(銀次さん初の、弾き語りライブ!いったいどういうことが起こるのか楽しみ)
照れくさいですね、なんかね。
♪マンデー・マンデー♪
「まぶしい光の〜」で、いきなりつまずく。一同爆笑。 銀次さん、照れくさ〜い!
これ、タイアップだったんですよね、昔。僕の曲でCMタイアップって2曲しかなくて、日清カップヌードル!でも売れませんでした。あともう1曲っていうのは、「今でも君を忘れない」吉田栄作が出てた、シャープのCM。あれは実は、キューン・ソニーに行く前のレコード会社で話があって、あのまま行ってるとたぶんシングル出てたんだけど、レコード会社が変わったり、事務所がつぶれちゃったりとか、いろいろありまして。
♪コングラジュレイション♪
なつかしい〜、僕がおかっぱ頭だったころですね。まだ子役でやってたころですけど、ちがうって。これは82年の「ベイビー・ブルー」の中の曲ですけど、今、こういうリズムの曲は、わりと増えて、みんなやるようになったんだけど、僕が思うに、日本で第1号じゃないかと勝手に自分で思っております(笑)。早すぎたのかもしれませんね。これ、実は作った時、すごく恥ずかしくて、この詩は、小林和子さんという人で、なんと、「ハッとしてGood!」の作詞の人ですね。実は「ベイビー・ブルー」を出す前に、ちょうど80年代の頭くらいは、大滝詠一さんのアルバムが売れたり、スピルバーグの「E・T」が人気があって、大人の人でもそういう、子供っぽいものとか好きになっても、あんまり変じゃないというふうな、むしろ夢があっていいみたいな時期だったんで、ちょうどその時期に僕はアルバムを作ることになって、実は70年代に1枚、「デッドリー・ドライブ」というアルバムを作ったんですけど、その時にちょうどフュージョンとかそういう大人っぽい音楽がブームで、僕はもともとビートルズとか、60年代の音楽がすごい好きだったんだけど、その時はちょっとタイミング的にやれなかった。ちょうど「ベイビー・ブルー」の時に、そういうのがやれるぞ!ただし年齢32歳かみたいな、ん〜、どうしようかな〜、でも一生やり残して暮らすのはいやだな〜と思って、なんとかこじつけてやれないかな、って。 32歳っていうと、今はそうでもないけど、あの当時で言うとおじさんですよ。今はもう、30歳っていうとまだ若いじゃない。あの当時だと、30歳過ぎるとおじさんおばさんと言われた時期で、そういうおじさんでも、バブルガムミュージックとか、ポップスやってもいいんじゃないかという居直りで、思い切ってやっちゃおうと。 実はこの曲はもともとタイトルは、車のCMでクリフ・リチャードがやってたと思うんですけど「♪コングラジュレイション」というのからもらっちゃって、小林和子さんに詩を書いてもらったんですけど、このときのプロデューサーは、レコードには「jun kasahara」と書いてあるんですけど、実は、今をときめく、槙原敬之のプロデューサーである木崎さんという人が、その当時、渡辺プロダクション専属の会社員としてディレクターやってたのね。ということは僕は渡辺プロダクションじゃないから、外部の仕事になっちゃうわけでしょ。バレると会社にまずいということで、変名でやってたんですけど、彼に「こういう構想があるけど、どうでしょう?」と話したら、すごく面白がられて、実は木崎さんていう方は僕がもう1回デビューするきっかけになった、本当に足をむけて寝られないような人ですけど、というのは沢田研二さんのプロデューサーだったんです。それで僕がプロデュースした、佐野元春の「バック・トゥ・ザ・ストリート」というアルバムをたまたま木崎さんが聴いて、沢田研二さんの若返りをなんとか図ろうとしていた時に、うってつけのアレンジャーだということで、1回も僕と仕事したことないんですよ。その1枚のアルバム聴いただけで、全部アルバムを任されるということになって、それですごく気に入ってもらえて、それからいろんな仕事をいっしょにやるようになって、たまたま沢田研二さんが京都で例えば映画の撮影やってると、代わりに僕が歌を歌って、それが沢田さんの京都の撮影所に届いて、それで沢田さんが練習するっていうね。それを聴いてた木崎さんが、「銀次さん、けっこうなんか、今、イケるんじゃない?銀次さんのような細い声でも、頼りない声でも、今ならイケる!(笑)寺尾聡だって、売れてるじゃない!(大爆笑)」それで、そうかな〜って、もう全然歌に自信なかったから、「ちょっと、企画を売り込んでみるよ」と言われて、それでポリスターレコードに話を持っていったら、アルバムを出そうということになったんですよ。ま、ちょっと話が前後しましたけど。それでその時に、僕が一応、そういう中年みたいな年齢でもポップスがやれたらと思ってるんだけど、という話をしたら、「いいね!」って言われて、そして連れてきたのが、小林和子さんだったわけですよ。トシちゃんの。ちょっと恥ずかしかった、最初ね。だけど歌っているうちに、なんかすごくいいのと、れ、すごく面白かったのは、楽しい曲なのに、歌詞が悲しいでしょ?ふられた歌で。僕はその当時、ファンの人からいっぱい手紙をもらった時に、「こういう明るい曲調で、悲しい歌を歌われるとよけい悲しいんです」っていうふうなお便りをよくもらって、いつもこれは初期のコンサートツアーの時には最後はこの曲でお別れって感じでやってたんですけどね。ちょっと思い出にふけってしまいましたが。今日は思い出のナンバーが次々と出ます、と言ってもそんなにはね。 それでは今日はちょっと意外なナンバーを用意してみました。ちゃんと弾けるかな?
♪ネイチャー・ボーイ♪
これは、あんまりステージでやったことない曲で、何に入ってたんでしたっけ? 「グラストゥリーの夜」が入っているアルバム、「ネイチャー・ボーイ」だ!(笑) 実はこの曲を発表した時に、子供が生まれたりしたこともあって、これは子供のことじゃないかというお便りをよくもらったんですけど、これ実は子供じゃなくて、僕のことなんですね。ある種、自分に対する宣言でもあったというか、やっぱり僕は大人で、実際ミュージックビジネスの中で仕事をしているわけですけど、どっかその、器用に、売れ線に走れないところがあるということですね。 なんかこう自分自身で妙に、純なところがあると思ってて、実はこの曲ってのは、ピアノでポロポロッって弾きながら作った曲で、すごい自然に出てきて、今までこうやって自然に出来た曲はこの曲と「愛をあきらめないで」かな。 すごい簡単に出来たんですけど、ファンの人たちの間ではちょっとわかりにくい歌だったんで、たぶんこういう気持ちになってる時でないとピンとこない歌だと思うんですよね。 この中にラブソングも何もないし。僕はもうこの曲すごく好きなんですよね。特に、僕はB型なんで、わりと何かやるときに、思い付きとか非常に大事に考えちゃうんでね。「キャンバスの上に色を置く 感じたままの絵の具で」っていうのは、もうたまらなくしびれるくらい好きなんですよねここ。(笑) わかってもらえるでしょうか?もうこれは自分でもすごい気に入ってる詩なんですよ。まるで僕はピカソかって感じですけどね。あと、「どこまでも続くサバンナを駆けるカモシカのように」これもファンの方から「サバンナにカモシカは居ないような気がします」と(笑)。でもまあ、佐野元春の「バルセロナの夜」に湖が出てくるけど、バルセロナに湖はないっていうのがあるので(笑) まあ、あくまで詩ということで。これは実は「ジャングル大帝」なんですよ。イメージが。レオが走っていく、ひたむきさと言うかね。あれがすごい好きで。 ちょうどそのころ、僕がファミコンで「ドラクエ」にハマってた頃で、「海にかかる虹の橋 多くの民が渡ってく」(笑) ドラクエやったことがある方ならわかると思うんですが、この島と、この島の間に橋がかかってるんです。 その橋渡ると必ず出てくるんですよ、モンスターが(笑)
♪ベイビー・ブルー
昔、ファンからのお便りで「この曲で縁が結ばれた」というお便りがあったんですよ。 女性の方なんですけど、高校時代に好きだった人がいたんだけど打ち明けられなくて、そのまま別れ別れになってて、 東京の学校かなんかに行ってて、久しぶりに彼が帰ってきて、 その時に「僕の気持ちだ」ということでこの曲をかけたみたいですけどね。 それで、彼の気持ちがわかって、「わかっていたよ 初めから」というところでしょうね、きっと。 それで二人は結ばれて。「ありがとうございます。銀次さんのベイビー・ブルーは、私たちのキューピットです。」ということでね。 最近、友達の結婚式に呼ばれると、この曲を歌うことが多いですね。 これはもう、その後、流行作詞家として大売れに売れちゃう、売野雅男さんの作詞ですけど、 このとき売野さんはまだヒマで、この方はもともと広告のコピーライトを書く方で、このときはまだ全然売れる前で、 「すごくセンスのいい人がいるよ」っということで紹介してもらって、コピーライトを見せてもらって、すごく感じのいい人だったんで、ぜひやってみたいなということで、僕にとってすごく大事なアルバム「ベイビー・ブルー」の詩をほとんど任せることになったんです。 野口英世みたいな感じの人です。見たことあるでしょ?その後「少女A」とか、一連の作品でもう大先生になっちゃいましたけどね。 このころはずーっとスタジオに来てくれてて、作業している間に詩を書いたりしてたんですけど、 「SHADE OF SUMMER」という曲がアルバムに入ってますけど、この曲は最後の曲になったんですよ。 これはなかなか注文がうるさかったんです。 僕の頭の中ではもう見えてて、昔、荒井由美さんって言ってた頃のユーミンの曲に「卒業写真」っていう曲があって、すごい大好きな曲なんですけど、学生時代にいっしょだった彼と彼女。彼女は社会に出て行って、世の中の荒波にもまれているうちに見失いそうになっているものを遠くで見守ってね、という。 この逆のパターンもあるんじゃないかと。男の人が、遠くから、君の言葉を思い出して勇気づけられていくという歌もいいんじゃないかということで、 売野さんにお話をしたら、書いてくださったんですけど、 けっこう、詩が来た時に「寂しい大人にならないで」というのが、ドキッとしたんですよ。で、歌い終わって、「いいのが出来たね〜」という話をしていたときに売野さんが、「実はこれはちょっとつらかった」と。フィクションではないようなんですね、どうやら。 自分の、封じ込めてた過去の何かを引っ張り出しちゃったんですね。だからいい作品になったけど自分としてはちょっとつらいと。 やっぱり、プロの作詞家っていうのは、注文を受けて、例えば伊藤銀次さんに注文を受けると伊藤銀次さんになって書くんですよ。中森明菜さんなら中森明菜さんに。 でもこれは売野さんなんですって。だからいい作品になったんだな〜と、しめしめと心の中では思ってましたけどね。 時々僕らも曲を書いてて、フィクションのつもりで書いてるんだけど、何かこう、飛び越えてしまうというか、そういう時はやっぱりすごくいい歌ができる、という感じがしますけど。
これは僕はステージでは1回もやったことない曲です。 でも、今日この集まりをやるときに思ったのは、もともとこの集まりは、僕がずっと放送していた、FMの番組を聴いていた方がすごく多いんで、その人たちにとっても思い出深い曲だと思うんで、その曲をやります。
♪いつかどこかで
(その後フリートーク)
いや、もう、名古屋弁にはおどろかされてますよ。 今、名古屋のバンドをプロデュースしているんだけど、僕の子供の頃には「オリエンタルカレー」の「どえりゃ〜うまい」という。今、「どえりゃ〜」って言わないんです。「どえりゃ〜」が訛って「どら」。「どらうまい」とか。「どら」が今度は「でら」になって、今度は「めら」になって、「めらうまい」という。 さらに訛って「もらうまい」という。すごいな〜と思うんですけど。
今、自分の年齢とか考えると、40代だから、何か「いつまでも俺たちは若いんだ」みたいな歌はあんまり好きじゃないな。「ベイビー・ブルー」の時でも、もう32歳だから、ギリギリかなーみたいな。メイクして、しわを隠して、「いつまでもフォーエバー」みたいな歌を歌うのはね〜。 今のこの年齢をちゃんと意識した、あんまりブリッコみたいに思われるのも恥ずかしいからね。 以前は、ある年齢までポップスで、ある年齢になると演歌を聴いたりするんですよね。でも演歌も死にかけてるからね。 で、逆に今度は大人の人が聴ける曲もない。レコード会社もあんまり一生懸命作らないし。なかなかコンサートにも来てくれないしね。若い人たちはいつも、まず最初に遊ぶことを考えるから、何を犠牲にしてもコンサートに来るし、そこを中心に15歳〜22くらいにあわせる。 やっぱり30過ぎたらもう全然来ないんだもん。大人のマーケットもあると思うんだけどね。
でもあんまり、バンドのプロデュースも、数多く出来ないな。ちょっとなんか疲れてきちゃった。 自分の曲とかを発表できる場面をもうちょっと作りたいなと思ってて。 やっぱりウルフルズが売れちゃったから、バンドの依頼が多くて、それも非常にどうしていいかわからないようなバンドが多くて、「銀次さんならなんとかなる」みたいな。 一応、偏見無しに聴かしてもらうんだけどね、でもやっぱり、基本的に、バンドで、ボーカルが入ってたら、例えばヘタクソでも、なんかボーカルさえ良ければ可能性はあると。 歌の上手い下手じゃなく、声に魅力があったら何とかなると思うんだけど、ボーカル聴いて、う〜ん、やめたほうがいいかな〜みたいなのは引き受けないようにしている。 あと、出来ればビデオも見せてもらって、どんな雰囲気なのか。ボーカルとドラムが良ければだいたい引き受けるんですよ。 ドラムがダメだと、リズムが悪くて、レコーディングにすごい時間がかかる。あと、リズムが悪いっていうより、やっぱりセンス。 ウルフルズの時も、ライブ見に行った時に、すっげーヘタクソで、わ〜えらいもん引き受けたなと思ったけど、ドラムがすっごい、いい感じなんですよ。それで、やってみようかなと。ボーカルは、最初聴いた時に気に入ったから。
スタジオで名言がいっぱい生まれるわけよ。ついこの間までは「音は憎んで人は憎まず」。 すごいのは「俺たちに『たら』『れば』はない」なんとかなったら、という、『たら』『れば』はない。ニラレバはあっても。(笑)それもすごい、緊迫しているシチュエーションで使うんだよ。 あと、これもすごいよ。O脚の人いる?O脚の人がいたら、「この、オーキャク者!」って(笑) 俺、けっこう好きなんだよな。言われたほうは、わけわかんないと思うんだよね。怒られたのかな〜?って。 でもね、なかなかみんなレベルについてこない。(笑)だめだよ。もっと、心をいつも泳がせて。その辺のスケール感の違いを感じるね。 僕のギャグが、どっか脳ミソの別のところで受け止めることが出来たら、彼らは本物だよ。
洋楽がちょっと変わってきた。 80年代はカルチャー・クラブとか、ビリー・ジョエルとか、けっこうポップス系みたいなのがあったから、日本人が聴いても楽しめた。メロディーの音楽だったから。今、欧米の音楽っていうのは、けっこうリズムとか、あとちょっと退廃的な感じ。完璧に世紀末なんですよ。世紀末がかっこいいっていう、ほとんどもう、聴いている人も全員麻薬やってるんじゃないかと思うくらいの。 それが日本人の中で、ファッションを追いかけている人は好きだけど、ごく普通の人が聴いて、いいとは思えないから、その辺のズレがあって、メロディックな音楽って、すべてバラードでしょ。セリーヌ・ディオンとか。 日本人はやっぱりポップスや、メロディックなのが好きでしょ。それで北欧のカーディガンズとか、一連のポップスが日本だけで売れると。 だから結局、洋盤店の人たちが、日本人向けのものをキャッチして、送り届けている現象で、カーディガンズも、向こうでも売れ始めてるけど、日本のほうが先にブレイクしている。 もう終わっちゃいましたけど、富山で番組やってたときも、最初、洋楽をかけていたら、聴取率全然ダメで、どうしましょうって。 一応プロデュースの仕事してるから、そういう、オリコンの上位の曲をかけて、プロデューサーの立場から、これはこういうところが面白い、というのをやってみようと、見切りでとりあえずやってみたら、すごい聴取率上がっちゃって。
僕、最近一番好きな曲は「スカーレット」。すっごいイメージ沸いてくる。クラシックみたいだもん。天才じゃないかと。ああいう曲作りたいなって。
今日は、曲数も少なかったですけど、また、今度はリクエストも募っておきましょうか?
ということでお開き。記念撮影して帰る。 |