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Tokyo, 2003.12.28
text by Yoshiyuki Suzuki
photo by Hidetomo Hirayama

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2003年の9月から10月にかけて、イースタンユースはアメリカ合衆国全土をまわるツアーを敢行した。カーシヴとブラッド・ブラザーズに帯同し、30ヵ所にものぼる全米各地の会場を、メンバー自身が運転するバン1台で長距離移動しながら、連日連夜ステージに立ち続けるという強行軍。過去にUSツアーを行なった日本のバンドが全くいないわけではないが、これだけ本格的な「ロード」に挑戦したのは間違いなく彼らが初めてだろう。しかも旅の中盤を過ぎたところで、ハイウェイを走行中に突如バンの前輪シャフトが折れ、横転した後、真っ逆さまになって数百メートルも滑走するという大事故に遭遇。このタフな経験は、彼らに何をもたらしたのか? あらためて振り返ってみたうえで、さらに現在の心境と新たな年への意気込みを語ってもらった。

「定期的にヒドい目に遭った方がいいと思ってる。ヒドい目イコール充実みたいに俺は捉えているので。やる時は気が重いけど、恐れずにどんどん勢いでやっちゃわないと、固まってきちゃうと思うんでね」

最初に、今回これだけ大規模なアメリカ・ツアーに行くことになった経緯についてお聞きしたいのですが。まず02年にカーシヴとのスプリット作品がリリースされて、その流れで彼らと一緒にUSツアーおよび来日公演を行なう計画だったのが、先方の病気のために急遽中止になってしまったということがありましたよね。

吉野:そう、その時は西からシカゴにかけての行程だったんだけどダメになっちゃって、それをカーシヴの人たちが気にしててくれたわけ。で、彼らも復活してアルバムを出して、でっかいツアーをやるから一緒にしない?って言ってきて。で、「おお、やるやるやる」っつって、やることにしたんです。

結果的に、ずいぶん規模が大きくなりましたよね。

吉野:もう向こうまかせ。これが普通、このぐらいの日程は当たり前みたいですよ。

じゃあ、もうこれが当然な感じでスケジュールが出てきて?

吉野:そっちのペースに合わせますよっつったら、こんなになっちゃった。これでも半分くらいしか参加してないからね。(イースタンユースが共同ツアーを離れてからも)この先またびっちりやってるから、彼らは。

で、日本に来て帰ってからまだ続ける、と。

吉野:そう。戻ってすぐまたやるって言ってたから。

イースタンにとっては、連日連夜20回以上っていうのは、過去さすがに経験ないことですよね。

吉野:ないですね。毎日だったもんね。

でも、それをやってみようと思わせたものは?

吉野:……いや、なんか……冒険心ですよ(笑)。どうせやるんだったら、現地の人と同じペースでやった方がいいだろうと思って。ヤツらができるなら俺らにもできるはずだと思ってね。

他のお二方はどうですか?

二宮:いや、もう、面白そうだなと思って。「任せますから」って言って、この日程を出されて、もう、ええ〜っていう場合じゃなくって、で、まぁ、やりますよっつって。

吉野:さすがにスケジュールきっちり出て、それから先どうこうはできんからね。だから考えないようにしてたもん、あんまり(笑)。

二宮:まぁ、キツいだろうなと思うよりも、むしろやってみたら面白いんじゃないかなっていう方が勝ってましたね。あらかじめ「このぐらいのペースになるかもしれないよ」みたいな話は聞いてたんで、覚悟はしてましたし。

田森:やっぱり、スケジュールを渡された時はびっくりしましたね。こんなに連チャンやったこともないですし、まるまる一ヵ月じゃないですか。だから、ずいぶん長いなあ、って。行ったことないところばっかだし。そりゃキツいなぁとは思いましたけど、レコーディングと違って、ちょっと気分的に楽な部分もあったんで、行く前はすごい楽しみでした。行ったら行ったで、予想以上に楽しかったですけどね(笑)。

最初はシカゴから入って……要するに東側の北の方から周り始めた感じですよね?

吉野:中西部ですね。

このツアー序盤はメンバー3人にスタッフ1人の計4人だけでやってたんですよね。

吉野:そうそう、平山さんと俺たち3人だけだったから。ここまでが俺、最高にキツかった。帰りたかったもんね。この後みんなと合流してから、なんかツツーっと抜けたけど、それまでは1日1日すっげぇ苦しかったなぁ……もう街の名前見るだけでムカっと来るもんね。

特にバッファローは「魔の地」と呼ばれてるそうですけども。

吉野:ピークだね、俺はここが。クソは流れねぇしさ。楽屋の便所に戸はねぇし、めちゃめちゃだったな(笑)。

戸はない上に流れないんですか(笑)。

吉野:アコーディオンカーテンみたいのがあって、出番ギリギリにどうしようかなと思ったんだけど、ダメだやっぱりしとこうと思って、したのが悪かったんだよねぇ。水の溜まりが異常に遅かったわけ。そしてもう探しに来るしさ。どこ行ったどこ行ったってなってて。ヤベーもう流れねぇから頼むわ次の人流して、と思って。で、出たんだけど機材はブッ壊れるし、客はどっちらけだしさ。マイッタナと思ったな、あれは。

それは災難でしたね。ちなみに今回、機材はどれくらい持っていけたんですか?

吉野:俺は自分で持てる分だから、ギターとエフェクター1本ずつ。後で長森さん(マネージャー氏)にもう1本持って来てもらって。みんなそんなもんじゃないか? 手で持てるやつ。

二宮:アンプは、安いボロっちいのを向こうで1つ買ってあって、もう置いてあるんですよ。こっちから持って行くのは無理ですし、レンタルするよりは全然安いですから。

吉野:安い。レコーディングにも使ったしね。

なるほど。ではベースを?

二宮:そうですね。俺はベースを持っていって、それぐらいですよね。

田森さんの場合は、ドラムセットはもちろん全部は持っていけないですよね。

田森:前回レコーディングの時に、向こうで購入してもらったんですよ。レンタルするのと購入するの、あんまり変わんないですからね。こんなにツアーまわるっつのも分かんなかったから、購入しててよかったです。

じゃあ、スティックを持っていったぐらい?

田森:そうですね。スティックと、スネアとペダルを持ってって。あとシンバルか。それがいちばん重たくって。帰りは軽くなってましたけどね、割れちゃって(笑)。

移動する時の車の運転はスタッフの方と交代で?

吉野:平山さんが最初やってたんだけど、やっぱちょっと慣れてないっちゅうせいもあって、ほとんどお前(田森)が運転してたな。

田森:まぁ成り行き上そういう風になって、地図見てもらいながら……。運転、好きな方じゃないんですけどね。でもまぁ、慣れてったら……会場会場こなしてったら、道の感じもだいたい読めてきて、スムーズにいくようになった。まぁ、フリーウェイ乗ってても、でっかい看板であっち行けこっち行けっていう感じだったから。後は信号あるワケでもないし。ただやっぱり、ツアー始まる前から車の故障がつきもんだったんで。ひとつ直って安心したなと思ったら、今度はアレが壊れたコレが壊れたっていうのが結構ありましたね。

二宮:俺らが入る前からもう、アレだったんですよね。平山さんがロスからシカゴに持って来る時に、1度タイヤがバーストしてるから。

田森:その余計な心配があったからかえって、疲れちゃうっていうか。

確か、車が故障して動かなくなってしまって、ボストンには深夜に着いたんでしたっけ?

吉野:あ、そうそうそう、パーツ変えたんだよな、ファンべルトんとこの……コンプレッサだ。コンプレッサがブッ壊れて、けっこう高かったんだよね。それで、もう大丈夫だなんつって……大丈夫じゃなかったよな。

田森:それもあったし、今度はあそこ直してもらおうとか、そんなんばっかりで、車で変な神経ばっかり使っちゃって。距離が短いからすぐ着いて楽だっていう時に、なんか変な臭いして来たり、ガタガタ震えて来たりね。それがなきゃ、もっと楽なツアーになったんだけど。なんせポンコツだったからね。どっかでどうにかなるのかな、とは思ってたんだけど。

吉野:ポンコツだったな、アレなぁ。

田森:全部直した、なんつって、やっぱり暑いからちょっとエアコンつけたんですよ。そしたら最初は寒いくらいだったのに、一瞬で……

吉野:熱風だもんな。

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