WEEKLY CLIP BACK

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  1. 価格
  2. 声質
  3. エコー
  4. 雑誌

価格

sep.30.2002

CDの価格が高いという話しが出ると一方で値段が変わっていないという反論があります。比較されるのはUSAからの輸入盤。2002年では新譜でもほぼ2倍の差があります。もちろん同じものではないのですが、あちらがこれで出来るのにという素朴が疑問は起ります。かつては市場規模の違い、という理由を挙げていたのですが、日本でもメガヒットが連発された時代には説得力がなくなりました。たまに1枚のCDを作るために掛かる値段の内訳のようなものが出ることがあるのですが、大抵の場合3000円という設定価格を振り分けただけのもので、コスト計算をされたものではなく説得力がありません。各社によって事情も違うしカラーもあるのに別に暴利を貪っているわけでないのならもう少しクリアにしたほうが理解を得られるのにとは思いますけどね。

1972年頃のLPは2000円。歌謡曲ですと1700円から。The Beatlesも2000円にモノラル盤(日本編集のMeet the Beatlesなど)が1700円。実は輸入盤はこの頃から競争力を持ってきます。年表(^^;的ですが1971年8月にUSAがドル防衛策を発表。1$=\360 が基準レート 1$=\308になります。つまりこれ以前は輸入盤は高いもので新譜であるとか(たしか知人がポール・マッカートニーの「ラム」の新譜を5000円で買ったとか、そんな時代)日本未発売である場合に買うものだったんですね。

LPの素材である塩化ビニールも1960年台は酢酸から作る方式(水俣に大きな工場がありました)から石油化学製品へと大きくシフトする時代です。工場の廃液が原因と正式に認められた1968年にシフトは完了します。製造コストも大きく下がります

物価の変化を通常のものでは詰まらないのでコンサイス英和辞典の歴史をリンクしてみます。辞書の後ろのほうに載っている物です。無論価格を決めるのはライバルの辞書やシェア出版事情などもあるのですが、それほど世間からかけ離れはしないと思います。以下ちょっと抜書き

  1. 1959.01.10 1,328p 480円
  2. 1966.01.01 1,344p 650円
  3. 1970.01.01 1,344p 880円
  4. 1975.09.15 1,376p 2,200円
  5. 1985.03.20 1,376p 2,300円
  6. 2001.11.15 1,632 3,2000円

1960年台でもかなり値段は上がっているのですがこの1970年台最初の5年は高騰という感じですね。逆にそれからの10年、丁度バブルの直前ですけど、安定しています。1975年の設定が高すぎたのかな。ところでこの1970年の最初の5年には田中角栄の「日本列島改造論」に起因する地上げによるインフレ、オイル・ショックによる石油関連商品の価格のアップがありました。それにしても結構凄いなぁ

そうしてこのオイルショック後LPは2200円にアップ。今度は亜美さんのアルバムの価格を

当時は当たり前のように思っていましたが今のCD価格の安定を見るとインフレですね。なおかつこの後1980年に入ると2800円時代になります。一方で対ドルに関しては1973年に変動相場制に移行、1977年には1$-\250を割り、1978年には1$-\180(かつての倍)になります。$10ものが3000円から1800円になるわけです。年末年始(シスコ、メロディ・ハウスなど)や新学期(ディスクロードとか)には輸入盤のバーゲンセールなんてありました。通常でも2000円位だったものが新譜でも1700円位、セールになると1500円程度、これにカットアウト盤(ジャケットの角などを切り落としてある-在庫処分)が1000円割っていたり。洋楽の日本盤は価格設定を押さえてはいましたがまあ競争力は弱くなる一方。

CDはこのLPの2800円を元に高めの価格設定で3400~3600円といったところから始めます。3200円という時代も結構長かったのですが、シェアの拡大とともに3000円まで落ちてきて止まります。収録時間もかなり長くなり、現在の消費税込みの3000円というのは実質的にはかなり下がっているわけです。無論CD盤の製造コストも大量生産で下がっているでしょう。ただインパクトはありませんね。かつてUSA盤の値段の安さをマーケット規模の違いと切り捨てた以上1990年代のメガヒット連発(ほんとに売れてたのかどうかはともかく)した時代に大きく価格を(2000円台前半位まで)変更していればとは思います。別に皆がやることはなくて1社でも行えば随分違うんですけど。結果的にあの「説明」はなんだったの?ということになってしまい新たな「説明」にも説得力がなくなります。もっともUSAがこの手の場合にワリと整合性を持って理由付けするのはモラルが高いのではなくて突っ込みが厳しいからですけど。

声質

sep.26.2002

歌が上手いとは言うけれど実際に色々な要素がありますね。渡辺真知子さんは尾崎亜美さんが歌が上手いからと評した歌手の一人。基礎的な部分はともかく魅力は音色が高音から低音までほとんど変わらず全体に力強い。別に声を張らなくてもトルクがあるというのかな。レンジも多分亜美さんよりは広いのでその辺りも羨望の声を上げられていたことがありました。

もっとも音色が変らないことはアクセントがつけにくいということでもあります。面白いのは兄弟姉妹でもこう言った特性というのも存在します。ブライアン、カールのウィルソン兄弟もかなり違うのですが、日本でも例えば岩崎姉妹も随分違います。岩崎宏美姉は大変美しい高音があります。高音域で語り掛けるように歌う曲は透明感のある美しさを感じます。それに比して中音域から特に低音域はなんというかイガラッポイというのか微妙に不響和な感覚を個人的には受けます。一方岩崎良美妹は特別な高音は無い代わりに低域から高域まで音色がほとんど変わらずなおかつトルクがあるというのか力強さを感じます。良い悪いということではないのですが本人の雰囲気よりもこういった違いのほうが楽曲の合う合わないが出てくるようにも思います

声質という意味では尾崎亜美さんは結構コンプレックスを持っていたようです。小学生の頃コーラスで声が合わないということからピアノを担当していたという話しもされていました。「PRISMY」の頃でも自分の声はなんとなく生々しくて漸く素直に-加工せずに使えるようになってきたと言ってましたから。多分この辺の事情で曲によって何種類かの声を変えるキッカケになったように思いますね。もっともジョン・レノンも自分の声は嫌で発言権の無かった初期(が実は非常に魅力的なのだが)を別にすれば常に何らかの(アビーロードの発明品など)加工を施していましたね

ただ亜美さんのあのハスキーな声はWell-made pop の「初恋の通り雨」や「マイ・ピュア・レディ」にちょっとメランコリックな感じをプラスしているんですね。それがまた曲の色褪せない魅力の一つのようにも思います。

エコー

sep.18.2002

金井夕子の「パステル・ラヴ」を購入したのは、ステージで生を聞いたせいだと思います。どうも時期があやふやですが1978.10頃(アヤフヤ)だと思うのですが、亜美さんのコンサートでステージに呼ばれて歌ったのではなかったかな。カラオケかバンドの演奏だったかもハッキリしませんが。このときの印象はとても良くて曲のみならず歌もよい出来(少なくともデビュー以来ある程度歌っていたでしょうから)でシングルが欲しくなりました。ところが実際レコードを聞くとかなりガッカリしました。なんというかトンネルが歌っているというのか声は遠く全体にコーティングされたような音で生との違いに驚きました。

歌謡曲(この少し前までのシングルのレーベルには「流行歌」なんて書かれていた)とニューミュージックはやはり違うなぁと改めて感じましたね。この年にリリースされた南沙織の「春の予感」も若干化粧されている感じがして違和感がありました。木目の細かい肌をそのまま見せるのかそれともファンデーションで埋めてしまってツルンとしたコーティングしたさまを見せるのか、そんな違いをに感じました。(まだ、ナチュラル・メイクなんて流行っていませんでしたけど)

もっとも歌謡曲でも各社各様で東芝は薄く、CBS SONY(現SME)は担当によって変わっていたようです。山口百恵の作品では最初と最後では大きく変わっていますから。音のバランスも様様ですがリズムが浅いというか平板なものもありました。また同じニューミュージックといってもフォーク出身であると歌とバックの関係が独特で、なんというか歌が前!という感じでしたね。たまたまフォークギターで始めた井上陽水のアルバムもビートルズ的であっても良い作品でも(例えばGood Good BYE)リズム隊が浅かったり、もう少し後のCrazy Love(ビートルズの10年前の作品 OH! Darling のフレイバーを感じる)も本家とはかなりの違いがあります。それとも狙いだったのかな。

何かの拘りがあるのかと思ってはいたのですが1980年代に入るとこの辺の明確な差は消えてきたので別にそういうものではなかったようです。

結局「パステル・ラヴ」のシングルはあまり聞くことなく、それでいてあの生で聴いた曲の良さは残るんですね。こういう曲を改めてリミックスなんてことは難しいでしょうね

雑誌

sep.06.2002

当時のニューミュージック系の雑誌はGuts(ガッツ-集英社)、新譜ジャーナル(自由国民社)、ヤング・ギター(シンコーミュージック)、これに休刊の時期がわからない両方大体扱っていたライト・ミュージック(ヤマハ)など。季刊でギター・ライフ(自由国民社)というものもありました。洋楽系ではミュージック・ライフ(シンコーミュージック)、音楽選科、ニューミュージック・マガジン(現・ミュージック・マガジン-といってももうこの誌名のほうが長い)、ロッキン・f、プレイヤー、ロッキン・オンなど。もう一つ割とニュースを含めて扱われていたのが以前も書きましたがFM誌。

ヤング・ギターは現在Young Guitarとしてギタリスト専門誌になっていますが、当時はフォークからの流れで日本物中心の雑誌でした。基本的にフォーク・ニューミュージック系の雑誌の特徴としては誌面の半分くらいがギター譜。これがないと話にならないというくらいところ狭し掲載されています(現在(2002)だとヤマハのGo! Go! GUITARが近いかな)。傾向としてはGutsが巻頭カラーも含めて比較的ニューミュージック系の対談などもあったり。もっとも尾崎亜美さんはそんなに出てなかったような(^^;というかニューミュージック系の雑誌、あんまり買ってなかったから。

ということで取り敢えず1979年1月号の新譜ジャーナル。特集が新しいスーパースター千春の感動のメロディ。カバーが世良、巻頭グラビアがカラー松山、ツイスト、こうせつ。4ページ。以降モノクロ。ちょっと変わった特集が所ジョージの替え歌集「忘年会・新年会オール・ヒット集」。無論シモネタ。後半のヒットソング集にタモリ、赤塚不二夫との競演写真が1枚。最初の記事が'78トップシンガーにインタビュー。一年を振りかえるり来年の抱負を語る。一応新年号なんですけどね(^^;女性が渡辺真知子、男性が堀内孝雄、トップ・グループがオフ・コース。一人辺り、大体2ページ。今時のロング・インタビューとは随分と違います。つぎが田村 信のちゃっぷまん対談、ゲスト尾崎亜美。「みぎゃー!もぐらとブヒブヒ亜美」4ページ。田村氏はギャグマンガ家(って説明不要?)「プリズミィ」リリースに一応は合わせているんでしょうがその話しはほとんどなし(^^;
続いて「テレビ歌番組インサイド・ルポ4 NTV系コッキー・ポップ」レポーター高桐唯詩。高桐さんこういうレポートも書かれていました。

この後ギター講座や楽譜が出てきます。後半に今月のレコードガイド-すいせん盤が渡辺真知子・フォグ・ランプ。あとは1ページに5枚上に3枚縦割りで邦楽、下2段に洋楽。松任谷由美「流線型'80」鈴木茂「テレスコープ」竹内まりや「ビギニング」吉田美奈子「愛は思うまま」小林泉美&フライング・ミミ・バンド「シーフライト」他。洋楽ではビリー・ジェエル「52nd Street」、チープ・トリック「at Budokan」などなど。ラストのグラビア(モノクロ)に「また彩度を増した亜美の世界 尾崎亜美」として10月2日(記事では1日になっている)のコンサート写真。ついでに記事では12月14日にサンプラザで鈴木茂とジョイント・コンサートとまた間違っていたりして(^^;1ページ。この次に「レディース・ミュージシャンクローズ・アップ」として竹内まりや、榊原尚美(日暮)杏里(今ごろ-25年後に知ったけど当時のバックはキャンディーズのバック・グループだったんだ(^^;)、堀川まゆみ。榊原さん以外は新人クローズ・アップというところかな。

なんというかイマドキのカラー当たり前でアップ写真が延々続くものや、ロング・インタビューといったものとは別世界。またアイドルの世界とは隔絶(^^;していたというのか、モー娘。とTETSU69混在ということはありませんでした。まあたまに歌が特別上手いといった注釈付ではアイドルを扱うことはありましたけど。なんにしてもこの当時の雑誌はある意味手作りな悪く言えば垢抜けない貧乏臭さがありました。

あらためて見ると1970年後半はやはり元かぐや姫にアリスに千春になんですね。もう一方がE Yazawa かな。確かにユーミンやチューリップというのあるんだけど時代の音ではなかったように思う。その意味で最近の1970年風の音楽は懐かしさはあるけどその実存在してなかったようなヴァン・ダイク・パークスのソング・サイクルみたないものかな。

もう一つ余計なことですが1975年のguitar life(spring)の鈴木茂さんの短信ニュース。ニューグループ「BUMP」を結成なんてあります。ハックル・バック最初はこういう名前も候補にしていたのかな。

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