欧米系ポピュラー音楽に対応する手拍子が、日本人はヘタだった。というのは、いわゆる「Live in Japan」ものを聴いた時や自分がコンサートに行った時に、結構いらついたことがあったからだ。現在はどうなんだろう?
カーペンターズの初来日時のライヴをラジオで聴いたのは、もう20年以上前のことだろう。
「ジャンバラヤ」という2ビートの曲で、武道館の観客の手拍子は、1拍目と3拍目だった・・・。これには愕然としたもんだ。聴き苦しくて仕方がない。おまけに会場が広いためか、ずれまくっている。(こんなものを世に出すなんてレコード会社も無神経だ…)
70〜80年代アイドルの親衛隊があみ出した?タッッタタ タッッタタというのもなんともダサイ手拍子だったなぁ。これも一拍目にアクセントがある。
要するに、アフタービートに対してノルことが体に染みついていないのだ。
簡単に言えば、2ビート/(古い)4ビートは2拍目、8ビート/16ビートは3拍目に手拍子が入るのが妥当。つまり、ドラムセットのスネアドラム(小太鼓)の打ち下ろす位置がしっくりくるはずだ。
欧米系ポピュラー音楽のビートは、2→4→8→16というように、時代と共に細分化してきた。(この際、例外は目をつぶる)
細かくリズムを刻めばアクセントも多様化するから、より複雑になった−とも言えるが、70年代の16ビートやポリリズムのマイルス・デイヴィスを聴くと、逆も成り立つのではないか!と思えた。
むしろ、音楽をシンプルにしたいがために、細かく刻む方向に行ったのではないか−と。
2ビートならウンチャッ!ウンチャッ!と2回手拍子が入れられるが、正統的な4ビートは等しい4つのビートのために“お約束の”手拍子が入れられない。4ビートは4つの等しいアクセントが基本だが、8や16ビートは3拍目にアクセントがある。つまり8や16ビートは、従来の4つの等しいアクセントだったものを、ある一点(=3拍目)に集約させたとも言える。
リズムのハナシから脱線するが、ジャズの場合、これは、コードからモードに至ることにも当てはまる。
一般にモード奏法は複雑で難しいと考えられが、コードの制約を取り払い自由になれるわけで、むしろプレイするイメージはシンプルになったと思う。遠い先祖が奏でていたシンプルな音楽に近づいた−とも言える。
物事が洗練されていくプロセスは、複雑になっていくことと同時に、(逆に)単純にもなっていくことなのではないだろうか?