Roger Waters @ 東京国際フォーラム
3月31日(日曜日)、ロジャー・ウォーターズの東京最終公演を観てきました。 ロジャー・ウォーターズといえば、ピンク・フロイドの創始者にして頭脳であり、綿密に練り上げられた各アルバムのコンセプトは彼なしには有り得なかった、なーんて話をここで延々と書くのは野暮というものですね。今回のツアーについては、あまりに出来が良過ぎて弟子と呼ぶのがはばかられる程の Olias 先生が詳細な考察をなさっているのでみんな読むと良いよ。 主要な論点は上記の Olias 氏レビュウで分析され尽くしているので、僕は大いにミーハー的な見地から簡単にこのライヴの感想文を書いてみたいと思います。 既に99年〜2000年にかけて全米で大成功を収めた "IN THE FLESH" ツアーの極東レッグ。長いことコンサートを行わなかったロジャーが久々に本格的な世界ツアーに出て、しかもソロ作のみならずピンク・フロイドのマテリアルをたっぷり演奏するということで、ものすごく期待して会場に出かけたわけですが。結論から言うと、¥9,000というチケット代はちっとも高くなかった。値段以上のモノを見せてもらった、という意味ではむしろ安かったといっていいでしょう。何かこう、ムダに凄かったというか。2部構成で約3時間、今どきこれほど贅沢に時間と空間と映像を用いるコンサートにはなかなか出会えません。 まず第一に、めちゃくちゃ音響の良いコンサートだったということ。 ピンク・フロイドのアルバムの特徴のひとつは、サウンドエフェクト/効果音の多用でした。決して超絶技巧を誇る演奏家集団ではありませんでしたが、その分レコードでの音作りには偏執狂的にこだわりました。それをコンサートという場でいかに再現するのか。答えは、360度音がぐるぐる回るサラウンドシステム。曲間をつなぐSEやセリフ、狂人の笑い声などが、右へ左へ前へ後ろへ自在に動き回る超立体的音場。こればかりは体験してもらわないと分からないとは思いますが、気持ち悪いほどリアルに動く効果音に、思わずあたりを見回す人が何人もいました。各楽器の音の分離の良さも、あのサイズのホールにしては特筆に価するものだったと思います。 第二に、音の良さに加えてバックバンドの演奏の良さ。 今回のツアーはロジャーと付き合いの長いプレイヤーを中心に、かなりの腕利きを揃えたバンドで回っています。2002年の世界ツアー基本メンバーは以下のとおり。 Andy Fairweather-Low (guitar), Snowy White (guitar), Chester Kamen (guitar and vocals), Graham Broad (drums), Harry Waters (keyboards), Andy Wallace (keyboards), Norbert Stachel (saxophone), Katie Kissoon (vocals), Linda Lewis (vocals), PP Arnold (vocals)。 どうです。豪華でしょう。Andy Fairweather-Low や Katie Kissoon はエリック・クラプトンにもつながる古い人脈だし、Snowy White はフロイドファンにはお馴染みのサポートギタリストです。PP Arnold が来るのは知っていたので楽しみにしていましたが、女性コーラス隊右端に小柄な Linda Lewis が本当に来ているのを見た時にはびっくり。彼女だけ声がひばりさえずり系なので、隣の2人の豪快な喉とは対照的でしたが…。小さな会場なら単体でもお客さんを呼べるようなプレイヤーたちが集結して、しかも実に的確な演奏/コーラスでサポートして。こんなバンドに恵まれたら幸せだろうなあ、と思わずにはいられませんでした。 フロイドの演奏上の特徴のひとつはデイヴ・ギルモアの独特のブルージィなギタートーンですが、Andy Fairweather-Low はものマネ大賞をあげたいくらいにデイヴを忠実に再現していたと思います。Snowy White の方は多少線の細い乾いたトーンではありましたが、ここぞというところではさすがに素晴らしいソロを弾いていました。また、キーボードも大健闘。速いパッセージなど元々ありませんが、雰囲気の演出という意味でリック・ライトの白玉系コードが果たしていた役割は大きなものがありました。それを忠実に再現したことは、地味ながら賞賛に値する仕事だったと言えます。言わんやドラムスをや。87年の "RADIO K.A.O.S." 以来ずっとロジャーをサポートしてきた Graham Broad のリズムは、もはや完全にニック・メイソンのそれと同化していたように感じられました。少なくとも僕は目をつぶってたら聴き分けられないかもしれません。ニックは決して下手なドラマーでありませんが、テクニックではなく独特のタメやチューニングで個性を発揮するタイプでしょう。実はこういう人ほどコピーするのが難しいのではないかと思いますが、どうなんだろう。 とにかく要約すると、このツアーにおいてはバックバンドは自分の色を極力消し去って、フロイドの楽曲をフロイドらしく聴かせることに集中して「世界最強のコピーバンド」になることに意義があった。そしてそれを非常に高い水準でクリアしたと言えます。 第三に、ロジャー・ウォーターズ自身が非常にポジティブであったこと。 そのおかげで、というべきか、今回のツアーコンセプトはかなり理解しやすくなりました。オープニングの "THE WALL" メドレーから、"THE FINAL CUT" ⇒ "ANIMALS" ⇒ "WISH YOU WERE HERE" ⇒ "DARK SIDE OF THE MOON" と遡り、後半部分に "AMUSED TO DEATH" を核とするソロアルバム楽曲を配置したそのコンセプトについては、前述の Olias 氏レビュウで詳述されていますのでぜひお読みください。僕も冒頭、二段構成になっているステージの上段から、観客を指差しながら "In The Flesh" を歌うその立ち姿のカッコよさにすっかり圧倒されてしまって。ベースを構える姿自体が引き締まっていて、すごく絵になるのです。「ベーシスト」としてのロジャーのカッコ良さを認識できたのは大きな収穫だったかも。きっと毎晩同じことを律儀に繰り返しているのであろうアクションやMCを淡々とこなしていくその様子は、まさしくプロのお仕事と呼ぶに相応しいもの。だからこそ、"Perfect Sense Pt.2" でステージ右袖、左袖にそれぞれ歩み寄り、観客を挑発するように腕を振り上げる姿はかなり意外だったかと。決して相好を崩したりするわけではありませんが、生真面目で気難しい人という印象のあった彼が時折見せた笑顔に、何だか妙にホッとしたのでした。 それはひょっとするとロジャー・ウォーターズがポジティブであったからというよりは、観ていた僕自身が心を開いてこのコンサート全体を受け入れていたからかのかもしれない。最近ある人と話してみて、そんな気がしてきました。 では、より細かい部分に関する感想を。 楽曲的に最も印象に残ったのは、実は意外にも "ANIMALS" のシークエンス。特に "Dogs" の緊張感溢れる演奏にはマジでやられました。正直、ライヴ終わってからは "ANIMALS" ばかり繰り返し聴いています。「狂気」や「炎」の影に隠れてやや地味な印象のあるアルバムですが、こんなにも聴き応えのある重いロックだったのかと。17分もある "Dogs" は、やや間延びした大曲、程度の認識だったのですが、生演奏ですっかり打ちのめされました。これでこそライヴでわざわざ演奏する意味があるというものです。確かにデイヴ・ギルモアのギターソロあってこその楽曲ですが、曲中で数回出てくる Andy と Snowy のツインギターフレーズも見事に息が合っていて、狂おしいほどに美しかった… それと、この曲の中間部での演技。ギタリスト3人+ロジャーの演奏パートが終わると、4人はステージ奥に据え付けてあるポーカーテーブルに移動して、なんと酒を酌み交わしながらカードゲームに興じるのです。まったく唐突なこの無駄にゴージャスな演出。思わずオペラグラスで彼らの手札を覗きこんじゃいましたよ(全然見えませんけど)。真実の友などいないこの世界でひたすら演技を続け、相手を騙しては出し抜くビジネスマンの空虚な日々、みたいなものが上手く表現されたシーンだったと思います。否定的な感想をお持ちの方も多いかもしれませんが、全然関係ない曲でピンクの豚が空を飛んでしまうような、どこかの某ピンク・フロイドのコンサートよりはマシな演出だったのではないでしょうか。いずれにせよ僕は "Dogs" の緊迫感に息もつけない程圧倒されてしまっていたので、このまま "Pigs (Three Different Ones)" や "Sheep" までやってくれたりしたら、一番好きなアルバムの座が "ANIMALS" に奪われてしまっていたかもしれません。 ですがしかし、辛うじて近年もっとも好きなアルバムの位置を占めているのは "WISH YOU WERE HERE" なので、"Have A Cigar" を除く全曲の再演は当然嬉しかった! 特に "Shine On You Crazy Diamond" を完全に聴くことが出来たのは感動的。サックスソロもオリジナルのかなり忠実なコピーで、後半でスクリーンに映し出されるシド・バレットの映像と相俟って身震いしそうになりました。「狂ったダイヤモンド」は前半(Part 1-5)はよく演奏されますが、後半部分(Part 6-9)のライヴはあまり聴いたことがありません。個人的には、短いながらも強烈な歌詞を持ち、演奏がどんどんルーズに壊れながらフィナーレに向かうこの Part 6-9 の方が好きです。アルバムタイトル曲の "Wish You Were Here" のオリジナルはデイヴ・ギルモアがリードヴォーカルを取っていますが、この夜はロジャーの声で。これって実はかなり貴重なことなんじゃないのかな。ついでに言うと、「狂気」のシークエンスで "Time" をロジャーが歌ったのも貴重かもしんない。でも実は "Time" で最も衝撃的だったのは他でもない、イントロでカポカポカポ…と鳴っている時計の秒針みたいな音を、ロジャー・ウォーターズがベース弾いて鳴らしていたことだったりします。パーカッションじゃなかったんだねー。 この夜演奏された中で最も古い曲だった "Set The Control For The Heart of The Sun" のサイケデリックで呪術的なサウンドなど、ちっとも古びれていないのに驚きました。今、このステージでアリス・イン・チェインズやゴッドスマックのような近年のヘヴィロック勢に歌わせてもちっとも違和感ないだろうなあ、と思わせる時代超越ぶり。これらに比べれば、"DARK SIDE OF THE MOON" から演奏された各曲なんてまだまだヒヨっ子みたいなもんです。とはいえ、"Brain Damage" 〜 "Eclipse" のメドレーはやっぱり鳥肌モノ。"All that you XXX, all that you YYY, ..." とリストをずらり並べるのはロジャーの作詞における常套手段ですが、その一言一言がぐさぐさと突き刺さってきて。スクリーン上で皆既日食が再現されるギミックには異論があるかもしれませんが、この後に続く本編最後の "Comfortably Numb" の説得力(特にステージ上段でのギターソロ応酬)で全部ねじ伏せたという感じ。ギルモアフロイドの如く "Run Like Hell" につながらなくて良かった、という思いと、その逆の思いとが多少交錯しましたけれど。 ここでアンコールに行く前に。 僕はデイヴ・ギルモアのピンク・フロイドが来日公演した時はまだ地方の高校生で、ライヴを観ることが出来ませんでした。これはそれなりに残念な思い出になっています。だからロジャー・ウォーターズのライヴは絶対に観たかったし、実際、本当に素晴らしいライヴで、これを観なかったら一生後悔したに違いないものであったのは確かです。しかし、僕が Olias さんと決定的に違うのは、「彼こそが Pink Floyd である」 とまではやっぱり思えなかったなーということ。 確かに彼こそがピンク・フロイドの頭脳であった、とは思いましたが、僕にとってのフロイドはやっぱりロジャーだけじゃないんです。僕は決して彼のソロ作の良きリスナーではなかったかもしれませんが、一応はお金を払って購入し、歌詞/コンセプトを読みながら数回は向かい合って聴いたつもりです。ですが、結局どれものめり込めなかった… まあ音楽の相性なんて人それぞれですから別に合わない音楽があっても少しもおかしくないのですが、どうしてロジャーのソロ作が苦手なのかというと、それはメロディが起伏に乏しく、ポップじゃないからではないかと思う。誤解を恐れずに言えば、どれを聴いても 1)アコースティック系で呟くように歌う曲、2)ゴスペル系大合唱+シャウト、のどちらかに聞こえてしまうのです。 もちろんその背後には綿密に練られたロジャーの歌詞/コンセプトがあるわけで、それを読みこんでくれよと言われればそれまでなのですが、これは文学じゃなくて音楽なのだから、たとえ言葉が分からなくても思い切り心を揺さぶる「何か」を期待してしまうのは決して間違ってはいないでしょう? それは、誰がどんなに上手くコピーしようとも、ギルモア本人のギターが鳴った瞬間に全て吹っ飛んでしまうような「何か」。逆に、ギルモアの率いる現在のピンク・フロイドで最も物足りないのは深みのある歌詞であって、彼らのアルバムを何度聴いても薄っぺらい安物のヒューマニズムしか感じることが出来ないのは皮肉なことです。というわけで、ロジャーは「言葉」を紡ぐ頭脳としては絶対に欠くべからざる男ではありますが、ピンク・フロイドの特色でもあった絶妙のポップなメロディを書くためには、(残念ながら)ギルモアも必要だなあと。で、そこまで言っちゃうとリック・ライトもニック・メイソンも欲しいなあと。わがままですみません。 結局、「100人の村(プログレ者たち編)」で自分が書いたとおりになってしまいました。 >>もしロジャー・ウォーターズとデイヴ・ギルモアが共に健在で、そして二人がまだ一緒なら >>それはとても稀なことです でもそれは、このライヴを観たからこそ達し得た結論であって。観て良かったのは間違いない。 実は、「観て良かった」と心から思えたのは、アンコールの "Each Small Candle" を聴いて全身に戦慄が走った時。既に発売されていた今回のツアーのライヴ盤を聴かずに臨んだ僕は、この曲を聴くのは初めてでした。スクリーンに英語の歌詞を全て映写しながら、比較的淡々とロジャーが歌う曲です。 アムネスティ・インターナショナルとタイアップしたこの曲で描かれた情景は、コソボ紛争での一場面。焼け落ちた建物の中で、負傷したアルバニア人の母親が泣き叫ぶ子供を抱いて倒れている。近くを通りかかったセルビア人兵士の隊列。敵対する民族同士の静かな火花が散る中、突然一人の兵士が列を離れ、ライフルを置いて彼女に駆け寄ります。傷を縛って食物を与え、子供をなだめる兵士に、彼女は赦しの言葉をかけます。その後善意の兵士は隊列に戻り、曲がり角で振り返って母子にさよならと手を振って行進していくのです… このストーリィを挟んで語られるロジャーの言葉の重さといったら。 「虐待者も死も怖くない、私が恐れるのは無慈悲で無感動な世界の無関心さだ」 「一本一本の小さなろうそくが、隅の暗がりを照らす」 「何百万ものろうそくの灯が、人々の心の闇を明るく照らしていく…」 僕はこの詩を聴きながら、総毛だっていました。 僕はそれまで、ロジャー・ウォーターズという人は皮肉屋で、厭世家で、人間不信なのではないかと思っていたようです。もちろん "AMUSED TO DEATH" のような作品を作るからには、人類の在り方について人一倍気にかけているに違いないのではありますが、結果としてもはや人間を見放した、醒めた諦観のようなものを感じていました。しかしこの曲は違う。全然違う。圧倒的に、人類に対する希望と期待に満ち溢れている。"♪ Each small candle / Lights a corner of the dark..." と繰り返し歌われたポジティヴなコーラスに、僕は単純にどうしようもなく感動してしまったのです。そして初めて、ソロアーティストとしてのロジャー・ウォーターズの魅力に取り憑かれてしまったのです。 歌い終わると同時に照明が全て落ち、真っ暗闇の中でロジャーが掲げる右手に灯ったライターの炎。場内からは呼応するようにあちこちでライターの火が灯り始めました。今回のツアーでのお約束のベタな演出だったのかもしれません。でもそれすら嫌味を感じることなく、家に帰るまでぞくぞくした気持ちが持続していました。肩の荷を下ろしたソロアーティスト、ロジャー・ウォーターズは思っていたよりずっと分かりやすい人だった。そう感じられたことが、僕にとって最大の収穫であったかもしれません。 (May, 2002) |