第六章 〜noa's child〜
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今思うと、いや、今こんな風に思い返すと思い出ってなんなんだろうって思うんだ。毎日、毎日、色んなことを友達とか家族と話してる。だけど、思い出すのは何気ないことだったり、もちろん、ショックなことやうれしい事が大半だけど。その中で、なんで何気ない一瞬のこと、沢山ある思い出の中に、こんな物があるんだろうって思うことがある。例えば、一週間前に何を食べたとか思い出せないのに、なんで、校門を出て家に帰ったあの雨の日の景色だけが思い出に残っているんだろう?とか、父さんや母さんの何気ない会話だけ思い出に残ってるんだろうって思うんだ。
死んだお婆ちゃんやお爺ちゃんを思い出す時に出てくるのはお葬式じゃなくて生きてる時の何気ない姿だったりする。その時、僕は何を思っていたんだろう。お婆ちゃんやお爺ちゃんが僕を思い出す時、どんな僕だったんだろうって考えると、きっと僕が何気なくテレビ見てたりご飯食べてたり、何気ない姿なのかなって今になって思うんだ。あの日、いつきと話したこと、もちろん、全部覚えてるわけじゃない。でも、僕が覚えてるのは、青春漫画みたいに、二人ゴミ焼却炉の前に体育座りして、話した姿なんだ。僕が覚えているのは、いつきが燃え残った灯を見てる顔。真剣なんだけど、大人のような、子どもみたいな、照れたような顔。それで、空がゆっくりとオレンジから濃い紅茶みたいな色に変わっていった景色なんだ。いつきは体育座りをしながら両ヒザにアゴを乗せて話してる。落ちてた、先が焦げてる鉛筆で地面をグルグルとほじくってる。僕はいつきの顔を見れなくて、そのグルグルが消されては書き直される様子を見ていた。なんかそのグルグルが気持ちを落ち着かせてくれるから。