音楽編123456789

直感DE雑感1

無償の愛

一生盲導犬として生き抜いた犬のハナシの本が、ベストセラーになっている。
盲導犬は、見返りを求めない《無償の愛》を人間にそそぐ。涙が出てくる。オレはこういうハナシに弱い。しかし、人間の眼から見ると美しいことだが、犬たちはそんなことを意識しているわけではない。これは無償のもの?−と考えるのは人間だけだ。動物にはそれがない。
(以前書いたことだけど、ここに移動。↓一部修正あり)
《無償の愛》って言葉、キレイだ。でも、ちょっとまてよ。そんなものあるのか?
人はなにも代償を期待していなくても、結果的にはそれで自分を高めようとしているわけだから、やっぱり無償ではないんだな。意識・無意識に関わらず、なにかを得ているはずだ。それを否定しているわけではない。むしろそれこそが、人間らしい行動なのだろうな。

匂いについての戯言

跳び箱の代わりに小学校にあった古タイヤの匂いを嗅ぐと、桜餅の桜の葉と似ていて、密かに嗅いでいた。
うちの職場は薬の匂いがするそうだが、自分ではまったくわからない。風呂で湯船に浸かっているとき屁をこくと、そのガスが湯の中を上昇するが、それを見極めて水面上で鼻で捕らえると"やった!"とほくそ笑んだりする。
アミノ酸系の調味料(とくに牡蠣油など)は、それだけでは匂いも良くないし、味も気持ち悪いが、他のものと混ざると、うま味として重宝される。不思議なことだ。
昔、設備のアルバイトでたまたま中華料理屋の厨房に入ったことがあったが、アミノ酸系の調味料の匂いが充満していて、気持ち悪くなってしまった。ゲゲー

キャンペーン実施中!

たまにテレビのCMをなにげなく見るが、最後に「キャンペーン実施中!」というセリフが乱発されている。これ、気にする視聴者がどれだけいるのか?キャンペーンにつられて買おうと思ったりするのか?【なにもやらないわけにはいかないから、とりあえずキャンペーンでもうっときましょか。】ってところが多いんじゃないのか?それに飛びつく一般人、あまりいるようには思えない。

ボーナストラック

CDのボーナストラックってなんだかなぁ…。LP時代の音源をCDで再発すると、収録時間に余裕があるので、付加価値としてボーナストラックが入っている。珍しいものを聴けることはよいことだが、当時のボツテイクがほとんどだから、やっぱりデキは落ちる。
一枚トータルの“起承転結・気分”もそがれてしまい、複雑な気分になる。《曲が増えた分、お買い得!》というキャッチコピーは、あまり嬉しくはない。FREEの再発盤は、オリジナル曲とボーナス曲の間の無音部分が少し長いから、ヨシとするか。
以前にも書いたが、《CDは聴けば聴くほど単価が安くなる》というのが持論だ。1500円のCDを一回聴いたら単価は1500円。3000円のCDを10回聴けば単価は300円。だからCDを買うときは、《何回も聴くだろうか?》が、一応買う判断材料になる。費用対効果ということだ。んが、失敗もする。 関連コラム

クイズ

日本人の老若男女100人に街頭で直感で答えてもらいました。これくらい合法化されてもいいのではないか?と思うものを以下の中から選択せよ。

  1. 安楽死
  2. 賭博
  3. 重婚
  4. ドラッグ
  5. 銃の所持
  6. フルヌード
  7. 仇(かたき)討ち

というわけで一番多かった回答は、なななんと!7.の仇討ちだった。(仇討ちと書いたが、もしかしたら敵討ちだったかもしれない。)でもって、あまりにも意外な結果で自分は困惑したのだが…。

このインタビュー自体は深刻なものではなく、イメージアンケートのようなものだったようだ。(真面目に考えるならば、どの項目にしても様々な細かい条件を考慮しなければならないはず。)上記の項目から瞬時に連想するイメージは千差万別で、どうやら回答者たちは、街頭で直感で(あれこれ考えずに)答えたと思われる。
ということは、人間関係のあつれきによるストレスや他人から受けた屈辱が一番身近な連想になり、嫌な奴に復讐したいとの思いにより7.を選択したのかと想像するが、いかがなものか?お蔭様で?復讐したいような、敵を討ちたいような思いは今のところ持ちえていないし。それにしても、なんだか納得いかないな。国家間の戦争や紛争を肯定しているようで。軽い気持ちでこの【クイズ】を載せたのに、ウ〜ン…重いハナシになってしまった。さて自分だったら、と考えると1.の安楽死になるかな。

言い訳するな

アマチュアの内輪の催しであろうと、人前で演奏するときに絶対言ってはいけないこと。
「練習不足でスイマセン」「きのう風邪ひいてしまって、声が出なくてスイマセン」「急遽、彼にサポートをお願いしたので…トチっちゃうかなぁ〜ハハ」などなど。
ついついその場をリラックスさせるために冗談めかして言いがちだが、まったく逆効果。言い訳は聴いている方にとっては大変失礼なハナシだ。そんなコトは打ち上げの席で!

“あの頃”への幻想

長いつきあいの友人と話していて、しばしば「あの頃はよかったな」という言葉を聞く。
確かに昔のことは懐かしいことは懐かしいが、“よかった”−とは?なぜか思わないなぁ。そりゃ、今がすべて良いことずくめとも、もちろん思わないが、今、此処にいて息吸っていることのほうが、オレはなぜか、全然よいな。

鼻毛処理

どんなにイイ男でも、伸びた鼻毛を処理している時は情けないものだ。
なにか良い方法はないかと思って、家電量販店で鼻毛カッターを買ったことがある。鼻の中に挿入し、電気剃刀のようにモーターが回転して刃が鼻毛をカットするものだ。簡単でよいと思い使ってみたが、どうもきめ細かな処理が出来ず、今では使っていない。もっぱら鏡を見ながら鼻毛バサミを使っている。鼻の中は暗いので、鏡からの光の反射を考慮しつつチョキンチョキン。ハサミは右手に持っているわけだから、左の鼻腔の場合は逆手になりやりにくい。呼吸をしているとハサミが湿ってくるので、なるべく止めているが、これも苦しいことがある。しかし、女性も鼻毛を処理しているのだろうが、見たことがない。当たり前か。

テレビCM

昔、コカコーラのCMを見ていて気持ち悪かった。出てくる日本人の振る舞いがあまりに異質で。
あれは本家アメリカのCMのコンセプトを単純に日本人に置き換えたものなのだろう。爽やかでにこやかでコークで乾杯して盛り上がる−そんなことナイナイ、現実にどこにもない。
最近では、マクドナルドが胡散臭い。子供を使って、マックがいかにも憧れの場所であるような体裁だが、そんなに素敵なことか?マクドナルドで食うことが。みんな騙されるなよ。チャーミーグリーンのCMも、言語道断である。オーバーオールのペアルックの老夫婦がお手手つないでスキップするアレ。痛々しい。

大正製薬という製薬会社は、今まで冒険はしなかった。製薬会社の横綱だから。しかしリアップの掛布は画期的だ。今まであんな薄い人を使った育毛剤のCMはなかった。仕事柄、テレビを見てギョっとした。これまではどこのCMでも、みな髪のある人を使っていた。つまり安全策だった。6ッカ月後、掛布の頭髪に変化はあるのだろうか?リスキーなCMだ。したがってオレは、掛布氏の契約期間はかなり短いものだと推測する。

母国語

韓国では、外来語が氾濫することへの危機感から、母国語を愛用する運動が叫ばれているそうだ。読売新聞の投稿欄に、【日本人も母国語に誇りを持って】という韓国人留学生の方の意見があった。
自分はそうは思わない。言葉は“生き物”だからだ。その時代、その瞬間に、情報や感情の伝達手段として機能していれば、それでよいと思う。
韓国の方は、外来語の誤用についても指摘しているが、それでさえ問題ないと思っている。
英語を母国語としている国々を比較しても、表現方法や文法が必ずしも同じではないはずだし、たとえ奇異に感じる表現でも、社会に認知されれば永く残るし、認知されなければ消えていく、それだけのことだ。ほおっておけば、やがて収束されること。

【日本人も母国語に誇りを持って】という韓国人留学生の意見は、”日本人は自分の国をあまり愛していないようで、おかしいと思う”という意味が根底にあると思う。
しかし、”自分の国を愛す” そういう意識は残念ながら自分にはない。スポーツの国際試合で、親近感からたまに帰属意識を持つ程度だ。
むしろ、様々な文化が混血し、”国家”という意識・幻想が無くなれば良いと思う。
”国家”は最低限、社会基盤/制度としての機能があれば、それで十分ではないか。

音楽を作る

えてして、“さあ、なにかを作ろう”と改まると、なにも浮かばなかったりする。
創作(音楽にしろ何にしろ)するには、心に何かしらの負荷がかからないと生まれてこないものなのだろうか。
深い哀しみ、深い怒り、深い心の痛みに出くわさなければ、新しいなにかは生まれないのだろうか。普通に健康、ありきたりな日常−そんなものを否定してまでなにかを作ろうとしなければならないのだろうか。
音楽を作る−ということは、自分にとって純粋な趣味に他ならない。だから、身を削ってまでして創作行為を続けている人には、到底かなわない。
さて、新しい曲を作ろうと思った時、心に何かしらの負荷がかかっているか?それによってわき出るものがあるか?そんなことを自問自答している。

ネット依存症

時々そう思うときがある。この電脳空間って実体があるようで無いようで、無いようであるようで…。まったく不思議な空間だ。やたら都合のよい世界でもある。どこまで迫っても真実にたどり着けない気もする。だからといって現実の日常世界が真実ばかりかと言えば、虚々実々、矛盾だらけで辟易する。
オレは無いものねだりの単なるわがまま人間か?
きっとこれからもずっと彷徨っていくのだろう。いったいどこかにたどり着くのだろうか?なんちゃって、たまに漠然と憂うつになることもあるが、明日になれば忘れている。物語を作ろうとするから虚しくなる。始めから物語などないと思えば気楽なものだ。
おそらく、“約束された場所”などどこにもなく、いつまで経ってもたどり着けない。

床屋でのこと

1)世間話

地元の床屋に行くと、理容師さんと世間話をする。
これは面白いこともあるのだが、中々微妙なところもある。面識のない隣にいる別の客が、どんな立場・身分の人かわからんわけで。きょうのお隣さんは、「年度末は、卒業やら受験やら行事ごとが目白押しで、忙しい・・・」と、話していて、どうも学校の先生のようであった。「最近最寄りのスーパーをA店からB店に換えた。A店は安いが、全般的に賞味期限が短くてダメ。B店はちょっと高めだが品質が信頼できる」との奥さんからの話を披露していた。もし隣に座っているオレが、A店の関係者だったら−立場がない・・・。
(続いて花粉症のハナシになり、)「S病院の耳鼻科の先生は説明がくわしく、親切だ。隣接する薬局はかなり待たされるが、ここも丁寧に説明してくれる。まぁ待たされるのはイヤだけど・・・」とのこと。
オレはS病院の耳鼻科の先生のことは存じあげている。おおむね評判がよい。時間がかかるけど丁寧な薬局−それはY薬局でウチではない・・・フム。もう少し詳しいことを話さないかと耳をそばだてていたが、別の話題に変わってしまった。理容師さんの立場というのも、中々微妙だ。それぞれの馴染みの客の立場・身分を、大概把握している。担当の客の言うことが、隣の客の立場を悪くする場合もあるわけで、相づちをうちながら別の話題へ巧みに誘導しなければならない。
客の立場としても、宗教がらみ、政治がらみ、商売がらみの話題は特に気を付けねば・・・と。(^^;;;

2)耳毛

男は、耳の中に毛が生えることがある。これは自分ではどうすることも出来ない。ハサミをつっこんで、耳から血を出してしまってはやっかいだ。
上記の学校の先生が嘆いていた。児童はちゃんとそれを見ていて、あっけらかんと「先生、耳から毛が出ている!」と言うそうだ。
そういえば、耳の毛をカットしてくれるのは床屋さんだけだな。

素朴な疑問(3つ知りたいことがある。)

  1. 江戸時代まで、日本に“愛”という概念と“愛”という言葉が存在していたのだろうか?
  2. 朝鮮半島の人々もやっている、“万歳”という風習はどこで生まれたのだろう?
  3. 温泉に入ったニホンザルは、出たあとになぜ湯冷めしないのだろう?

嗚呼...

女が「聞いてぇ聞いてぇ!」と男に今日あったことの愚痴を言ふ
男はハナシに相づちを打ちながら、“うっとうしい”と思ふ
男は聞いているだけではオモシロクナイので「それじゃこうすれば〜!」と助言すると、
女は「なによ、なにもワカラナイくせに…」などと言ふ
男は「じゃぁ、なんだっていうんだよ!」と困惑する
女は、ただ聞いて欲しかっただけのやうで、男は途方に暮れる…

めりーくりすます

ま、いままでも世の中への素朴な疑問をひとり言のように書いてきたが、これほど不思議なものはない。というのは日本におけるクリスマスという習慣。(またそんなカタイこというな−とすぐ言われそうだが)
時が流れるにつれ、本来の主旨が形骸化する傾向にあることは承知しているが、一年365日、様々な行事を思い浮かべて頂きたい。なにかしらの大義名分が必ずある。ところが、日本におけるクリスマスには、クリスチャンでないかぎりな〜んにも根拠がないのだ。
だから、オレは日本人としてちょっと恥ずかしい気分になる。日本人が歌うクリスマスソングは、外国人クリスチャンの目にはどう映っているのだろうか?そういえば、バレンタインデーなるものもあったな…。(関連コラムへ

クリスマスの音楽には好きなものもある。ゴスペルだって大好きだ。クリスマスがらみの音楽だってわりきって作る。し か し、日本国中がクリスマスムードになることにはどうしても違和感を覚えてしまう。子供に「クリスマスってなに?」と尋ねられた時に、日本人の親はちゃんと答えられるのだろうか。
某宗教団体の人たちは、祇園祭やクリスマスの時期にはひっそりとおとなしくしている。自分はその宗教とは縁が無いが、筋を通した態度には敬意を表したい。

東洋趣味のアメリカ人の家に行った時、もしお釈迦さまを描いた掛け軸と鳥居の模型が並んでいたら、どんな言葉をかけるか考えた。  「いやぁ〜〜ハッハッハ、めりーくりすます!!!」

人生論はいらない

巷では、人生をどう生きたらよいのか−とか、人生にどんな意味があるのか−とか、そんな本がたくさん出ている。はたして人生に悩む人の手助けになるのだろうか?別にどうでもよいのだが、自分は人が生きることに意味などないと思っている。死ぬまで、ただ生きるだけだ。宗教大嫌い。

炭水化物

しかし、日本人て炭水化物が好きだなぁ。さすが農耕民族。
焼きそばパンとか餅を入れた力そばとかラーメン・ライスとか、なんでも、関西ではタコ焼き定食とかあるそうな。昔、店でチャーハン+ライスを注文した知人がいたが、驚いた。(チャーハンをおかずに飯を食えるのか…)
考えれば、コロッケをおかずに飯を食う−これも炭水化物の重複だ。あと、高級そば屋で日本酒をやる−これ粋なんだそうだが、そばと日本酒、とても相性が良いとは思えない。なんか変と思うのは自分だけだろうか?あぁ、胸焼けがしてきた…。(↑を読んだWAJINさんから「パンの中におにぎりが入っている“おにぎりパン”もある」とご指摘をうけました。)

イタリア人の朝食はエスプレッソと菓子パンだということは前に書いたが、日本人の自分はというと、納豆にみそ汁、ではない。乾燥わかめの戻したものをたっぷり入れた天ぷらそばどん平衛と、トースターで焼いて、スライスチーズを巻いた餅をよく食べている。あと、飲み物は野菜ジュースとコーヒー。我ながらヒドイ組み合わせと思うが、毎日でも飽きない。お気に入り♪

LP

あるミュージシャンの2枚組LPを買った時に付いていたポスターが部屋に貼ってある。
最初は画鋲で無造作に壁に貼っていた。モノクロのポスターはタバコの煙でセピア色に変色した。そのうち角が痛んできたので、パネルを買ってそこに入れた。CDが主流になって、以前LPで聴いていたものを買い直すことはよくあるが、この2枚組のLPだけは、なぜかCDを買う気になれない。
たとえ、ブロードバンドで簡単にこの音源がPCにDL出来ることになっても、おそらくDLはしないだろう。なぜならLPが似合っているからだ。100年間回転ムラのないカセットデッキ、100年間回転ムラのないレコードプレーヤー。おれは欲しいが、誰も作ってくれない。(たとえあったとしても高くて買えないか…)さぁ、MP3を聴こうっと!クリック。

βHi-Fi

アナログビデオデッキを初めて購入したのは、84年。もちろんβHi-Fiでなんと16万円もした!とにかく、欧米の興味のあるミュージシャンの動く姿を見たかった。市販ソフトは1本1万円以上。でも見たいものは迷わず買っていた。画質の悪い、隠し撮りのライブ・ブートレグもずいぶん集めた。初めてレコードを聴いた時と同じような“ときめき”があり、食い入るように興奮して観ていた。
さて現在だが、DVDにときめかない。観たいものもこれといって見当たらない。こちらの感性が鈍ってしまったのか、ソフトの質が変わってしまったからか。ベータの貴重ビデオは今でも部屋にあるが、テープの劣化が怖くて観ようと思わないし、観たところで、あの頃と同じ感動は味わえないだろう。嗚呼、過ぎ去りし日々…。

ひ弱な日本人

イタリア人のごく一般的な朝食は、濃縮エスプレッソと甘い甘い菓子パンだそうな。
そりゃ、大量のカフェインと大量の糖分を空腹に流し込めば、眠気もスッキリ!頭もスッキリ!仕事への意欲が増すというものだ。しかし、そんなことを日本人が続けていれば、胃粘膜はただれるし、すぐ糖尿病になってしまう。要するに、内臓の強さが我々と全然違うのだ!(薬にしたって、欧米人の規定常用量は我々の比ではない。)
サッカー等のスポーツで、「日本人は身体能力が劣る」などと、良く言われる。どう考えたって日本より貧しそうな国の選手が、日本の選手より体格が良かったりする。これは、持って生まれた内臓の強さに由来するはずだ。

世間

日本には個人と社会の間にもう一つ準拠する集団(幻想)があり、これが「世間」だそうだ。
かつての日本人は「世間」というフィルターを通して個人としての責任を負っており、社会には「世間」を通じてのみ関わりを持ったようだ。
「世間」が持つネガティヴな側面についての解体方法に答えはあるだろうか?そして一方では、ヨーロッパ的個人主義が作りだした【近・現代】が、はたして万能なのだろうか?
楽しいことがないと、こんな答えの出そうもない疑問がわいてくる。

映画

映画を映画館で観なくなって久しいが、ビデオ等でもすっかり観なくなった。
一本観るのに1時間半から2時間は束縛されるわけで、よほど思い入れがないとキツイ。
単純に観た回数がいちばん多いのは、記録映画のStonesの「Let's spend〜」かもしれない。20代の頃、「卒業」を観たのだが、最後バスに飛び乗ったダスティ・ホフマンの不安げな微笑みが大変印象に残った。彼は信念を貫いた事への大きな満足感とともに、なにかを“卒業”した。そしてそれと同時に、これから訪れる“未来”への不安が微妙に交錯したわけだ。
映画って感動して泣いてしまうものを“いちばん好き”と言ってしまいがち?だが、「ダウンバイ・ロー」と「ストレンジャーザンパラダイス」は泣けないけど大好きだ。「ベニスに死す」の主人公の“黒い”汗や金髪の美少年は、作者の箱庭的自己陶酔が垣間見られる。マーラーの5の4が流れるからといって、それに浸ってしまっては足下をすくわれる。友人らしき人物の主人公への批判は、その主人公の心の中で微妙にうごめく二面性の片側を代弁している。

動画は飽きる

音楽モノのソフトはいろいろあるけど、ビデオやDVD(以前はLD)などの音楽モノの動画を何回くらい観るかって考えると、そうたびたびは見ないものだ(まぁ例外は置いておいて)。
飽きがこないのは、やっぱり音だけのCDだったりする。視覚に訴えるものって、確認したところで納得してしまう傾向が往々にしてある。
オレはビデオカメラなど持っていないけど、自分で撮った8ミリをあなたは何回観ましたか?
今時、相当な思い入れが無い限り、録画したテレビ番組を、あとで何回も観たりする人がどれだけいるのだろうか?やたら録画機能が充実したものがあるようだけど、誰もありがたがっていないんじゃないか?プライベートな画像は、やっぱり写真がイチバン!動画は一回見たら飽きる。でしょ?自分の結婚式を録画したアナタ。

伊丹十三

彼は飛び降り自殺だったな。
なんで?週刊誌にでっちあげ(?)の不倫を記事にされたから−だって?表向きはそうだとしても、実は深い深い裏があるのか?映画とっていたんなら、自分のことをもう少し演出すればよいのに。
以前、岸田秀の「ものぐさ精神分析」の文庫本に彼が寄せた文章に感心したことがあった。バランス感覚を持っている人と思っていた。

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