第四巻 天つ巻 / (あつまき)
ひふみ神示 第04巻 天つ巻 / (あつまき)
第一帖 (一〇八)
二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神々様 御降りなされるぞ、地から御神々様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。 の国は神の国、神の肉体ぞ、汚(けが)してはならんとこぞ。八月の三十一日、一二のか三。
第二帖(一〇九)
これまでの改造は膏薬(こうやく)張りざから、すぐ元にかへるのぞ。今度は今までにない、文(ふみ)にも口にも伝えてない改造ざから、臣民界のみでなく神界も引っくるめて改造するのざから、この方らでないと、そこらにござる守護神さまには分らんのぞ、九分九厘までは出来るなれど、ここといふところで、オジャンになるであろうがな、富や金(きん)を返したばかりでは、今度は役に立たんぞ、戦ばかりでないぞ、天災ばかりでないぞ、上も潰れるぞ、下も潰れるぞ、つぶす役は誰でも出来るが、つくりかためのいよいよのことは、神々様にも分りては居らんのざぞ、星の国、星の臣民 今はえらい気張り様で、世界構うやうに申してゐるが、星ではダメだぞ、神の御力でないと何も出来はせんぞ。八月三十一日、一二 。
第三帖 (一一〇)
一日のひのまにも天地引繰り返ると申してあろがな、ビックリ箱が近づいたぞ、九、十に気附けと、くどう申してあろがな、神の申すこと一分一厘ちがはんぞ、ちがふことなら こんなにくどうは申さんぞ、同じことばかり繰り返すと臣民申して居るが、この方の申すこと みなちがってゐることばかりぞ、同じこと申していると思ふのは、身魂曇りてゐる証拠ぞ。改心第一ぞ。八月三十一日、一二 。
第四帖 (一一一)
この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、知恵や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。天の神様 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮様初め神々様、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、神も仏もキリストも元は一つぞよ。八月三十一日、ひつ九の 。
第五帖 (一一二)
牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、一度 神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ、八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。八月の三十一日、ひつくのか三。
第六帖 (一一三)
天(あめ)は天の神、国は国の神が治(し)らすのであるぞ、お手伝ひはあるなれど。秋の空のすがすがしさが、グレンと変るぞ、地獄に住むもの地獄がよいのぞ、天国ざぞ、逆様はもう長うはつづかんぞ、無理通らぬ時世(ときよ)が来たぞ、いざとなりたら残らずの活神(いきがみ)様、御総出ざぞ。九月の一日、ひつくのか三。
第七帖 (一一四)
二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二本のお足であんよせよ、二本のお手手で働けよ、日本の神の御仕組、いつも二本となりてるぞ、一本足の案山子(かかし)さん、今更 何うにもなるまいが、一本の手の臣民よ、それでは生きては行けまいが、一本足では立てないと、云ふこと最早分ったら、神が与えた二本足、日本のお土に立ちて見よ、二本のお手手 打ち打ちて、神おろがめよ あめつちに、響くまことの拍手に、日本の国は晴れるぞよ、二二(ふじ)は晴れたり日本晴れ、二二(ふじ)は晴れたり、岩戸あけたり。九月一日、ひつ九のか三。
第八帖 (一一五)
あらしの中の捨小船と申してあるが、今その通りとなりて居ろうがな、何うすることも出来まいがな、船頭どの、苦しい時の神頼みでもよいぞ、神まつりて呉れよ、神にまつはりて呉れよ、神はそれを待ってゐるのざぞ、それでもせぬよりはましぞ、そこに光あらはれるぞ。光現はれると道はハッキリと判りて来るのぞ、この方にだまされたと思うて、言ふ通りにして見なされ、自分でもビックリする様に結構が出来てるのにビックリするぞ。富士の御山に腰かけて、この方 世界中まもるぞ。かのととり、結構な日と申してあるが、結構な日は恐い日であるぞ。天から人が降る、人が天に昇ること、昇り降りでいそがしくなるぞ。てんし様 御遷(うつ)り願ふ時近づいて来たぞよ。奥山に紅葉(もみじ)ある内にと思へども、いつまで紅葉ないぞ。九月の二日、ひつく 。
第九帖 (一一六)
ひふみの秘密 出でひらき鳴る、早く道展き成る、世ことごとにひらき、世、なる大道で、神ひらき、世に神々満ちひらく、この鳴り成る神、ひふみ出づ大道、人神出づはじめ。九月二日、ひつぐのかみ。
第十帖 (一一七)
一二三の裏に 一二、三四五の裏に二三四、五六七の裏に四五六の御用あるぞ。五六七すんだら七八九ぞ、七八九の裏には六七八あるぞ、八九十の御用もあるぞ。だんだんに知らすから、これまでの神示(ふで)よく心に入れて、ジッとして置いて呉れよ。九月の三日、ひつ九のか三。
第十一帖(一一八)
この神示 言波としてよみて呉れよ、神々様にもきかせて呉れよ、守護神どのにも聞かして呉れよ、守護神どのの改心まだまだであるぞ、一日が一年になり百年になると目が廻りて真底からの改心でないとお役に立たんことになりて来るぞ。九月四日、一二(ひつぐ)か三。
第十二帖(一一九)
遠くて近きは男女だけではないぞ、神と人、天と地、親と子、喰べる物も遠くて近いがよいのざぞ、カミそまつにすればカミに泣くぞ、土尊べば土が救って呉れるのぞ、尊ぶこと今の臣民忘れてゐるぞ、神ばかり尊んでも何にもならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵とうとべば敵が敵でなくなるのぞ、この道理分りたか。臣民には神と同じ分霊(わけみたま)さづけてあるのざから、みがけば神になるのぞ。神示は謄写(とうしゃ)よいぞ、初めは五十八、次は三百四十三ぞ、よいな。八月の五日、ひつくのか三。
第十三帖(一二〇)
空に変りたこと現はれたなれば地に変りたことがあると心得よ、いよいよとなりて来てゐるのざぞ。神は元の大神様に延ばせるだけ延ばして頂き、一人でも臣民助けたいのでお願ひしてゐるのざが、もうおことはり申す術(すべ)なくなりたぞ。玉串 神に供へるのは衣(ころも)供へることぞ、衣とは神の衣のことぞ、神の衣とは人の肉体のことぞ。臣民をささげることぞ、自分をささげることぞ、この道理分りたか。人に仕へるときも同じことぞ、人を神として仕へねばならんぞ、神として仕へると神となるのざから、もてなしの物出すときは、祓ひ清めて神に仕へると同様にして呉れよ、喰べ物 今の半分で足りると申してあるが、神に献げたものか、祓ひ清めて神に献げると同様にすれば半分で足りるのぞ、てんのゐへん気つけて居れよ。神くどう気つけて置くぞ。神世近づいたぞ。九月六日、一二のか三。
第十四帖(一二一)
海一つ越えて寒い国に、まことの宝 隠してあるのざぞ、これからいよいよとなりたら、神が許してまことの臣民に手柄いたさすぞ、外国人がいくら逆立ちしても、神が隠してゐるのざから手は着けられんぞ、世の元からのことであれど、いよいよが近くなりたら、この方の力で出して見せるぞ、びっくり箱が開けて来るぞ。八月の七日、ひつくのか三。
第十五帖(一二二)
神の国には神の国のやり方あるぞ、支那には支那、オロシヤにはオロシヤ、それぞれにやり方がちがふのざぞ、教もそれぞれにちがってゐるのざぞ、元は一つであるなれど、神の教が一等よいと申しても、そのままでは外国には通らんぞ、このことよく心にたたんでおいて、上に立つ役員どの気つけて呉れよ、猫に小判何にもならんぞ、神の一度申したことは一分もちがはんぞ。八月七日、一二 。
第十六帖(一二三)
今度の戦済みたら てんし様が世界中知ろしめして、外国には王はなくなるのざぞ。一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起りたとき、何うしたらよいかと云ふことも、この神示(ふで)よく読んで置けば分るやうにしてあるのざぞ。神は天からと宙からと地からと力(ちから)合はして、神の臣民に手柄立てさす様にしてあるのざが、今では手柄立てさす、神の御用に使ふ臣民一分(いちぶ)もないのざぞ。神の国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、臣民では見当取れん永遠(とことは)につづく神世に致すのざから、素直に神の申すこときくが一等ざぞ。人間の知恵でやれるなら、やって見よれ、あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思ふやうにはなるまいがな、神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、腹さへ切れぬ様なフナフナ腰で大番頭とは何と云ふことぞ、てんし様は申すもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位 分って居らうがな、目に見せてあらうがな、これでも分らんか。八月七日、一二 。
第十七帖(一二四)
昔から生き通しの活神様のすることぞ、泥の海にする位 朝飯前のことざが、それでは臣民が可哀そうなから天の大神様にこの方が詑びして一日(ひとひ)一日と延ばしてゐるのざぞ、その苦労も分らずに臣民勝手なことばかりしてゐると、神の堪忍袋切れたら何んなことあるか分らんぞ、米があると申して油断するでないぞ、一旦は天地へ引き上げぞ。八月七日、一二 。
第十八帖(一二五)
何時も気つけてあることざが、神が人を使うてゐるのざぞ、今度の戦で外国人にもよく分って、神様にはかなはん、何うか言ふこときくから、夜も昼もなく神に仕へるからゆるして呉れと申す様になるのざぞ、それには神の臣民の身魂掃除せなならんのざぞ、くどい様なれど一時(いちじ)も早く一人でも多く改心して下されよ、神は急ぐのざぞ。八月七日、一二の 。
第十九帖(一二六)
神の力が何んなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらんのざぞ、世界ゆすぶりて知らせねばならん様になるなれど、少しでも弱くゆすりて済む様にしたいから、くどう気つけてゐるのざぞ、ここまで世が迫りて来てゐるのぞ、まだ目醒めぬか、神は何うなっても知らんぞ、早く気つかぬと気の毒出来るぞ、その時になりては間に合はんぞ。八月七日、一二 。
第二十帖(一二七)
神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。八月の七日、ひつ九のか三ふで。
第二十一帖(一二八)
みろく出づるには、はじめ半(なか)ばは焼くぞ、人、二分は死、みな人、神の宮となる。西に戦争(いくさ)しつくし、神世とひらき、国毎に、一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)たりて百千万(ももちよろず)、神急ぐぞよ。八月七日、ひつくのかみふみぞ。
第二十二帖(一二九)
十柱の世の元からの活神様 御活動になりてゐること分りたであろうがな、けものの入れものには分るまいなれど、神の臣民にはよく分りてゐる筈ぞ。まだだんだんに烈しくなりて外国の臣民にも分る様になりて来るのざぞ。その時になりて分りたのではおそいおそい、早う洗濯いたして呉れよ。八月の九日、ひつ九のか三。
第二十三帖(一三〇)
我がなくてはならん、我があってはならず、よくこの神示(ふで)よめと申すのぞ。悪はあるが無いのざぞ、善はあるのざが無いのざぞ、この道理分りたらそれが善人だぞ。千人力の人が善人であるぞ、お人よしではならんぞ、それは善人ではないのざぞ、神の臣民ではないぞ、雨の神どの風の神どのにとく御礼申せよ。八月の九日、一二 。
第二十四帖(一三一)
今の臣民めくら聾ばかりと申してあるが、その通りでないか、この世はおろか自分の身体のことさへ分りては居らんのざぞ、それでこの世をもちて行く積りか、分らんと申しても余りでないか。神の申すこと違ったではないかと申す臣民も今に出て来るぞ、神は大難を小難にまつりかへてゐるのに分らんか、えらいむごいこと出来るのを小難にしてあること分らんか、ひどいこと出て来ること待ちてゐるのは邪(じゃ)のみたまぞ、そんなことでは神の臣民とは申されんぞ。臣民は、神に、わるい事は小さくして呉れと毎日お願ひするのが務めぞ、臣民 近慾(ちかよく)なから分らんのぞ、慾もなくてはならんのざぞ、取違ひと鼻高とが一番恐いのぞ。神は生れ赤子のこころを喜ぶぞ、みがけば赤子となるのぞ、いよいよが来たぞ。九月十日、ひつ九のかみ。
第二十五帖(一三二)
今に臣民 何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。九月十日、ひつくのか三。
第二十六帖(一三三)
天の日津久の神と申しても一柱ではないのざぞ、臣民のお役所のやうなものと心得よ、一柱でもあるのざぞ。この方はオホカムツミノ神とも現はれるのざぞ、時により所によりてはオホカムツミノ神として祀りて呉れよ、青人草の苦瀬(うきせ)なほしてやるぞ。天明は神示(ふで)書かす御役であるぞ。九月十一日、ひつ九 。
第二十七帖(一三四)
石物いふ時来るぞ、草物いふ時来るぞ。北おがめよ、北光るぞ、北よくなるぞ、夕方よくなるぞ、暑さ寒さ、やはらかくなるぞ、五六七(みろく)の世となるぞ。慌てずに急いで呉れよ。神々様みなの産土(うぶすな)様 総活動でござるぞ、神々様まつりて呉れよ、人々様まつりて呉れよ、御礼申して呉れよ。九月十二日、一二か三。
第二十八帖(一三五)
おそし早しはあるなれど、一度申したこと必ず出て来るのざぞ。臣民は近慾で疑ひ深いから、何も分らんから疑ふ者もあるなれど、この神示一分一厘ちがはんのざぞ。世界ならすのざぞ、神の世にするのざぞ、善一すじにするのざぞ、誰れ彼れの分けへだてないのざぞ。土から草木生れるぞ、草木から動物、虫けら生れるぞ。上下ひっくり返るのざぞ。九月の十三日、ひつ九のか三。
第二十九帖(一三六)
この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。九月十三日、一二 。
第三十帖(一三七)
富士とは火の仕組ぞ、渦うみとは水の仕組ぞ、今に分りて来るのぞ。神の国には、政治も経済も軍事もないのざぞ、まつりがあるだけぞ。まつらふことによって何もかもうれしうれしになるのざぞ。これは政治ぞ、これは経済ぞと申してゐるから「鰻つかみ」になるのぞ、分ければ分けるほど分からなくなって手におへぬことになるぞ。手足は沢山は要らぬのざぞ。火垂(ひだり)の臣(おみ)と水極(みぎり)の臣(おみ)とあればよいのざぞ。ヤとワと申してあろうがな、その下に七七ゝゝゝゝと申してあろうがな。今の臣民 自分で自分の首くくるやうにしてゐるのぞ、手は頭の一部ぞ、手の頭ぞ。頭、手の一部でないぞ、この道理よく心得ておけよ。神示は印刷することならんぞ、この神示説いて臣民の文字で臣民に読める様にしたものは一二三(ひふみ)と申せよ。一二三は印刷してよいのざぞ。印刷結構ぞ。この神示のまま臣民に見せてはならんぞ、役員よくこの神示見て、その時によりその国によりて それぞれに説いて聞かせよ。日本ばかりでないぞ、国々ところところに仕組して神柱つくりてあるから、今にびっくりすること出来るのざぞ、世界の臣民にみな喜ばれるとき来るのざぞ。五六七(みろく)の世近づいて来たぞ。富士は晴れたり日本晴れ、富士は晴れたり日本晴れ。善一すぢとは神一すぢのことぞ。この巻を「天つ巻」と申す、すっかり写して呉れよ、すっかり伝へて呉れよ。九月十四日、ひつ九のか三。