Diary -May 2002-
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29 May 2002 Wednesday |
七分袖、ってやつがある。長袖でもなく半袖でもなく。もちろんノースリーヴでもなく。微妙な袖丈。そして七分袖はほぼ100%、女の子のために存在する。 中途半端な袖丈には、必ず何らかの意味がある。女の子はそれを着たがり、男の子はそれを見守る。何かを見せようとしているようでもあり、何かを隠そうとしているようでもあり。二律背反的で、存在自体が自己矛盾。露出すると同時に失われる何かが、間違いなくそこにある。 それはふっくらと肉付きの良い二の腕であったり、なだらかな肩甲骨であったり、柔らかな胸やしなやかな腰へとつながる曲線であったり。そうした自然の造形の美しさに見入る時、僕はあっさり造物主の存在を信じそうになってしまう程度に空っぽな生き物になる。 僕はファーストノートの立ちあがりが強過ぎるフレグランスは苦手だけれど、品が良く爽やかな香りは嫌いじゃない。七分袖のトップを脱がせた時にほのかに漂う柑橘系の香りなら、むしろ歓迎だってことに、ぼんやり気付く。 一人でビイルを飲んでいると、ついいろいろなことを考えるね。 *** Lies, lies, lies, yeah。 トンプソン・ツインズのヒット曲の歌詞の如く、僕は今軽くウソをついた。飲んでいたのはビイルじゃなくて、キリンから発売された夏季限定の新発泡酒、ALASKA。ご覧のとおり、爽やかなブルーの缶で、しかもダイヤカットが施されています。缶を開けると、ペキペキ音を立てながら表面に小さなひし形ができて凹み、不思議な手触りに変身。涼しげで粋な仕掛けです。 普段は発泡酒を飲んでいるだけに、週末にかけて美味しいエールやスタウトを飲みながら仲間と話すのは小さいけれど確かな喜び。週末まであと2日、お楽しみは大切に取っておいた方が良いね。 |
27 May 2002 Monday |
ちょっと見ない間にすっかり忘れていましたキム・ハンミちゃん。今ごろ韓国で美味しいキムチでも食べているのかキム・ハンミちゃん。亡命成立と同時にTV画面から消え去ったキム・ハンミちゃん。 とにかく今回の中国の某日本領事館における亡命騒ぎはいろいろ盛り上げてくれました。外務省腐敗が騒がれているこのタイミングで起きたこの事件、田中真○子が仕掛けたのかと勘繰りたいくらい良くできたシナリオ展開。やはり一部始終をビデオ撮影されていた影響は大きかった。繰り返しTV画面に現れる領事館駈け込みシーン。泣きわめく女性を取り押さえる中国の武力警察。カメラに向かって涙ぐむキム・ハンミちゃん。 だが最強のインパクトは日本の副領事の行動がもたらした。これは間違いない。命を張った決死の亡命者が泣き叫んでいるにも関わらず、実にもたもたと画面隅から登場した副領事は、あろうことか地面に落ちていた武力警察の帽子を拾って 「やあ、どうもお疲れさま」 とか言いながら持ち主に歩み寄り、何やってんの?と言わんばかりに地面に押さえつけられた亡命者たちの前に立ちはだかるのです。まさか撮影されているなどとは夢にも思わず。一生の不覚でしょうな。キム・ハンミちゃんの赤い髪飾りが眩しいよ。 印象的だったのは中国側の対応で、これぞ外交交渉!と言いたくなるくらいのタフ・ネゴシエイターぶりでした。最初から一貫してスタンスを変えず、日本側が右往左往するのを見極めるや各種のイタい証拠を並べて揺さぶりにかかる。領事館や大使館の通信は基本的に中国側に傍受されているようですから、要するに相手の手のひらの上で踊っていたわけです。握りつぶすのはわけもないこと。 さて今回のケースはそんなことだったとしても、これをもって一般的に 「中国人は厳しい交渉をする」 というイメージを持つのはいかがなものか。確かに自分もシンガポールなどに出張して各種交渉を行った経験があり、その時の印象は 「信じられないくらい交渉ごとに長けている」 というものでしたが、それですらやはり膨大な華僑のごく一部と接触したに過ぎません。日本人が一人一人異なるように、中国人にもさまざまな人がいる。そんな当たり前のことを忘れさせてしまう危うさが、日常のマスコミ報道には溢れています。 *** オーケー。そこのところをしっかり認識できれば、例えば次のような文化比較にも意味が出てくるというもの。つまりこれはあらゆる例外を捨象して、無理やり抽出した(に違いない)リストです。一応出典は "Congress & Convention" という雑誌の No.75。 中国人は熱いお茶を飲む。日本人は冷たいお茶を好む。 中国人はビールを夏でも温めるが、日本人はいつでも冷たいビールを飲む。 中国人は規律を守らない。日本人は規律正しく、時間を守る。 中国人は話す声がデカイ。ホテルのロビーでワーワーやってるのはたいてい中国人。 日本人は静かで、周りに気をつけている。 中国人には環境意識がない。日本人は環境を大事にしている。 中国人は人情話が好きで、日本人は法律観念が強い。原則は原則だと考える。 中国人は物事を見るときに長い目で対処する。日本人の目線は近い。 中国人の金遣いは荒く、日本人の金遣いは細かい。 中国人の女性は荒っぽくて、日本女性は優しい。 中国人は礼儀、マナーは駄目。日本人は礼儀が正しいけれど、過剰すぎる。 中国人は率直。日本人は遠回しに裏で言う。その場で言わずに後でクレームする。 中国人は欧米人に強い。日本人は欧米人に弱い。 中国人は心が広くて大まか。日本人は心が狭い。 中国人はオプション好き。日本人はあまり好きじゃない。 *** 一見面白い比較だけれど。 冷静によく読んでみましょう。極めて大雑把に分類された性質ですが、ちっとも当てはまらない中国人/日本人もいるでしょう。イギリス人は、とかフランス人は、と言ってみてもやはり同じこと。更には 「女の子ってのは…」 とか 「父親たるもの…」 なんていうのもほとんど意味のないフレーズです。12億の中国人は一人一人異なっていることに意義があり、フランス人も女の子も一人一人違っているからこそ面白い。 キム・ハンミちゃんは、一体どんな女の子に育つのだろう? |
26 May 2002 Sunday |
先日の「ベージュ/米寿」オチはあまりに寒かったので少し反省中。まあ、自分は狙ったオチの文章は書けないってことですね。あれにしたって狙ったつもりはなくて、「最近ベージュ色の魅力を再発見しました」 くらいの内容を書こうとしているうちに、どうにも締まりがなくなったので無理やり駄洒落にしてしまっただけのことです。それでも反響のメイルが1通だけあって嬉しかったので良しとしよう。みんなもっとメイルを書いたりBBSに書き込んだりすると良いよ。 *** マッキントッシュのOSの世界シェアは約3%らしい。どこかで聞いた話なので信憑性のほどは良くわかりません。本格的にクリエイターの仕事をしていて、機材やソフトがマックでなくてはどうしようもないという人ならともかく、テキスト書いたりネットするくらいの人ならOSにこだわる必要はないのかもしれません。ウィンドウズのセキュリティホールについてはあちこちで書かれているので繰り返しませんが、最大シェアを誇る商品が最も優れているというわけでは決してありません。長いものに巻かれる。まあ時と場合によってはそれもアリだとは思いますが。 でもひねくれ者の自分は、「みんなと同じでない」 こと自体に何らかの意義があるんじゃないかという気がしてならない。メインストリームとオルタナティヴ、と言ってもいい。3%のマックOSを使い続けるオルタナティヴが存在することには何らかの意義があるのです。きっと。 *** もう時効だろうから古い話を持ち出すと、僕が学生時代に所属していたESSというサークルがありました。大学1年生と2年生だけで構成されるそのサークルは、年明けくらいの総会で次年度の役員を決定していました。1年生全員が大きな教室に集められ、お互いの様子が見えないよう机に顔を伏せさせられます。そして現行の役員が次年度の役員候補の名前を読み上げ、1年生は賛成・反対・棄権について挙手させられるのです。その様子を周りで見つめるたくさんの2年生たち。どうでしょう。異様な光景だと思いませんか? 異様な(と当時は思えた)ことは他にもありました。つまり、この役員決定投票は実は事前に完全に内部調整と根回しが終了した出来レースだったということです。それまでの活動状況や自分たちへのなつき具合から、2年生会員たちは内々に翌年の役員候補を絞り込んでいきます。然るべきタイミングでシャドウ・キャビネットが内定すると、あとはこれに対抗する勢力をひとつひとつつぶす根回し作業があって、年明けの総会では全員賛成挙手でシャンシャンと終了する。これが美しい流れとされてきたらしい。 今にして思えば、彼らのやっていたことは官僚仕事の最たるもの。流石です。日本的なセンスではこれが手際の良いシャンシャン総会ということになるのでしょう。でもその頃の自分にとっては、この構造が透けて見えた瞬間に大いに萎えてしまい、声をかけていただいていた役員ポストもお断りしてしまいました。今思えばコドモっぽい行動ですね。だけどその時は自分に正直でいたかった。総会の投票? もちろん全項目で 「棄権」 に挙手しました。投票の度に読み上げられる票数は、最後まで 「賛成○○票、棄権1票、よって信任とする」 でした。 *** …上の例はちょっと極端な描写ですし、この場合オルタナティヴたる棄権票には一体何の意味があったのかと問い詰められると、正直答えに詰まります。むしろ仲良しサークルに波を立てた点で非難されるべきものかもしれない。周到に根回しを行った諸先輩方の顔に泥を塗ったのかもしれない。こんなに何年も経ってしまってから、しかも面と向かってではないこの場で小さくゴメンナサイと言ってみたりします。僕が「否」と声を挙げたかった相手は人間としてのあなた方ではなかった。そうではなくて、オルタナティヴを許容しないシステムそのものであり、それに嬉々として従う不特定多数の人々だった。そしてともすればそこに呑み込まれそうになってしまう、自分自身だった。 *** 思えば、昔から 「何になりたいの?」 っていう質問が一番苦手でした。だって答えはいつだって 「何にもなりたくない」 だから。何かになることを強要されると本能的に反発しちゃう。多くの人が嬉々としながら自身を社会的役割の型の中に押し込めていく様には違和感を感じずにいられない。やっぱり壁を構成するただのレンガにはなりたくないし、どうせなるなら真っ白な壁の中でひとつだけ真っ赤なレンガでいたい。いい加減オトナになれよ、って声が聞こえてきそうですけど。でも 「何かになること」 =オトナになることだっていうんなら、僕は死ぬまでオトナになんかなりたくないなあ。ダメ? *** 今日は素晴らしい晴天かと思いきや、夕方には激しい雷雨がありました。雷がゴロゴロと鳴り、土砂降りの雨が叩きつける中作った夕食は、お気に入りの無印良品タイ風グリーンカレー。もちろん野菜たっぷり、シメジダケも入れちゃいます。さらに昨日久しぶりに出かけた渋谷の 「汁べゑ」 で食べきれなかった香草たっぷりの地鶏焼を包んでもらっていたのをほぐし入れ、豚肉も多少加えて出来あがり。例によってかなりスパイシーで、食欲をそそるグリーンカレーになりました。心地良い疲労感に包まれて夕食をとりながら、いろいろなことを考える週末。明日からまた1週間ですね。 |
19 May 2002 Sunday |
無闇に捨てるのも地球に優しくなさそう(←自嘲気味)なので壊れるまでは部屋に置いとく予定のテレビは14インチ、モノラル(ただしビデオを通して音声多重化)、そしてNEC製だったりします。NECって今テレビなんか作ってるんだろうか? 大学に入った時に最初に揃えた家電のひとつで、吉祥寺のロヂャース(ロジャースじゃない。ヂで正解)というディスカウントショップで一番安かった機種を買って帰った記憶あり。大切に使ってるからか、あんまり利用してないからか、今のところ全く故障する気配はありません。 そんなわけでテレビはあるけどあんまり見ない。ニュースをちょっと、映画をいろいろ録画、あとは the beat やTVKの「全米トップ40」のような音楽ものを少し。ついでに好きな海外ドラマも録画。あれれ結構見てるな。でも平日夜に民放のバラエティ番組のようなものを意味もなく流しっぱなしにすることは絶対にありません。むしろ積極的に嫌い。民放の番組はほとんど見たことがない。クイズミリオネアとかいうのも知りません。別に知りたいとも思わないけど。 ところが昨日、長い間知らずにいた番組をついに見てしまいました。それは「料理の鉄人」。いつ頃からやってる番組なのか知りませんが、これまで一度も見たことなくて。昨日見たのも何か特別企画のようなやつで、2002年の料理人グランプリ対決みたいなものでした。ただの料理番組かと思っていたら、妙な実況中継を加え、たくさんのカメラで動きのある映像を撮っていて、狙いはもう少し別のところにあるようでした。出来上がった料理はそれなりに美味しそうでしたが、茶化した雰囲気が自分には合わなかったので、多分もう見ることはないと思う。 もうひとつ、これも最近初めて見たのだけれど、SMAPの草剪 剛くんみたいな人が出てきて韓国語をペラペラしゃべってました。「チョナン・カン」というらしい。あんまり自然なのでそっくりさんだと思い込んでましたが、どうも本物の草剪くんらしい。何かすごくない? 彼って韓国系なのかな? 何か非常にずれたこと言ってるかもしれませんけど、本当にテレビ見ないので全然知らないのです。もし全く韓国にルーツがなくて、この番組のためだけに練習して(といっても多忙で時間もないはず)あれだけしゃべれるんだとしたら、ちょっとビックリする。何年英語を勉強しても全然使いものにならない自分なんかとは大違い。この番組韓国でもオンエアしてるのかな。韓国は昨年プチ旅行してきましたが、もっともっと距離を縮められるといいなーと思います。 *** お昼過ぎからテレビ東京でやっていた映画 『ダーク・ハーフ』 を見ました。スティーヴン・キング原作の映画は結局がっかりすることが多いのですが、これは悪くなかった。ある作家がペンネームで書いていたベストセラー小説がばれて、ペンネームを葬り去ることにしたところそのペンネームが実体化して暴れ出し、主人公に執筆継続を強要する…というホラー/スリラー。主人公が幼少時に畸形嚢腫の手術をして、双子になるべきだった片割れを体内から摘出したエピソードなど、一応の科学的考証もなされてはいますが、要するに小説家(何なら広く芸術家といってもいい)の内面 vs 外面の対決。多少分裂症チックかもしれません。主演は「普通の人々」でアカデミー助演男優賞を受賞したティモシー・ハットンで、なかなかの熱演。主人公役と凶悪殺人犯たるペンネーム役を二役でこなすわけですが、表情からしゃべりグセから全然違うキャラクターを見事に演じ分けます。そして監督にジョージ・A・ロメロ。いわゆる「ゾンビ」シリーズで知られる血しぶきホラー系監督ですが、ここでは比較的地味に映像をまとめてじわじわと盛り上げます。原作を読みながら「これ絶対映像化できないだろうなあ」と思った、スズメの大群が押し寄せるシーンなども、実写とCGの組み合わせなのでしょうが見事に再現しており、かなり迫力がありました。ラストシーンで生きたままスズメの群についばまれ、あっという間に骨にされてしまう強烈な映像はかなりエグかったです。 ところで小説家ではないにしろ、自分も文章を書くのが好きなので多少は感覚が分かるつもりです。つまり調子がいい時には、言葉は上から降ってくる。苦しんで中から絞り出すというより、降ってきた言葉が指先から(鉛筆だったりキーボードだったり)溢れ出す感じなのです。これはスケートの清水 宏保がよく言っていることで、「試合でいいパフォーマンスを発揮できた時は、滑るべき光のラインが見える」というのと同じです。ピアノ演奏家もそうらしく、調子の良い時は次に弾くべき「音」が見えるというのです。単なる聴覚でも視覚でも、指先の手触りでもない、それら全てが渾然一体となった不思議な感覚だと。清水のすごいところは、そうした状態を人為的に作り出せるまでに自らを鍛錬していった点なのですが、筋肉と対話するアスリート清水の内面すなわち筋肉が本人の制御を超えて暴走し始めたらどうなってしまうのだろう。 *** 答えが上から降ってくるはずもなく、考えるのも面倒くさくなってしまったので、大家さんちに家賃を払いに行ったついでに近所を散歩してきました。このあたりの低層住宅地域にもいくつか新しいマンションが建ち始め、あちこちで工事が行われています。しばらく歩くと仙川(地名じゃなくて流れる川の名前)にぶつかります。川沿いの遊歩道にはたくさんの散歩人が。夫婦あり、親子あり、シングルあり。散歩にはちょうどいいコースなのです。川面に目をやると、カモの親子が泳いでいます。今年も生まれたばかりの小さなヒナたちが、流れに逆らって親カモの周りで必死に泳いだり潜ったりしながら。必ず1羽くらいみんなと違う方向に泳いで行っちゃうのがいるんだよねー。親カモはそれでも全員に満遍なく注意を払っています。遊歩道を歩いていくと祖師谷公園に到着。公園はただのだだっ広い野原で、子供たちやその親たちがキャッチボールやサッカーやバドミントンに興じています。 公園や川が近所にあるのは非常に良い。少なくとも自分は大好きです。距離的にはこれくらい離れているほうがいいな。歩いて20分くらい。公園が近過ぎると騒がしかったりするだろうし、虫も多いかもしれないし。川が近過ぎると湿気が多そうだし、溢れるのも不安だし。とまあ全くもって勝手な理由で、好きではあるが家の前が公園だったり家の裏が川だったり、あるいはその両方だったりするのはちょっと遠慮しておくことにしよう。そんなことを考えているうちに家に帰り着く。約1時間くらいのお散歩がちょうどよい感じ。帰り道で居眠りネコ発見。写真のモデルになっていただく。ネコはいつ見ても可愛いね〜。 *** 公園といえば、こんなことがあった。この春僕が愛用していたのはベージュ色のカバーオールで、何に合わせてもちょうど良い上着だったのであちこちに着ていった。もちろん先日祖師谷公園に散歩した時にも着ていたわけで。 ところで僕はベージュ色がそれほど得意ではなかった。子供の頃からどうにも地味な色だと思っていて、どうしてあんな色が存在するんだろうとまで考えていたくらい。ところがご存知のようにベージュは定番カラーのひとつで、特にこの春なんかは大流行。女の子はどの子も皆揃ってベージュのジャケットみたいなのを着ていたっけ。よく考えるとちゃんと理由がある。ベージュは自己主張が強い色ではないから他のアイテムに非常に合わせやすい。ブラックジーンズにもブルーデニムにも相性がいい。ブラウン系でコーディネートしてもいいし、赤や緑のような個性の強い色にもうまく対応する。ある意味オールマイティな色、それがベージュ。今じゃすっかりお気に入りカラーのひとつ。 祖師谷公園のベンチに座ってぼんやりしていた自分の隣に、近所のおじいさんと思しき老人が腰掛けてきた。と思ったら開口一番、おじいちゃんは僕のカバーオールを指差して話しかけてきた。「兄ちゃんその服は何じゃ。薄汚れて。汚いじゃろう」「えっ、これですか? おじいちゃんこれはベージュ色ですよ。もともとこんな色なんですよ」「べーじゅ?」「そう、ベージュです。おじいちゃんには生成りの濃い感じって言った方が分かりやすいかもしれないけど」「ほう、べーじゅねえ…」「そう、ベージュです。これいろんな色に合う便利な色なんですよ。このジーンズにも合ってるでしょう?」 おじいちゃんは左手をあごひげにやり、しばらくいじっていた。「本当じゃのう。汚い色かと思っとったが、なかなか似合っとるようじゃ」「でしょう」「これがべーじゅというのか」「そう、ベージュです」 しばらく遠くを見つめてからおじいちゃんは口を開いた。「人生日々是勉強じゃのう」 「は?」 あっけにとられた僕におじいちゃんは畳み掛けた。「誕生日になる前に "べーじゅ" を学ぶことができたとは… これも何かの縁じゃろうな」「え? 誕生日なんですか?」「そうじゃよ。明日はわしの誕生日じゃ」「そうでしたか… で、おじいちゃん何歳になるんですか」 おじいちゃんは振り向くと眼光鋭くこちらを見やり、唇の端を歪めてニヤリと笑った。 「八十八じゃよ」 |
18 May 2002 Saturday |
今日はもう、徹底的に何も生産的なことをしなかった。洗濯機を2回まわして洗濯ものは干したし(しかし低温・多湿の気候のため快適には乾燥せず)、シャケとたくさんの野菜類を和風に煮込んで鍋ものっぽい料理も作ったけど、これらは生きてりゃ避けられないことばかりで別に特筆すべきことじゃない。でもそうやって考えてみると、そもそもこれまで何か生産的なことをしてきたかどうかはアヤシイ。かなりアヤシイ。 例えば昨日の日記で引用した新聞記事の日付がどうして1週間ばかり前のものなのかというと、要するに新聞をあまりリアルタイムで読んでいないということ。朝刊はカバンに放り込んで家を出るので、通勤電車の中でざっと目を通すけれど、読むのが遅い上に前の席に座っているオヤジがちらちら僕の新聞に目を走らせるのが気になって、なかなか全部読むことはできない。帰りの電車は新宿始発なので座ってゆっくり読めるので、帰宅までにようやくひととおりの記事を読み終える。家には夕刊が届いているわけだが、夕食を作ったりお風呂に入ったりしていると、ゆっくり読む時間がとれないうちに眠くなっちゃう。残業や飲み会で遅く帰ってきた夜はほぼ間違いなく読めない。そうして夕刊が「読めなかった新聞コーナー」に積み上がるのです。昨日の夜は例によって下北沢 Revolver でギネスなど飲んでいた訳ですが、そこで話した友人も夕刊は1週間 or more 遅れで読んでますとのこと。 積み上がった未読新聞を、何にもすることがない週末に、カフェオレやミルクティをたっぷり入れてひとつずつ読み進めるのは楽しみのひとつ。最近だと土曜日版のおまけ「Be!」も当日には読めず、数週間後に読んでたりする始末。こんな贅沢な時間の使い方をする週末が大好き。何時に起きようと、何時に眠ろうと、1日中外で遊ぼうと、1日中引きこもって映画を観ようと、お昼からワインを飲もうと、飲んだら好きなだけお昼寝しようと、起きたら好きなだけ部屋の整理をしようと、何もかも自分の気持ちの赴くまま。誰にも何も言われない、言われたって一切気にしない。 そんな自分だけの時間を過ごすのは確かにかなり贅沢なことですが、最近はちょっとだけ物足りなさを感じることもあります。まだうまく説明できないけれど、この辺の距離感のとり方はなかなか微妙。かなり微妙。 |
17 May 2002 Friday |
以前サイト閉鎖の冗談を口にしたところ、「やめちゃったら朝日新聞がつまらなくなるので続けてください」といった内容のメールをいただいたことがありました。センスのいいコメントだなあと思いつつ、最近の朝日新聞で目に止まった記事からいくつか抜粋してみましょう。 ●アリシア・キーズ インタビュー(5月10日夕刊) 「あるがままの自分がその時々、何を感じたかを表現しているから、プレッシャーとは無縁ね」。とにかく自信に溢れる発言ばかり。超ポジティヴ。却って胡散臭く感じてしまう自分はやっぱりヒネクレちゃってるのかなあ。 自分で嫌いなところはあるか?という質問に対する答えは、「これも私の一部だからどうしようもない、と断っておきますけど(笑)、あのー、足首がちょっと嫌いです。ロングブーツをはきたいんだけど、上までチャックが上がらないんです。でも、ポジティヴな姿勢が自分の好きなところ。常に良い方を見ようとします。状況がかなり悪くてもね」。アドリブなのか用意されたものなのかは不明ながら、ネタと優等生発言を組み合わせて、最後まで100点満点の回答を続けたアリシアちゃんは流石。後日掲載された萩原健太さんのアリシア記事では、彼女がブラックとイタリア系ホワイトの混血であることに注目していました。血も文化も、混ざることによって次のステージに進んでいくような気がします。 ●コンサート 座っちゃダメ?(5月11日朝刊) どうも最近のコンサートは最初から最後まで立ちっぱなしのものが多い。疲れるから座って観たいなあ、というスタンスの記事。自分自身もコンサートは出来るだけ椅子席で座ってじっくり観たいタイプです。一方で、バラードなどで立っていると後ろから「見えないぞ!」と怒鳴られたりして後味が悪いこともあるでしょう。楽しみ方は人それぞれですが、会場全体に妙な「お約束」があったりすると息苦しくて、それが僕をコンサートから遠ざけていたのかもしれません。 ジャニーズ系のツアーでは「座って観る」席が全公演にあるそうですが、中には立って観る人がいたりして「マナー論議」がファンの間でも盛んに行われているとか。お金を払っているのだからどう楽しもうと自分の勝手、という考えは絶対に成り立たないと思います。少なくとも他人にされてイヤな行為を自分がしてはいけない、こんな簡単な原則に立ち返って反省すれば随分変わると思うんですけど… ●ブリトニー・スピアーズ映画「ノット・ア・ガール」広告 「ブリトニー・スピアーズが贈るガールズ青春ムービー決定版!」ということなんですけど、本当に映画鑑賞オフ(+飲み会)やったら観てもいいよって方いらっしゃいますか? 自分的にはダン・エイクロイド先生も出てることだし観る方向なんですけど。正直、10年後を考えた時に「あの頃ハリー・ポッターを観たぜ」より「ノット・ア・ガールを劇場で見たぜ」の方が遥かに強烈なネタになることは間違いありません。ていうか果たしてこんな動機でいいのか。 ●時代を超える異能の集団 ピンク・フロイド(5月11日夕刊) 昨年リリースのベスト盤「エコーズ〜啓示」から、東芝EMIが企画した代々木の野外音楽堂でのフロイドイベント、昨年のストーム・トーガソン来日&展示会、今年3月のロジャー・ウォーターズ来日公演、そして渋谷シネパレスでの「ザ・ウォール」上映といった事象を捉えてまとめたコラム。「フロイドは、さらに時代を超えていく。静謐で、心拍のような有機的サウンド。劇的で狂気をはらんだ内容。こうした音楽自体に、強烈な存在感が宿っているからなのだろう」と締め括られているのだけれど、なんか非常に表層的で薄っぺらい気がして。要約すると、自分のレビュウ類を大いに反省させられました。 ●心の中で枯れない花を(高橋真梨子、5月10日夕刊) たとえ毎日同じ生活の繰り返しである主婦であっても、いつも輝いていたい、枯れない花でありたいという気持ちを持つことが大切だと。彼女53歳なんですよね。でも「自分だけの世界に入らないように、他の人の詞も歌います。自分の中に入っちゃうと何も分からなくなるでしょう? だからいつもできるだけ外から自分を見るように心がけているんです」という彼女はすごく魅力的ですし、言葉に説得力があります。 ●5月16日朝刊の「私の視点」にピアニスト中村紘子が原稿を寄せています。芸術振興について「若手演奏家の夢育てよう」というタイトルで、基本的には賛同できる内容なのですが、やや行き過ぎた表現も見られるようです。例えば、彼女が関わるピアノの国際コンクール審査で、日本の若い演奏家は十分な技術はあるものの「その演奏に言葉で言えば「夢」とでもいおうか、そんな何かが感じられない」というのです。まあ良しとしましょう。「芸術は受け手によって育てられる。演奏家も、聴衆の魂の奥底に語りかける経験を重ねることで成熟する」。自分は演奏家でないので何とも言えませんが、これもまあ良しとしましょう。 ところがこの後で彼女が引き合いに出したのは「その一方では、メディアによる数奇な人生物語の効果で満員札止めの例もあって、若者を苛立たせる」というもの。これはフジ子・ヘミングあたりの現象を暗に指しているものと思われますが、この攻撃はどうだったのかな? そりゃ中村紘子さんはショパンコンクール出身だから、コンクールで健闘した若手がマスコミで有名でないためにコンサートを開くことができない現状に不満をお持ちかもしれませんが、だからといってフジ子・ヘミング(あるいはその他メディア持ち上げ系ヒット)を叩くのが解決につながるとも思いにくくて。若手演奏家の夢を育てるのはきっと大事なんですけど、その前にまず聴き手の夢を育てなくちゃと思ったりもします。村上龍の「希望の国のエクソダス」(祝!文庫化)を引き合いに出すまでもなく、この国には何でもあるが、希望だけがないという現状。週末まであと1日、頑張ります。 |
12 May 2002 Sunday |
昨日は誕生日でした。だからといって何か特別なことが起こるわけでもなく。この歳にもなると、誕生日の意味合いは他の364日とそれほど大きく異なるものではありません。とはいえ何かの縁があって1年に1度の日ですから。少しだけいい気分になっても良いですよね。そこで野菜たっぷりのカレーなどを作って食しました。お祝いのメッセージをくださった皆さん、どうもありがとうございます。 *** むしろ前日の方がイベントチック。渋谷シネパレスにて、映画 『ザ・ウォール』 の鑑賞会企画。ご存知ピンク・フロイドの大ベストセラーアルバムの映画化作品、監督はアラン・パーカーで主演はボブ・ゲルドフ。ブームタウン・ラッツの、というよりバンド・エイド/ライヴ・エイドのと言った方が分かりやすいのかな。鑑賞会は言いだしっぺの Nancy Boy さんに Kyon さんと自分が乗っかる形。会場ではしいなさんにも会うことができました。 数年前に初めてビデオで観た時にはひたすらネガティブな印象だけが残った映画でしたが、今回は比較的落ちついて細部に注意を払って観ることができました。相変わらず 「楽しめました」 と書くには躊躇する映像ながら、あちこちに漂う英国的な薫りを感じることもできたし、先日のロジャー・ウォーターズの来日公演の余韻を呼び覚ますこともできて悪い体験ではなかったです。Nancy さんは 「これじゃ長いプロモビデオみたいですね」 というようなことをおっしゃっていて、正にそのとおりだなあと。つまり歌詞の内容は忠実に映像化されているけれど、それ以上でも以下でもない。その意味では、映像化自体の是非も議論の対象となるでしょう。「壁/Wall」 という概念は本来さまざまな解釈の余地があったわけですが、ロジャー・ウォーターズ自身の心の中の具体的な映像がこうして僕らの目の前に晒されてしまうと、これ以外の解釈が成り立ちにくくなる。ある意味、解釈を限定してしまう効果(プラスともマイナスとも言い切れませんが…)があると思うのです。僕は洋楽のプロモビデオは大好きですが、少なくとも初めてその曲に接するにあたっては、できればラジオなりCDなりで音だけに触れたいタイプです。そうして自分なりのイメージを作ってから、プロモビデオを見てより感動したり、落差にがっかりしたりしたいタイプ。 ロジャー・ウォーターズはしばしばテレビのもたらす害毒を批判して、映画 『ザ・ウォール』 の中でも主人公にホテルの部屋からテレビを投げ捨てさせるシーンを挿入したりしてるくらいだけど、要するに映像がもたらす画一的なイメージの刷り込みとか自由な想像力の剥奪といった弊害は、実はこの映画そのものをも汚染しているのではないかと。ミイラ取りがミイラになってしまったのか、それとも自らミイラを演じてまで僕ら観客にその危険性を訴えようとしているのか(もし本当にそうならスゴイけど)。 まあそれはともかく、ボブ・ゲルドフがこんなエキセントリックな演技をできる人だったことには改めて驚きました。僕らは遡ってこんな風に考えるわけですが、世界中の多くの人々はこの映画でのぶっ壊れたボブ・ゲルドフを先に見ていて強烈な先入観を持っていたに違いなく、そのボブがある日突然 「アフリカを飢餓から救おう!」 とか言ってバンド・エイドを始めちゃった時の衝撃と言ったら筆舌に尽くしがたかったんだろうな、なんてことを考えながら雨の渋谷駅から電車に乗りました。要約すると、誕生日の前夜祭にしてはなかなか悪くないイベントでした。 *** 今日は吉祥寺の隠れた名店 「おっちゃんの台所」 で夕食。秋田県出身のおっちゃんが営む老舗の焼き鳥系居酒屋。前から気になっていたのだけれど、ついに初めて足を踏み入れることに。いろいろ注文してみましたが、噂に違わずどのメニューも実に味わいがあって気に入りました。自家製さつまあげや、よく味の染みた豚の角煮+大根、それにどれも外さない串焼き類…。相当いろいろ食べたような気がしますが、2名で7,000円くらいとお値段もまずまず。もう1回くらい行ってみてもいいかな、と思います。 |
9 May 2002 Thursday |
なんかね、ときどき考えるのです。宇宙のことを。 あまり得意じゃないフレーズに 「地球に優しい〜」 というのがあって。自分も冗談めかして使うこともあるのだけれど、それはむしろ自嘲気味。政治や経済の状況を憂えて「このままでは人類は滅びる」とか何とか言うのも結構なんですけど、よくよく考えてみれば、何もしなくても20億年もすれば太陽は巨大化し、海は干上がり地表は溶けて、地球は必ず滅びるのです。ほぼ間違いなく避けられない事実として。「地球に優しい〜」 なんていう偽善的フレーズに共感しないのは、滅亡が早いか遅いかの違いしかないからなのかな。または掲示板に意見を書いてくださったお方のように、人間のご都合主義や企業の宣伝戦略が見え隠れするからなのかな。実際の僕はいわゆる「地球に優しい系」のアイテムをよく使うし、ゴミも分別して捨てるし、道端にタバコのポイ捨てなどしない(それ以前にタバコは吸わない)のですけれど。 で、宇宙の成り立ちとか仕組みについての本を読んだり、NHKスペシャルを見たりするとしますね。これはもう、圧倒的です。ビッグバンの前がどうたら後がどうたら。生命の誕生がどうたら。星の一生がどうたら。何をどう聞かされても、俄かには信じ難い。百歩譲って本当だとするならば、それはもう「奇跡」と呼ぶ以外ないのではないか。というようなことが積み重なって、今僕らがココニイル。ここにいて音楽を聴いている。ここにいて好きな人のことを想っている。ここにいて笑ったり、涙を流したりしている。 宇宙の仕組みについてサイエンスを究めていくと、あるところでむしろ神(あるいは人間を超える何か)の存在を信じずにはいられなくなるのではないでしょうか。逆説的に聞こえるかもしれません。でも例えば 「コスモス」 のカール・セーガン博士なんかにもそんなフシがありますよね。自分なんかだと身近なところで、ある種の和音が独特の哀愁感情を呼び起こしたり、ある種の変拍子が驚異的にピタリとはまったり、ある種の歌詞の押韻が強烈に耳に残ったり、これら3つがいっぺんに起こったりする音楽を聴いたりすると、神様か何か知らないけど人間の力の及ばない何か不思議な存在を信じたくなってしまうことがあります。 *** ところで春も終わりかと思っていたら寒くなって。もうしばらく春っぽくいさせてくれるのかな。なぜ春が良いかと言いますと「春キャベツ」があるから。 これはもうたまらなく好きなのです。春キャベツの甘い美味しさ。柔らかくて、葉っぱそのものに甘い味がある。刻んでも美味しいし、野菜スープなんかにしちゃっても超美味い。春は他にも、身の締まってない柔らかい春タマネギや、大きくてこれもぶよぶよしてる春ピーマンも好きだし、春ジャガイモも皮が薄くて身が柔らかい感じがする。野菜や果物には季節が如実に表れるので、スーパーでぶらぶら買い物してるだけで何だか楽しくなってきます。 特にタマネギは大好き。血液がサラサラになると言われてるけど、昔から良く食べてるので別に血液を意識したことはありません。血液がサラサラ流れず、血管が詰まりやすくなると本当に健康に良くないので気を付けた方が良いみたいですよ。本当の話。 昨日はNHKの 「ためしてガッテン!」 を見てました。ほとんどの野菜は茹でて冷蔵/冷凍すると長く美味しく食べられるものです。実は生野菜/サラダで食べるのは、ビタミンは破壊されないかもしれないけれど摂取容量的には最も効率が悪い。ホウレンソウやブロッコリーなど、お湯に通しても良いし電子レンジにかけても良いのですが、ニンジンや茹でアスパラガスなどと合わせて温野菜で食べると美味しいものです。特にアスパラにマヨネーズをちょっと付けてガブっと食べるのは何より贅沢なつまみだったりします。野菜の中ではセロリの美味しさに目覚めるのが遅かった方なのですが、今度久しぶりにセロリを入れた薫り高き野菜スープを作ってみようと思いました。 |
8 May 2002 Wednesday |
日記ページ休んでまず何したかって、ビデオで映画観ましたよ。 まず最初に、「スター・ウォーズ ジェダイの復讐(特別編)」。 スター・ウォーズ3部作は本当に愛してる映画なのですが、「ジェダイ」では特に緑の惑星エンドアでのバトル・シークエンスが大好き。毛むくじゃらでチビっこのイウォークたちが帝国軍兵士たちに対して原始的な武器で立ち向かう様子はいつ見ても最高。ほとんど全てのアクションを暗記してるくらい良く見ています。 スター・ウォーズのキャラの中ではランド・カルリシアンが好きなんだよねー。レイ・パーカー・Jr. みたいで。ハン・ソロはもちろんカッコいいけれど、彼には絶対になれないから。ソロを支える親友/ワル仲間として憎めない人懐こさがあります。こういうアフロ・アメリカンの俳優をちゃんとキャスティングして描き込むところも、僕がこのシリーズを信頼している理由のひとつ。マイノリティだろうと何だろうと、ダークサイド/帝国軍に立ち向かうジェダイ/反乱軍でありさえすればフォースが守ってくれる、というこのシンプリシティはある意味たまらなくロック。毛むくじゃらな犬飼うときは迷うことなくチューバッカと名付けたい。そんな女の子がいたっていいと思うんだけどまだ出会ったことないです。出会わない系。 *** 続いては1978年の 「コンボイ」。サム・ペキンパー監督。公開当時僕は8歳ですが、映画豆知識本とか読んでるマセガキだったので監督も作品も良く知ってました。でも観るのはこれが初めて。 この映画は元ネタあり。映画からヒット曲が生まれるというのはよくある話ですが、これはその逆で、C.W.McCall という人の1976年の全米#1ヒット "Convoy" が先にあり、その内容に基づいて作られた映画です。大ヒットとはいえ完全なノベルティで、トラックのCB無線での会話(スラング満載)の切り貼りにちょっとだけコーラスが乗った曲。当時のトラック野郎たちに大ウケして社会現象化したのを受けて、サム・ペキンパーが長いプロモビデオを後から作ったようなもの。要するにアメリカ版トラック野郎的ロードムービー。ヒットから2年後に映画がようやく仕上がるなんて、のんびりした時代だったんだなあと少し遠い目。 例によって70年代映画ならではのちょっとダサ懐かしいファッションとか、ハイウェイ脇の古ぼけたお店の様子とか、そんな光景に釘付け。だいたいこの映画最大の小道具であるところのトラック搭載型CB無線ってのがほとんど歴史的な遺物になりつつあるし。州間ハイウェイをひた走るトラック同士が連絡を取り合う手段なのだけれど、お互い顔も知らない同士が無線でコードネームを名乗りながら次第に集結していく様は、ネット上でのチャットやハンドルネームの在り方に非常に近い感じ。 主演はクリス・クリストファーソンとアリ・マッグロウ。 クリス・クリストファーソンは歌手でもあります。HOT100ヒットとしては73年の "Why Me" の16位が最高ですが、カントリーも含めるとたくさんヒット曲がある人です。僕は彼の主演映画を見るのは初めてかなと思ったのですが、この人予想以上に膨大な数の映画に出ていて、間違いなく他の映画でも見てますね。バーブラ・ストライザンドと共演した 「スター誕生」 のポスターで、上半身裸でバーブラの肩を抱く写真はすごく覚えてます。すごくスリムで、ワイルドなヒゲ面が多分70年代的にはカッコいいキャラ。アリ・マッグロウ(マックグロウという表記もあり)はエキゾチックな容姿が印象的な女優で、出演作は決して多くありませんが、70年の 「ある愛の詩/Love Story」 は自分のオールタイムベスト級に好きな純愛映画だし、72年の 「ゲッタウェイ」 でのマックイーンとの共演も忘れ難い。「コンボイ」 は78年作ということでさすがに顔にシワも目立つしショートヘアも無理してるぽい。冒頭の生太ももシーンがサービスショットっすね。 まあこの映画自体、人間のキャラよりもトラックの車体の方が主演みたいなところがあるのである程度しょうがないっす。特に数十台のトラック/トレイラーが連なってハイウェイを爆走するシーンなんかは無駄にど迫力でカッコいい。小ずるい検挙を繰り返す保安官とのいざかいがFBIを巻き込んだ大衝突に発展。構図はすごく単純で、信用ならない公権力 VS 庶民の怒り。権力と闘う姿を暴力的に描くことに終生こだわったサム・ペキンパー監督らしい分かりやすさです。 ちなみにサム・ペキンパーは個人的にはジュリアン・レノンの 「ヴァロッテ」 のビデオクリップの監督として強烈な印象を残しています。暴力的な映像にこだわり、製作者ともしばしば大げんかしてきた監督ですが、晩年のこのジュリアン・レノン仕事では落ち着いたトーンの実に優しい映像を撮っていますよね。この後間もなく亡くなってしまいました。 それはそうとして、僕はこの 「コンボイ」 の単純さはこれでアリだと思ったので勧善懲悪ストーリィを思いきり楽しんだけれど、コアなファンは話が見えすぎてつまらないと思うかもしれませんね。いいじゃんか。70年代映画はそれだけで最高なんだよ。ある意味すごーく「ロック」の精神に溢れる映画。オーイエー。 何だかロックな映画ばかり観てるような気がしてきた。 |
6 May 2002 Monday |
明日からしばらく更新をお休みします。 早ければ次の週末ぐらいから、毎週末くらいに何か書いていければと考えていますが、ひょっとすると再開までもう少し時間がかかるかもしれませんし、更新間隔も開くかもしれません。「いわゆる日記」 的な日常の書き込みはBBSの方で相変わらずやってますので、ぜひそちらをご覧ください。インタラクティブに日記とレスポンスが行き交ういい感じになればいいなと思ってます。 ただ、日記ページそのものを閉鎖したり削除したりはしないことにしました。日記コンテンツもあるよ、という旗は降ろさないことにします。直接の理由は今日たまたま見つけたアイバさんちでのサイト紹介コメントです。彼が5月6日付けのテキストで書いているとおり、文面は必ずしも完全リスペクトを意味してるわけじゃないんだよね。リンク先ページの良いところを一生懸命探してくれた結果なわけで。ただアイバさんは本当にこの手のサイトコメントの神に近い達人なので、自分如きはあっさりくすぐられます。「音楽コラムと同じくらい重要なのが日記である」 なーんて書かれてしまっては、旗を降ろすわけにいかない。実際旗を降ろしたくもないしね。アイバさんへの感謝と、アイバさんの紹介コメントを読んで 「じゃあ行ってみようかな」 とクリックしてくださる/くださった方々へのリスペクトの意味でも、時間の空いた時にときどき更新していきたいと思ってます。しばらくの間は、月刊以上週刊以下くらいのペースで。 最初にサイト作ろうと思った時に、日記ページを設けることはもう決めてました。洋楽系のコラムが多いサイトになることは分かっていたけれど、それだけじゃあまりにもつまらない。世に溢れる洋楽サイトで何がつまんないかって、洋楽のことしか書いてないことです。明けても暮れてもそればっかりなのかよ、と。まあ誰がどんな生き方をしようと全く気になりませんが、自分のサイトもそうするのはいやでした。だって自分は洋楽以外にもあれこれ興味がある。量は少ないけど映画も見るし本も読む。街歩いてても変なものにいろいろ興味を持つ。女の子だって大好きだし、美味しい食べ物や飲み物も大切だし。洋楽なんて自分の趣味のごくごく一側面にしか過ぎなくて、それを取り巻くさまざまな日常も併せて伝えていきたいなあと。オチは思いつかないけど、幸いどうでもいい文章書くのなら好きだし。そんなわけで、毎日少しずつでも更新できるコンテンツがあった方が訪問者の方にとって良かろう、それで僕という人間の内面が多少なりとも見えてくれば、洋楽コンテンツの読み方もまた深くなるかもしれない、くらいのつもりで始めた Diary コーナーでした。(ちなみにこの意図を極めて正確に理解してくださっていた daboy さんには驚きました。) *** でもあれですね。休止するとなると急に書きたいネタがたくさん出てくるから困ったもの。試験前日の夜に限ってマンガを10数巻一気に読みたくなるのにかなり似ている。とりあえず、いつか書こうと思いながら書き出せずにいたことからいきます。それはこのウェブサイトのコンテンツ案内。何で今まで説明して来なかったのかってなぐらいのもんで。 というより、説明しなくても分かりやすいような構造を心がけたつもりです。トップページのデザイン(というほど大層なものじゃないんですけど)から行くと、ロゴがあってカウンターがあって Newsflash があります。ページ左側にはメニューがあって、MUSIC、DIARY、BBS、LINKS などに飛べるようになっている。一応簡単な説明も書いてあります。ページ右側にはアメリカとイギリスのチャートサイトへのリンク(ロゴ)と、その週のチャートに関する簡単なコラム。これは結構時間かけて作ってました。コラム自体もネタ集めたりして時間がかかるのですが、利用価値を高めようと文中のアーティストのオフィシャルサイトにリンクを張る作業をしていたら、要領悪いのかすごく面倒くさくなっちゃって。実際に利用されてるかどうかさっぱりわからないので、ちょっと辛い作業だったかも。このコラム自体はかなりページの下まで伸びてましたが、左側のメニュー自体は1画面に収まる程度にレイアウトしたつもり。読みたい人だけスクロールすればよい作りでした。 Newsflash は、スタートした頃に何でもいいからトップページに毎日更新される部分がなくちゃ、と思って作りました。本格的なニュースサイトにする気はなかったし、いちいちニュースの対訳作ってる時間もない。じゃあ見出しだけにしちゃえ。本当に興味がある人はこのニュースを探しにビルボード・オンラインなり調べるだろう、くらいのつもりで。出所わかんない人がBBSで質問してくれればいいきっかけになるかも、という下心もありました。 メインコンテンツになっている MUSIC は予定より更新が大幅に遅れています。これも日記更新に時間を取られすぎたせいかもしれません。軸はいくつかあって、まずどのサイトにもあるCDレビューは普通のものにするつもりはありませんでした。部屋にあるものだけで2000枚近いCDを、どこからどうやってレビューしていけばよいか。新しい音もどんどん増えるだろうし。そこで、他のサイトでは無視されているかほとんど取り上げられていない、ベスト盤+ライヴ盤(+サントラ+オムニバス)に特化したCDレビューをしようと考えて。幸いベスト盤は大好きで、山のように所有してるだけにネタは豊富だと思ったわけですが、これが思ったより時間のかかる作業で、毎晩日記など書いてるようではとても手が回りませんでした。ベスト盤は初心者からマニアックなファンまで楽しめる不思議な存在なので、できるだけ充実させてキラーコンテンツにしていきたいと思ってます。次の軸はコラムもので、毎月数本ずつ書く MONTHLY TEXTS と、95年のロンドン生活をまとめた LONDON CALLING の2つから成ります。これも予定よりペースが遅れています。次に、自分の大好きなアルバムと楽曲を紹介する MY ALL TIME FAVOURITES のコーナーがあって。単に紹介するだけでなく、読み物としてもそれなりに楽しめるように作っているつもりですが、その分作成時間のかかるコンテンツになっています。ただこれも日記がなければもっと早期に完成していたかも… 洋楽サイト系日記サイト/日記サイト系洋楽サイト、というあんまり存在しないニッチの市場を狙ったつもりでしたが見事に時間不足に陥ってしまいました。もっと文才があれば、いくつも抱えていても瞬時に書き上げてしまうのかもしれませんが、どうやら自分は少しずつ手直ししながらじっくり文章を書くタイプみたいで。そんなわけで、自分のペースに戻ってこつこつやっていこうかなと思っているところです。 *** 掲示板でさだおさんがおっしゃってくださったように、 >>ってかネットとか個人HPなんてヒマつぶしですし、他人のために更新とか >>そういう風になったらオシマイですとも。適当に気が向いたときにやるのが >>一番楽しいし読んでるほうにとっても面白いものが書けるはず。 まさにそのとおりなんですよね。だから「適当に気が向いたときにやる」お気楽サイトを目指してのんびりといくことにします。これまでお読みいただいた皆様、本当にありがとうございました。ときどき更新しますので、これからもどうかよろしくお願いします。 |
5 May 2002 Sunday |
急に思い出したことがあるので忘れないうちに書いておくことにしよう。 その日僕は吉祥寺の美味しい焼肉屋で、ちょっとばかし豪勢な夕食をとっていた。豪勢といっても、注文するのは「本日半額!」のマークがついたメニューばかり3人前くらいまとめてオーダーするのだ。相棒は焼肉が好きで、僕はしばしば彼女と焼肉を食べに行ったものだった。安い店ばかりだったけれど、美味しいお店が多かった。高いお店は美味しくて当たり前、安くて美味しいお店を探すことこそ面白い。これが相棒と僕の共通の見解。食べものの趣味がほぼ完璧に一致するということはとても貴重なことだ。滅多にないよ。 パートナーを選択するにあたって、食べ物とセックスの趣味が合うかどうかは非常に大切。だから例えば合コンの時には嫌いな食べ物が出ても、笑顔で食べられるようにしておきたい。もし君が例えばシイタケを食べられないとしよう。箸でシイタケをよけるその姿を見れば、シイタケ大好きの彼女は間違いなく幻滅する。「この人と食生活を共にすることはできないわ」、と思う。それはすなわち 「この人とベッドを共にすることはできないわ」 と限りなく同義。ヤリコンであればあるほど、何でもバクバク食ってやる、という雰囲気を飲みの時点から見せておく必要がある。「キャア私も今夜あんな風に食べられちゃうのかしら!」 既に彼女は濡れ濡れ。間違いない。それはそうと、セックスと食べ物の重要性はある程度事実だろう。この2つを効果的に組み合わせた映画に、"9 1/2 WEEKS" (『ナインハーフ』) がある。エイドリアン・ライン監督、ミッキー・ローク&キム・ベイシンガー主演。自分にとってエイドリアンは 『フラッシュダンス』 だしミッキーは 『ランブルフィッシュ』、キムは 『バットマン』 であるからにして、この組み合わせは既に十分に二流だ。食べ物を身体に塗りたくってセックスするシーンが秀逸で、特にミッキーが冷蔵庫から氷を取り出し、目隠ししたキムの身体を氷のかけらで撫で回す場面は多くのカップルによって実験されたという。実際にはシーツがびしょ濡れになってその後のエッチどころではない。食べ物を粗末にするセックスなんぞもっての他だよ。 ていうかー! 何の話だっけ。そうだ吉祥寺で焼肉食べてた話だった。そうすると、僕らの隣の席で食べ始めた初老の男女4人が、大声でああだこうだ激論を交わし始めた。奴ら焼肉食べながら韓国のお酒マッコリをガンガン飲んでるから始末が悪い。声はでかいし、僕と相棒にとっても興味深いネタだったのでついつい聞き耳を立ててしまう。 「おう、あれ戦前だよな」 「あれって何だよ」 「東京ブギウギだよ。笠置シヅ子の」 「戦後に決まってるだろあれは。戦後を象徴する大ヒットじゃねえか」 「バカだなお前は。あれは絶対戦前だよ。俺が覚えてるんだから間違いねえ」 「何覚えてるんだよ」 「いや俺は東京ブギウギ聴きながら意気軒昂として出陣したんだよ。戦争に。間違いねえ」 「そうだったっけかなあ」 「そうだよ。戦前だよ間違いねえ」 「そう言われればそんな気もしてくるなあ。戦後だと思ってたけど」 「飲みが足りないんじゃないか。戦前だって。さあもっと飲もう。お姉さん、マッコリ!」 東京ブギウギを聴きながら戦争に出陣したとおっしゃる貴方、その戦争が太平洋戦争でないことだけは確かです。何故ならば東京ブギウギは、服部良一先生が戦後になって進駐軍のもたらしたブギー・ウギーに影響を受けて、敗戦の挫折と混乱を吹き飛ばすような明るい曲を書こうとしてできたものだから。 僕らの世代だと、ユニコーンの奥田民生がしばしばライヴで歌っていたのを思い出す。いつ聴いても、本当に心ウキウキわくわくしてくるような素晴らしい曲で。子供みたいな表現しか出来なくて泣きたくなるけど、音楽ってやっぱり素晴らしいよね。で、何を言いたかったかというと、要するに音楽の背景とか歴史とかいったゴタクはどうでもよろしい。上のオヤジたちも「東京ブギウギ」が大好きでこんな話をしていたはずで、その点においては僕と相棒と全く違いがなかったということです。音楽が好きな人に悪人はいない。オチもへったくれもないけれど、音楽サイト的にはこれでいいに違いない。たったこれだけの結論を書くのに無駄なテキストを連ねるにも程がある。 *** 明日でひとまず更新休止です。 とにかく今の自分には時間が足りなくて。さらさらと素晴らしい文章を、かっこいいオチ付きで毎日毎日書ける人がネットにたくさんいるのを見ていると、いかに自分が面白い文章を書けないか思い知らされます。仕事が忙しくなってきたこともあり、毎日書くのは少しずつ負担になってきてしまいました。 人生をできるだけシンプルにするのが信条だったのに、サイト運営が重荷になって人生を複雑にしてしまっているようでは本末転倒。人生経験のストック/ネタがたっぷりあって、あとはもう書くだけならいいのですが、自分の場合は技術もストックもない状況なのでもっとたくさん映画も見たいし本も読みたい、音楽も聴きたい。そうするための時間をサイト運営に費やしてしまっていました。要領が悪くて時間の有効活用ができていないだけかもしれませんけど。あと、読み手はもちろん書き手としても飽きないように、頻繁に文体やスタイルを変えながら、敢えて一貫性のないテキストをオムニバス形式で並べてきたつもりですが、どうしても必要以上に自分を良く見せようとする悪癖から逃げられませんでした。痛い系と偽善者日記にだけはすまいと思っていたのに、我ながら残念。要するに今はテンション下がってる時期みたいなので、逆らわずにしばらくお休みにすると言うことです。そのうちテンションが上がって時間に余裕ができてきたらまた書き始めるでしょう。数日おきとか週末だけ更新とかでもいいなあと思い始めています。自分のペースに合わせてやっていけばいいんですよね。とにかくこの1年間は張りきりすぎちゃって。いろんな形で疲れが出てきました。1年くらいサイト運営してるとどうやらそんな時期も訪れるようなので、流れに身を任せて少し落ち着けようと思っています。 トップページで英米ヒットチャートの一言コメントを書いていますが、実はあれも非常に時間を要しています。しかも英+米なので週に2回も。残念ながらあちらもしばらくお休みさせてください。ゴメンナサイ。その代わり、チャートネタも含めて今後はBBSで積極的に展開していく予定。常に掲示板が賑わっているサイトを目指して方向転換しますのでよろしくお願いします。 |
4 May 2002 Saturday |
もうオールはやめようと思ってたのにー。 ていうか、物理的にダメなんですよ自分。徹夜って。翌日が間違いなくカレンダーから消滅する。今の自分にとっては「時間」より貴重な財産はないので、翌日酔いつぶれる or 眠って過ごすようなことだけは避けたいのです。翌日だけじゃなくて、身体のリズムを取り戻すのに数日間かかってるような気がする。イヤな話だけど、歳とったんだよねー。20代半ばくらいまでだったら朝帰りも全然余裕だったのに。別に昨夜〜今朝の飲み(ていうか店で寝てたけど)が無駄だったっていうんじゃないよ。むしろ俺自身が行きたかったわけで。要するに自分の体力が落ちてる。 で、新宿から始発の京王線に乗って仙川に向かうも、あっさり寝過ごして調布まで行ってしまう。よく思うんだけど、朝帰りの電車で寝過ごしてしまって、ホームを移って逆方向の電車待ってる時間ほど長く感じるものはないよ。長いにも程がある。朝日はどんどんまぶしくなるし。こっちは眠くて頭ガンガンに痛いし。つれえ。 何とか部屋に辿り着き、着替えてベッドにもぐり込む。シャッター下ろして暗黒の中で3時間。これ自分だけかもしれないけど、極度にアルコールが入ってる時はぴったり3時間で目が覚める。身体は休養を欲してるんだけど、どうしても神経が緊張してるみたいで。目が覚めちゃうともう眠れない。アルコールは抜けてないし、すごく眠いのに目だけは冴えていくんですよね。というわけで、もうしょうがないと諦めて眠らないことに。といってもPC画面見てたら吐きそうなのでコンテンツ作成なんかできるはずもなく、とりあえず録画しておいたビデオなど消化することに。 昨日放送された海外ドラマ「2人はお年ごろ」。開始から3話か4話めだけど、こなれてきたねー。オルセン姉妹やっぱり可愛いわ。アメリカの高校って、必ず廊下にロッカーがあるじゃないすか。あれが意味もなくカッコいい。授業の合い間にロッカーで教科書とか出してるところに好きな彼とか通りかかって会話が始まったりするパターン、みたいな。相変わらず眠れない。次は映画。昨夜やってたもののうち「スター・ウォーズ」はもう10回以上見てるので録画せず。特別編だけど劇場まで観に行ったくらいだしね。で何を録画したかというと、レスリー・ニールセンの「裸の銃を持つ逃亡者」。もうくだらねーパロディ連発。実はレスリー・ニールセンはものすごく好きな俳優のひとりで、オリジナルの "The Naked Gun" シリーズをはじめ、この手のパロディものは機会があれば大抵見てる。この作品についていうと、全体としてのレベルは決して高くないかもしれないけど、5秒に1回ペースで次々に繰り出されるギャグのネタ作るだけでマジ偉いと思っちゃうので無条件に合格。笑わせてもらいました。 次に見たのが、借り物(といっても半年くらい前から)の洋楽ライヴもの。去年11月にNHK-BSで一挙放送した Queen / Radiohead / U2 のライヴ特集で。こういうのはまとめて見なくちゃいかんと思ってて、病気で倒れるとかそんな日に見ようと思ってるうちに今日まで来てしまっていた。貸してもらってることはすごく認識してます。ちゃんと返すから安心してね。このビデオについては、例えばさだおさんのページの日記でも12月9日付けで触れられているんだけど、自分は多少受け取り方が違ったみたい。まず Queen は、ウェンブリーでのライヴも然ることながら、前半を占めたフレディ・マーキュリーのドキュメンタリー(BBC制作だったかな?)がマジ良かった。フレディの家族友人関係者その他膨大な人々へのインタビューや当時の映像などを編集したもので、すごく分かりやすくて生々しかったのです。ちょっと鼻についたのは解説で呼ばれてた東郷かおる子さんの偉そうなしゃべり。確かに日本洋楽界の重鎮のひとりなのは分かるけどさ、ちょっと違うでしょーみたいなノリで。ここで小林克哉さんだったりすると謙虚さが全然違う。ひいき目で見てるかなあ? 続く Radiohead のパリでのライヴに、言葉を失ってしまいました。"KID A" と "AMNESIAC" というここ2作からの演奏だったのだけれど、Radiohead はやっぱり生で演奏するとスゴすぎるね。さだおさんはちゃんとした日本ツアーを見てるから別の印象を持ってるんだろうけど、僕はこの2作に関してはまったくスタジオ録音盤のみのお付き合いだったので、まさかあんな形でほとんど完璧に再現するライヴをやるとは思わなかった。ブラス隊を入れてみたり、音響系フィードバック音を鳴らしまくったり。タイプは全然違うけど、アメリカに TOOL がいる一方でUKにはレディオヘッドがいるんだなあとか思っちゃった。どちらも基本的にものすごく演奏能力が高くて思索的なバンドなんだけど、なぜかすごい数のファンを抱えていて。作品ごとにどんどん次のレベルに達していく真のプログレッシヴネスみたいなところも近いものを感じます。とか何とかいうゴタクは本当はどうでもよくって、"Knives Out" や "Pyramid Song" に心の深いところ鷲づかみにされてガシガシ揺さぶられてしまった自分はなんかベッドの中でめちゃくちゃ泣いてしまったっす。このバンドについてはいろいろな思い出があって、そういうのが沸き上がってくると一気に涙腺のストッパー外れちゃう。僕はさだおさんとはちょっと違ってて涙もアリだと思ってて。さすがに人前で毎日泣くことはないけど、時には涙腺開放しちゃってもいいような気がする。"Knives Out" マジやられた。もうダメ。Dream Theater の "Space-Dye Vest" 並みに封印しちゃうかもしれない。SDV はもう5年くらい聴いてないな。今でも頭の中でほとんど完全に再現できるけど、CDかけたら自分が普通に壊れる。 で最後がU2の昨年の "ELEVATION" ツアー。なんか同じことばっかり書いてるような気もしますが、これもマジすごいよ。80年代からの洋楽リスナーにとってU2が持つ重みって特別なものがある。特に昨今のU2の立ち位置というか、存在感のスゴさはちょっと次元が違う。ライヴも記録的な動員数を誇ってきたわけなのだけれど、このボストンでのセットを見ると確かに圧倒的。でも何といっても彼らの肝はメンバー間の絆の固さだよね。ライヴ見る度に思うけど、本当に4人は「家族」だなあと。脱退や交代が絶対に考えられない究極の4人。Larry Mullen, Jr. はこの15年くらい歳とってないような気がするんだけどどうなってるのか。アダムもエッジもいい意味で変わんないし、ボノは変わったと思うけど貫禄つく方向に変わったわけで。ほんといい感じに歳とってるよU2は。最新作の "ALL THAT YOU CAN'T LEAVE BEHIND" はまだ聴いたことないんだけど、このライヴで見る限り普通にいい曲が揃ってるみたいで。後半に向けて昔の曲を演奏し始めるんだけど、これがまた単なるノスタルジーになってなくて、今のU2をちゃんと反映した感じになっててすごく良い。"I Will Follow" とか "Sunday Bloody Sunday" やってるの見てまた泣ける。"Bad" で "♪ Wide awake 〜" って絶叫するところなんかもうダメ。こっちが壊れる。昔の曲の中でかなり違ったバージョンに成長してたのは "Bullet The Blue Sky"。「ヨシュア・ツリー」の中でもヘヴィなこの曲は、2001年時点では更に異様なまでにヘヴィに進化していて、例の "One hundred, two hundred..." とボノが叫ぶ場面なんか鳥肌もの。ライヴ映えする曲なんだよねー。ただ、"With Or Without You" で女の子をステージに上げて寝転がって歌う演出は正直いかがなものかと思ったけど。全体にカメラワークも素晴らしくて、大物バンドのアリーナツアー記録、としてかなり良くできた映像でした。長い間ビデオ貸してくれてる人に心から感謝してお返しすることにしよう。 そんなことしてるうちに夜だ。もう、今日は一体なんだったのか。 いや自分が悪いんですけど。 *** 最後にお知らせ。Diary のページはゴールデンウィークが明けたらしばらく更新休止します。いろいろ考えてみたのだけど、どうやらちょっとお休みが必要みたいです。閉鎖することも考えましたが、過去ログはとりあえず見られる形で置いておこうと思います。 今後は日常ネタを含めBBSへの書き込みに移行してみます。日記兼BBSみたいな形で。皆さんのますます大量の書き込みをお待ちしています。 |
3 May 2002 Friday |
じゃ、紅茶話とカルディ話にいこうか。4月30日の続き。 紅茶なんぞというものは別に Fortnum & Mason であったり Whittard であったり Fauchon であったりする必要などないのです。私見によれば、スーパーにたくさん積んであるティーバッグで十分。むしろそっちの方が美味しいくらい。もっともこれはイギリスでのお話です。 僕の住んでいた町には TESCO というスーパーがありました。日用品は全てそこで買う。食材から文房具からお酒からCD・本のベストセラーから宝くじ(ロト)まで何でもそこで揃っちゃうのです。海外に行くとスーパーマーケットに入っていろいろな商品の棚を眺めながらブラブラするのが大好き。変わったお菓子やシャンプーや歯磨き粉や野菜などを見ながら、何時間でもつぶせます。TESCO もそんなお店で、白地に青と赤のロゴマークはとても懐かしい想い出。同じデザインのプライベートブランド商品もたくさん展開していました。TESCO オリジナルのヨーグルト、オレンジジュース、スナック菓子、etc.。 そんな中に TESCO の紅茶ティーバッグもあったっけ。もうひとつ安価なブランドでお気に入りだったのは Typhoo という紅茶でしたが、いずれにせよそのどちらかをしばしば購入して部屋で飲んでました。この手の安めのティーバッグの特徴は、Lipton やなんかのあれと違って糸なんかついていないってことです。バッグのみ。四角いものばかりでなく、丸かったりもします。これを無造作にカップ(もしくはティーポット)に放り込んで、水道水を沸かしたお湯を注ぐ。これだけ。自分の場合は水道水で十分、むしろミネラルウォーターなんかより美味しかった。お湯を沸かす電気ポットは極めてポピュラーなアイテムで、ホテルの部屋などにもほぼ必ず置いてあるもの。石灰分が析出して固まってたりしますが、多分あれが紅茶の美味しさを引き出していると思われる(勝手な想像)のでちっとも気になりません。 カップやポットの中に沈んでいる(糸がついてないからね)ティーバッグを、スプーンで押しつけて絞り出すようにして、最後はすくい出してポイ。ミルクを先に入れる派と後に入れる派が神学論争を続けているようだけれど、要するにミルクが入ってりゃいい。イギリスの濃い牛乳は、まさに紅茶に合わせるための神様の贈り物。ミルクティと、ビスケットがあれば何も要らない。クリームがたっぷりついてたり、チョコがコーティングされてるようなダイジェスティブ/ビスケットも、ミルクティと一緒だと不思議ともたれないのです。紅茶がまずあって、それに合わせて最適なお菓子が開発されたんじゃないかと疑いたくなるくらい。 書きながら、長い間忘れていたリラックスの仕方をちょっとだけ思い出しました。 またしてもカルディ話に辿り着かなかった。続く…のか? *** GW後半まず最初はいきなりオフ会。共通点はみんな激しく洋楽好きということだけ、しかも野郎だけ11人なんて、マジありえない。飲み⇒カラオケの展開は別に普通かもしれないけど、例えば日常生活上 "Bohemian Rhapsody" を部屋全員で大合唱しちゃったり、Eminem の "Stan" を完コピしちゃったりする人たちがいる機会なんて滅多にないでしょう? 参加してくれたのは、けいさん、se2さん、たいようさん、小川ボさん、まこっつさん、しのけんさん、けーすけさん、Dinosaur Sr. さん、さだおさん、しまけんさん、+自分。例によって純粋に楽しいオフでした。ホントにどうもありがとう。 嬉しかったので、オールタイム・フェイヴァリッツをちょっと更新してみた。 |
2 May 2002 Thursday |
今日も1日ダラダラ生きちまったぜ。オーイエー。 分かる人だけ分かってくれれば良いのですが、再開されていてとても嬉しく思いました。日記を独りで書くかWEBで公開するかの違いは、「ココニイル」ということを他者に伝えるかどうかだけだと思いますが、その差はあまりにも大きい。そこにいることを静かに確認しつつ、僕もココニイルことを静かに伝えていこうと思います。 今日は本当にいい天気でした。ゴールデンウィークらしく、空気がとても澄んでいて。西新宿29階の窓から、富士山が微かに見えました。よほど都心の車が減ったらしい。僕は遠くを眺めるのが好きで、暇さえあればぼんやり景色や建物を眺めていることが多いです。こんな日はぶらりと散歩に行きたいものですね。自分のスピードであちこちの通りを歩きながら。まだ歩いたことのない道を、いろいろ観察しながら歩いていきたいなあ。 *** 全ての人は幸せになる権利を持っている。おっしゃるとおり。でも問題は、幸せの定義が人それぞれ異なってるということなんですね。ある人にとっては美味しいビイルを飲みながら楽しく語らうことであり、ある人にとってはオパーイであったりセクースであったりケコーンであったりする。例えば真のビイル好きはビイルの海に溺れそうになりながらぷかぷか浮かんでる状態が幸せなのかなあ。 こないだ夢を見ていたら夢の中にバクが出てきた。バクは夢を食べると言われているわけですが、これって上の「真のビイル好き」状態にカナリ近いような気がします。目が覚めたらちょっと幸せになりました。 |
1 May 2002 Wednesday |
下半身露出系のキャリア官僚が逮捕されたりしてとても黄金週間らしい。長期の休みは徹底的にハメを外せ。まだあと半分くらい残ってるのに、みんな大丈夫か。 今日はNHKで午後9時15分から糸井重里がキャスターで「スローライフで行こう」という番組をやっていた。テーマは散歩の楽しみ方、ゲストは羽生善治+川原亜矢子。川原亜矢子の容姿には相変わらず圧倒される。決して幸福な生い立ちの人ではないが、一見そう感じさせない気品のようなものを持っていて。立ち姿やウォーキングスタイルはやっぱりすごい。しゃべらせると(あれれ?)と思わせたりもするけれど。それはそうと自分も散歩好きなので、英国で「お金をかけない楽しみ」として散歩が愛されている様子が紹介される画面に、つい嬉しくなって見入ってしまった。最初に斜陽を経験した先進国であるイギリスで、散歩が趣味の範疇を超えて文化の域にまで達しているという事実は示唆的だ。スローライフ大好き。 オールタイム・フェイヴァリッツや、ロジャー・ウォーターズ公演レビュウを書いてみました。多少スランプ脱出。いつもどうもありがとう。 |
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