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『ラ・フォリー』はストラングラーズ6枚目のスタジオ・アルバムであり、彼らがEMI傘下のユナイテッド・アーティスツに残した最後の作品だ。本作リリース後バンドはエピックへと移籍、本格的に新たなキャリアに向けて再スタートを切ることになる。『レイヴン』から全面的に展開し、続く『メニンブラック』で早くも極みを見せた実験的なサウンド・アプローチは、美しいメロディーやキャッチーなリフと結びつけれられることによって独自のポップ性を獲得し、次第にストラングラーズの次なる方向性を示しつつあったが、この『ラ・フォリー』はそれを決定的なものにした作品だと言っていいだろう。“ゴールデン・ブラウン”という最大のヒット曲を生んだことだけから考えても、本作はストラングラーズがパンク・ムーヴメント終焉後のシーンを存続していく上での重要なターニング・ポイントとなったのだ。 8ヵ月もの期間をかけた『メニンブラック』とは対照的に、本作は『ブラック・アンド・ホワイト』以来のハイペースで制作されている(※81年の7月に曲を書き、8月に録音、前作と同年内に発売)。ヒュー・コーンウェルによれば、すでに楽曲のストックがたくさんあったから可能だったとのことだが、『メニンブラック』に対する少なからぬネガティヴな世間のリアクションを受け、微妙に反動が出たのかもしれない。また、当時バンド周辺で、スタッフの急死、スタジオの爆発事故、機材の盗難など災難が続いていたことなども、さっさと次の段階へ移行していってしまいたいという気分を促したのではないだろうか。いずれにせよ、状況的な困難にもかかわらずストラングラーズの創作エネルギーが引き続きハイレベルで活性化していた様子に変わりはない。 そうして作り上げられた『ラ・フォリー』は、前作のように確固たるコンセプトはないものの、全体的に「愛」というテーマを共通して扱った作品となった。もちろんストラングラーズのことだから、単純な愛の讃歌になるわけがなく、人間という生き物が抱くこの奇妙な感情を斜めのアングルから捉えた歌ばかりが並んでいる。なにしろ、タイトル・トラックの“ラ・フォリー”からして、佐川一政によるパリ人肉食事件をモチーフにしているのだ。この猟奇事件は、かのローリング・ストーンズにも影響を与えた(※83年の『アンダーカヴァー』に収録された“トゥー・マッチ・ブラッド”)が、「俺にとって人食いとは最高にエロい行為なのさ」と明言するジャン・ジャック・バーネルもまた、愛する人を殺して食べてしまうという所行に、かなりイマジネーションを刺激されたようだ。 倒錯した性嗜好という点に関しては、『ノー・モア・ヒーローズ』収録の“女ざかり”(本盤には同曲のカクテル・ヴァージョンなる、おふざけトラックがボーナスで入っている)でロリコンすれすれの性欲をギラつかせていたヒューも負けてはいない。キュートと形容したくなるほどキャッチーなキーボードをフィーチャーした“ノン・ストップ”は、尼僧へのセクシュアルな妄想を膨らませた、かなり不謹慎な内容の歌である。オリジナルのアナログ盤ではB面1曲目に置かれていた“ピンナップ”も、2次元の女性によって引き起こされる欲情がテーマだ。さらに、デイヴ・グリーンフィールドが情感たっぷりのソロを披露する“ハウ・トゥ・ファインド・トゥルー・ラヴ”でも、ヒューは「ハピネス」という単語を密かに「ハー・ペニス」と発声しているのだという。 一方、“エヴリバディ・ラヴズ・ユー”は、ジョン・レノンの衝撃的な死をとりまく状況にインスパイアされた曲で、死んで初めて人々から無償で愛されることになる皮肉な現実を取り上げているし、ヒューとJJが2人そろってビーチ・ボーイズばりのファルセットを聴かせる“トゥー・トゥ・タンゴ”もラヴソングに見せかけながら米ソ冷戦のことを歌ったナンバーだったりと、社会的な視点も健在だ。また、ジェット・ブラックのドラムが叩き出す力強いビートとは対照的に、覚めたJJのヴォーカルが深い印象を残す“ザ・メン・ゼイ・ラヴ・トゥ・ヘイト”では、恋愛にまつわる男女の複雑な心情が綴られている。この曲は、後にBBCセッションで演奏したテイクもよかった。 その他、ヒューがフリーキーなギターを弾きまくる先行シングル“レット・ミー・イントロデュース・ユー・トゥ・ザ・ファミリー”や、ミルトン・メズロウというジャズ・ミュージシャンの自伝『REALY THE BLUES』に触発されて歌詞を書いた“ナッシング・トゥ・イット”など、実に様々な形で――ただしあくまでストラングラーズらしく――「愛」というテーマをもてあそんだ結果、アルバム『ラ・フォリー』には、ロマンティックとかエレガントなんていう、それまでの彼らからは想像もできなかった(と言いつつ、意外とそうでもないのだが)ムードが生み出された。この甘美なテイストと、徹底してクールな視点の組み合わせによって、人間の奥底に潜む狂気をポップな音楽性の中で結晶化させていく手法こそ、後年の彼らが新たに看板としていくスタイルに他ならない。 そして、それを実質的に確立し、一気に加速させたのが“ゴールデン・ブラウン”の大ヒットだった。結果的にストラングラーズのシングルとしては全英チャートで最高位を記録した同曲では、ヒューの素晴らしいヴォーカルを聴くことができる。 ヒュー自身によると、この作品で初めて「歌」をちゃんと聴かせたいという意識を持ち、そのためにデヴィッド・ボウイの作品などで優れた手腕を発揮していたトニー・ヴィスコンティをミキシング・エンジニアに起用することにしたのだそうだ。ヴィスコンティによるサウンド・プロダクションは、移籍後の次作『黒豹』でのそれとともに、独特の雰囲気をもたらしている。ただし、他の曲で印象的なベース・リフを数多く提供したジャン・ジャックは、“ゴールデン・ブラウン”があまり気に入らず、ついにベースを弾かなかったという(デイヴのキーボードがベースがわりになっている)。実際、JJはこの曲をシングル・カットするどころか、アルバムに収録することにさえ反対していたらしい。これに続くシングルが、さらにヒットを狙えそうな“トランプ”ではなく、JJがフランス語で歌う6分を超すタイトル・ナンバー“ラ・フォリー”になった事実は、彼への気づかいという側面があったのかもしれない。 2002年の再発時に加えられたボーナス・トラックについても簡単に触れておこう。EMIからの最後のシングル・リリースとなり、チャートでは7位に入る大健闘を見せた“ストレンジ・リトル・ガール”は、デイヴが加入する以前、ハンス・ウォームリングというセカンド・ギタリストが在籍していた頃に書かれていた古い曲。このオリジナル・デモは『The Early Years '74, '75, '76』というCDで聴くことができる。小品ながら味わい深い佳曲で、後にトーリ・エイモスがカバーした。ヒューがスパニッシュ・ギターを弾いている“クルーエル・ガーデン”はそのB面収録曲。さらに“ヴィエトナメリカ”はシングル“レット・ミー・イントロデュース・ユー・トゥ・ザ・ファミリー”の、“ラヴ30”は“ゴールデン・ブラウン”のそれぞれBサイドだ。後者は、ジェットとJJのリズム・セクションによるジャムを聴いたヒューが何故か「これをBBCに送ればテニスの中継番組でテーマに採用される」と思いつき、ボールをラケットで打つ音と審判の声に、ちょっとしたギターを加えて仕上げたダブっぽいナンバーだ。そして“ユー・ホールド・ザ・キー・トゥ・マイ・ラヴ・イン・ユア・ハンズ”は、最も後になってから正式に発売された曲で、コンピレーション盤『Hits and Heroes』が初出。ヒューによれば、ここで言う「キー」とは女性に握らせたペニスのことらしい(苦笑)。 さて、冒頭では「EMI時代の最後の作品」と書いたが、2004年にリリースされた『ノーフォーク・コースト』から、ストラングラーズは再びEMIと契約を交わしている(※本国イギリス以外のリリースはロードランナーより)。ヒュー脱退後、その穴をポール・ロバーツとともに埋めてきたギタリストのジョン・エリスがバンドを離れ、代わりにバズ・ワーンという若い血を迎え入れてから初めての作品となった『ノーフォーク〜』は、久々にストラングラーズの復活を実感させてくれる好作品だった……と、ここまで書いたところで最新のニュースが飛び込んできた。なんと16年の長きにわたってリード・ヴォーカリストを務めてきたポールが脱退、しかしバンドはすでにJJとバズがヴォーカルをとる4人編成のままライヴも行なったという。この件が、近くリリース予定だったニュー・アルバムにどう影響するか現時点ではまだ分からないが、個人的には、もはや再加速し始めた彼らの勢いは止まってしまわない気がしている。デビュー30周年を間近に控え、未だ現役で走り続けるオリジナル・パンク・バンドの姿に、今後も熱い視線を注いでいきたいと思う。 2006年6月 鈴木喜之 ※本稿は、国内盤アルバムのライナーノーツとして書かれたものです。
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