われる旨報道していたことを思い出し、"有罪が決まったんだ。"と、相槌を打つ。彼女、矢継ぎ早に"私はこのオクラホマの件については、本当に言いたいことがいっぱいある。有罪が確定して本当に良かった。"というようなことを、1階に着くまでまくしたてていたが、私はといえばノーブラ・タンクトップが私の方を向いてしまったことですっかり落ち着きを失ってしまい、上の空でいるしかなかった。エレベーターが1階につき"じゃあ、またね。"と彼女は勢い良く去っていったが、考えてもみて下さい。日本のホテルで、エレベーターに乗りあわせたノーブラ・タンクトップのオネエサンが、いきなり"麻原、有罪。"とか言って自分の意見をまくしたてたら、誰だって度肝を抜かれると思いますよ。
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予期せぬ出会い
ホテルでの支払をカードで決済する一番の利点は、ホテル内のレストラン等の支払いがサインで済むこと。で、現金の持ち合わせはあまりない私、朝食はここのレストランでビュッフェを取るのがほぼ習慣化していた。昨夜のMBAプレイオフで劇的なブザー・ビーターを決めたMJ様のガッツポーズが一面に来ているU.S.A.
TODAYスポーツ版を読みながら、ゆっくりと朝食を楽しむ私でした。すると、給仕に来たウエイター君、"君は何処から来たんだ。"。"日本。""じゃ、俺と同じところから来たんだ。"と、彼。え、同じと言われても彼の顔は日本人には到底見えない。どんな顔かというと、写真左側の彼である。当惑しながら何処から来たか聞いてみると、フィリピンだということだ。成程、彼はグローバルにアジア人ということを言ってたのね。続けて彼、"こいつはモロッコから来たんだ。"と、隣の彼を紹介してくれた。フィリピンの彼はJ.P.、モロッコの方はEssaidという名だ。英語を母国語としない同士が集まると、マイノリティとしての奇妙な連帯感が生れることに、ここヒューストンに来てから何となく気づいていたのだが、彼らとは本当に楽しく話をすることが出来た。英語が流暢に喋れるわけではないので色々困ることも多い、と話すと、"いやいや、君の英語は上手だよ。3カ月もこっちにいればネイティブのように喋れるようになると思うよ。"と言ってくれ、ちょっと安心。二人とも故郷を後にして数年が経つそうだが、それぞれに苦労もしてきたことであろう。しかし、とても明るく接してくれるので、ミスター・アメリカン・ドリームを敵に回してからこっち、ホテルの中で妙な居心地の悪さを感じていた私は、二人の存在を心強く思うのであった。色々街のことも教わりながら、彼らも仕事が滞らない程度に会話を弾ませ、ちょっとチップを多めにはずんでここを後にした。
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換金成功
ミスター・アメリカン・ドリームにゴミ同然にされた私のT/Cを持って、トマス・クックの事務所にタクシーで向かう。バス路線ではあるが、何処で降りたら良いか分からないので、無難な方法を選んだ。メーターが上がるたびにむしゃくしゃしていたが、それでもトマス・クックの係の人が丁寧に対応してくれ、換金もスムーズに出来たことで無理やり溜飲を、下がるわきゃ無いだろ。なんで500ドルを換金するのにつごう50ドルもタクシー代を掛けなきゃならんのだ、馬鹿もんっ。お、俺は、絶対お前を許さんのだぁーっ、と聞け魂の叫びを状態である。
そう言えば、前日BILLY BLUESで出会ったStevieが連絡してくれと言ってたっけ。色々考えた末、お土産を探して歩かなきゃならんし、ロクに知りもしない人と行動をともにして何かあってもつまらんので、彼には悪いが無視することにした。機会があったらまたね、Stevie。
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3 June
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いよいよ最終日
終日動けるのは、今日が最後。心の中では、もうヒューストンも飽きたので早く帰りたい、て感じかな。とりあえずホテルのレストランで朝食。今朝はモロッコのEssaidだけだったが、昨日に引き続き色々と話しをしに来る。せっかくなので写真を撮ってやるよ、とキヤノンのAPSカメラ<あの物凄くちっちゃい奴>を向けるととたんに"何なんだそれは、本当にカメラか。日本の新しいカメラなのか。"、と矢継ぎ早の質問。そう、このAPSカメラはアメリカではほとんど見ない。驚異の超小型、メタルボディのこのカメラを初めて目にするこっちの人々は、皆一様に驚くのであった。そして"お礼に君の写真も撮ってあげるよ。"と撮ってもらったのが、この写真。そう言えば、誰かが写真を撮ったら"じゃ、今度は君が入って一枚。"というやり取りが暗黙のうちに出来上がっているのが日本の社会で、これが普通だとばかり私は思っていた。しかし、アメリカ人にそういうお約束は無いらしい。Buckの所でもそうだったが、"じゃ、記念に皆の写真を撮ります。"と彼の友人家族を入れたり、その他のシチュエーションで写真を何枚か撮ったが、一度として"今度は私が撮るから、Hidieが入りな。"と言って撮ってくれたことはなかった。うーん、興味深いぞ、アメリカ人。
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お買い物、お買い物
さて、Garalliaに土産物を探しに出掛ける。まずは私のためにスニーカーを買うことから始める。今日までに何件か見て回っていたが、結局Foot
Lockerで買うことにする。獲物をナイキのスニーカー3種類に絞り込んだところで店員君登場。とりあえず全部試させてもらう。靴を履いていると店員君、"君はどこから来たの。"。"日本。"と、私。すると彼、"日本かー。俺、日本に興味があって、剣道とか空手とか習いたいんだよなー。あと、忍術とかさー。"。"剣道は俺、小学校の頃習ってたし、高校の体育の授業でもやったぜ。"と答えると、"いいなー、こっちだと剣道習うの、物凄く高いんだよ。月に100ドル以上掛かるんじゃないかな。"とたいそう羨ましそう。その分こっちの連中は3、4千円でゴルフ・コースを回れるじゃん。てな訳で履いてみた結果、さらに2種類に絞り込み悩む。悩んだときはヤングの意見を聞こう、と、"こっちの白い奴の方が、絶対良い。グリーンは駄目よ、駄目。"ということで、一番最初に目をつけたグリーンがポイントで入ってる奴は却下。めでたくセールで割り引きになっている白のスニーカーを購入。ここGaralliaには、The
Gap、Eddie Bauer、Empolio Aramani他多くのブランド・ショップが入っている。ウエア、シューズ、バッグから本、旅行用品、キッチン用品、インディアン工芸に至る多くの店があるので、値段的には相場と比べて決して安くは思わないが、ひと通りの買い物には困らないと思う。GARALLIAは1から3まであり、Lord
& Taylorなどのデパートもその構成の一部である。内部はかなり広く、かつ、ちょい複雑なので現在地の確認をしないと迷うこと必至。ちなみに一番下の階にはアイス・スケートリンクがあり、地元のちびっ子や若者で盛況である。また、このリンクを囲むようにフードコートが配されている。
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リゾート
ホテルに戻り、せっかくプールやジャグジーが付いているので、入りに行くことにする。途中、ミスター・アメリカン・ドリームとすれ違う。ご機嫌は、と聞いてくるが、お前に会ってご機嫌なわきゃないだろ。謝るんなら明日の朝までだぜっ。
この時間帯、ジャグジーにもプールにも私以外の人はいなかった。気分良く施設を独占させてもらう。デッキチェアに横になって日光浴及び読書に勤しむ。約三週間に渡った私の旅も、陽光とゆったりした時間の中、フィナーレへと向かう。
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4 June
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テイク・オフ
ついにミスター・アメリカン・ドリームから謝罪の言葉は聞かれずじまい。私は、迷うことなくホテル・マネージャー宛に今回の一件を記した手紙を投函した。
シャトルは、私以外にピックアップの予定はなく、道も空いていたので思ったよりかなり早くヒューストン・ホビー空港に到着。搭乗まで大分余裕がある。とりあえずチェックインをしようとアメリカン・イーグルのカウンターに向かう。すると、良ければ一つ前の便に振り替えましょうか、と聞かれる。ダラス・フォートワース空港は広く、乗り継ぎに戸惑うこともありえるので、ひと便早く行って余裕をもって乗り換えるに限るとばかりにお願いする。もっとも搭乗まで残り時間僅かだったため、この空港内で目一杯慌てる羽目にはなった。
最初はびびったアメリカン・イーグルの小型機も、慣れてしまえば何ということはない。ダラス・フォートワース空港では予想通り、乗り継ぎで迷ってしまいました。どうも苦手だ、この空港。Duty
Freeで残った外貨で最後のお買い物。売店で買ったオレンジ・ジュースとべーグルを食べ終えた頃、搭乗のアナウンスが入る。再びこの地を訪れるのはいつになるなるのだろう、と物思いに耽るうち離陸。
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5 June Chiba,
Japan
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そして一文無しに
フライトは極めて順調。予定より一時間早く成田に到着。迎えに来た親爺の車に乗り込み、帰宅。ここでハプニング。自宅裏で降車して家に入るまでの僅か数メートルの間で、日本円数万プラス小銭、米ドル100ドル弱、運転免許証、クレジット・カード2枚入りの財布を落としてしまった。気づいて戻ったときにはすでに跡形もなく、周囲を探し回るも徒労に終わる。頭をうなだれて最寄の交番に届け出。カード会社にも無効にしてもらうよう連絡。三週間の旅を滞りなく過ごしてきた私の、なんともお粗末なオチであった。
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