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Los Angeles, 2008. 3. 11
text by Yoshiyuki Suzuki
interpretation and translation by Miho Suzuki
photo by Travis Keller

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 2005年にナイン・インチ・ネイルズのライヴ・メンバーとなり、同年行なわれたサマーソニックのヘッドラインでのショウや、2007年になって実現した単独ツアーで来日して、その奔放なギター・プレイおよびステージ・パフォーマンスでオーディエンスを魅了、一気に日本でもファンを増やしたギタリスト=アーロン・ノース。その後、NINとしての活動に一区切りつけた彼は、ワイヤーズ・オン・ファイヤーというバンドのメンバーでもある旧友のマイケル・シューマンとエヴァン・ワイスに声をかけて新バンド=ジュビリーを始動させ、その記念すべきデビューEP「Rebel Hiss」をリリースした。
 そこで、フル・アルバムの完成に向け、怪気炎をあげる(?)彼らを、バンドと、その所属レーベル=バディヘッドの本拠地でもあるL.A.郊外のスタジオ「シャビー・ロード」へと訪ね、メンバー全員インタビューを敢行。後半にはバディヘッドの共同経営者トラヴィス・ケラーも登場します。
 これから本格的に活動を開始することになるであろうジュビリーを、ぜひぜひ応援してやってください。

「人間のダークな面にこだわってネガティブな空間から表現するタイプのバンドにずっといたから、この新バンドはもっと人生を謳歌するような、どれだけ人生が素晴らしいかを表現できるようなものにしたかったんだ」

今回ジュビリーを結成し、その活動をスタートさせたわけですが、ただのギタリストではなく、自らがヴォーカルをとってフロントに立つバンドをやるという構想はいつ頃から持っていたのでしょうか?

Aaron:俺は以前、イカルス・ラインってバンドで9年くらいプレイしてて、何度か日本にも行ったし、2003年にはサマーソニックにも出演したんだよ。でも連中と一緒に作った最後のアルバムでのプロセスは、俺にとってあまり良いものではなくて、それで他のメンバーとの関係性が崩れてしまったんだ。ずっと友達だったけど、最後にはもう友達じゃなくなっちゃったのさ。それでもう、彼らとは一緒にやりたくなくなってね。で、俺はパンク・ロックを聴いて育ったから、それでギターをプレイし始めたんだけど−−

例えばどんな?

Aaron:このスタジオにも貼ってあるように、15歳の時ベッドルームにこれと同じポスターを貼ってたんだ。ジャームスとか、ブラック・フラッグとか、サークル・ジャークス、バッド・ブレインズ、トータル・ケイオス、ウィアドーズ……そういうパンク・ロックだよ。今でもパンク・ロックは好きなんだ。ただ、イカルス・ラインはパンク・ロック・バンドとしてスタートしたんだけど、時とともに特定の方向性を取りたがるメンバーも出てきてさ。その一方で俺はポップスとかブルーズなんかもよく聴くようになって。そうしてバンドの人間関係が崩壊していく中、自分自身のレコードを作り始めたんだよね。フォーキーな感じのレコードで、フルレングスになるはずだったんだよ。同時にショウもブッキングしたんだけど、俺が初めてやったアコースティック・ライヴは、ワイアーズ・オン・ファイアーと対バンでね。あの時のステージはかなり怖かったな。イカルス・ラインでは、レディングとかリーズみたいなフェスティバルとか、12,000人ぐらい集まるような場所でも演ってたのに、いきなり40人ほどしかいない会場でプレイしなきゃいけなくなったわけだし、ラウドなドラムやギターの陰に隠れることもできないからね。その後イカルス・ラインとは完全に別れて、俺は自分のレコードを作り続けてたんだけど、数週間ほどして「ナイン・インチ・ネイルズのギタリストにならないか?」っていうオファーが来たんで、そのレコードはいったん棚上げにしなきゃいけなくなった。俺は、ナイン・インチ・ネイルズでの活動は2週間ぐらい……長くても2ヵ月ぐらいだろうとふんでたんだけど、結局3年間みっちりツアーし続けることになってさ。でも、その間ずっと曲のアイディアはたくさん出てきてたし、ラウドで攻撃的なロック・ミュージックとは違う、もっとソング・オリエンテッドな音楽をやり始めたいっていう思いも持ち続けていたんだよ。それがジュビリーの最初の着想で、その時にはまだジュビリーっていう名前もなかった。アコースティック・ギターにピアノとハーモニカとかだけで、ドラムさえ入ってなかったんだ。

そこから「ジュビリーをやろう」という話がどんな風に決まっていったのか、バンド結成へのいきさつを教えてください。

Aaron:そうこうしてる間に、マイケルと会った。すると彼が「ワイアーズ・オン・ファイアーとは違うタイプの音楽を作ってる」って言うから、俺も自分の音楽を録音してあるし、そんなわけでお互いの作品を交換し合うようになったんだ。そしたらマイケルのデモがすごく良くて、もう最高だったんだよね。ガレージバンドで作ってたと思うんだけど、ドラムを先にレコーディングして他のパートをオーバーダブしたものとか、ギターを先にレコーディングしてからドラムをオーバーダブしたものとか色々あって、とにかくクールなものは何でも入ってる感じでさ。

Michael:俺の実家の自室で作ったんだよ。

Aaron:その時点でまだ俺は「バンドを始めよう!」って真剣に考えてたわけじゃなかった。ただ、NINでずっとツアーしてきて疲れ果ててたから、何か違うことをやりたかったんだ。で、ツアーを終えて戻って来て、どこかに旅行したくなったんで、ヨシュア・トゥリーへ行くことにしたんだけど、なんとなくマイケルも一緒に来ることになってね。そしたら、俺達の友人でイーグルズ・オブ・デス・メタルもやってるデイヴ・キャッチングが、彼のスタジオの鍵を貸してくれた。ランチョ・デ・ラ・ルナっていうスタジオだよ。俺達はそこへ行って、たくさん曲を作ったんだ。俺が「ヴァースが出来た」って言うと、マイケルが「俺はコーラス部分を思いついたよ」っていう感じで、あとは彼がピアノを良い感じで弾いているのに合わせて俺が歌ったり、そうやって出来たものを全部レコーディングした。その後、このスタジオ(シャビー・ロード)に移って−−ここはバディヘッドのオフィスと、俺のギアを置いておく物置と兼用になってるんだ。まあ、俺が持ってたのは小さなラップトップとプロトゥールズ、デジタル・ツール・レコーダーと、ちゃちいマイク数本ぐらいだけどね。ただ、ロサンゼルスにKXLUっていうカレッジ・ラジオ局があって、マイケルがそこのミュージック・ディレクターをやってんだけど、その局に1年間ずっとドラム・キットが放置されててさ、そいつを捨てるっていうからここに持って来たんだよ。そしたら、まだバンドにはドラマーがいないけど、俺達のダチが来て、ドラムをプレイしてくれるようになった。マイケルは、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジのやつらも連れて来てくれたし。

Michael:たぶん、エヴァンが入った頃から「俺達はバンドだ」っていう意識が強くなってきたんだよね。それまでは、アーロンも俺もそれぞれツアーがまだあったから、ここを離れることも多かったし、ドラマーも友達が出たり入ったりしてる状況で、しっかりバンドだって自覚するのが難しかった。普通のバンドって、いつもメンバーが集まって練習したり曲を作ったりするもんだけど、まだ俺達はそういう感じじゃなかったし。だからエヴァンが入って、今はジェフもメンバーに加わって、ドラマーは決まってないけど4人編成になって……あとマイケル・ハリスっていうエンジニアがいて、そいつももう1人のメンバーって感じなんだ。

ちなみに、ジュビリーというバンド名にしたのには、どんな理由があるんですか?

Aaron:名前を考えなきゃいけなくなって、みんなでボードにおかしな単語をじゃんじゃん書き出してさ、俺は「デッド・スパンデックス」でいくつもりだったんだ(笑)。バンドの名前って、どうしたってうまくつけられないものなんだよ。神の啓示みたいに空から降って来るような、はっきりしたものなんじゃないかと思うかもしれないけど。

(笑)いい名前だと思いますよ。

Aaron:他にあがった候補の中では一番よかったんだよね。それに俺のキャリアって過去ずっと、なんだかネガティブなエネルギーにポイントを置くようなバンドっていうか、人間のダークな面にこだわってネガティブな空間から表現するタイプのバンドにいたから、この新バンドはもっと人生を謳歌するような、どれだけ人生が素晴らしいかを表現できるようなものにしたかったんだ。あと、大勢のドラマーが参加してくれていることもあって、賑やかなタイプの性格を持ってるから、ジュビリーって言葉が相応しいと思えたんだよね。

デビューEPの4曲を聴くと、あなた方が自ら名前をあげているように、リプレイスメンツ、CCR、ボブ・ディラン、カバーもしたニール・ヤングといった骨太なアメリカン・ロックの要素だけでなく、オアシス、ストーン・ローゼズ、ザ・ヴァーヴといったブリティッシュ・ギター・ロック・バンドのフィーリングもどこかに感じさせる音楽になっていて、なかなか興味深かったです。

Aaron:うん、俺達はCCRみたいに物凄くアメリカーナなバンドや、トム・ウェイツ、ニール・ヤングとかのアメリカンなサウンドが大好きなのと同時に、すごくブリティッシュなもの、ザ・ヴァーヴとかブラーとかストーン・ローゼズとかそういう音楽も大好きなんだ。だから俺達の受けた影響がそれだけ広いってことを表してるんだと思う。

そういう影響をミックスしようというコンセプトを意識していたのですか?

Michael:特定のバンドの影響を、ってことではなかったけどね。でも俺達がこれまでプレイしてきたものとは違うものにしたいっていう思いはあったんじゃないかな。他のバンドと同じようなことをやるんだったら意味がないし。それに俺達の音楽嗜好はすごく多様だからさ。

Evan:俺が思うに、ワイアーズとかイカルス・ラインでは、自分が好きな音の中でもハードなものばかりやってきて、楽曲主体のメロディックなタイプの曲をやる機会がなかったんだけど、元々そういうルーツは全員が持ってたんだよ。長い間ハードな音楽をやってきたから、今度は別の方向性もチェックしてみようって感じたのさ。

Aaron:若い時は、何回も曲を転調させるかとか、どんだけ奇抜にできるかってことばかり考えてたし、もっと子供の頃なんて、いかに速く、どこまで凶悪な感じを出せるかだけを追求してた。だからやっぱり、ある程度は意識的に試みたことだね。最初は単に、めちゃくちゃポップで女々しい曲を出してみんなをビックリさせてやろうぜって感じで始めたんだよ。最終的にはもっとロックする感じに落ち着いたけど。まあ、それが俺達ってことなんだよね。

Jeff:そこはマイケル・ハリスからの影響もあるかな。

Aaron:そうそう、俺達が何かやるとマイケルが立ち上がって「女々しいヤツらめ!」って叫ぶんだ(笑)。それで「わかったよ……」ってさ。言うことを聞かないと、そのトラックを消去されちゃうからね。

(笑)そういう特徴を持った楽曲は、以前から密かに書き溜め続けていたんですか?

Aaron:そうだよ。

Michael:かなり大量にね。

Aaron:うん、かなりあったな。断片的なものも含めてだけど、7年前に作った曲を完成させたのもあるよ。マイケルが長年あたためてきた素材もあるし。ただ、俺達は「こういう曲を作ろう」とか決めて作業にかかることはなくて、全て自然発生的な流れなんだよね。このバンドの素晴らしいところって……信じない人もいるかもしれないけど、ジュビリーのメンバーは、俺が今まで一緒にプレイしてきた中でも最高のミュージシャン達なんだ。ナンバー・ワンなんだよ。音楽的にも、俺が過去にプレイしてきた他の人間達を軽く越えて、とても高い次元にいる。例えば俺はイカルス・ラインに9年いたけど、その間に作ったのは30曲とかそんなもんで、しかも、その80%はゴミだった。

そこまで言わなくても(苦笑)。

Aaron:でも今、俺達はみんな同じルーツを持ってるし、ボブ・ディランや、トム・ペティや、CCR、ニール・ヤング、ビートルズ、ピンク・フロイド、ドアーズ、とにかくそうした全てが一緒になって表に出て来るんだ。良い音楽を聴いていたら、出て来るものも良い音楽になるんだよ。

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