HIPHOPの歴史
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諸説は色々ありますが、HIPHOPは1960年代後半から1970年代のニューヨークで、アフロ・アメリカンやヒスパニック系のコミュニティによって行われていたブロックパーティーから生まれた文化だと言われています。
アフロアメリカンとはアフリカ系アメリカ人のことで、いわゆるアメリカ黒人のことです。19世紀半ばの南北戦争以前にアフリカからアメリカに強制連行されてきた黒人奴隷の子孫を指すものです。
ヒスパニックとは、メキシコやプエルトリコ、キューバなど中南米のスペイン語圏諸国からアメリカに渡って来た移民とその子孫を指すものです。また、先祖が旧メキシコ領に住んでいて、米墨戦争(べいぼくせんそう:1846年〜1848年に行われたアメリカとメキシコの間で起こった戦争)によって居住地がアメリカ合衆国に組み込まれたために、アメリカに移民したつもりは無いのにアメリカに住むハメになった人達もいました。
現在はアメリカの人口の約13〜14%(4000万人以上)を占めており、アメリカ最大の少数民族でもあります。
アフロアメリカンは現在も続く黒人差別から来る貧困などの苦悩が続き、またヒスパニックは英語で十分なコミュニケーションが取れないという事実からくる社会摩擦に悩まされていました。そんな世の中においてこのブロックパーティーなどは娯楽のいっかんとして広く彼らに親しまれたと思われます。
HIPHOPはブレイクビーツ思想の強いクール・ハーク、スクラッチ技術の流布者であるグランドマスター・フラッシュ、そしてゴッドファーザー・オブ・ヒップホップことアフリカ・バンバータの3大DJを大柱とし、コミュニティーのパーティーを超えた音楽のジャンルとして幅広く広がっていきました。
HIPHOPはスタイルや曲調などから時代によって区別されるようになり、1970年代〜1980年代初期をオールドスクールと呼び、それ以降をニュースクールと呼ぶようになっています。ちなみにミドルスクールとは日本独自の呼び方でオールドスクールとニュースクールを繋ぐ部分を指す言葉です。
オールドスクールはゴールドアクセサリーを身に付けアディダスのジャージやスニーカーを愛用するスタイルが良く見られました。ニュースクールはシルバーカラーのアクセサリーにサイズの大きな服を着こなすスタイルが良く見られます。
HIPHOPの歴史としてアメリカの1980年代のHIPHOP東西抗争は避けられません。 ノトーリアス・B.I.G.率いるバッドボーイ(イースト・コースト)と2PACやスヌープ・ドッグが所属するデス・ロウ・レーベル(ウエスト・コースト)の抗争が代表的なものとして有名です。このように両海岸のアーティスト達はお互いを牽制、威嚇、卑下し合い、それはラップのリリックにも見られるようになり、襲撃や発砲事件にまで発展しました。
HIPHOP史上最悪と呼ばれたこの東西抗争は、2PAC、 ノトーリアス・B.I.G.という両海岸を代表するMCを銃襲撃事件で失う結果を招いてしまいます。