WEEKLY CLIP

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  1. All Night Nippon
  2. FM誌
  3. Costume
  4. 絶世の美女
  5. Live Souce
  6. Do the analog
  7. Mind Drops memo

2002

All Night Nippon

may.26.2002

オール・ナイト・ニッポンは現在は LF@R オール・ナイト・ニッポン・コムとなっています。編成は変わっていますが、放送スタイルは思いのほか変わっていません。例えば女性ミュージシャンのaikoの放送と比較してもフォーマット的にはそれほど大きな変化はありません。内容は別にして(特に H系の話しははるかに変わった)

変わったことといえば環境かもしれません。一番大きく変わったのはステレオになったこと(ステレオで聞いている人がどれくらいるかはまた別にして(^^;)1992年の3月からAM でもステレオになりました。またハガキ以外にも投稿をファクシミリで受け付けています。ただ時期は番組によってまちまちで多分90年代半ばあたりから。家庭にファクシミリが整備されてきた時期ですから業務で使っていた感覚からすれば随分遅いというするかせしれません。つぎにメール。これまた結構最近で1998年あたりからはじまり、LF は2000年位からではないでしょうか?

時間軸で言うと「ビートたけしのオール・ナイト・ニッポン」と3年くらいの違い。あちらは関係の書籍もあり、一部には全放送の CD-Rまであると、いろいろ資料もあるのですが。本家のオールナイトニッポン ヒストリーもちょっと違っているようです(ってこっちがメールをするべきなのか(^^;)

流石にインターネットは広く深くパーソリティによってはかなり昔の放送までテキスト化されていて舌を巻きます。といってもそんな真似はとても出来ないため取り合えずこんな感じだった程度のレポートが今回のCLIP です。体調もあるのかこの回は話しがくるくる変わっていて-何時も通り?-結構ゴチャゴチャしていきます。なんだか話し方が故林家三平師のようであったりします。
なお、「話し言葉」をテキスト化した部分の句読点、改行、漢字変換、感じ変換は全てTerpsiphoneの独断であること、お含み置きください

オールナイト・ニッポン 1978.Jan.5 第二部

FM誌

may.21.2002

昨年最後まで残っていた「FM fan」が休刊してFM誌は姿を消しました。オールラウンドな音楽誌はあまりないため果たした役割は大きかった思います。もっとも番組表の呪縛は強く、速報性は劣り、有り難味が薄れてしまい展望が開くなってしまったのでしょう。

FM誌の全盛期といえば実のところ1970年代後半から1980年代中頃まで。ということは本当の多局化時代を迎えた頃から下り坂だったわけです。FM誌に人気があったのは、なんといってもレコードの価格が相対的に高くエア・チェックや試聴する機会を逃したくない人が多かったからでしょう。たよりになるのはアルバム評やAM/FM放送。AMは事前にどんな曲が掛かるかはわかりませんから、FMへの期待?はより高まるわけです。

もちろん原則としては試聴もできます。どうするかといえばレジに頼み、そのあたりにあるプレイヤーで聴きます。ヘッド・フォンがある場合はまだしもなければ店内向けのスピーカーで汗をかきながら(^^;聞くことになります。商品に針を落とすのですからトッカエヒッカエというわけにもいきませんし、結局ほとんど滅多に試聴している人は見かけませんでしたね

今ではちょっと考えられませんが当時は主にNHKですが「軽音楽をあなたに」や「サウンド・オブ・ボップス」といった番組ではアルバム丸々一枚放送されるというケースもありました。FM東京(現 Tokyo FM)でも帯番組でアルバムの曲が特集されているというケースはあったようです。もっともウィークディのゴールデン・タイム(6:30pm-8:00pm)は望星高校講座(;_;)がありましたからね。

そんな環境でのFM誌、クラシックやジャズの割合が多かった FM fan、ニューミュージックに力を入れていた 週刊FM(初期は本当に週刊でしたが74年?あたりから隔週刊)。FMレコパルはうーんどうだったかな(^^;。インタビューや短信ニュース、アルバムレビューや若干のコンサート評、番組と連動した特集などなど。どのジャンルのリスナーもエア・チェクに熱心だった頃でそれだけしっかり読んでいるためFM誌に記事が掲載されると-クラシック・ファンにも名前が知ってもらえるなど-効果は馬鹿にできなかったようであります

Costume

may.12.2002

何気に衣装のせいであぁいう体型に見える、というポリシー(^_^;はあったようです。大胆なものもあったのですが、ちょっとニュアンスが変わってしまうと言うのか、こうなんというのか、フェロモンが出ているという感じになりませんでした。また白いマリーンルック(キャップ付き)などは印象的でしたが、それっきりでしたし。

ある程度固定されたのは78年のシーズン後半から。学園際などでほぼ連日ライヴがあるためだったと思います。最近で言えばハートの衣装-のハートのないような形の藍色のものを使われていました。ホールコンサートでは PRISMY のジャケットそのままの衣装も使われたような気はするのですがはっきりとした記憶はありません。

翌79年の後半は Little Fantasy ツアー。このときはアルバムジャケットのシルバーのコスチューム(個人的にはタイムトラベル服と読んでいましたが、考えてみるとの普通は?タイムトラベラー、専用の服は着ていませんね)で登場しています。シューズはシルバーのロングブーツ。ステージ栄えするし、当然オーダーメイドなので無理がないのもGoodでした

もっともマイナス面もあったようです。なんと言っても吸汗性などは考えていないので結構暑い。それにもともとコスチュームとして作っているので日常的なメンテナンスは考えられていません。つまり洗濯は出来ない。ドライは素材次第では出来そうではあるのですけれど、連日のツアーではその暇もありません。つまり下手をすると夏場のロッカーのジャージのように酸っぱくなる危険があります。MCでは良く拭いて冷蔵庫に保管しているということでした。でも本当のことはご本人しか知らない(^^;

絶世の美女

may.5.2002

絶世の美女になりきって作りましたと曲紹介されていた曲があります。「太陽のひとりごと」は漁港で「センセーション」はニースの海岸で配される美女はカトリーヌ・ドヌーブ。作家的なスタンスで作った曲をしばしばこう紹介していました。異論もありましょうが(^^;イメージはしやすいですね。曲を聴くときのヒントというか入りやすくするというのか。それに映画女優は作品で記憶しています-それ以外の印象は比較的希薄-から、例えばオードリー・ヘップパーンと言っても「ローマの休日」や「マイ・フェア・レディ」の女性をイメージしますので経年変化が起こりにくいですね。

一方、ドメスティックな美女はというと例えば、「さよならを言うために」。この当時MC(テレビのインタビュー)で挙げられたのは山本陽子さん。今となっては(実は当時でも僕はあまりピンは来ていませんでした)一寸分かりにくいのですが、和服も似合う、それでいてちょっと知的な感じもするクールなテレビドラマのヒロインでした。付け加えると(ただ一ちょっと自信はありませんが)可愛いという感じはあまりありませんでした(もっとも年齢的な物があるから高齢の男性から見ればそれなりの可愛さもあったかも(^^;)。それでも美人(ともかく形が綺麗)であることは衆目の一致するところであったし、凛としていながら色香も漂う(そんなもの分かったのかと言われるとまあ何となく・・・)女性でした。もっとも一番の影響は当時のドラマでのイメージですけど。他には大原麗子さんの名前も挙げていたこともあります。ただ結構友人知人から「山本陽子」になりきって曲を作るそうだね、などと言われたましたねからこの「山本陽子」役は印象的だったようです。

実は今回説明するのに今では言えばダレソレと書こうと思ったのですが、どうも思い浮かびません。うーむ。松島菜菜子さんあたりが公約数らしいのですが(別に異議があるわけでは・・・)。他には藤原紀香さん(絶世?(^^;かな)←オイオイ

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