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1981年に発表された『メニンブラック』は、ストラングラーズのキャリア上でも最大の問題作だと言っていいだろう。77年リリースのデビュー・アルバムから90年の『10』まで、ヒュー・コーンウェル在籍時の彼らの全タイトルをざっと俯瞰してみても、この『メニンブラック』がとりわけ異質な光を放っていることは、少しでもストラングラーズについて詳しい人ならば、よく知っているはずだ。なにしろ「トータル・コンセプト・アルバム」などという体裁を掲げた作品は、後にも先にも本作だけなのだから。 筆者は、他人とストラングラーズについての話題を持つことがあると、とりえあず「『メニンブラック』こそ彼らの最高傑作だと思う」と言ってみることにしている。ほとんどの場合、失笑を買うだけだ。冗談と思われてお仕舞いなのである。実際には、自分にとってはストラングラーズの全作品がそれぞれに意義を持ち、感慨を持って受け止められるものなので、最高傑作を一つ決めることなどとても出来ないのだが、周囲の一般的な評価があまりにもこの『メニンブラック』を軽視する傾向にあるので、ついついバランスをとらなければならない、という意識を持ってしまうのだ。 爆発的な勢いで聴く者を圧倒する、初期のストラングラーズのパワフルな(パンク的とも言える)ロックンロールが、ここではすっかり姿を消してしまい、そのかわりに何とも奇妙なサウンドが全編を覆いつくしていることは一聴してお分かりの通りだ。前作『レイヴン』で、ある程度の路線転換が示されていたとはいえ、当時のファンがなんだか裏切られたような気持ちになったとしても無理はないのかもしれない。少なくとも日本でのストラングラーズの人気に、本作が急ブレーキをかけたことは動かし難い事実なのである。また、本国イギリスにおいても最初にシングル・カットされた“ジャスト・ライク・ナッシング・オン・アース”が、初めてチャート・インを逃すという事態を引き起こしているが、確かにこれは常勝無敵の快進撃を続けてきたストラングラーズにとって不名誉な記録と言われても仕方のない出来事だった。最終的にアルバム全体では最高8位を記録するものの、やはり何となく冴えない印象を残してしまったことは否めないだろう。英国では次の作品『ラ・フォリー』からのシングル“ゴールデン・ブラウン”が起死回生の大ヒットとなるが、結局日本においては、以後ストラングラーズ熱が復活することは二度とないままなのである。 僕自身も、最初にこの『メニンブラック』に針を降ろした時、いきなり重厚なオルガンが響きわたるワルツのインスト・ナンバーで幕を開けたのには、かなり面食らった。しかし、いったい何故彼らはこんな奇妙な表現へと向かったのだろう――と、謎を手探りするようにして何度も繰り返し本作を聴いている内に、すっかりこのサウンドにハマってしまっていたのである。「こんなの全然ノレないよお、楽しくない」といってすぐに投げ出してしまった人達には最後まで気づかれなかったのだろうが、このアルバムに収められた楽曲群のメロディーやリフ、はたまた不可思議なアレンジは、実は驚くほどキャッチーに出来ているのだ。また、ヒューとジャン・ジャック・バーネル2人のヴォーカルは吠えたり叫んだりとストレートに挑発的なものから、時には呟くように、時には脱力したようなものへと変化したが、却って不気味な迫力と深みを得ている。さらに、録音についてもかなり気を使って丁寧に仕上げられており、以前の作品に比べると音響的にも格段に良くなっていることなども分かる。 だいたい、音楽的に、それも非常に表層的な部分で「スピード感のあるノリのいいロックンロールじゃなくなっちまったから」と、すっかり自分達が裏切られた事にして、それを放り捨ててしまうのは、何ともレヴェルの低い聴き方ではないだろうか。彼らの姿勢に心底共鳴するような態度をいったんはとっておきながら、ひとたびカタルシスが感じられないとみるやいなや、さっさと引き上げて、何が新しく起きようとしているのか確認しようとしない連中が、はたして本当に誠実なストラングラーズのリスナーだったのかどうか非常に疑問だ。考え方によっては、ストラングラーズの方が、逆にそういうリスナーを最初から相手にしていなかった、ということになるかもしれない。彼らは音楽家として、当然進化すべき道に向かって、本能につき動かされるようにして進み続けたのだ。そして自分は、この新しい領域へと歩み始めたストラングラーズの音楽にも充分に魅力を感じた人間なのである。だから次には当然のように、この『メニンブラック』という作品がいったい何を提示しようとしていたのか?という点について興味を引かれていったのだ。 当初、本作の内容については、いちおう一般的な見解として「ストラングラーズが大胆にも、欧米ではタブー視されているキリスト教批判に挑戦した」アルバムだとされた。しかし、これは何とも一律的な捉え方だ。「ストラングラーズ=権威や体制への反逆」という単純な図式に則った思い込みが、作品の真意を矮小化してしまっている。確かに歌詞のあちこちにはキリスト教を耶諭するような部分が散見される。だがこのアルバムは、ただ神に向かってクソくらえとツバを吐き掛けているだけの内容なのだろうか? オカルティックな雰囲気のプロローグに、UFOの飛来する効果音、そして謎のキャラクター「メニンブラック」、これらによって構成されているのは、まさにストラングラーズ独自の哲学/世界観であるはずだ。既存の伝統的な西洋思想としてのキリスト教を槍玉に上げているのは、その中の一部分でしかない。ただ、このコンセプトは一般的にも、特に極東の島国に住む日本人にとっては、あまりにも難解すぎるシロモノでもあった。たまたま運悪く出会えなかったのか、この作品の根本的な内容について詳しく解説したストラングラーズのインタビュー記事を過去に見たことがないというのもあって、いつのまにか自分は『メニンブラック』の謎が脳裏にこびりつき、それを解くのがライフワークのような人間になってしまっていたのだ。 今回の再発に際しては、何とかヒュー・コーンウェルのインタビューを実現させたかった。何故ヒューなのかと言えば、彼こそが『メニンブラック』の根幹にある虚無的視点の草案者だと思われるからだ。ストラングラーズというバンドは、全ての作曲クレジットを「ザ・ストラングラーズ」としていることからも分かるように、個別の曲で誰がどうイニシアチブをとって完成したのであっても、常に4人が平等に責任と権利を持つという結束の強さを誇るバンドなのだが、この『メニンブラック』に限ってだけは、珍しくジャケットにハッキリと「ディス・コンセプト・バイ・ヒューイン・ブラック、イン・ニース1980」と銘記されている(つまり、ヒューがニースで投獄された時に檻の中で考えついたアイディアということになる)。また、79年に発表されたヒューとジャン・ジャックそれぞれのソロ・アルバムの内容を見ても、ジャン・ジャックがユーロ・コミュニズムというパブリックな問題をテーマとしたのに対し、ヒューは「恐怖」という抽象的な観念を取り扱っていることにも注目したい。結局、現在ではレコード会社も移籍し、ストラングラーズのメンバーでもない、ということから、ヒューのインタビューは実現できなかった(※その替わりにジャン・ジャックにインタビューを敢行、『ロッキング・オン』94年6月号にて掲載)。依然『メニンブラック』の謎の大半は、大部分をベールに覆われたままである。それでも何だか、こんな風に考えてみた、ということを以下に思うさま書いてみよう。 まず、最初に考えるべきなのは、ジャケットの内側で、レオナルド・ダビンチによるあまりにも有名な絵画『最後の晩餐』の中に、いたずら書きのようにして登場している、メニンブラックというキャラクターについてである。単純に翻訳すれば「黒い服を着た男」という意味でしかないが、アメリカなどで一般にメン・イン・ブラックと言えば、UFOの目撃者に対する様々な干渉や、遭遇した証拠の隠蔽といった工作をする謎の男達を指す言葉らしい。常に2人1組で行動し、黒服を着ていることからそう呼ばれているのだそうだ。このアルバムは、荘厳な序曲“ワルツインブラック”でスタートするが、その次の如何にも本編の始まり、といった感じの2曲目“ジャスト・ライク・ナッシング・オン・アース”のイントロ部には、UFOが飛来する音が入っている。そして、CDではボーナス・トラックが追加されているが、オリジナル盤でのラスト・ナンバー“ハロー・トゥ・アワ・メン”は、UFOが飛び去っていく音でエンディングをむかえるのだ。メニンブラックとは、UFOに乗っている人達なのか? いや、姿形は人間のようだが、実はヒトではないものなのかもしれない。いずれにせよ、我々とは別の種類の生き物であるとした方がよさそうである。 UFOというと、我々日本人は、ついついSFのお話の方をイメージしてしまいがちだ。連想を広げたところで、せいぜいがインスタント焼きソバとか、矢追純一の2時間特番くらいが関の山だ。近年では、UFO党という、カルト宗教を母体にした政党が出現したりもして、日本国内においても、少しずつ宗教とUFOの結び付きは認識されてきているようだが、本作が発表された当時に、その2つのイメージを結び付けるのは難しい状況だったろう。それまで硬派な論調でストラングラーズを語っていたところに、いきなりヒヨヒヨーンとUFOに飛んでこられたら、もう、どうしようもなくマンガチックになってしまう。だから、当時の日本の音楽評論家は皆、意識的にか無意識的にかそれを避けて通ってしまった様子がうかがえる。しかし欧米では、円谷プロの何千倍も、日常生活においてキリスト教が影響力を持っているわけで、そこには「神の乗物」としてのUFOという考え方も当り前のようにしてあるのだ。ここら辺のギャップがまず、日本人が『メニンブラック』を理解できなかった第一歩だったかもしれない。 ここで取り扱われているメニンブラックは、日本人がイメージするバルタン星人みたいな他惑星から来た宇宙人などではなく、我々を超える者、人間が他の生物の上に立っているのと同じように人類の上をいく存在として想定されているのではないかと思う。“ウェイティング・フォー・ザ・メニンブラック”の歌詞は、まるで矢追純一そのものみたいに読めてしまうが、実際には「自分を超えた存在、しかし従来のキリスト教における全知全能の父なる神とは種を異にするもの」を知ってしまった男の歌ではないだろうか。キリスト教徒でないと、なにがそんなに恐ろしいの?と思ってしまうところもあるだろうが、ラヴクラフトの著作『クトゥルフの呼び声』などを読むと、その感じが少しは伝わるかもしれない。 熱心なストラングラーズ・ファンの方なら御存知の通り、『メニンブラック』のタイトル曲は、実はこのアルバムの中には収録されていない。“ウェイティング・フォー・ザ・メニンブラック”でその言葉が使われてはいるが、そのものズバリ“メニンブラック”というタイトルの曲は、ひとつ前のアルバム『レイヴン』に収録されている。ピッチを変えたヴォーカルが何とも奇妙な雰囲気を醸し出す、アルバム中でもとりわけ異色なナンバーで、まあ、この曲が『レイヴン』のみならず、そっくりそのまま同じ『メニンブラック』というタイトルを持った新作にとっても、ネガティヴに作用したことも容易に想像がつくのだが、ともかく、ここで誕生したメニンブラックというキャラクターを基にして、それを拡大し全面展開したのが『メニンブラック』というアルバムだったと言っていいと思う。そこで『レイヴン』の歌詞カードを取り出して確認すると、メニンブラックは驚くほど明瞭に自己主張している。彼らは人類を家畜のように捉えていて、単純に人類を破滅させるのが目的ではなく、喰うために育てている、のである。さらに気の利いたことに、武器を与えてお互いに殺し合いをさせ、優良な種だけを勝ち残らせるという品種改良までやっているみたいだ。つまり我々は、彼らに操作されて戦争をしているのだ。誰もが世界平和を願っているはずなのに、一向にモメ事は無くならないという疑問にもこれなら説明がつき、つい納得したくなってしまう。 『メニンブラック』の3曲目、“セカンド・カミング”は、そんな支配者の実体も知らず、我々を最終的には救って下さる神様を信じている人間達の愚かさをあざけり笑う、とことん冷酷な内容の歌だ。キリスト教における従来の神のイメージを徹底的に茶化し、いくら待ったところでセカンド・カミング(イエスの再来の意)なんか来やしない、とイノセントな信者の幻想を粉々に踏みにじるのである。そして、6曲目の“トゥー・サンスポッツ”。タイトルの意味は「太陽の黒点が2つ」で、これが何を象徴しているのかは不明だが、歌詞に「ブラインドを降ろして黒点の存在を忘れてしまった方がいい、だけど、一度見てしまったら、もう頭から離れなくなってしまう」とあることから考えると、これは、我々に豊かな恩恵を与えてくれている母なる太陽の、実はその中に潜んでいる邪悪な正体のことを暗示しているのかもしれない、などと想像してみたくなる。 それにしても、このような救い難い世界観に立ってしまうと、その人間の人生からは希望など一切消失してしまうではないか。本作からのセカンド・シングルとなった8曲目の“スロウン・アウェイ”は、そうした深い深い絶望に包まれた、絶対零度にまで冷え切ったようなナンバーだ。ここでのジャン・ジャック・バーネルの声は、これがかつて「サムシング・ベター・チェンジ!」と叫んだそれと同じものかと疑いたくなるほど暗く醒め切っている。ただ僕はこの曲に、諦念と同時に訪れた永遠の安息も感じとってしまうのだが。 この『メニンブラック』というコンセプト・アルバムによってストラングラーズは、どうしようもなく陰惨な世界観の、考え得る一つの極限を示したのではないかと思う。ちなみに余談だが、本作レコーディング中には、スタジオが爆発したり、スタッフが急死したりという、シャレにならない怪事件が、ストラングラーズ周辺に続発したという。財政的にも破産寸前までいったそうだ。これは本物のメニンブラックによる干渉だったのだろうか? 真相は神、いや、正体不明の我々の支配者のみぞ知る、といった感じだ。 エネルギッシュに熱いパンク・ロックを爆発させていたはずのストラングラーズが、どうしていきなりこうも冷え切ってしまったのか、理解に苦しむ人もいるだろう。しかし、実際のストラングラーズは最初から、徹底してクールなバンドだった。彼らの根幹にあるニヒリズムは、初期から一貫している。ただ、それを入れる器としてのサウンドが、パワフルなロックンロールから、陰影に富んだポップスへと姿を変えただけなのだ。そしてそのクールなニヒリズムは、本作のコンセプトを考え出した男、ヒュー・コーンウェルによるところが大きいのだと筆者は考えている。 ストラングラーズが大人気を獲得していた時期の日本では、愛すべき親日家のカラテマン=ジャン・ジャックが、バンドのイメージを一身で担っていた。しかし、ストラングラーズにはもう一人、氷のような目をした男、ヒュー・コーンウェルもいたのだ。生物学者の肩書きも持つ彼の思考については、あまり重視されぬまま来てしまっているような気がする。デビュー・アルバムで、人類の滅亡から自分だけ生き残るために、ネズミと一緒に下水道で生活する男を描き(“ダウン・イン・ザ・スーワー”)、『レイヴン』では遺伝子工学をモチーフにした歌を作った(“ジェネティクス”)のは、ヒューに違いない。彼の、あらゆる事象を突き放すかのような、徹底してクールな距離感は、ストラングラーズの表現において非常に大事な要素だった。そして、自分は何よりもストラングラーズのその部分に魅かれているのだという確信が、今となってはある。 例えば、78年1月にリリースされたシングル“5ミニッツ”のB面に収められた“ロク・イット・トゥ・ザ・ムーン”では、ロケットで月に高飛びして、そこから望遠鏡で人間どもの醜く無様な所行を眺めてやろう、という人物が登場する。こういう発想が、次第に突き詰められていって、『メニンブラック』という形に具現化していったのではないだろうか。そしてそれは“スロウン・アウェイ”を通過し、次のアルバム『ラ・フォリー』においては、ひんやりとした穏やかな狂気をくるんだ美しいポップスへと実を結ぶのだ。さらに、その思想はエピック移籍後の『黒豹』の1曲目“真夏の夜の夢”で、もはや「自分が実在すると信じているこの世界は、本当はただの束の間の夢なのかもしれない」という、古代中国の言い伝えにある「胡蝶の夢」にも似た思いへと流れ着く。やがて『オーラル・スカルプチャー』収録の“レット・ミー・ダウン・イージー”で、永遠の虚無の安息に開放されたその思考は、さらに次の作品『ドリームタイム(夢現)』で、オーストラリア原住民アボリジニの哲学にまで到達してしまうのである。その流れを辿ることは、単純にひとつのバンドの歴史を追い掛けること以上の意味を自分にとっては持っているのだ――。 すでに通常のライナー・ノーツの倍の字数を費やし、アルバム『メニンブラック』の解説という本流からも外れるので、最後はちょっと駆け足になってしまったが、とりあえず今回は一旦筆を置くことにする。本作を再び、あるいは初めて手にした皆さんが、少しでもストラングラーズというバンドについて新たな発見をしていただければ幸いだ。 1994年3月 鈴木喜之 追記:10年後に改めて読み返してみると、闇雲な筆圧の高さと妄想半分の暴走した内容に思わず苦笑してしまうが、当時の自分は(生来の天の邪鬼さ故に)このアルバムへの不当な評価に対して心の底から反発を覚えていたので、つい勢いがついてしまったのだね、ということにしておいていただきたい。その後、日本における本作への評価もずいぶん変わってきたようで、最近ではヒュー・コーンウェル本人も、自著にて「『メニンブラック』こそストラングラーズの最高傑作」というような記述をしていると聞く(※誰か彼の本を翻訳してください)。また、このライナー原稿の〆切りには間に合わなかったジャン・ジャックへのインタビューなどを通じて、本作のコンセプトが必ずしもヒューだけのものでなく、JJのアイディアも入っていること(※24年後の作品“ビッグ・シング・カミング”で、JJは同じテーマを明るいトーンで再利用してみせている)や、音楽的には実はジェット・ブラックの趣味が色濃く出たものらしい、ということなども判明した。まあ、JJの発言を鵜呑みにすると「本作のコンセプトは、ギリニンジョー」ということになってしまうので、公平を期すためにもやはりヒューへの取材をいつか実現して詳細を確認したいところではある。とにもかくにも、個人的には、1枚のロック・アルバムからイマジネーションを刺激された経験としては、本作から得たものが最大級のものだった。その点については、他の人にとってはどうでもいいことかもしれないが、やはりずっと大事にしていきたいものではあるし、それとは別に音楽的な面だけ見ても、このアルバムが優れた作品であることだけは間違いない。
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