プロレス者たち
プロレス・ファン(=「プロレッシャー」)たちの該博にして不毛な知識と、
壮大にして偏頗(へんぱ)な想像力と、複雑にして単純な世界観。
まさに格闘技界の 『先行者』 ことプロレス者たちの生態は、プロレスそのものより面白い!
(参考文献:『プログレ者たち』(←必読))
1 序章 学生の頃、1枚しか聴いていないくせに、 「ラップの中じゃ、NWAが好きだな」 などと不用意な発言をして、マニアたちの十字放火攻撃を浴びたことがある。 彼らの攻撃は苛烈だった。私がそのとき Dr.Dre も、Ice Cube も、Eazy-E もなーんにも知らなかったことが、彼らの審判をさらに容赦ないものにしていた。 「お前のような素人が、『NWA』を『NWA』と呼ぶのは10年早い」 「そうだ、ちゃんと『ニガーズ・ウィズ・アティチュード』とフルネームで呼べ」 「いや、『NIGGAZ4LIFE』1枚じゃ、そのお名前を発音することも許さん」 「そうだ、黙ってろ」 「家に帰ってマライア・キャリーでも聴いてろ」 「いいか、winter、『NWA』と呼べるのは西海岸G皿を最低8枚聴いてからだな」 「全部聴いたら俺みたいに『ドレ』とか『キューブ』って呼んでもいいんだぜ」 なわばり根性である。 *** 悔しかったので早速帰り道にタワーレコードに立ち寄って、ギャングスタ系のラップを中心にいろいろと10枚買い込み、家で繰り返し繰り返し聴き込んだ。「な〜んだ、こんなものか」。 正直言って、やや拍子抜けした。ぴーひょろ〜と流れるチープなシンセ音のバックに黒々とした重低音ビートが鎮座したトラック。そこに重ねられるライムは、酒とドラッグとセックスと殺人の順列組み合わせ。よっしゃ、本質はつかんだ。この程度でアイツらにナメられてたまるか。明日は絶対見返してやるゼ! この頃ギャングスタで括られていた西海岸モノが、凄腕 Dr. Dre のプロデュースにより G Funk という様式に収斂され "THE CHRONIC" という大傑作が生まれること、そして Snoop Doggy Dogg という強烈なキャラクターの出現により、Hip Hop 人気がホワイト層までクロスオーバーしていくことなど想像しようもなかった。いわんや自分がそうした G Funk サウンドの虜になる将来をや。Nate Dogg 最高っす〜。Gangsta Boo 萌え〜(←それはちょっとGとは違う)。 *** さて翌日。さあリベンジだ! 「ラップの中じゃ、NWAもいいけどさ、"NIGGAZ WITH ATTITUDE" なんて主張あるニガーぶってる場合じゃないんだよね。や、やっぱ Public Enemy かなあ?」 おい急に弱気になってどうする。せっかく昨夜気合い入れたじゃんか。ここは一発厳しく行けよゴルァ! しかし返ってきた反応はこちらの予想をはるかに超えたものだった。 「ていうかNWAって言ったら National Wrestling Alliance だろ普通」 「リック・フレアーこそ男の中の男だよ」 「キャッチーなサビメロのアメリカンロックを思わせるエンターテイナーぶり」 「そうだ、足4の字固めの凄さが分からんヤツは黙ってろ」 「いいか、winter、『NWA』と呼べるのは世界ヘビー級チャンピオンを最低8人以上覚えてからだな」 「全部覚えたら俺みたいに『ダスティ』とか『ハーリー』って呼んでもいいんだぜ」 「で、ぱぶりっくえなみーってのは新しい世界タッグ王者チームなのか?」 なわばり根性である。 そして彼らが張る縄とは、四角いリングを囲む3本のロープなのだった。 *** …ていうか何なんだよこのリアクションは? 時代は一晩でプロレスに移ってしまっていた。僕はチャート本を投げ捨て、プロレス図鑑を買って泣く泣くNWA世界ヘビー級王座リストの暗記を始めた。チェックペンとチェックシートを手にして。 2 プロレスと洋楽の濃密過ぎる関係 冗談はさておくとして、実際のところプロレスを通して覚えた洋楽は数多い。 個々のプロレスラーにはそれぞれ「入場テーマ曲」なるものがあり、試合前にリングに向かう時のBGMとして会場に大音量で流されるからだ。プロレスそのものは主として視覚に訴えるショウだが、加えて聴覚にも訴えるわけだ。まさに五感を刺激するエンターテインメント。今でも自分の印象に特に強く残っているレスラーと、その入場テーマ曲は例えばこんな感じだった。 アブドーラ・ザ・ブッチャー: 『吹けよ風、呼べよ嵐』(ピンク・フロイド) ザ・ロード・ウォリアーズ: 『アイアン・マン』(ブラック・サバス) ブルーザー・ブロディ: 『移民の歌』(レッド・ツェッペリン(カヴァー)) ミル・マスカラス: 『スカイ・ハイ』(ジグソー) リッキー・スティムボート: 『ライディーン』(YMO) ジミー・スヌーカ: 『スーパーフライ』(カーティス・メイフィールド(カヴァー)) ケリー・フォン・エリック: 『アイ・オブ・ザ・タイガー』(サバイバー) アブドーラ・ザ・ブッチャーは日本でたいへん人気のあったレスラーであり、長期に渡って膨大な回数の来日を繰り返し、CMに出たりもしたので非プロレスファンでも見たことがあると思う。『黒い呪術師』のニックネームを持ち、ギザギザに傷跡の残った額でのヘッドバットや、凶器攻撃、さらには的確な「毒針」エルボードロップの畳み掛けなどが印象的。 ロード・ウォリアーズは個人的には必ずしも入れ込んだチームというわけではない。ただ、彼らが持ち込んだ「とにかく圧倒的にスピーディで、パワーで押すアメリカン・スタイル」がその後のマット界に与えた影響は良くも悪くも大きかっただけに、避けて通るわけにはいかないだろう。『暴走戦士』とかいうニックネームは、無理矢理付けた感が否めない。本当に必要性があったのだろうか? ブルーザー・ブロディは『キングコング』とか『超獣』といったニックネームで知られるが、個人的には『プロレス界のイエス・キリスト』という感もあった。例えばハルク・ホーガンのようなショーアップされ過ぎたスタイルはちょっと、という向きにも、本格的なプロレスを見せてくれる実力の持ち主だった。特に流血の事態に陥った時などは、つい握り締めた拳に力をこめて応援したものだ。野獣のようなイメージもあったが、実際にはとても端正な顔立ちの男だった。全くもって惜しまれる、早過ぎる死であった。 ミル・マスカラスは弟のドス・カラスと組んで、メキシコのルチャ・リブレというスタイルを日本に広めた功労者だ。ルチャには極めて多い覆面レスラーのひとりであったが、『千の顔を持つ男』というニックネームどおり、試合毎に異なるデザインの華麗なマスクで登場し、フライング・クロス・アタック、プランチャー、トペといった空中技で立体的に楽しませてくれたものだ。高い位置にヒットするひねりの効いた連続ドロップキックや、逆三角形に鍛え上げられた上半身の筋肉も忘れ難い。 リッキー・スティムボートとジミー・スヌーカはほぼ同時期に全日本プロレスマットに登場し、良きライバルとして息の合った空中戦で楽しませてくれた。それはすなわち『南海の黒豹』vs『スーパーフライ』であったが、その頃はリッキーが後に世界のNWAヘビー級チャンピオンになる日が来るなんて予想もできなかった。リック・フレアーとのタイトル争奪戦は語り草になっている。なお、YMOは純粋な洋楽ではないが、日本人とのハーフであるリッキーがYMOに乗って登場することには大きな意義があったのではないか。 ケリー・フォン・エリックのことを語り出すと、呪われたフォン・エリック家の歴史を紐解かなくてはならないが、今日のところはやめておこう。鉄の爪(アイアン・クロー)と呼ばれた父親のフリッツ・フォン・エリック譲りの『虎の爪(タイガー・クロー)』だった。ついに同家悲願のNWA世界ヘビー級チャンピオンの座についたものの、その後悲劇的な自殺によりこの世を去ることになる。 外国人レスラーの多くはアメリカ人であり、彼らは「強いアメリカ」の象徴だった。人種や文化はゴチャゴチャだが、それでも「アメリカのプロレス」を見せてくれる点は変わりはなかった。そして彼らの多くは、洋楽のヒット曲に乗って登場してきたのだ。とにかく、当時小学生であった自分にとって、洋楽のイメージがこうしたプロレスラーの入場とともに心に刷り込まれたのは当然のこと。そのことの意味は、後に洋楽を聴くようになってからボディブローのように、いやローキックのようにじわじわと身に染みてくることになる。 3 最新米国プロレス事情 featuring ヤラセ系団体 ところで、現在のアメリカを席巻しているのは、ヤラセであることを公言してショーアップした団体、WWFの興行だ。テレビ放映時間帯もいわゆるゴールデンタイムを確保し、圧倒的な人気を誇る。音楽的にも、ヘヴィ・ロック系の入場テーマ曲を集めたサウンドトラック類が Billboard アルバムチャートを荒らしまくる大ヒットを連発している。例えば Megadeth の "Crush'em" のラジオヒットも、WCW(現在はWWFが買収)とのタイアップなしには起こり得なかったと言っていいだろう。 プロレスが「ヤラセ」であるかどうかなんて全く気にしない。 だってそもそもこの世にヤラセじゃないものなんてないでしょ? 世界はすべて舞台、僕らはそこでそれぞれの役を演じるだけ。シェイクスピアが言ったとおり。だから自分にとっての価値はいつだって「どれだけ楽しませてくれるか?」。小難しい理屈や、命を危険にさらす真剣勝負なんかには少しも興味がない。昭和プロレスの時代から一貫して自分はプロレスにエンターテインメントを求めてきたのだから。 分かりやすく、キャッチーで、ポップであること。日常生活を忘れて楽しむことのできる瞬間。 WWFのプロレス興行は、格闘技というよりはむしろ、よくできた脚本に基づいて展開される連続テレビドラマに近い。善玉と悪玉に分かれた対立構図。親子や夫婦の間の愛情と、時にはそれをも分かつ近親憎悪。信頼と寝返りと裏切りの連続。リングの中と外に筋書きと伏線を張り巡らせたドラマ、そして下世話で低俗なパフォーマンスとオーバーアクションの数々。これぞ人生と社会の縮図ではないか。どうやら僕らは、WWFのリングにそんなドラマを見ているのだ。だからこそ毎週、次の展開が気になってしまう。 しかもリングというドラマに最終回はなく、常に「来週に続く!」のだから、これは実によくできた商売だと言わざるを得ない。 4 終章: そしてチャートは。 ここで軽やかにネタを転調させるならば、自分がヒットチャートものの音楽に求める「ポップミュージックの魔法」も、プロレスの魅力と限りなく近い性質のもの。それは分かりやすく、キャッチーで、ポップであること。日常生活を忘れて楽しむことのできる瞬間。 大量消費される低俗で下世話なヒットソングの数々。歌は世につれと言うが、まさにそのとおり。ドミナントなヒット曲を口ずさむと、社会の空気が、様相が如実に感じられる。そうやってヒット曲を口ずさむこと自体が社会の空気を作っていく。すなわち世は歌につれ。そしてふと、低俗なはずのヒット曲の歌詞の一節にいたく感情移入している自分に気づいたりもするのだ。大量消費されることを前提に書かれたヒット曲のワンフレーズが、地球の裏側に住む自分の心に触れる瞬間。これぞ人生と社会の縮図ではないか。どうやら僕らは、ヒットチャートにそんなドラマを見ているのだ。だからこそ自分はポップミュージックを、チャートを聴くことをやめられない。 なぜならチャートというドラマにも最終回はなく、永遠に「来週に続く!」のだから。 *** そしてチャートに依拠する WINTER WONDERLAND も永遠に「来週に続く!」。 最終回は… 見えていない。今のところは。 (November, 2001) |