<2007/3/1>
Jay-Z

Kingdom Come
<2006/11/21>

偉大なラッパー
 あの2パックノトーリアス・B.I.G.を押さえ、MTVが選ぶ「偉大なラッパー」で一位とされている、ご存知ジェイ・Zの軌跡を今回のPick Upで辿っていこうと思います!
 貧困、父との離別、そんな環境で幼少期を過ごし、HIPHOPに目覚めます。その後、ワシントンへ移住し、ザ・ジャズのサイド・ラッパーやオリジナル・フレイバーの短期在籍などの活動を行い、尊敬するラッパーであるビッグ・ダディ・ケーンとツアーを行えるチャンスに巡りあいますが、成果を挙げることなく故郷ブルックリンへ戻り、ストリート暮らしを送ります(彼は3度に渡る銃撃戦や3年間に渡る刑務所暮らし経験など、実はサグな一面を持っています)。そして転機となったのは26歳の時、至近距離で撃たれたことを境にラップに再挑戦します。そしてクラーク・ケントの紹介でデイモン・ダッシュと出会い、96年にレーベル「ロッカフェラ」設立にいたります。ここからジェイ・Zの快進撃が始まり、96年にストリートでの実体験などをリリックに著したファースト作『Reasonable Doubt』で大ヒットを記録し「デフ・ジャム」と契約にいたります。続くセカンド『In My Lifetime, Vol. 1』を97年にリリース、98年に続編『Vol. 2, Hard Knock Life』をリリースし、いずれも大ヒットしました。なかでも最も成果をあげたのが「Hard Knock Life」で、これによりトップ・スターの一人に数えられるようになります。この後も順調な活動を展開するのですが、01年の『The Blueprint』収録の「Takeover」にてナズを「1枚目以降、良いアルバム出してない」みたいなことを言って批判したことによりビーフに発展します(現在は和解して、共にステージに上がるなどの共演をしており、ナズは「デフ・ジャム」に移籍する形などにも発展しています)。03年の『The Black Album』を最後に引退宣言をしますが、リンキンパークとのコラボ作『Collision Course』をリリースするなどの活動を続け、06年には『Kingdom Come』をリリースし、引退宣言を撤回しました。これには各方面で賛否両論を呼び、「デフ・ジャム」の第一弾アーティストのL.L.クール・Jが、本来なら自分が同レーベルのCEOになるはずだったのにジェイ・Zがなったことに対しての確執が以前からあったこともあってか、「デフ・ジャム」を離脱宣言するなどの動きがみられました。しかし、復活を喜ぶリスナーも多く、同盤収録の「Show Me What You Got」とか個人的な話でアレなんですけど、メチャメチャ好きです。
 「偉大なラッパー」と称され、数々のクラシックを世に送り出し、HIPHOP文化に大きな影響を与え続ける存在として「偉大」という彼への賞賛は決して過言などではありません。これからも彼の作品や行動から目が離せません!


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