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Tokyo, 2001.2
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation and translation by Ikuko Ono

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2001年2月に行なわれた元ダイナソーJrのJ・マスキス来日公演にベーシストとして同行していたのが、このマイク・ワットだった。彼は80年代からミニットメンの一員として活動し、多くのアーティストからの尊敬を集めるUSパンク・シーンの生きた伝説的存在である。実際に会見したワット氏は陽気に喋りまくるオジさんだったが、同時にその外見とは裏腹に、彼が極めてナイーヴな性格の持ち主であることも痛いほど伝わってきて、なんだか胸がキュンとしてしまった。死の淵から生還した時のエピソードも含め、数多くの貴重な談話を聞けたことは、音楽ジャーナリストとして最高の体験のひとつだったと思う。

「死の床からようやく回復したら、ベースが弾けなくなってた。それでJ・マスキスがリハビリを兼ねたギグを一緒にやってくれたんだ」

Mike:(通訳の鞄に付いているアムネスティのバッジを見て)ああ、オレも会員。もう10年前からね(と言って会員証を見せる)。こっちは組合のカード。American Federation of MusiciansのLocal 47っていう、音楽家の労働組合。組合に入ってるパンクロッカーなんて、信じられねえよな(笑)。

その胸ポケットに差してあるエビ寿司型キーホルダーはどうしたんですか?

Mike:名古屋に住んでる日本人のファンにもらったんだ。ずっと電子メールのやりとりをしてて、ついにこないだ会うことができた。インターネットのおかげで、日本へ来る前から日本人と知り合ってたワケ。すごいことだよな。オレ、自分のウェブサイトを自分で管理してるんだよ。HTMLを自分で書いてね。70年代にコンピューターの職業訓練を受けたんだけど、それからもずっと趣味として続けてきたんだ。インターネットをやってると、パンク・ロックの創世記にファンジンが果たしてた役割を思い出すよ。媒介者が必要ないわけだからね。ローリング・ストーン誌やスピン誌の力を借りずに、ファンと直接関係を結べる。ツアー日記を公開したりもしてるよ。日本ではモデムの繋ぎ方が分からなくて更新してないけどね。でも、このツアー中もたくさん書いてる。マックのiBookを使ってるんだ。スティーブ・ジョブズはどうでもいいけど、ビル・ゲイツが大嫌いなもんでね。独占企業なんて糞食らえだ。ああいうのは悪でしかない。スターバックスもそう。オレはスタッフに飲み物を頼むとき、お願いだからスターバックスにだけはしないでくれって頼んでる。個人経営の小さな喫茶店の方を応援したいんだ。アメリカではいつもそうしてるよ。独占企業と闘うためにね。冷戦は選択の自由を守るためだったはずなのに、とんでもない嘘っぱちだったね。

まったくですね。では、あらためまして、本日はお会いできて光栄です。日本のファンの間では、あなたはほとんど生きながらにして伝説的な存在として語られてきました。たくさん質問させていただこうと思ってますので、どうぞよろしくお願いいたします。

Mike:こちらこそ! これまで日本へ来られなかったことを申し訳なく思ってるよ。

まずはさっそく、初めて来た日本という国について、そして、そこでライヴをやってみた感想を聞かせてください。

Mike:信じられないことばかりだ。ブッ飛んだよ。自分の最初のギグや、ヨーロッパでの初めてのギグを思い出した。D・ブーン(※ワットとともにミニットメンを結成した人物。86年に交通事故で死亡)が初めてステージで歌った時の感覚とかね……。初めて日本へ来たという、それ自体がオレにとっては驚異的なんだ。海外旅行なんてずっと縁がなかったからね。オレはワーキング・クラスの家に生まれた。アメリカは金持ちばかりじゃない。オレみたいなのが外国を訪れるには、こうやって仕事で来るしかない。だから、今はすべてに圧倒されている。脳味噌がスポンジみたいに、何もかも吸収しようとしてるところだよ。このツアーの経験を元に曲を書こうと思ってる。

日本のオーディエンスについてはどうですか?

Mike:都市によって性格が違うようだね。でも、どこへ行ってもすごく集中して聴いてくれた。アメリカは逆なんだ。酒を飲みたい客を前に、その日たまたま演奏してるバンド、っていう雰囲気。日本ではちゃんと、このバンドを選んで観に来た観客を前に演奏してる気がした。オレがギグを観に行く時と同じだ。オレも注意深くバンドを観るからね。名古屋は曲間がとても静かだった。大阪は大歓声だった。大阪って、シカゴやピッツバーグのようにブルーカラーな都市のように感じたな。東京はもっとニューヨークっぽいね。歓声は上がったけど、大阪ほどじゃない。大阪のオーディエンスはアメリカのオーディエンスに近いものがあって、遠慮なく反応してくれた。名古屋はとても冷静。ヨーロッパで言えばベルギーみたいな感じ。貶してるわけじゃなくて、土地による気質の違いだよ。日本人は全員こうだ、と言うのは大間違いなんだな。どんな国でもそうだと思うけど、地域差がある。東京の人たちは国際人っぽい。他の地域よりも多くのバンドを観る機会があって、基準が高いのかも知れない。名古屋なんかでは、それほど多くのバンドを観ていなくて慣れてないのかも知れない。全般に、日本のオーディエンスはちゃんと観てると思う。どんな演奏にも自動的に反応するわけじゃない。でも、他の土地で経験したような不作法はまったくなかったね。たくさん喋りすぎてごめんよ。何が言いたかったかというと……よそ者の疎外感はないんだけど、「彼らがオレのことを知っているほどオレは彼らのことを知らない」っていう感覚なんだ。演奏を始めるまではね。演奏を始めたら距離が縮まった感じがした。客はJの曲は全部知ってたね。オレの曲まで知ってたのには驚いたよ。ストゥージズの曲とか。アメリカのオーディエンスより献身的に音楽が好きなんだなって感じた。アメリカのキッズはあまり昔のことを知らない。ストゥージズなんか知らないし、ミニットメンもファイアーホースも知らない。日本とは大分違うんだ。

東京公演で前座をやったナンバーガールについて、どう思いましたか?

Mike:素晴らしい。もちろん日本語は分からないから、なんて歌ってるのか知ることはできないけど、彼らの音楽はすごく気に入った。彼らのようなバンドは今のアメリカには少ないんだ。パッションを持って演奏できるバンドはね。みんな機械的に演奏してるバンドばかりだ。アメリカにナンバーガールがいれば、喜んで一緒にプレイするよ。とてもエンジョイできた。少しソニック・ユースを思い出すね。自分もパッションを持って演奏したい方だから、親近感を感じたしね。今のアメリカのバンドの多くはマッチョでスポーツ的だ。フットボールの試合みたいなもんだ。ポーズなんか取ってさ。壇上から「オレはここでお前らはずっと下だ。間には深い溝がある」って言ってるようなパフォーマンス。好きになれない。ナンバーガールの場合は昔のいい時代を思い出させたし、オーディエンスとの絆が強いことも感じられた。見かけもオーディエンスと変わらない。観客の中からスッと出てきて演奏してるような風情だった。オレの中ではパンクっていうのはそういうものだ。人々の音楽。ロック・スターとかそういうくだらないもののための音楽じゃない。(インタビュー場所となったレコード会社の会議室を示して)こんなビルの10階の馬鹿デカい会議室とは、本来は無縁のものなんだ(笑)。

(笑)。僕らも13日のショウを見たのですが――

Mike:いやあ、1曲目でアンプが駄目になってしまって、個人的には不満も残るんだけどね。自分で自分が弾いてる音が全然聞こえなかった。でも仕方ないよ。Jが主役なんだから、オレ一人のエゴを通すわけにはいかない。まあ、自分のヨーロッパ・ツアーの時も同じようなことがあって、自分の音が聞こえなかったんだけどね。そういうのは克服しなければならないもんなんだ……今思い出したけど、あの日、ナンバーガールのベースが、ジャームス(※パット・スメアが在籍していたLAパンク・シーンの草分け的存在。ヴォーカルのダービー・クラッシュは80年にオーバードーズで死亡)のTシャツを着てたよね。ダービーが死んだのは20年前だぜ! 当時のハリウッドのシーンなんて、ものすごくちっぽけなものだったのに、なんで20年後の日本人が知ってるんだろう?って不思議でしょうがなかった。本当に感心したよ。

ところで今回の公演では、過去のダイナソーJrの時と比べても、Jがギター・ソロを弾きまくっているのが印象的でした。彼が今回、ギター演奏に重きをおいたライブをやるようになったのは、やはり、あなたという特別なベース・プレイヤーが参加しているという事実を踏まえた結果なのでしょうか?

Mike:うん、そうか。バンドってのは、お互いを引き出すような共同作業をすることに意味があるからね。オレのベース哲学は単純だ。他のみんなをよく見せるために、自分をよく見せなければならない、ってことだ。バスルームの壁のタイルを見る奴もいれば、タイルの間のセメントを見る奴もいる。オレはそのセメントなんだ。バンド内でベストの役目だと思う。自分から望んだ楽器じゃないんだけどね。D・ブーンの母親に、やれって言われてやりはじめたんだ。その通りにして本当によかったと思うよ。で、君の言ってることは当たってると思う。多分、Jはオレに触発されたパフォーマンスを今回してるんだろう。彼は非凡なミュージシャンだ。一般にはどこかレイジーで眠そうな、スラッカー的なイメージがあると思うけど、騙されちゃいけない。恐ろしく頭がいいんだ。話す速度が遅いだけでさ。オレはお袋がイタリア人なんで、こんなによく喋るけど(笑)。とにかく、一緒に組んだ相手に助けられてるっていう面はあるかもしれないけど、オレは前から「こいつには素質がある」と思ってたよ。8歳年上だから、オレは兄貴みたいなもんかもしれない。でも、彼のギターも本当に素晴らしい。それをサポートするようなプレイを心がけてるんだ。

なるほど。

Mike:60年代にクリームってバンドいただろ? ジャック・ブルース、ジンジャー・ベイカー……。オレが一番最初に聴いた音楽はあれだった。ルーツはクリームなんだ。それを自分なりに覚えてから、パンクに出会った。パンクは新しい扉を開けてくれるものだった。でも、基本的にはパンク以前の音楽で育ったんだ。Jと一緒にプレイすると、気分が少年時代に戻るんだ。

Jが60年代のミュージシャンを彷彿させるプレイヤーだからですか?

Mike:ああ。彼はハードコア・パンクで育ってるんだけどね。不思議なことに、昔のミュージシャンのように演奏する。60年代のバンドでは、各ミュージシャンの個性が強く出ていた。誰か一人だけが目立つということはあまりなかった。70年代にはベース・プレイヤーは裏方に回るようになった。パンクの時代になると、またベースもガンガン演奏されるようになった。ギターやドラムに引けを取らないくらいにね。だから、そういう意味で少なくともオレにとっては、パンクはクリームの時代に戻ったようなものだったんだ。もちろん、当時ほどテクニック重視とは言えないけど、バンド内の力学に関して言えば、ベースにも存在感があるというところが、パンクに惹かれた理由だ。オレにはJとプレイすることが自然にできる。変えなければならないことはほとんどない。18年間使ってなかったピックを使うということだけだね。でも、また練習しなおすいい機会になってよかったよ。学ぶのを止めるのは生きるのを止めることだからね。

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