Diary -Nov (1) 2001-


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15 Nov 2001
Thursday

新装開店★買物特命全権大使・冬くんの物欲日記(不定期連載)

 何やら世間では winter くんは「物欲から解放された! もうモノを買い集める事はせん!」と豪語してんらしいんやけど、何をおっしゃいますやら。彼は確かにCDは買わなくなったんですわ。さらさらこーてまへん。そやけど、その他のモノは相変わらずちょこちょことこーておるねんよ。そないな買い物特命全権大使ぶりを遺憾なく発揮する冬くんの日常を、きょうびお買い上げのアイテムを中心にご紹介していきまひょ。

 まずはデジカメや。

 だいたい、この日記をお読みの皆はんやったら覚えとるでっしゃろ。彼は今年の5月に CASIO の LV-10 ちうおもちゃデジカメを購入して、そのごっつい使えなさに泣きを見て、すぐさまYAHOO!オークションで売りさばき、買い値とほぼ同額で転売するゆう荒業を見せたことでも知られとる鬼畜や。にも関わらず、ですわ。彼は8月の最終週に、何を勘違いしたんかもっかいおもちゃデジカメを購入してまうのや。まさしく買物特命全権大使。使途不明金の多さでは外務省なんかに負けまへん。

 手に入れたんは、maxell の WS30 SLIM。こら30万画素のデジカメで、何より軽うて小さいことがセールスポイントや。どのくらい小さいかちうと、タバコの箱がありますねんや。あれにほとんど収まってまうくらいなんや。重さもわずかに78g。電池を入れても100gもおまへん。これで、640×480ピクセルのJPEG画像が約127枚撮れるフラッシュメモリを内蔵。ストロボも付いてまんねん。それに、マクロモードで20cmからの接写も可能。電池の持ちも、単4アルカリ電池1本で500枚くらいは撮れるようや。これで1万1,000円くらいちうわけや。

 あと1万円出したら、確かにメガピクセル機が買えますわ。せやけどダンさんあれでは本格的過ぎるちうワケや。変な話かもしれしまへんが、本格的なデジカメやったら要らへんのや。重いし、かさばるし、何より「わしは今デジカメで写真撮っとるで!」みたいなスノビズムが鼻持ちやったらんのや。そやけどこいつは、どなたはんがどう見てもおもちゃや。カバンやポケットに入れたかどうかも忘れるくらいに小さうて軽いんや。ちーとばかし散歩や買い物に出かける時に、ポケットに入れて行くためのもんや。ほんで大抵の場合、おもろい日常風景やシャッターチャンスゆうものは、そないな時に訪れるちうワケや。首から本格的な一眼レフをぶら下げて出かけるようなシチュエーションやのうて、な。

 そないなわけで、結構気に入っとるアイテムのひとつらしいですわ。次は何やろな?



14 Nov 2001
Wednesday

 葛飾区議会議員に立候補するという女の子と飲みに行った話は8月の日記に書いた。で、先週末が投票&開票日だったわけだが、彼女は見事に当選していた。おめでとうございます。サイトはこちら。これくらい宣伝しておけば許してくれるかな? 見たとおり、イメージどおりの女の子です。
 
 同い年が次々と宇宙飛行士になってしまったり議員さんになってしまったりする今日この頃、相変わらず自分はマイペースを貫くだけ。自分が自分でなくなってしまうような生き方は僕にはできない。自分の好みが何かは自分が一番よく知っているから。…I know what I like and I like what I know.

 定例オフ会は、11月30日(金)夜 でいい?



13 Nov 2001
Tuesday

(昨日から続く)
  にも関わらず、加護 亜依は平気で保田 圭を「オバチャン」扱いする。そしてそれが加護自身の評価を高めこそすれ、損なうことがないのを知っている。小憎らしい限りだが、憎めないのだ。この矛盾した感覚こそが加護の持ち味である。

 一方、保田は「オバチャン」呼ばわりされてもサクッと切り返せるだけの技量はない。一瞬フクレようとするが、すぐに気を取り直してニッコリと微笑むのみだ。保田はそうするのが賢い生き方であることを知っている。あるいはこれまでの人生の中で学んでいる。残念ながら極端にルックスが良いとは言えない保田は、学んだのだ。生きる術を。

 それは「いい人」になること。モー娘。の中でもとびきりの「いい人」街道を爆走する保田は、加護に「オバチャン」と呼ばれ、むしろ本気でいいオバチャンを演じてしまう。例えば『ハロモニ』の中の1コーナー、「バスが来るまで」というコントの中で保田は、もう一歩突き抜けてお婆ちゃん役を演じている。これはもう、見事とか名演とかいったレベルを超えた、凄まじい演技である。杖をついてヨロヨロ歩き、街角で位牌を取り出して拝み出す素っ頓狂なお婆ちゃんを、保田は涙ぐましいまでに愚直に演じる。同じ画面に帰国子女役で吉澤が出てきたりすると、本当に同じグループの女の子たちなのだろうか?と思わせるほどに強烈な保田お婆ちゃんである。

 この役は保田にしかできない。間違っても、後藤やなっちにはできない。(もっともなっちの演じるガリ勉系勘違い女子高生も極めてスウィートなキャラではある。) 保田はこうした家庭的な雰囲気というか、磁場を強烈に放射している。そしてモーニング娘。にはきっとこんなキャラクターが必要なのだ。例えば、疲れて家に帰った夜に「ひじきの煮物作って待ってたよ」と言って玄関で微笑んでくれるようなキャラクターが。残念ながらそれは加護や辻には務まらない。もちろん中澤でも不可だ。やはり保田でなくてはならない。

 だから、もし来年の3月に保田がモー娘。を卒業するようなことがあれば、多分モー娘。はモー娘。でなくなってしまうのだろう。もちろん世間では相変わらずそれを「モー娘。」と呼び続ける。名称と実体がかけ離れてしまう例などこの世じゃちっとも珍しいものではない。だがしかし、本当にそんなことでよいのか? 保田なしのモーニング娘。で? 本当に?

***

 『冷静と情熱の間』
読了。辻 仁成版と江國 香織版のいずれもそれぞれ1時間以内に読み切ってしまう。たいへん残念なことだが、アイディアだけが上滑りしてしまっているように思われた。この2人は、このような切実かつ悲惨な恋愛を経験したことがないのではないか? もし本当にあるのだとすれば、このテーマの小説なら俺の方がはるかに切実に書くことができる、と思わせる自分の強烈な自信はどこからくるのだろう? むしろ、本当にこんな恋愛を経験したことがある人ならば、小説を書くことはしないのではないか。…などと、小説を書かない自分を自己弁護してみたりもした。



12 Nov 2001
Monday

 昨日ひじきの煮物を作りながらふと考えたのは、もしモーニング娘。の誰かにひじきの煮物を作らせるなら、自分は間違いなく保田 圭を選ぶだろうということ。

 自分は再三書いているように、加護 亜依を高く評価している。それは単にルックス云々というレベルではなくて、信じられないまでの頭の回転の早さと、ギャグのセンスを買ってのこと。加護は生意気盛りである。しかしながら、それは本人の周到な計算の上に成り立っているものでもある。つまり加護は、自分が外には恐ろしく可愛く映っていること、そして可愛い女の子には多少の暴言が許されることを、本能的に鋭く知覚している。そしてその「多少」の範囲のわきまえ方が、14歳とは思えないほど的確なのだ。

 …保田に話がたどり着くまで、もうしばらく辛抱してほしい。

 加護のような女の子は、実はなかなか珍しい存在だ。つまり、(1)可愛いルックスを持ち、(2)自分が外からどう見られているかを的確に認識し、(3)その範囲でギリギリの生意気プレイができるという存在。「自分は周りから可愛いと思われている」という認識を持った女の子なら数多くいる。しかしその大半は実際にはちっとも可愛くない勘違い系だったりする。あるいは、類稀な可愛いルックスに恵まれながらも、なぜかそれを認識(=有効に用いることが)できず、結果としてバカ男につかまってばかりの不幸な女の子もたくさんいる。あるいは上の加護の例でいう(1)と(2)を十分に備えていながらも、(3)でハズし、大ヒンシュクな言動を繰り返して男運を失う女の子だっている。

 しかし加護はそのいずれでもない。悔しいけれど、スゴイ。既にモーニング娘。の年少組を実質的に仕切りまくっているが、絶対に反抗してはいけない相手(たとえば矢口)にはちゃっかりなついてみせる。既に卒業したとはいえ今も強力な影響力を行使する中澤に対しても、強烈な反感を買うようなことはしない。(そこへ行くと石川などは身の振りが上手いとは言い難い。チャーミー石川なるキャラは、中澤との対立構図を逆手に取ったギャグではあるが、モーニング娘。という集団の中で長期に渡って演じ続けられるものとは考えにくい。この辺については今日は省略する)

 そこでだ。その加護が、保田に対しては遠慮もせずに「オバチャン」扱いをする。確かにモー娘。においては数歳の年齢差が実社会の数十年に匹敵するものであるかもしれない。ならば加護から見れば保田は確かにオバチャンだ。しかしながら一方で、モー娘。は徹底的に年功序列を重んじる集団でもあった。同学年ですら、モー娘。入りの時期や、誕生日の早い・遅いで明確な序列、先輩後輩意識がある集団なのだ。

 にも関わらず、

 (明日に続く)



11 Nov 2001
Sunday

 昨日は厚生年金会館でビートルズ・トリビュート・コンサート。ライヴに足を運んだのは昨年夏の Sheila E.@ブルーノート東京以来かなあ。すっかりご無沙汰なのでした。やっぱり生で音楽を聴くのはとてもよいですね。財布と相談しながら、時々は会場に出かけることにしよう、と思いました。

***

 今日はひじきの煮物みたいなのを作ってみました。

 まず、乾燥ひじきを20分ほど水で戻します。その間に、ニンジン、ゴボウ、油揚げなどを切っておきます。たっぷり水を吸って膨らんだひじきを、油をひいた鍋に入れ、大豆缶詰めを空けてニンジンその他と一緒に、強火で数分炒めます。その後、砂糖と醤油を足してしばらく煮込みましょう。最後に酒・みりんの類で味を整えて出来あがり。比較的美味しく、しかも栄養豊富なつけ合わせになります。

 いいお天気で、ふとんや洗濯物も干してすっかり気持ちのいい日曜日でした。



10 Nov 2001
Saturday

 日本語ってのは本当に難しい。

 炭疽菌騒ぎで抗生物質飲んでますか? 英語で言うたら anti-biotics ですがな。それはすなわち「抗・生物質」。バイ菌などに対抗する薬ってな意味でございます。間違っても「抗生・物質」じゃないんだよ。だいたい抗生って何だよ抗生って。おいコラ。

 「飛躍的に低下する」とは言わないし、「オニの様に可愛い女の子」もおかしい。
 9回裏にホームラン打って嬉しいのに「サヨナラ」
 タテ縞着てても「邪ま(よこしま)
 晴れてもアーメン。雨が降ってもハレルヤ。雨のち晴れ。
 雨降って地固まる。

 今日の東京は一日中雨でした。明日はどんな天気かな。



9 Nov 2001
Friday

(昨日の続き)

 そしてもうひとつは新聞自体に掲載されている広告。朝刊の一面広告はお金がかかるだけあって、新製品や新サービスなど、その会社が非常に力を入れているものを宣伝しています。また、そのデザインやキャッチコピーなども時間とお金がかかったものが多く、広告単体でかなり奥深く楽しむことができます。

 また、小さな広告も見逃せないのですが、個人的に重宝しているのは雑誌&書籍の広告だったりします。雑誌を実際に購入することはほとんどありませんが、その見出しだけをざっと眺めるだけで、世の中の動向は何となく分かるもの。もし興味深い記事があれば、実際に本屋さんに足を運んで読んできます。(読むだけかよ!) 単行本や文庫本についても同様で、日々膨大な書籍が出版されては消えていきますが、毎日書店に通ってチェックしている暇は到底ありません。でも新聞広告と書評欄を注意深く読んでいれば、興味深そうな本をいくつか見つけることはできます。ただし、これはもっとも時間が取れない場合の解決法で、基本的に自分は本が好きなので実際に書店に立ち寄るか、週末など図書館で一日中本を読んでいることもしばしばあります。

 何かで読みましたが、開いた新聞紙のサイズは、日常生活で身の回りにあるものとしては最大のものなのだそうです。大きな紙であるということは、例えばモノを包んだりするのに利用できます。引越しの時には段ボール箱の隙間に詰めたりもしますよね。自分は小さ目のサイズに切ってキッチンの壁にクリップで留めてあり、シンクの中のゴミを包んで捨てるのに使ったりもしています。

 ニュース解説やコラム系読み物、あるいはテレビ欄やコンサート告知といった効用以外にも、実にさまざまな用途や楽しみ方がある新聞という存在。やっぱり「紙媒体」としての新聞からは当分離れられないなあ、と実感する今日この頃、どうやら自分は広い意味でアナログ志向みたいですね。

***

 掲示板で先日プロレスネタが盛りあがったこともあり、『プロレス者たち』を書いてみました。ちょっと懐かしかったです。



8 Nov 2001
Thursday

 新聞をとるのはやめよう、と思っていたのです。9月までは。

 そして10月11月。やっぱり読むことにしてしまいました。新聞って一体何だろう。ニュースだけならテレビもインターネットもあって、速報性という点で新聞は絶対に勝てません。それでもやっぱり、毎朝起きるとまず新聞に目を通したいのです。「今日の新聞に書いてあったよね」「うん、読んだ読んだ」と最低限の「共時性」を感じられる媒体でもあります。

 実は密かに気に入っているポイントは、その広告です。

 ひとつはもちろん折り込みチラシ。毎日実に色々な折り込みが入ってきますね。うちの場合、量的に一番多いのは新築マンションなど不動産の広告です。最初の頃は邪魔だなあと思っているだけでしたが、少しずつ目を通し始めるとこれがなかなか面白い。沿線や都心からの距離によって価格に「相場」があるのが次第に分かってきます。その相場から大きく外れた物件の場合、よくよく見るとベランダの向きや間取り、幹線道路からの距離やその他もろもろの事情が微妙に隠されているのが見えてくるのです。実際に現地に足を運ぶと、さらにいろいろな事情が明らかにされてきて。しかしそこまでしないまでも、広告を見ながら想像するだけでかなり楽しめます。

 不動産以外ですと、やっぱり近所のスーパーの特売チラシとか。仙川には丸正と西友、京王、クイーンズ伊勢丹と4つのスーパーマーケットがあって、過当競争気味に毎日特売を繰り広げています。クイーンズ伊勢丹はあまり安売りせずに品質で競争しているようですが、残る3店は食料品を中心に住み分けなしの大競争です。消費者にとってはありがたいことですが、経営はたいへんだろうと思います。いずれにせよ、週末の買い出しなどにあたって特売情報はとても重宝するものです。

 この他に、デパートのチラシ類も入ってきます。毎週のように入るのは京王、小田急、伊勢丹、三越あたりかなあ。高島屋は月1回くらいのようです。調布パルコもときどき入ってます。季節を先取りしたファッションの広告を毎週のように眺めていると、流行が動いているのが手に取るように分かります。特に女性の服や靴はそうした要素が強いですよね。あと実際にはあんまり足を運ぶことはできないのですが、各デパートではよく地方の物産展みたいなものをやっていて。例えば北海道の物産展とかあると、豊富な海産物や美味しいソフトクリームなんかを売ってたりするわけです。そういう情報を眺めたりするのも結構好きかもしれません。

 明日は帰りに新宿のデパートでウィンドウショッピングのはしごでもしてこようかな?



7 Nov 2001
Wednesday

 仕事が終わった後、職場の女の子たちと新宿のベトナム料理店に出かける。

 ご存知のようにベトナムは今、女の子に猛烈に人気がある。アジア諸国をあらかた荒らし終わった彼女らにとって、異国情緒溢れる新たなターゲットなのだろう。適度に残された自然、フランス植民地時代の建築物。民族衣装アオザイを着た女性たちの美しい身のこなし。優しく勤勉で誇り高きベトナムの人々。日本人がどこかに忘れてきてしまったモノをあちこちに見つけることができる。

 そして何より美味しいベトナム料理

 初めて食べたのは95年春、ロンドンの中華街の端っこにあったベトナム料理店だったと記憶する。あの頃は違和感があった香草のツンとくる香りも今では大好き。こってりし過ぎておらず適度にあっさり、食が進む料理ばかりなのだ。調子に乗ってみんなであれこれ注文して食べまくる。何と言っても生春巻だ。この柔らかい食感。さっぱりとした不可思議な味わい。ハマる。ハマりまくる。すっかりベトナム料理に巻き取られる夜。

 コトワザに言うとおりだった。
 …『ナマい春巻には巻かれろ』



6 Nov 2001
Tuesday

 女性の多くはお化粧しますね。それも毎日(あるいは毎晩)。僕はすっぴんの女性も好きですが、綺麗にお化粧された女性も同じくらい好きです。「化粧」という単語に「化かす」という意味が含まれているのは百も承知。化かされたって何が悪い? 綺麗に化粧した女の人に化かされること以上の悦びが他にあるとでもいうのかコラ。

 ところでお化粧はすなわちメイクアップです。女の子は普通「メイク」と言いますね。特撮映画ならメーキャップだ。いずれにしても正しく英語で綴れば "make up" です。

***

 そのことに気づいた時僕は愕然としました。
 "make up"。確かに「化粧する/メーキャップする」です。ですがしかし、英和辞書に燦然と輝くもう1つの意味は「うまくごまかして作る/でっちあげる」

 まさに彼女たちは毎日(あるいは毎晩)、自分の顔をうまくごまかしてでっちあげているわけです。繰り返しますが、それは一向に構いません。むしろ歓迎。何故ならこの世にでっちあげでないものなんてないのだから。綺麗にでっちあげていただいて、綺麗に化かされる方がむしろ望ましい。綺麗でないお化粧はむしろおぞましい。ならばどうすれば綺麗になれるのか?

***

 『化粧師 -KEWAISHI-』 の舞台挨拶で、「貴方にとって化粧とは?」と問われたベテラン女優いしだあゆみは、しばし沈黙した後こう答えました。

「私は以前から、『笑顔に優る化粧なし』という言葉を信条にしてやってまいりました。でも、人生いろいろなことがございますから、時には笑顔を作るのが難しい時もあります。そんな時に、お化粧をすることで、そのお化粧が笑顔を取り戻す手助けをしてくれることがあるように思います」

***

 何をでっちあげるかといえば、こうありたいという自分の姿です。命は短い。アナタも綺麗にお化粧して今すぐ街に飛び出し、少しでも恋すべし。



5 Nov 2001
Monday

 東京国際映画祭レポも今日が最終回です。『スローガン』 (SLOGANS)。

独裁政権下のアルバニアに展開する不条理な世界

 ある山村の小学校に赴任してきたアンドレ。彼が生徒とともにすることになった重要な仕事は、石を使って、政治スローガンを丘の斜面にかたどることであった…。独裁政権下にあった70年代後半のアルバニア。そこを支配した不条理な世界を、坦々と描く。
2001/フランス、アルバニア 上映時間:1時間34分
監督:ジェルジ・ジュヴァニ 出演:アルトゥル・ゴリシュティ、ルイザ・ジュヴァニ、アギム・チリャチ


 映画そのものはドキュメンタリータッチの重い映像で。

 むしろ終演後のティーチ・インの方が面白かった。あまりにも重い映画だったので、何も考えず見に来てしまったティーンエイジ馬鹿ップルたちは手を握り締めたまま何もしゃべることができず、全然質問出ず。やっと手を上げた女の子の質問は「す、スローガンって日本語で何ていう意味なんですか?」 

 おい! 質問に答えてくれるのは英語もままならぬアルバニア人の主演男優さんなんだぞ(笑)。「日本語の意味」を問うてどうする。ていうか多分、本当に知らないんでしょうね。スローガン。「遅い銃」くらいにしか思ってないのかもしれませんマジで。ましてやこの世に共産主義vs資本主義の「冷戦」なるものが存在したことも既に歴史教科書上の史実に過ぎない世代なのか。そもそも歴史教科書読んでるのか。従軍慰安婦知ってるのか。この映画が描いた70年代後半の共産主義独裁政権下のアルバニアの様子が彼女の目にどう映ったのか、むしろその辺を聞きたかったです。

 また、最後の質問どうぞ、として当ててもらった女性が「私はこの東京国際映画祭において、今の映画で描かれていたのと同じような状況が起きていて大変不快に思っています」と、猛然とまくしたて始めたのにはワラタです。わずかしか観客が残っていない会場にも一瞬緊張が走っていたようでした。

 ティーチ・イン終了後に司会のくろかわまりさんが壇上から「いったい映画祭の何が不快なんですか?」と尋ねると、どうやら会場入口でカバンの中をチェックしているのが「検閲」「体制」を思わせて気に障ったということらしく。またそれに諾々として従ってしまう他の入場者が権力に盲従する日本人の在り方を思わせてイヤだったらしく。そんな寂しい会話を1対1で熱く繰り広げておりました。

 みんなの前で騒いでみせて少しは気が晴れたかなあの子も。それともさらに怒りを胸に抱えて家路についたのかな。いやー、9月11日のテロ事件以降、いろんな意味で世界は変わったんだなと意味もなく感慨深い渋谷の夕暮れ。

***

 昨日発表された第14回東京国際映画祭の受賞作品は以下のとおり。

 東京グランプリ スローガン
 審査員特別賞 月の光の下に
 最優秀監督賞 レザ・ミル=キャリミ/「月の光の下に」
           ジェルジ・ジュヴァニ/「スローガン」
 最優秀脚本賞 横田与志/「化粧師−KEWAISHI」
 最優秀主演女優賞 ルイザ・ジュヴァニ/「スローガン」
 最優秀主演男優賞 アンドリュー・ハワード/殺し屋の掟」
 最優秀芸術貢献賞 春の日は過ぎゆく

 コンペティション部門出品作の半分以下しか見に行けなかったにも関わらず、結果として受賞作品で見逃したのは「殺し屋の掟」のみ。偶然とはいえ、質の高い映画を集中的に見ることができたようです。また来年が楽しみだなあ。



4 Nov 2001
Sunday

 心ある映画ファンの皆さん、本日午後3時からNHK教育で放送された映画『太陽は、ぼくの瞳』をご覧になりましたか? 何度も書いているように、イラン映画は、大変なところまで行ってしまっています。

***

 東京国際映画祭。『月の光の下に』(UNDER THE MOONLIGHT)。

自分とは違う世界に生きている人たちがいる…若き神学生の変化を描く

 若き神学生セイエッドは、聖職者になるため日々勉学に励んでいた。ある日、少年に僧衣を盗まれた彼は、ホームレスなど自分とは全く違う世界を生きている人々と出会うことになる。未知の世界に足を踏み入れた青年の心の模様が、静かな映像の中に語られる。イランのレザ・ミル=キャリミ監督による人間ドラマ。
2001/イラン 上映時間:1時間36分
監督:レザ・ミル=キャリミ 出演:ホセイン・パラスタル、ハメド・ラジャブアリ、メーラン・ラジャビ

 舞台挨拶で監督が語ったところによれば、イランでは現在年間約70作の映画が制作され、そのうち約10%が海外に輸出されているとのこと。自分の目に入ってくるのはマジッド・マジディ監督の『運動靴と赤い金魚』であったり『太陽は、ぼくの瞳』であったりするわけですが、それ以外にもまだまだたくさんの映画が作られているわけです。見てみたいっす。

 上記2作でも、イラン国内で拡大する貧富の差の問題をかなりハッキリ描写していましたが、この『月の光の下に』では橋の下に暮らすホームレス達を描くばかりか、イスラム教の根本的な部分にまで踏み込んで疑問を呈するという、ひどく野心的な試みがされています。しかも現在テヘランで公開中、これまでなかった新鮮な題材だけに非常な評判を呼んでいるというのです。

 宗教(イスラム教)と政治が分かち難く結びついたあの国において、聖職者となることは例えば日本で言えば国家公務員I種試験に合格して霞ヶ関で働くようなものなのかしらん。映画中でも、ホームレスの人々とは明らかに異なる世界、雲の上で生活するような立場として描かれています。その聖職者養成学校(東大のようなものか?)で日々精進を続ける学生たちには、ある意味既に特権階級が約束されている模様。主人公のセイエッドはその辺にどうも疑問を感じているようです。

 ある少年に卒業式に向けての僧衣を盗まれ、貧しい庶民の暮らしの中に飛び込んで少年を追いかけたセイエッドが見た世界は、雲の上の世界とは全く異なるものであったわけです。この辺の淡々とした描写がなかなか。セイエッドの台詞は必要最小限で、言わば省略法を用いて映像に語らせるスタイル。役者さんたちはほとんどスカウトしたての素人ばかりということでしたが、役者ずれしていない素朴な演技で、いい感じです。セイエッドは、神様がいて人がみな平等であるならば、どうして恵まれた者たちとそうでない者たちがいるのか、貧しい人々がどうしてこんな仕打ちにあっているのか、宗教は何の役に立っているのか、という根本的な問題を突きつけられます。

 大いに迷い続け、最終的に聖職者になる道を選んだセイエッド。僧衣をまとい、ターバンをかぶり、右手に指輪をして少年と再会するシーンは感動的でした。少年院で独り寂しく座っている少年の元に現れたセイエッドは、少年の手相を見てこう言います。

「君はこれから分かれ道に出る。正しい選択をすれば、幸せになれる。全ての人が全ての人を愛し合う、美しい村へたどり着くだろう」

 改革・開放路線を掲げるハタミ政権は、再選されはしましたが盤石ではないと言われます。宗教指導者の中には比較的厳格な人々も多く、彼らからは睨まれているわけです。しかし、ハタミ大統領は国民の間では人気があり、支持されています。このあたり、まさに映画と似たような状況にあって、非常に興味深いところです。伝統と近代主義のぶつかり合い、そして最終的には伝統を大切にしながらモダニズムを受け入れようとする、セイエッドの苦悩は現代イランの足取りそのものなのかもしれません。



3 Nov 2001
Saturday

 ずーっと前に録画してあった "AIRPORT '77"(『エアポート77:バミューダからの脱出』)をざっとビデオで見ました。エアポートシリーズが大ヒットしていた頃はまだ子供だったので、これはあんまり記憶にないです。バミューダの海に墜落・沈没したジャンボジェット機を、米海軍が大きな風船をつけて引き揚げるお話。えひめ丸事件などを見た今となってはあまりシャレになってません。ジャック・レモン他出演。

***

 東京国際映画祭。今日は『ヒューマンネイチュア』について。

『マルコヴィチの穴』のコンビによる、奇妙きてれつな哲学的風刺コメディ

 強迫観念に取り付かれた科学者ネイサン(ティム・ロビンス)と、ネイサンの恋人で動物学者のリラ(パトリシア・アークウェット)は、ある日、野生の中で育った男を見つける。彼を上流社会の流儀で教育しようと躍起になるネイサンとは対照的に、サルとして育った彼の過去を尊重することで、その男の自由を守ろうと誓いを立てるリラ。男をめぐってそんな綱引きが続くうち、いつしか彼らの間には奇妙な三角関係が生じていた…。野生の中で育った男を通じて、ひねくれた人間の心を皮肉り、文明社会の気まぐれや気取った社会的慣習を暴き出す痛快作。脚本にチャーリー・カウフマン、製作にスパイク・ジョーンズという『マルコヴィチの穴』のコンビが、またもや型破りな映画を作り出した。

2000/アメリカ/アスミック・エース 上映時間:1時間36分

監督:ミシェル・ゴンドリ 脚本:チャーリー・カウフマン 撮影:ティム・モリス=ジョーンズ 音楽:グレアム・レヴェル 製作:アンソニー・ブレグマン、テッド・ホープ、スパイク・ジョーンズ、チャーリー・カウフマン 出演:パトリシア・アークェット、リス・エヴァンス、ミランダ・オットー、ティム・ロビンス


 あらすじのとおり。極端な男女3人を主人公に据えて、その三角関係に絡めて人間の身勝手さを描き出し、文明社会を痛烈に風刺する1作。コメディとしてお気楽に見る分には楽しめると思います。『マルコヴィチの穴』は興味があったものの見逃しましたので、残念ながら比較することはできません。監督のミシェル・ゴンドリさんが舞台挨拶してましたが、おとなしそうな人でした。ちなみにこの監督、Bjork の "Human Behaviour" のプロモビデオ監督で、数々の賞を総ナメにしたお方。Human つながりです。でも Human League の "Human" は監督してないようです。その他、Beck、Oasis, Chemical Brothers などなどのクリップや、Levi's や GAP のCMも撮ってます。

 俳優陣も初めて見る人ばかり。パトリシア・アークェット演ずる「宇宙一毛深い女」の役はリアリティなすぎて最高です。ミランダ・オットーという女優がフランス訛りの英語を喋りまくるフランス女の役なのですが、やっぱり英語圏ではフレンチアクセントの女の子って可愛いイメージなのかしらん。

 野生生活から「人間」になった男は、自然に帰ると見せかけて最終的にはそうしない。それはSEXしたい女がいるからなのですが、そういう気持ちを抑えつけて生きている「人間」という存在の悲しさとか愚かしさみたいなものは十分感じられました。さあ君も今すぐ愛する相手とSEXしよう! それこそがヒューマン・ネイチュア! そんな感じ。2002年春休み、恵比寿ガーデンシネマ&銀座テアトルシネマでご覧になってくださいませ。



2 Nov 2001
Friday

 東京国際映画祭で、『化粧師 (KEWAISHI) 』という映画を見てきました。

化粧によって女性を幸せにする!?  そんなカリスマ“化粧師”の別の顔とは…

 東京の下町。大正初頭、女性解放の予感に満ちていた時代のこと。“化粧師”小三馬(椎名桔平)は抜群の腕を誇り、小三馬に化粧をしてもらうといいことがあるという評判さえ勝ち得ていた。一方、小三馬を偏屈で強情、金の亡者だと噂する声もある。そんな彼に弟子入りを志願した、てんぷら屋の娘の青野純江(菅野美穂)。小三馬に気があるらしい純江は、深川の大火で焼け出され、身寄りのなくなった沼田時子(池脇千鶴)に力を貸している小三馬の姿を見て心配顔である。世渡り下手な時子に自分の姿を重ね合わせてしまう小三馬には、実は誰も気付いていない秘密があるのだった…。石ノ森章太郎の原作コミックを、新鋭・田中光敏監督がきらびやかな人間ドラマに仕立て上げた。

2001/日本/東映 上映時間:1時間53分

監督:田中光敏 脚本:横田与志 撮影:浜田毅 音楽:大谷幸 原作:石ノ森章太郎 出演:椎名桔平 菅野美穂 池脇千鶴 田中邦衛 いしだあゆみ


 まず何より驚かされたのは、その圧倒的な動員力。既に週刊誌などでも報じられているとおり、東京国際映画祭の観客動員数は減りつつあり、特に今年はかなり厳しい状態だという噂です。その中で、この『化粧師』だけは会場外に信じられない程の長蛇の列ができていました。9割方は女性。しかもなぜかど派手な服を着た年配の女性が大量に。

 会場に入ると、あちこちから女性たちの歓声があがり、ザワザワと落ち着くことがありません。いったい何なんだ!? (あとでパンフレットのクレジットを見たら、「イオンレディのみなさま」という表記があり、映画のエンドロールでもこの部分でオバサマ方から猛烈な拍手が起こったので、案外イオンレディ(って何?)に招待券でも大量配布して動員をかけたのかもしれません。

 舞台挨拶に田中光敏、椎名桔平、いしだあゆみが出てくると、場内割れんばかりの凄まじい歓声と拍手に包まれました。正直言って異様なテンションでした。

 まず正直に告白すると、今回の監督も出演者も、ほとんど知らない人ばかり。「田中光敏」「椎名桔平」「池脇千鶴」「佐野史郎」「岸本加世子」などなど、どれも多分初めて見る名前や顔ばかりでした。どうやら人気がある人たちのようです。しかし見終わった後も、私自身には特に優れた演技だとか、特に優れたディレクションだとは感じられませんでした。映画を見終わったら人気がある理由が分かるかも?と期待していただけに、ちょっと残念。

 化粧師 小三馬の日々を追いかけながら、それを取り巻く女性たちの人間ドラマが描かれます。ひとつひとつのストーリィはあまりにも浅すぎて、あれれ?という感も。どうやら田中光敏さんという監督は、テレビやCM方面で非常に実績のある方のようですが、その手法を劇場用映画にそのまま持ち込んでみたようです。

 女性に化粧を施す職業、化粧師(けわいし)。彼に化粧されることによって、背中を押されるように自分自身を表現したり、生きる勇気をもらったりしていく様々な女たち、そしてその人生。小三馬自身にも人に言えない秘密があって… といったストーリィ展開。
 
 見終わってから気付いたのですが、なんと原作は石ノ森章太郎のマンガでした。なーんだ。道理で。例えば人造人間キカイダーサイボーグ009にも通じる、陰のある主人公を描かせれば天下一品の石ノ森先生。なるほど化粧師もまさにそんなキャラクターでした。その観点から眺めれば、池脇千鶴演ずる身寄りのない女の子や、コトバの不自由な少年など、みなココロに傷を負ったキャラクターばかり。

 …個人的には、実写でなくむしろストレートにアニメ化してくれた方が楽しめたかな? とも思えましたが、もちろん椎名桔平ファンにはオススメ。汗を滴らせる上半身ヌードや、褌1枚の立ち後ろ姿など、女性ファンがキャーキャー言いそうなシーンもありました。菅野美穂については、取りたてて演技の上手な女性だとは思いませんが、泣き顔をさせる/涙を流させると抜群の表情ができる人のような気がします。この映画の後半でもそうしたいい表情が随所に見られます。この他、相変わらず渋い田中邦衛(菅野美穂のお父さん役)や、長い出演時間ではないながらも印象的ないしだあゆみの演技などが光っていたように思いました。NHK連続ドラマ『私の青空』にも出演していた太った栄養士役のおばさん(フラメンコ踊ってた人。名前分かりません)が、池脇千鶴をいじめる役を好演していました。池脇の役柄ともあいまって、ここは強烈に『おしん』を彷彿とさせるシーン。

 一番印象に残ったのは、川谷拓三の息子である仁科 貴の演技でした。佐野史郎の写真館に写真を撮りに来るワケありカップル役です。というのは、女性役の顔は大ヤケドの跡があり、外に見せられない状態になっているのです。その原因は仁科 貴自身にあり、自らの不注意で彼女の顔に熱湯をかけてしまったのだというのです。愛する女性の大事な顔を傷つけてしまったという悔しさ、辛さ。「どうかもう一度、きれいだったあの頃のように化粧してやってください」と言って、化粧師 小三馬に頭を下げる姿や、信じられないほど綺麗に仕上がった彼女の顔の隣に自分の顔を寄せて、顔をくしゃくしゃにして泣く仁科の表情に、こちらも涙ボロボロになってしまいました。

 仁科 貴は顔や表情が川谷拓三とそっくりなばかりでなく、役どころや演技の特徴もお父さんから完全に盗みきっていますよね。素晴らしい。惜しい人を亡くしたものだと思っていましたが、仁科がいる限り、しばらくはお父さんの名演技を重ねあわせて見ることができそうで、少しだけ安心しました。

 椎名桔平演じる小三馬の生き様からは「独りで生きるカッコよさ」みたいなものを感じました。自分もこういう風に独りで生きていたい、と思ってみたり。例えば結婚のような制度は人生を極めて煩わしく複雑化するもので、自分にとっては余計な心配をいろいろ抱え込んでしまう仕組み。ならばできるだけ遠ざけておくに越したことはない。そんなモノのような気がします。もっとも、化粧師 小三馬のモテ系ストーリィだからそう思っただけという説もあり。人間なんて身勝手なものです。



1 Nov 2001
Thursday

 今日も東京国際映画祭だ、神泉で降りてオーチャードホールへ急ぐぞ、と思ったら。駅の改札で背の高いブロンドの女の子が道を尋ねている模様。ついでに駅員さんはうまく対応できていない模様。そこで道案内を買って出る。ある会社の面接に行くのだが、道がゴチャゴチャしていて分からないのだという。面接まであと15分。「貴方は急いでないの?」と問われ、本当は自分も映画祭開場時間まであと15分だったけれど「全然OKだよ」とか答えとく。ていうか映画のあと近くのホテルで休憩しません?お茶でも飲みに行きません?とか誘いたかったのは内緒にする方向で。

 実際、駅改札を出てすぐそばのビルにある会社なのだけれど。彼女が持っていたウェブサイトのプリントアウトには地図がなく、住所地番だけなのでわかりにくかったです。とりあえず、H"でその会社に電話してみます。「あのー、神泉駅の改札出てからどちらに行けばいいんでしょう?」 テキパキと案内してくれる女の子の指示に従い歩いていくと、ありましたありました。コンクリート打ちっぱなしにガラス窓がたくさんついたビルが。あれ? 実はここ、Nintendo 64 で『ピカチュウ元気でチュウ!』の大ヒットを飛ばしたアンブレラ社の入ってるビルでした。高校時代以来の友人が勤めているのです。

「じゃあ、面接頑張ってね」
「本当にありがとう!」

 彼女は本当に嬉しそうに手を振って、階段を上っていきました。小さなことですが、人の役に立てるのは何よりも嬉しい。調子に乗って、オーチャードホールで映画祭の入場待ちの列に加わったときも、自分の後ろに並んだ年配の夫婦に順番を譲ってしまいました。罪深き自分の罪滅ぼしとして。ほんの少しでも。

 どうやらちょっとココロが疲れている模様。

 映画が終わってからアンブレラ社に行って旧友を訪ねましたが、まだ出勤しておらず。まあこの手のソフトウェア会社は昼から深夜にかけてがメインなのでしょうな。帰宅後メールをもらったところによると、来年1月に結婚するとのこと。式に出てほしいとのことなので快諾返答。幸せであるように。




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