小笠原諸島には白人のコミュニティがあり、日常会話を日本語で話していることは、余り知られていない。
あれこれ考える以前に、その事実を知った驚きはかなりのものだった。
そもそも“小笠原”などと漢字の地名がついているから日本固有のイメージがあるが、元は無人島で無国籍だった。
19世紀初めに米国人セーボレー(白人)たちが漂着して定住した。その後日本人も移住し、明治8年に日本領土となり、東京府下の一地域扱いになった。
ちなみに、“小笠原”という地名は日本人探検家の苗字からとられたそうだ。
白人と日本人が混じり合って生活していたが、第二次世界大戦時に日本人は強制的に本土に帰され、戦後は日本に返還されるまで、沖縄同様に米国の施政下におかれた。
戦前は農業も盛んだったらしいが、現在は観光業と自給自足のための漁業しか行われていない。180年前に定住したセーボレー一族の末裔は、槍で魚を捕る伝統漁業をしながら暮らしていた。
世代間で日米の影響力の差は当然ある。若い世代は日本返還後に日本語教育を受けているが、米国に渡る人々も多い。
70歳を越えた白人の老人はかなりの程度で“日本人”で、もちろん日常会話は日本語だ。
若い二人は人目が恥ずかしいでネ
レモン林で隠れて話しましょう
レモン林の甘い香りの中で
キッスをしたのをお月様が見てた
平和になったら二人でカボボしてでネ
新婚旅行は東京※へ行きましょう
こんな歌詞の民謡がある。
海岸で、シワまみれの老人が照れくさそうに口ずさんでいた。
テレビドキュメントを見てから数年が経過したが、あの民謡のタイトルも、録音があるのかも、未だに知らない。誰が唄いだしたのかも、おそらく不明のままなのだろう。
ネットで見つかるだろうか? また、聴いてみたい。
2003年4月
※実はネットで調べたら「東京」は「父島」になっていた。正式?には「父島」なのかな。。。
ただ、テレビで観たときの老人は間違いなく“東京”と唄っていた記憶がある。それはおそらく替え歌、もしくは亜流なのかもしれない。それで、白人の老人が“東京”と唄っているところになにか深いものを感じて、そのまま掲載した。
また、CDは存在するようで、小笠原の島唄CD「葉から芽」CRCM-40062 の中に入っているとのことです。
以上、ひろままから貴重な情報をいただき、それに基づき加筆した。感謝!
2003年5月
(以下、2017年12月追記)
「東京」が、なぜ「父島」になってしまったか、は ここにあった。
おまけに『カボボ』の意味も説明されていた。