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シンセを主体とした実験的なサウンドは、あなた自身が最近聴いていると書いていたWilliam Basinskiなども連想させますが、ちなみに、往年のエクスペリメンタル系ジャーマン・エレクトロニック・アーティスト、たとえばクラウス・シュルツェとかクラスターの作品とかも聴いてたりしましたか? Alessandro:彼らはキーボード・オリエンテッドなミュージシャンで、僕は必ずしもキーボード・プレイヤーではなかったから、もちろん面白いとは思うけど、個人的にはそういうのより、シンセサイザーとかに特化していると感じさせないエクスペリメンタル・ミュージックが好きだったね。だから、そっち系は詳しくないんだよ。ジャーマンものだったら、今の新しいシーンでは、raster-notonっていうレーベルの大ファンなんだ。『Thing Will Change』のリミックスをしてくれたCarsten Nicolai(※Alva Noto、坂本龍一との共演で知られる)とか、kangding rayとかね。このレーベルが出す作品は何でも好きだよ。 では、故郷イタリアのプログ・ロック・バンドで好きなのはいますか? Alessandro:PFMをちょっと覚えてるぐらいだね。僕は基本的にハード・ロックとヘヴィ・メタルを聴いて育ったんだ。僕の友達がそれしか聞いてなかったからなんだけど(笑)。あとは母がキャット・スティーヴンスとか、ストーンズ、ビートルズなんかを聴いてたくらい。だから僕の家にはエクスペリメンタルな音楽って殆ど無かった。ちなみに、ハード・ロックを聴いてたことは別に恥ずかしいと思ってないよ。エクストリームが再結成して嬉しいし。昔はよくシュレッドでプレイしてたんだよ。 (笑)。 Alessandro:ポール・ギルバートの大ファンだったんだ。彼は素晴らしいギタリストだよ。彼のサイン入りのIbanezをまだ持ってるよ。 あ、ポールが校長のミュージシャンズ・インスティテュートに入学したのは、それが理由だったんですか? Alessandro:そうだよ。でも実際にMIに入ったら、僕が聴き慣れていない音楽がたくさんあることに気づいたんだ。それ以降はギターにはあまりのめりこまなくなってさ。どれだけ多くのスケールやパターンを学んでも、家に帰ったら(演奏の練習よりも)曲作りばかりするようになった。それで自分はギタリストになる人間じゃないんだって悟ったんだよ。ギターが好きじゃなくなったわけではなくて、昔ほどプレイしなくなったんだ。それで、もっと音楽全体に力を入れ始めたんだけど、僕の気持ちの変化を分かってくれる先生にも恵まれていたし、すごくいい経験だったよ。 なるほど。ところで、ブラインドオールドフリークの曲はインストゥルメンタルで、ランニングタイトルとしては番号がふられていることが多いようですが、"WAKE UP"とか"SMILE"とか、最終的にはどんな感じでタイトルを決めるのですか? 時には、先にタイトルが決まっていることもあったりしますか? Alessandro:その番号は作った日付なんだ。でも大抵、日付を書こうとする時点でタイトルを思いついてる場合が多いけどね。曲とヴィデオを作ってる間はタイトルのことはあまり考えてなくて、アルバムとしてまとめる段階になってからどんなタイトルがいいかを考えるよ。 ブラインドオールドフリークの"scared of everything"は、モッドウィールムードの"scared of everyone"という曲と何か関連があったりするのでしょうか? Alessandro:それらは同じバックグラウンドから生まれた曲なんだ。ひとつのアイディアからこの2つの曲に発展したんだよ。“scared of everything”はさっき話したBUCHLA以外の楽器も使って作ったアルバムに入ることになる。ぼぼ出来上がっていて、後は誰かに楽器をプレイしてもらうだけなんだ。インストゥルメンタルだけど、よりオーガニックなアルバムに仕上げたい。『1』の何曲かでやったようにヴォーカルも入れるけど、歌詞のある唄としてじゃなくて、雰囲気として使うよ。 それから、ブラインドオールドフリークとして、この冬にカナダへツアーに行ってきた感想も聞かせてください。 Alessandro:本当に寒かったけど、ナイスだったよ。すごく楽しかった。でも、ブラインドオールドフリークのショウを観客が喜んでくれたことにびっくりしたね。大半はNINのファンだったと思うんだけど、どんな内容か想像もついてない人達ばかりだったはずなのに、みんな本当に気に入ってくれたんだ。そういう(エクスペリメンタル系の)ショウを1度も見たことがなかった人達なのにもかかわらず、楽しんでくれてた。何より僕自身プレイしていてすごく面白かったしね。またやれたらいいなと思うよ。でも今度は夏に(笑)。 (笑)さて、以前に日本のファンに向けて特別なメッセージももらったし、あなた自身にとっては過ぎ去ったことですので、あんまりクドく訊くつもりはないのですが、一応ここでナイン・インチ・ネイルズ脱退を決意するまでの気持ちの動きを、もう少し具体的に振り返ってみてもらえますか? あと1年だけつきあえば、どうせ今年のツアーが終わるとNINは休止なのに、なぜ昨年の暮れという段階で脱退を決断しなければならなかったのでしょう? Alessandro:いくつか理由はあったんだけど、一番の理由は、もう1年ツアーをやったら、自分の音楽や自分が今すべきことをやる時間がなくなると感じたからなんだ。今こそチャレンジするには良い時期だと感じたし、今やらないと歳を取り過ぎてできなくなるって思ったしね。2番目の理由はクリエイティヴ面でのことで、NINはいつだってトレント個人のものだから……『Ghosts』のセッションに僕が参加できたのはすごくラッキーだったけど、でも逆に言うとあれで全部だったんだ。あのアルバム以降は、どんどん自分が参加するパートが減っていくように感じてた。次の『The Slip』には、僕は全く無関係で、何もプレイしていないからね。僕がやったのはアルバム・カバーの腕だけだと思う。もしかしたら『Ghosts』のセッションで作った曲の一部が入っていたりするかもしれないけど、僕にはわからない。一方で、あの当時の僕はレディトロンの作品に関わったり、リミックスを作ったりしていて、スタジオでとてもクリエイティヴになっていたんだ。だからNINではクリエイティヴなプロセスでの参加が物足りなく思えて、自分は単なるセッション・ガイになっている気がしてきてしまったんだよ。ライヴでは参加している実感が持てたけど、最終的には同じことを毎晩やり続けるだけだったからね。トレントは僕に、彼とのスタジオ作業を味わわせてくれて、それは純粋に楽しくて、彼と過ごした中で最高の時間だったけど、それを味わってしまったせいもあるかもしれないな。ただ一緒に作業をしたっていうのは、必ずしも一緒に曲を書いたってことじゃないからさ。もしかしたら「僕がNINで曲を作ったのにお金をもらえなかったからじゃないか?」なんてことを疑う人もいるかもしれないけど、そんな理由ではないんだよ。そんなところから得られるお金なんて、今時たかが知れてるしね。だからそれは違うと言っておくね。むしろ、僕自身がスタジオにいて大きな満足感、クリエイティヴになる実感を得られたからっていうのが理由なんだ。それを感じてしまった後では、また毎晩ただ同じことをやる環境には戻りたくなかったんだよ。だから前に進むには丁度いい時期だって思ったし、いったん決めた後はすごく肩の荷が降りた気分になって、今でも正しい選択をしたって思ってる。 よく分かりました。現在のあなたの創作活動の充実ぶりを見れば、みんな納得すると思います。それでも、元&現NINのメンバーと交流は続いているのでしょうか? 今後また共演したりする可能性は? Alessandro:全員と連絡は取り続けてるよ。トレントとも数日前にメールで話したし。今はガールフレンドがいて、幸せそうだね。今回のツアーを終わらせたら、次の新しいことに取り組むつもりらしいよ。彼はすでに音楽的なステイトメントを確立した人だけれど、これからは新しいフィールドに向かう必要があると感じているんじゃないかと思う。キャリアの節目に立っているんじゃないかな。だから彼が次に何をやるのか楽しみだよ。僕がまたNINと一緒にプレイすることはないと思うけど、でも分からないよね。もしその機会が訪れて都合がつくようなら、ぜひ一緒にやりたいな。すごく楽しかったからさ。 Follow Links:
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