Diary -May 2001-

日記才人

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2001年5月31日(木)

 とある訪問者のお方からメールをいただき(ありがと!)、もう少し考えてみた。まず金銭欲から。

 彼が言うには、金銭欲の特徴は、達成度合いがデジタルに表現されることだという。だからそういうタイプの達成感が好きな人にはたまらないのだろうと。

 なるほど。確かに人は達成度を確認したがるもの。時に算数のテスト96点より100点を望み、時に英検3級より準1級を望み、時にアクセスカウンタ3,000より900万を望むものです。とはいえ、物欲と乖離した金銭(のみの)欲ってちょっと謎。何か買いたいものがあって、そのためにお金を貯めるのならともかく、お金を稼ぐ/貯めることそのものを目的に際限なく運動を続けるマシーンになっちゃった人も結構いてますね。もちろん幸せの尺度は人それぞれ。そごう水島氏のように生きるのが幸せならばそれも当然アリでせう。ただ、金銭のように際限のないものを尺度にすると、人間のように必ずしも賢くない生き物(特にオレ)は適度なところで線を引くことが苦手なため、永遠に幸せになれない可能性はあると思います。

 …などと茶化す気持ちはちょっとある(笑)

 続いて代理ママン
 「利己的遺伝子」ネタで逃げるのは自分も気が進まないっす。とはいえ、自分の子孫を残したいモヤモヤした本能だとか、親が火事に飛び込んで子を救い自分は焼け死ぬ事例とか、ある種のクモ(カバキコマチグモとかね)が卵を守り続けた挙句に孵化した子供たちに食われて死ぬとか、世の中には珍妙な現象が大昔からたくさんありまして、それらを割と合理的に説明できそうな後付けの理論としては、この手の遺伝子概念は結構面白かったです。

 だいたい、なんで自分の子供でもないのに「孫」の誕生をこんなに祖父母が喜ぶのか、でもって『孫』とかいう演歌があんなにヒットするのか、ジグソーパズルのピースがぴたっとハマって絵が完成したように、ようやく分かったような気分です。大丈夫、こんな気分にさせてくれる理論は大抵どこかに大きな穴を見落としているもの。

 要は、幸せな家庭に育った自覚のある人は、安心して幸せな家庭を再生産してほしいなってこと。ひとりひとりが「個」として価値を認められ、大事にされること。それはまず家庭から始まるし、ひとりひとりが幸せになって初めて住みよい社会になるものだから。そして幸せな家庭かどうかということと代理ママンの存在は、ひとまず分けて考えるべきではないかと思うのです。ちょっと端折りすぎましたか。あるいはちょっと書きすぎましたか。

***

 部屋にNHK総合が流れていた。『コメディお江戸でござる』の杉浦日向子さんは幸せそうなお方で大好き。こちらまでホンワカします。『にんげんドキュメント』。「ずっと輝いていたい バレリーナ森下洋子」ということで、ご存知踊り続けて50年の森下さんでした。恐ろしくストイックな練習生活と強烈なプロ意識。本当に、どの世界でもトップを究めた人というのは凄すぎるものです。『トップランナー』はキックボクサー魔裟斗。人を見てばっかりの夜だった。やっぱり人間がいちばん面白いや。


2001年5月30日(水)

 奥多摩ですよ奥さん。

 気まぐれで知られる我が社長。彼が張り切って主催する『EU加盟国大使視察』にヘルプ要員として駆り出される。EU加盟各国の在京大使館の大使閣下一同を呼びつけての都内連れ回しの刑。朝からヘリコプター2機に分乗させて三宅島・神津島・式根島上空を旋回し、新島空港や大島空港に降り立ってしばし観光などさせつつ、午後は奥多摩までヘリで飛んできて某料亭で晩餐会というわけです。

 だいたい、用がなければ奥多摩に出向くことなどないわけで、青梅特快で青梅まで行ったのも初めてなら、そこから乗り換えてさらに30分近く奥地に踏み込んだのも当然初めて。ここも東京都なんだなぁ…というのが正直な思い。だって川沿いの某料亭は、渓流のせせらぎウグイスのホーホケキョ、そしてカジカの鳴き声に包まれた別世界なのですよ。蚊とか羽虫の類も多かったけどね。蛍も1匹飛んでたみたい。これで晴天なら確かに素晴らしい大自然を堪能できたんだろうけど、あいにくの雨模様で、傘を差して走り回る案内業務員としてはちょっと凹む。

 到着するなりひと風呂浴びたいとのたまう社長につられ、我も我もと風呂に入るEU諸国の大使たち。揃って浴衣に着替えて会食する様に、『ローマにいるときはローマ人のするようにせよ』という諺が頭をよぎる。特にイタリア大使の浴衣姿あたり。結局、会は盛況、我が社長もご満悦だったとのことで大喜びの管理職陣。スケール小さくて、和めます。いやまったく。

 21:00解散、別手配のバスに揺られて立川へ。立川までが遠いんだこれが。あの後新宿までバスに乗った皆さんはいったい何時に着いたのだろう? 立川から南武線(これも初めて乗ったような)で分倍河原、京王線に乗り換えて仙川へ。到着23:00。正直言って超勤は23:00までつけたいでしょフツー。ねえ社長、聞いてる?

 ところで、ここでハッキリ書いておこう。奥多摩の渓流沿いにおいてすら、H"の電波強度はバリ3だった(無駄に電波強いとか言うな)


2001年5月29日(火)

 元そごう会長水島氏が約10億円もの個人資産の差し押さえを逃れようとして強制執行妨害容疑で逮捕。89歳、自業自得。強気の発言 ⇒ 逮捕・拘留 ⇒ 容疑否定 ⇒ 資産隠し認める ⇒ そごう再建へ私財提供の意思示す。刻々と更新される水島氏関連の記事見出しは、あまりにも大衆が期待する通りの守銭奴ぶりを見せつける。最後の最後までネタまみれのカッコよすぎる人生。むしろ「最期」まで、というべきか。

 この人はなぜこんなにもお金に執着するのだろう。貴方の余命を考えれば、たとえ8億円取られても2億円残れば十分暮らせるはずでしょ? ていうか、あんたじゃなくてオレの余命を考えても、2億円で十分暮らせる自信ありっす。(ていうか、生涯賃金2億円なんて夢のまた夢だろ(泣))

 要するに、この人にとっての幸せの定義は 『お金』 だったということなのでしょう。もちろん幸せの定義は人によりさまざま。それは美食であったり、資格試験であったり、自由時間であったり、できるだけ多くの女の子とエッチすることであったりするわけで、一向に構やしません。幸せであるように。by Flying Kids。

***

 ところでいきなり星一徹の如くちゃぶ台をひっくり返しますと、

「金持ちになりたいという野心や、物質的な楽しみは永遠に満たされることがなく、全ての不満の根源である」

 という考え方は、極論です。そう考える人がいたとしても何ら咎めませんが、かといって全ての人が仙人の如く霞を食って生きられる訳もなく。だって得ようとするものがなければ、人生には生きる価値がないんだから。得ようとするもの、あるいは人生の動機すなわちモティヴェーションがなければある意味死んでいるのと同じこと。このモティモティっとした質感を大切にして生きていかなくちゃ。

 そんなわけで、自分を含む多くの人に関する限り、金銭や物質的楽しみが全くない「幸せ」なんて、もはや幸せではないのです。

 ビバ金銭! ハレルヤ物質的快楽!

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 言うまでもなく、それもまた極論。
 まずは、モティモティっと生きるべし。雪見大福の如く、可愛い女の子の二の腕の如く。


2001年5月28日(月)

 生まれて初めて都立大学@南大沢に足を踏み入れる。

 南大沢なら春先にアウトレットモールに行きましたけれど、都立大はといえば、門の近くの怪しげなガラス張りピラミッドのような塔を見上げただけで、気にも留めなかったのです。まあ、今日も気に留めたわけじゃないけれど、仕事ですからそこはやむなく入りこむ。

 事務室でまさに事務的な対応を受けた後、調査対象である国際交流会館へとご案内。これがまた、なんと表現したものか、バブルの後遺症そのものというべき建物で。ほぼ全面ガラス張り、曲面を多用した外壁、扇形の小部屋、意味のない室内らせん階段の数々、それでいてコンクリ打ちっぱなしの内装… ついでに手抜き工事で雨が漏ってることも書いちゃうぞ。

 ひと昔前に流行った、都心からのキャンパス移転ブームに乗ったのかもしれないけれど、なんだか意図も効果もさっぱりわからない謎の空間に仕上がってました。そもそも郊外にキャンパスがあることは学生を顧客とみなした場合、集客能力を低める方向にしか働かないような。まあ自分なら、大型中古CDショップが最低3件はあることが条件です。とか言いつつ、実は女の子しか見てなかったのでこれ以上都立大について書くべきコメントがないという…

 終了後、打ち合わせと称して上司らと食事(と称して飲み)@台湾小皿料理店。豚の耳の細切り肉、なんてのを初めて食す。不覚にも、なかなか美味しかった。お台場にカジノを作ることによりあらゆる問題が一気に解消、と熱く語る上司をちらりと見やりながら、生ビイルを飲み干す午後6時。まだ外は明るかった。


2001年5月27日(日)

 昼、松寿庵でそば。

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 確かにそれだけの日記は妄想かき立ててくれる。それしか書くことがなかったのか、推敲してその1行が残ったのか。どちらにしても衆人の観察に晒されるのは「昼、松寿庵でそば」だけでして、そんなテキストがさっくり書けるようなら僕も苦労はしませんです。

 それはともかく、音を立ててそばを食べるのが正しいかどうかなんてどうでもよいことではありませんか。だいたい「正しい」食べ方なんて存在しません。「正しい食べ方」、何と傲慢な響き。ずずーっとすするのが好きな方はそうなさればよろしいし、サイレントおそばがお好きな方はそうされたし。ただし隣のお方がどちらのタイプかは見極めた上で音を立てるくらいの気配りはあってもよいでしょう?

 電車内のトラブルで殺されるような世知辛い時代ですし。

***

 映画『フライド・グリーン・トマト』を見る。ジェシカ・タンディ&キャシー・ベイツ。ベイツを初めて観たのはご多分に漏れず『ミザリー』で、あまりのハマり役ぶりにキングファンの自分も驚いたものだ。原作のイメージを壊していたのは、むしろポール・シェルダン役のジェームズ・カーンだったりして。

 ドメスティックバイオレンス回想系ということで、これもキング原作のベイツ主演作『ドロレス・クレイボーン』に通じるものもあるけれど、観終わった後の爽やかさはこちらの方が上か。ちょっとしたオチはあるけれど、ベイツが気付く前に観客側にはほとんどバレてるあたりが気になった。

***

 入来祐作は松ちゃんに似てるのではないか。貴乃花が珍しく感情を爆発させる優勝シーン。そして宇崎竜童が南佳孝の見てる前で『スローなブギにしてくれ』を歌ってるTVを観ながら、急速に眠くなる日曜の夜。あーねむ。


2001年5月26日(土)

 2月か3月くらいに録画しておいた映画『イノセント・ライフ』(原題 "THE SLINGSHOT")を観る。1994年スウェーデン映画。この前に観た北欧ものって何だろう。『ロッタちゃんはじめてのおつかい』かな。

 舞台は1920年代のストックホルム。少年ローランドの成長日記風。彼の境遇はといえば、父:社会主義者(活動家)、母:ロシア系ユダヤ人、兄:ボクサー志望。先生からは嫌われ、友達にはいじめられ、一緒に遊ぶのはヒキガエルの「エリクソン」だけ。いろいろヘマをやらかしながらも、いろいろ工夫を凝らしつつ生きるローランドの活き活きとした日常が暖かく描かれて、すっかり感情移入してしまう。

 濡れ衣を着せられ、救護院送りにされてしまうところは涙が出るけれど、後で先生たちにしっかり仕返しするローランドに心で拍手喝采。知らない経験が増えるから、と救護院行きの車の中でもニコニコしてみせる彼にはじんと来るけれど、心優しそうな教官との出会い、そしてヒキガエルの「エリクソン」との再会と、ラストに上向きのシーンを用意して清々しく了。良かった。観て良かったと素直に思える映画でした。

 ロッタちゃんの時も思ったのだけれど、北欧の自然も素敵ですよね。冬はもちろん雪に閉ざされるけれど、その分夏の緑の鮮やかさといったらない。ロンドンでも春になったらみんな公園で肌も露わに日光浴していたっけ。そんな自然の移り変わりも綺麗に撮れていて、ぜひ一度は行ってみたいと思わせてくれました。オススメなり。


2001年5月25日(金)

 先日、国内初の代理母出産がニュースになった。まず最初に思ったのは、そこまでして子供がほしい人もいるのだということ。そして、それは本当に心からそう思っているのかな?ってこと。つまりよく分からない圧力や、強迫観念に駆られて、じゃなくて。

 先日の新聞投書欄にもいろいろな意見が紹介されていた。

 (1) 一番困惑するのは生まれた子供。子供の幸せを考えるべき。
 (2) 「血をひく子」になぜこだわるのか。
 (3) 産まない選択を認めてほしい。
 (4) 個人の問題に政府がなぜ介入するのか。

 (1)は生まれた子供が困惑し、不幸になると決めつけているみたいでちょっと。幸せの形態は100人いれば100通りなのですよ。でも(2)(3)(4)はいずれも重要な論点を含んでいるみたい。

 (2)の論者は言う。「『子供が生まれれば幸福で、恵まれなければ不幸だ』という思い込みから、男女とも解放されるべき」。その意味では(3)にも近い。確かに日本は異様に血縁意識にこだわる部分があるかもしれない。欧米では子供に恵まれない夫婦が養子縁組をして孤児を大事に育てるケースも少なくないと聞く。(2)論者はさらに突っ込む。

「自分の遺伝子にこだわるのは自己愛にすぎない。(中略)他人の子宮を自己実現の道具に使う人に『精神の退化』を感じる」

 賛否を述べる以前に、そもそもどうして自分の遺伝子をそこまでして残したい人がいるのか実感できない。あるいは実感するのを拒んでいるのかもしれないけれど。中には子供ばかりでなく、その子供すなわち自分の孫にまで遺伝子を送りこもうと必死な人(どっかの親だな)もいて、もう完全に僕の理解を超える。

 幸せな家庭に育った人は、当然子供を作って幸せな家庭を再生産しようとするのかと思えば、「あれ以上の幸福なんて考えられず、自分は家庭を持つ気はない」という人もいる。逆に恵まれない親子関係の中で育った人が、どういうわけか両親と同じような失敗した結婚をして、不幸を再生産し続けたりもする。

 そうするともうオプションは(4)しか残っていない。つまり、個人の生き方は個々人の自由な判断に任せるべきで、言わば『あなた自身の危険負担で』人生の諸選択を行っていくべし、ということ。幸福の尺度なんて人それぞれ。行政が考える「正しい生き方」の押しつけなんてゴメンだ。行政がやるべきことは、規制や締めつけをとっぱらって、できるだけ選択肢の多い社会にすべきことかもしれない。もちろん最低限の法と秩序は必要だけれど、それ以外のおせっかいは要らないはず。もっとも、個人の側でも自分の選択に相当の責任が伴うことを認識する必要があって、それが一番ハードルが高かったりするのだけれど。

***

 妹から誕生プレゼントにもらった、レゼルバ・カベルネ・ソーヴィニヨンを飲みながら『乱気流〜タービュランス』を観る。あちこちで指摘されているように、こりゃ飛行機版&女性版「ダイ・ハード」です。
 もちろん往年の『エアポート'75』の引用としての「女性スチュワーデスが1人で飛行機を着陸させる」ネタや、『ポセイドン・アドベンチャー』を空でやっちまった「乱気流にもまれる飛行機宙返り1回転」などなど、見せ所は満載なのだけれど、だから何だと言われるとちょっと困る。多分、ジム・キャリー夫人として知られるローレン・ホリーの、決して巧いとは言えない演技や、決して若くて美しいとはいえないルックス(むしろそこに惹かれる)ではなくて、全体として浅すぎるストーリィのアメリカぽさ加減をビイルでも飲みながら鑑賞するのが適切だったのかもしれないっすね。

 赤ワインじゃなくて。


2001年5月24日(木)
 最近、Google などの検索エンジンで特定のキーワードを探して、偶然このページにたどり着くお客様が増加中。 偶然に支配される出会い頭系サイト。それはある意味当ページが目指すべき理想像です。

 ですがしかし、検索されるコトバはハッキリ言ってこちらの想像を超えてます。それは例えば「吉祥寺」であったり「空耳アワー」であったり「YOU THE ROCK +本名」であったり、先日訪れていただいたとある方の場合なんかは
「病院+女医+下痢」であったりするわけです。ホントの話。しかし皆さんもっと大事なことをお忘れでは?

 つまり検索エンジンで引っかかるようになるには一定の時間を要します。結論から先に言うと、貴方がお読みになりたいと思ったテーマの日記は既にこのページにはありません。いやないことが多いです。ほとんどないでしょう。そうとっくに流れてしまったのです。だからといって「戻る」ボタンを押して去るにはまだ早いです。早過ぎです。どうかもう少しゆっくりしてってください。

 ご所望のブツはページの上下に配置された『先月の日記はこちら』のリンクをクリックした先の日記帳にあるのです。もしなければ、そのページの上下にも『先月の日記はこちら』が配置されてますので、さらに遡って探してみましょう。きっと貴方がここにたどり着いた目的の「病院+女医+下痢」に触れたネタも見つかることでしょう。それはまだ記憶に新しい4月初めの緊急事態の日々。

 ここで試しに本当に「病院+女医+下痢」で Google 検索をしてみると。
 …あった。あったよマジで。
約251件中第26番目という好位置につけた当ページ。こんなテーマで好位置も何もあったもんじゃありませんが、確かに抜粋されるとこんな紹介文に。

Diary -winter wonderland-
... に入ったら激しい
下痢。その後も症状は続き、発熱して身体の節々も痛くなってきました ... 病院に着 ... の超若い女医さん ...
http://user4.allnet.ne.jp/winter/diary/diary_top.html

 …。

 …オイオイどういう抜粋なんだよ(泣)
 さすが天下の Google、ついついその後が読みたくなってしまう絶妙な「...」使いであります。こちとら「...」にいろいろ補って、あの日の日記と全然別のストーリィ構築したい誘惑と闘うのに精一杯であります。

 それはまあいい。
 よしとしよう。

 だがしかし、貴方はいったいどういうつもりで「病院+女医+下痢」という組み合わせを思いついたのか。この3単語を Google 検索窓に打ちこんで、"Google検索" ボタンをクリックする時、貴方の脳裏にはいったいどんな映像が浮かんでいたのか。ひょっとしてむしろ "I'm Feeling Lucky" ボタンの方をクリックしそうになったりしたのではないのか。

「病院+女医+下痢+I'm Feeling Lucky」

 はっきり言ってヤバいです。ビジュアルが浮かんでしまうのも、あるいは想像を絶するのも、どちらも同じくらい危険です。危なすぎます。

 今自分が心から恐れていることはただ1つ、先日「病院+女医+下痢」で当ページにたどり着いた貴方がまかり間違ってここをブックマークしていたりなんかして、今日の日記を読まれてしまうこと、ただそれだけです。


2001年5月23日(水)

 さようならLV-10。短い付き合いだったけれど、楽しかったよ。思い出はきっと、いつまでも心に焼き付くよね。まるで電池を交換しても画像が消えない君のフラッシュメモリーのように。

 人生はシンプルであるべし。それがここ1年ちょいの自分の哲学。モノは極力減らすこと。本当に必要なもの以外は買わないこと。時間泥棒を連れ込まないこと。デジカメ購入はそのいずれにも反している。君と付き合うと、僕の人生はどんどん複雑になっていくんだ。やれ画像の整理だの、レタッチだの、他のデジカメの情報収集だの。

 何より、写真に収めて安心してしまうココロが悲しくて。画像で記録できると思った瞬間に、ただでさえ危うい僕の記憶力&情報収集力&文章表現力は、下向きの螺旋を描きながら限りなくゼロまで近づいていく。勝手な理由だとは分かっているけれど、僕以上に君を愛してくれる人がたくさんいるのだから…

 一瞬の浮気を経てテキスト道に回帰する winter wonderland。画像やJavaで目くらましても、最後はやはりテキストの魅力でしょ。うそぶきつつも、懸賞サイトでデジカメ応募してることはここだけの秘密。


2001年5月22日(火)

 いよいよDDIポケットのH"が常時接続に。

 それ見たことか。だから言っただろ、PHSを馬鹿にするなよって。世間の「芋電」や「あう」ユーザ、さらには「通過」や「J骨」ユーザの皆様も今や地団太踏んで悔しがってるに違いない。H"ユーザで本当によかった…

 …と単純に言い切れるわけではもちろんなくて、さしあたり利用できるのは新発売のカード型端末専用のコース「Air H"」だけなのでした。最大限に割引を適用した(通信料+プロバイダ)料金は、8,000円弱ってところか。当初は32kbpsで開始、今秋の128k化に向けて準備中、とはDポの弁。それでも8,000円を切る価格で、完全ワイヤレスの常時接続環境が整ってしまうのだから、ある意味スゴイでしょ?

 そんなDDIポケット、先日のKDDI記者発表で「PHSはノンコア事業」と高らかに宣言されたものだから世の中上を下への大騒ぎ。いや、世の中って言ってもココとかの話ですけど。そんな中、某所で触れられていた以下のフレーズが印象的だった。

「流行っていることを真似したってしょせん先行者には追いつけない。」

 いやはやまったくおっしゃる通り。au by KDDI(というか合併前のDDIの社風?)を揶揄したフレーズなのだけれど、頭の中に浮かんでくるのはやはりその、例のアレですよ。残念ながら。

先行者 by 侍魂

 いやはやまったく追いつけない。これを書いてる瞬間現在、727万アクセス突破、見ている前でまるで国債の利子の如く凄まじい数でカウンター値が増加していく驚くべきテキストサイト。先週はついに朝日の夕刊で糸井重里に紹介される始末なので、もし万が一まだの方がいらしたら、上記侍魂の「魂」中の「最先端ロボット技術」には目を通しておいた方がいいかもしれない。最近ちょっとすべり気味、という説もありますけれど。ホントにすべってるのはうちのサイトのほうですけれど。

 余談ながら、日記サイト系においては「読み手を圧倒的に惹きつけるタイトル」というのがどうやら存在しているようで、それは間違いなく「今日の出来事」や「疲れた。眠い」といったタイトルではありえない。やや神通力を失いつつあるとはいえやはり『先行者』であり『萌え』であるわけだ。ならば『萌える先行者』などというタイトルが日記についていたら一体どうなるか? 結果は推して知るべし。

 押して痴るんぢゃない。捕まるよ。


2001年5月21日(月)

 ホンの冗談のつもりだったデジカメに多いにハマる。

 というか、早くも別の機種を試してみたくなり、買ってたった2日の CASIO LV-10 をオークション出品しようか迷い始める。読者のお方でちょうどこの機種が欲しかったというお方がいらしたらメールくださいませ。ご相談に乗ります。日々是商売。

 とはいっても、あの FUJI の FinePix 1300 ですら買う気ゼロ、目指すは軽量コンパクトな低価格デジカメ一直線。こういうモノは軽くて常にポケットに入っていてこそ意味があるような気がして。対抗馬は Maxell の WS30 あるいは WS30 SLIM なのだけれど、細かいこと言うと立ち上がり時に意味もなくフラッシュモードだったり、特に新作の SLIM はチャチなデザインで電池も単4×2になってしまったりなど、気になる点も多少ある。それでもマクロモードありなのは羨ましいのです。

***

 ついに出会い系裁判官まで現れてしまった。

 いや別に、司法に携わる者だからってことじゃなくて。なんかこう、ロールプレイに馴染めなかったとか、飽きちゃったとか、そんなところなんだろうとは思う。独りじゃなくて、社会に生きてるといった瞬間に様々な役割を半ば押し付けられ、半ば選択しながら生きていくわけだけれど、そのロールプレイをやり遂げられない場合、多かれ少なかれ制裁を受けるモノです。そんなモノです、社会ってのは。

 出会い系サイトには到底なりえないページを運営してる自分。目指すは出会いガシラ系サイト一直線。


2001年5月20日(日)

 映画『運動靴と赤い金魚』を観る。97年、イラン映画。

 今もっとも注目すべきはイラン映画だろう。マジッド・マジディ監督の映画は昨年劇場で見た『太陽は、僕の瞳』が初めてだった。盲目の少年と父親の心の触れ合いを描いたこの映画に、僕の心はわしづかみにされた。陳腐な言葉で言えば、涙が止まらなかった。イランにこんなにも雄大な自然があったのかと驚かせた鮮やかな緑と森林。障害を背負って生きる少年の心の揺れ動き。盲目の自分が父親から邪魔者だと思われていることに気付きながら、健気に振る舞ってみせる少年の描写。必見、と言っておきたい。

 その前作にあたるこの『運動靴と赤い金魚』も、やっぱりいい映画だった。貧困に負けずに生きる、妹思いの男の子の姿を鮮やかに描き切る。持てる者が幸せで、持たざる者が不幸かというと、必ずしもそうは言えないだろうけれど、やはり両者の間には埋められない溝がある。そしてそのことは、子供だって大人以上に敏感に感じ取っているものだ。貧しくても絶対に失ってはいけない心の尊厳と、最後に暗示される小さな幸せは、日曜の午後の僕の心に力強く響く。観てよかった。

***

 おもちゃデジカメを買ってみた。カシオのLV-10。おもちゃだからと割り切って、あたり構わずパシャパシャ撮ってみる。たとえば仙川スタバ。何気に穴場。


2001年5月19日(土)

 昨日の日記について、あるサイトで触れていただいた上で、リンクも張っていただいておりました。薬害訴訟について非常に力を入れて解説されています。

 「私と違って非常に穏やかな語り口です」と評していただきましたが、念のため書いておきますと、私も領主さんの考え方に基本的には賛成です。にもかかわらず、領主さんのような表現方法をとらなかったのは、ひとつには自分が役人の端くれであり、激しく行政/国を糾弾すればするほど白々しく響くのではないかと考えたこと、もうひとつには、当然ながら私には私の表現しかできないからです。

 とにかく、領主さんには領主さんらしい表現で今後とも文章を書き続けていただきたいし、僭越ながら私も陰で応援していきたいと思っています。

***

 正直言って、私はハンセン病が極めて伝染性の弱い病気だと知ったとき、すぐには信じられませんでした。子供のころ外で何か拾ってきて、親から「何でも拾ってくるな! らい病がうつったらどうするの。らい病は恐ろしい病気で、かかったら病院に閉じ込められてしまうんだよ!」と激しく叱られた記憶が強烈に心に刻まれていたからです。

 ただ、親を責めるつもりはありません。親の世代には当然の観念であったかもしれないし、親の生家近くの町にハンセン病の療養所があったことから、強烈な恐怖感を持って育ったのだろうと想像もできるからです。自分自身も、言われるままに恐ろしいものだと信じていました。要するに、正確な知識の欠如が偏見と差別の大きな原因なのではないか。もちろんそれだけではないのでしょうけれど…

 私はあまりにも楽観主義者なのかもしれません。それでもやっぱり、人間は捨てたもんじゃないと心のどこかで信じています。例えば私の祖父は敗戦後のシベリア抑留経験者です。厳寒の中で強制労働をさせられ、望郷の念を抱きながら仲間たちがどんどん死んでいく、つらく苦しい日々。祖父はその詳細について、心の中にしまったままほとんど話してくれません。しかし、時々こんなことを言うのです。

「ソ連の将校たちは人使いが荒く、鬼かと思うほど本当に厳しく怖かった。でもほんのわずかに接する機会があった普通のソ連人たちは優しかった。ソ連人が全員悪者というわけじゃないんだ。ひとりひとりは優しい心を持っていた。きっと将校たちも、立場上日本人を手荒く扱わなければいけなかったのだろうが、本当は鬼のような人というわけじゃなかったんだろうと思うよ…」

 命を失いそうな経験をしながらも、こういう風に考えることのできる祖父を私は本当に誇りに思います。知らないままでいれば「ソ連人は鬼だ」と思い込んでしまうところ、長い抑留生活の中でお互いのことを少しずつ知り、強い偏見が消えていくのを身をもって体験したのです。当然抑留する側とされる側という役割を背負っているわけですが、それを超えた人間対人間のレベルで、何かが通じあったのでしょう。お互いを知り合うこと、正確な知識を持つことでなくせる差別と偏見がずいぶんあるのではないか。

 U2 の Bono が "I Still Haven't Found What I'm Looking For" で『すべての色が溶け合ってひとつになる…』と高い理想を歌うとき、私は胸がじんと熱くなります。差別や偏見を超えて、人は必ずひとりひとりを理解し合い、尊重し合い、愛し合える日が来ると心のどこかで信じていたいのです。楽観主義といわれようとも…

***

 今日は東京都美術館で「アール・ヌーヴォー展」を見に行く。ロンドンのヴィクトリア&アルバート ミュージアムからやってきた作品が多かったのが印象的。グラスゴーのマッキントッシュの作品が良かったので、ぜひ現地に行ってじっくり見たいものだ。ミュシャやロートレックのポスターも相変わらず良かったなぁ。


2001年5月18日(金)

 いささか新鮮なニュースではなくなりましたが、ちょうど1週間前の5月11日(金)に熊本地裁で、国のハンセン病強制隔離政策などをめぐる国家賠償訴訟の判決がありました。ハンセン病は伝染性が弱く、早期に治療すればほぼ完治する病気であったにもかかわらず、患者の基本的人権を無視する隔離政策を続けた旧厚生省と国会議員の不作為の責任を認めたものです。

 人の心に巣食う差別と偏見は根深くて、自発的に取り除くのは難しいものです。誤りだったと気付いた後に潔く自分の非を認めるのもまた、簡単なことではありません。

 国側は控訴すべきでないという声がある一方で、控訴した上で和解に持ち込もうという動きもあるようです。しかし役人や議員に責任を押し付ければすむ話ではないでしょう。新聞の投書にもあったように、責任を負うべきなのは、療養所から出たくても出られなかった方々を迎えに行かなかった私たち市民すべてだ、ということもできるからです。少数派を切り捨て、長いものに巻かれ、臭いモノには蓋をして、苦しみ困っている人々を見て見ぬふりをしてきた私たちの責任こそが、本当は問われているのではないか。

 当日朝のNHKニュース『おはよう日本』を見ていたところ、判決直前のリポートが流れました。元厚生省の役人への取材が印象的でした。彼は今回の裁判において、政策担当者としての自分の立場の誤りを認める証言を行い、判決結果にも大きく影響したと言われています。

 過則勿憚改。過ちては則ち改むるに憚ることなかれ。
 論語に2回も登場するこのコトバ、行政に携わる者にとっては、特に肝に銘じるべきものといえるかもしれません。

***

 『おはよう日本』のリポートの取材と報告を行っていたのは、熊本放送局に勤める私の弟でした。兄バカかもしれないけれど、落ち着いた、とても分かりやすい解説だったと思います。兄よりはるかに立派に成長した彼をとても誇りに思いました。それは何より嬉しい誕生プレゼントだった。

 2001年初スイカなんかよりもずっと。


2001年5月17日(木)

 今日はお昼を集団で食べに行きました@てんてん亭 in 新宿NSビル。管理職抜き、13名で和むひととき。ここは落ち着いてセイロ御膳をいただけるのでお気に入り。

 そもそも同じ職場にいて、広い意味では同じ仕事をしながらも、係が違えば滅多にしゃべることがないのです。何やら黙々と仕事をこなし、愛想笑いしつつ、頑なに自分の領域を守るのです。そうです殺伐です。

 しかし今日ばかりは解放モード。仕切り屋の御姐さんは叫びます。
『私なんかさぁ、ワインの通販申し込んじゃって。6ヶ月毎月送ってくるのよね』
『ワインお好きなんですか?』
『うんまあねー。そしたら代金が3万円だっていうから、6本で割って1本5千円だと思ってたの。そしたら何と1本が3万円だったのよねー!』
『3万円のワインってどんな味なんですか!?』
『とにかく最初は5千円だと思いこんでたから、栓抜いてグビグビ飲んだわけ。そしたらまあ、5千円にしては美味いかなぐらいの味って感じ? で請求書をよく見たら1本3万円で、もう青ざめたのよねー。ダンナに黙って申し込んじゃったし』

 ワイン界では3万円ごときで驚いてはいけないらしい。男女13人も集まれば必ず出現するワイン博士が語り出したところによると、某地方の某畑限定で採れる葡萄、という点を評価するマニアたちは、わずか一杯のワインに大金を惜しまないそうな。仕切り屋御姐さんはのたまった。
『で私よくわかんないんだけどー、これでワインセラーとか買ったらさらにすごい投資だし。結局、毎月寺田倉庫に預けてんのよね

***

 自分ってなんて安いオトコなんだろ、と自覚する瞬間。
 即ち今日も冬部屋には天下のメルシャン社製『ボン・ルージュ』が待っていたりするのだよ。味のバランスさえ好みなら試してみて損はなかろうフルボディ@約600円。なんなら最後は肉料理にでも使えばよろし。1本3万円だとそうはいかない。特にお肉が100g88円の輸入牛だったりした暁には。


2001年5月16日(水)

 エセ財界人を気取って『日経ビジネス』なんぞ手にしてみたところ、某コラムにいたく共感。ネタは何あろう、モビットであります。チキンの? そりゃナゲットや。Gwen Stefani 参加の? そりゃ Moby や。じゃなくて三和銀行グループの個人向けローンです。あの。

 最近ちょっとウルさくないですかモビット。新聞広告出しまくり、テレビCM流しまくりモビット。ne.jp ドメイン取って調子こいてるんじゃないかモビット。もちろんCMは竹中直人と桃井かおりです。一見どうでもよい時代劇キャラで見過ごしてましたが、これって要するにサラ金の仲間っすね?

 もちろんお金の使い方は最高にパーソナルなコトガラなので、分かってて個人向けローンを組むのはOKです。勧めはしませんが止めもしません。よく考えて借りたまえ。本当に年利15%〜18%でお金を借りてまでその彼女に注ぎこむ必要があるかどうか。大抵こういうコトバは彼らの背中を押す効果しかないのです。いやマジな話。

 18%というと大したことない気がしなくもない。しかし仕入れ値すなわち三和銀行の普通預金金利は、史上空前の低さを誇る0.02%。今どきこんな利益率の高い商売ないっす。まさにユニクロもビックリ、中国産フリースが30万円で売られてたりするようなもんだ(換算いい加減)。これからはオイシイ個人向けローンなわけです。使うだけ使って、自己破産しちゃえばいいわけです。借り手もモビットも困らず、あとで皆様の税金を投入すればいいわけです。

 何かオカシイ。何か間違ってる。一番間違ってるのはモビットのCMに出てる竹中直人さんだという説があって、好きな俳優だけにこれに一票投じたい。貴方にはむしろ、武富士ダンサーズに1人紛れてレオタードで踊っていただく方がずっと似合うから。


2001年5月15日(火)

 仙川はいい街だ。朝8時に家を出て、京王線仙川駅に向かう。朝の街並みを眺めながら、閑静な住宅街を颯爽と歩くのは何よりも気持ちいい。

 しかし、駅に近づくにつれて情景は変化する。駅前の桜の木が切られて移動し、ロータリー兼駅前広場になったのは3月末の日記にも書いたとおり。この広場は実にあっという間に仙川住民の憩いの場として認知された。今や毎朝の通勤通学時間は、広場のベンチに座り込む女子高生やおじさんおばさんで大混雑。人ごみは苦手なのに…

 最近、もうひとつ苦手な理由ができてしまった。なんと、自分も通っているフィットネスジム『ルネサンス仙川』のインストラクターたちが駅前でティッシュ配りをしているのだ。週末に、Tシャツ+スウェット着た自分に「ハーイ、ここで背中の筋肉を中心に集めるように意識してくださいね!」などと手取り足取り指導してくれている可愛い女の子が、スーツ姿の僕の目を見つめながら「スポーツクラブのルネサンスです、よろしくお願いしまーす!」などと言いながらティッシュを渡そうとする。向こうは覚えてないのかもしれないが、こっちはあまりにビビッドな記憶、ちょっと避けたい瞬間ではある。

 そんな仙川に緊急通報装置付きの「スーパー防犯灯」が。
 正確には世田谷区上祖師谷エリアだが、最寄りの警察署とつながるインターホンと自動的に犯人を撮影するカメラが付いた街路灯を、人通りの少ない通りや公園に設置して、主に女性や子供が犯罪の被害に遭うのを防ぐのだという。どう見てもプライバシー侵害の問題は避けられず、保護法益の慎重な比較が求められるところ。しかし、うちの近所で昨年末に発生した一家4人殺害事件が未解決という事実に鑑みるに、住民側の不安もあるのかなぁ。実際、もう日記には書かなかったけれど、忘れもしない4月3日、体調絶不調で点滴など受けながら休んでいた僕の部屋に、再び取り調べに来たのですよ。

 成城警察署の、松方弘樹似のあの刑事さんが。

 …詳細は2月10日の日記参照。でもさ、上から下までジロジロ見ながら開口一番「こんな平日にどうして家にいるんです? 勤務先は●●でしたよね?」はないでしょ? 玄関先で、思いっきり脱力しながら受け答えしましたけど、上からガンガン言われて彼も大変なんだろうなってことは分かるつもり。早くいい結果が出ますように。


2001年5月14日(月)

 街を歩く女の子の足元は、4種類に大別される。

(1) ナマ脚
(2) 柄タイツ
(3) ルーズ
(4) スニーカーソックス

 好みはさまざまだろうが、こうして見ると女の子にとっての脚というのが「記号」であることがよく分かる。よく分かるというのは実はウソで、よく分かったようなオトコ的勘違いをすることができる。まあどっちでもこの際あまり違わないけれど。

 この中で記号性が一番高いのは(3)で、例えば中坊なんか私服にも平気でコレを合わせる。合わせるというのは言葉のアヤで、全然合ってないんだけど要するにそれは「私は女子中学生(あるいは高校生)ですよ」という記号なわけだ。ワンポイントというにはあまりにも大きな面積(あるいは体積)を占めるそれは、女子中学生/高校生という存在がある種のブランド的価値を持っているからこそ着用されるのであって、例えばラルフローレンのロゴの入ったポロシャツを着てる輩はまだ存在するがアーノルドパーマーのロゴ入りポロは見かけないのと同じこと。

 そんな意味で(1)(2)(4)にもそれぞれ記号性があるような気がする。何を体現してるかゆっくり考えるほどヒマじゃないけれど、(1)(2)(4)はスーツにパンプス/ローファーのような、いはゆる「普通の靴」と合わないことは容易に想像できる。つまり夏に向けて街の女の子の足元は、ミュールに代表されるサンダルか、スニーカーの類に急速に二極分化しつつあるということだ。「どうしてサンダルばっかなわけ? フツーのクツはどこに売ってるの?」とはこないだ新宿ですれ違った女の子たちが実際に吐いていたセリフ。

 何故女の子は(1)+ミュールで街を闊歩するのか?
 問われた時点で既に答は出ているのだけれど。

***

 しかし、女の子の足元を4種類にしか分けられないとはこれ如何に。それ以外の脚は見てないか、あるいは視界に入っても認識してないってことか? 女性を脚で判断するとはケシカラン。ていうかもっと他のモノも見ろ。

 紺ハイとか。じゃなくて。


2001年5月13日(日)

 今日は暑かった。いよいよ夏到来か。またしてもあのうだるような暑さが訪れてしまうのか。

 東京の、亜熱帯のような、全身を温かく湿った空気でもわっと包み込むような夏は何年経ってもやっぱり苦手。ちょっと異常でしょあれは。そんな暑い夏をクールに演出する素晴らしきフルーツをスーパーで買ってきて食す。それはもちろん…

スイカ

です。記念すべき<2001年初スイカ>、ある意味自分への遅めの誕生プレゼント。1/4カット@¥350。昨年の調査結果によれば、最盛期には仙川市場価格¥280程度まで下がる代物だけど。断面のがすごく薄くて、赤い部分が表面のすぐ近くまで迫ってる。お得な気分。

 よく冷やして夕食後にいただく。あくまで大胆に、ワイルドにかぶりつくのが流儀。う〜ん、冷たくて甘い。やっぱり今年の夏もスイカのお世話になりそう。子供の頃、実家の縁側で食べたスイカの種子が庭で発芽して、こぶしくらいのちびスイカができたのを思い出す。

***

 しかし、仙川の各スーパー店頭から姿を消して久しいパイナップルは何処に。まさかとは思ったがやっぱり『思いッきりテレビ』が犯人らしい。みのもんた恐るべし…。ていうかすぐ洗脳される主婦層ヤバすぎっすね。


2001年5月12日(土)

 「タモリ倶楽部を見ながら」と書いたところから引っ張ると、昨晩のタモリ倶楽部のテーマは『光る泥だんご作り』。4月23日の日記にも書いたけど、今や泥だんごフィーバーは日本中を席巻しつつあるみたい。

 そして昨晩、全国にその飄々とした天然なキャラを放映されてしまった加用 文男さん(49歳・京都教育大学教授)こそが『日本泥だんご科学協会』の協会理事長。まずは協会のサイトをご覧いただきたく。

 す、すごい… 確かに当 WINTER WONDERLAND もデザインのショボさでは定評があるが、ここの素朴さには本当に圧倒される。泥だんごの「光度評定表」で「光度5:大宇宙の神秘」とあるのを見ると、もはや恐れ入りましたというほかない。泥だんご恐るべしなのである。

 ところでこの加用教授、専門は発達心理学で、オモシロイことを何より大事にする人らしい。子供の病理の診断よりも、理屈抜きに一緒に笑えることを探すタイプ。泥だんごが光る理由を確かめるため、保育園に通って2年間だんご作りに励んだそうな。彼の説くだんご作りの効用がふるっている。

1) だんご作りは自分が最高とうぬぼれることができる絶好の機会を提供する。
2) 3時間ほどかけて作っている最中に、たわいのない無駄話ができる。たわいがないからこそ、ともにだんごを作った人同士は急速に仲良くなる。

 なるほど〜。思うに、こういう「うぬぼれ」と「たわいなさ」に満ちたアソビの機会が最近失われつつあるってことなんだろうな。そうした触れ合いや、教え合いの中から学ぶことがたくさんある。プレステや遊戯王カードもいいけれど、やっぱり泥遊びや折り紙やママゴトやあや取りもね。出来杉の前にまずのび太でありたい自分。

***

 あらぬ疑いをかけられたレッサーパンダの無実証明さる。
 「犬の帽子だと思っていた」という彼の言葉をどういう思いで聞いたのか、全世界の小熊猫たち。


2001年5月11日(金)

 トップページ、あまりにも不評のためさっさと戻す。

 でも実は、背景デザインをどうするかについては開設前にずいぶん悩んだのだよ。試行錯誤の末にダークな色合いに落ち着いたのには訳があって、それは職場からアクセスしていただく皆様のデスクトップがあまり目立たないように、との心憎いばかりの配慮によるものだったりする。でもひょっとすると白系バックに黒字の方が読みやすいのかもしれず、BBSにてご意見乞う。

 だいたい、昨日の日記はいったい何様かと思うよねフツー。
 Diary 直リン大いに結構ぢゃないか。読みたいとこだけ読んでさっさと別の波に乗る皆さん大歓迎。せめてネットくらい自由を満喫させておくれよベイビイ。プチ傲慢だった誕生日前半を猛省するバースデイ後半。

***

 今日も某K社の同期と飲み会@原宿。同期で一番アタマ良かったH君の退職送別会。しかも札束で右頬張られて左頬も差し出す外資系金融へのありがち転職なんかぢゃない。米国ビジネススクールへ留学即ちMBA取得コースなんである。

 非労働者の奥さんも連れて最低2年のペンシルヴァニア生活。羨ましい一方で、「勇気あるよなぁ」の声続出。そりゃそうだ。学費だけでも年間3万US$、為替レートにもよるけど2年間で2,000万円近いコストを見込む? 大志がなけりゃマンション買うでしょフツー。

 しかし、コツコツ勉強を重ねて受験を繰り返し、ついに夢への切符を手にしたキミの表情は本当に明るかった。入社時も大学院に進んで研究生活に入るか、某K社で通信産業に関わるか、最後まで迷ったというキミのこと、きっと優しい奥さんと二人三脚で勉学に打ち込み、飾りじゃないホンモノの勲章としてのMBAを胸に凱旋してくれるだろう。

 そして僕は今週もかすりもしないロト6のハズレ券を胸に部屋に凱旋し、タモリ倶楽部を見ながらユルイ日記を書く。皆様ごきげんよう、よい週末を。


2001年5月10日(木)

 朝刊一面『ドコモ経常利益6869億円』に萎え萎え。我らがDDIポケットは大丈夫なわけ?

 そこで昨晩の飲み会に逆戻り、もう1人の♂は現在ケータイ担当。しかしヤツが言うには「ポケットの経営は全然ヘルシー。ハッキリ言って、うちの『あう』はマジやばい」
 『あう』と統合をあきらめた『通貨』ブランドを売却するウワサまで流れる今日この頃、某K社のケータイ事情はかなり危険らしい。そんなとこと比べられて「ヘルシー」とか言われてもツライ H" ユーザではある。

 ♀その1、流れ流れて現在は某英国系証券会社で秘書業務。名刺1枚作るにもうるさいロンドン本社の指示に文句垂れつつも、
 「それでね、同僚が『ローマン・ホリデイ』っていうグループのサイトを探してるんだけど、YAHOO!で探しても全然見つからないの。ね、お願い、探して〜」
 なんて泣きつかれれば探してあげずにいられない。こんな感じでいい?
 彼女は徹底的に性善説な女の子で、こんな子が幸せになれない世の中間違ってる。っていうか不幸にするオトコ酷すぎ。っていうか勝手に不幸って決めつけるな(笑)。ハートに火をつける、いい女の子だ。彼女を騙すオトコはオレが許さん。

 ♀その2、今は独系証券会社だけど、米国公認会計士だからちょっと手ごわい(って何が?)。髪はショートで超スリム&長身。「私できるわよ★光線」出しまくりに見えつつも、意外とシンプルでサッパリ系。何をやるのも自由、ただし自分で責任を取ってね、という理想的な両親に育てられた彼女、やっぱ自分の意見をしっかり持ってて、話してて超爽快。

 さて自分はというと、日記書いてるうちにもう今日は5月11日、年に一度の誕生日だよ。ボブ・マーリーの命日と一緒らしいがそれは置いといて、年齢的には31アイスクリーム食べなくちゃだな。Diary 直リンの人には分からないトップページの錯乱ぶりもご覧いただき、ブックマークはぜひあちらにお願いしたく。

 そんなことより10日の Diary アクセス数凄まじいんですけど。妙なトコからリンクで飛んできたという自覚のある貴方、今すぐBBSに出向いて、キーボードをえぐり込むように打つべし!打つべし!


2001年5月9日(水)

 前の会社の平成5年入社同期(男2人+女2人)で飲み会@新宿。

 独身です。自分のみならず、上記4名全員そうです。BBSであっさり見抜いた myuu- さん、お見事。何にも賞品出なくてゴメンナサイ。

 でもなんかこう、いいね。30歳くらいになって同期で集まると、みんないい感じにアブラが抜けてて。お洒落なお店でチリワインなんぞ飲みながら、入社当時の萌え萌え男子&女子だった頃をちょっぴり懐かしく思い出す。

 …と思ったら、みんな全然アブラ抜けておらず。油の種類が健康エコナになったくらいのもんだった。やっぱりこうじゃなくちゃ。ひどく手痛い経験をしたり、右往左往したりしながら、それぞれにとっての「幸せ」を探す旅を続ける4人の男女、語りも語ったり19:30〜23:30@同じ店。

「略称モルスタ」
「サイテーだった●●省男」
「青汁の原料の野菜の名前」
「女から見て許せない女」
「イギリス英語の口マネ」
「仲の良い夫婦の間に生まれることと、その逆のことの不幸度比べ」
「同棲する場合でも自分だけのスペースが必要」
「結婚の必要性?」
「Strawberry Fields 好きに悪人なし」
 ……

 んー、もっと大事な話をしたような気もするんだが。ま、いいか。

 同期といっても4人中3人は既に転職済み。女の子2人はさらにどんどんキャリアを重ねている。それでもやっぱり、僕らにとっての同期は、最初の会社の同期入社組だけ。ずっとずっと大切にしたい。ありがと、みんな。


2001年5月8日(火)

 問) どうしてその人が好きなんですか?
 答) 価値観が近いから。

 まあ、それもいいだろう。だけど、それだけじゃダメだ。今はよくてもそのうちダメになる日が来る、ような気がする。

 どこぞの国の皇太子くんが結婚相手を選択するにあたって「価値観が同じだから」といった理由を述べたのを思い出すと、ちょっとがっかりする。異なる2人以上の人間の価値観が一緒であることはまずありえないからだ。もちろん、彼が言ったのも「大まかな部分において、許せる程度に近い価値観を有している」という趣旨だろう。それでもやっぱり、だ。

 どういう人と一緒にいると心地良いのか、ずっと考えてきた。

(1)価値観が近い人同士の方が、日常生活での衝突が少ない。
  ∴穏やかな生活を送れる。
(2)相容れない価値観を持ったカップルの方が、ケンカも多いが
  お互いからいろいろ学べる。∴刺激的な人生を送れる。

 (1)は一見正論だけれど、じゃあどうしてこんなにも多くのカップルが日々離婚しているのか。しかもその理由の多くは「性格の不一致」「価値観の相違」なのだ。価値観が近いから結婚したんじゃなかったのか? (2)は極論だろう。これが成り立つ前に押さえるべきポイントがある。

 それは、相手の価値観が自分のそれとは異なっていることをハッキリ認めた上で、相手を丸ごと受け入れられるかどうか、ということなんじゃないのか? 個人と個人の価値観が同じなんてあり得ない。少なくともパートナー同士では、無理やり相手に合わせたり、自分を殺したりする必要はないし、そんなことをしてはいけない。

 どうしてその人と一緒にいると心地良いのか。

 それは、価値観が同じ/近いからではなかった。その人が自分のことを、ダメな部分も妙な価値観も含めて丸ごと受け入れてくれるからであり、自分も相手の不思議な価値観を認めているからだったのだ。
たぶん。

 …ちょっと気付くのが遅かったやね。


2001年5月7日(月)

 実は5月5日のアクセス数が突如として通常の2倍近くにドーンと伸びており、「ついに winter wonderland も全国区で人気爆発か?」などと悦に入っておりましたところ、何のことはない、こちらのサイトで当ページがご紹介されていたのでした。しかーし! そのレビュー文章を読んで、ワタクシは真冬のツララの如くフリーズしたですよ。

> 音楽と映画がお好きな若者のかたの日記がありました。
> オシャレで世間をよく見ているところなどがいい感じです。(20010503)

 お兄さん、そら誉めすぎや。1970年生まれなんですけど、それってまだ「若者のかた」なのかしらん? ここは心の若さと好意的に解釈させていただきましょう。ありがたき幸せ、お兄さんおおきに。ちなみに、特需の終わった翌日以降はアクセスも平常どおりに回復(と言うべきか?)。慣れない注目浴びると調子出ないやね。やっぱその辺新庄はスゴイ、とか言っとこう。

 どうってことない雑記帳です。でも、読んでくださる方がいらっしゃること、時には上の Nikki Site にこっそり投票してくださるお方がいらっしゃること、さらには掲示板に書き込んでくださる方がいらっしゃること(ほんの一言でもいいのです)は、本当に本当に励みになっているのです。トップページ2000アクセス間近、皆様どうもありがとうございます。

***

 しかし、見れば見るほどこの「ReadMe! おすすめサイトありったけレビュー・登録確認日逆順680本」って壮大な試みですね。世の中いろいろなことに熱中なさってる方がいらっしゃるものです。…他人のこと全然言えませんけど(^^;)。


2001年5月6日(日)

 またしても吉祥寺でまったりと過ごす週末。連休も今日が最後ということで、気分転換に髪を切る。個人的にオススメのお店、行ってみようかなとお考えのお方はメールください。割引料金になります。

***

 あーあ、またやっちゃった。全然他意はなかったのに、某所で不用意に『日本語の乱れ』なんて表現を使ってしまったばかりに、某氏からお叱りをいただく連休最終日。この表現は自分を「正しい日本語を話す人間」という特権的な地位に置くものであって、異端を排除する思想につながるという。まさしく御意。通常この話題に触れる場合には、オチで、

「こういう乱れ系の話題とかには、自分的には耐えれない」

なーんてセルフパロディを挿入して、決して自分がこうした用法を排除しているわけではないことや、言葉は常に変化しつづける存在であって、そうした在り方そのものを受け入れ、尊重していることを示すのがセオリーだったが、不注意にもそれを怠り、使わなくてもよい『日本語の乱れ』なんて表現を使ってしまった自分に非があった。誤解を生んでしまったのは悲しいことだけれど、素直にお詫びしたい。

 でもここでハッキリ書いておかなくちゃ。
 僕は、人がその人自身であること、他人と異なった存在であること、「個が個であること」を何よりも何よりも大事だと思っている。ほとんど全ての価値観は相対的なものだと思うけれど、仮に絶対的に正しい考え方なるものが存在するとして、人に押し付ければそれもやっぱりファシズムだ。受け入れるかどうか、はたまた全然別の考え方をするかどうか、最後の最後まで人は自由意思で選択できるべきだし、その選択結果は尊重されるべきだろう。…もっとも、その選択には「責任」が伴うことを忘れてはならないのだけれど。

***

 言葉の持つ影響力は計り知れない。不用意な言葉遣いが、どれほど多くの人を傷つけてしまうことか。たいせつなことを思い出させてくれて、どうもありがとう。


2001年5月5日(土)

 米ヒューレット・パッカード社と『母をたずねて三千里』に共通するものを挙げてください。

***

 その答えは「フィオリーナ」。
 HPのCEOは46歳の美人やり手女性、そしてマルコの友達になる旅芸人の娘。同じ名を持つこの2人、いずれも立派な女性です。だのにそれなのに、私の頭に浮かぶのはこんなことばかり。

 やっぱり名前って大事。名が体を表すこともあれば、どうしてこの人の名前がこれなの?ってことも。「王子」という名の歌手や、「聖母」という名の歌手も、きっといろいろ言われて育ったことだろう。そこでだ。大丈夫か、木村心美ちゃん。

***

 そりゃ美しい心を持って育ってくれればよいけれど、親の勝手な思い入れを一生背負って生きることは絶対できない。ある一定年齢に達した時点で、子供に自らの名前を選ばせることはできないものか、なんてふと夢想してみたりする。例えば親が自分の名前の一字を取って子供に付けることがどれほど子供の心に重くのしかかるものか、よく考えてみてもよいかもしれない。


2001年5月4日(金)

 伊勢丹美術館に出かける。
 アントワープ王立美術館所蔵『黄金期フランドル絵画の巨匠たち展』。フランドルの絵画展には何回か足を運んだことがある。ルーベンス、ヴァン・ダイクなどの名は、決して美術に詳しくはない自分であっても聞いたことがある。アントワープ王立美術館門外不出とされた北方ルネサンスの画家 Q.マセイスの<不釣合いのカップル>など、ほとんどが本邦初公開の作品ばかりだという。

 宗教画と、写実的な絵とがほどよくバランスされた作品群。庶民の小さな喜びを描いた絵や、その片隅で跳ねている犬の姿などを見ていると、ちょっと心が和む。というかちょっと怖い気もする。

 アントワープ? ルーベンス? 犬?
 …というキーワードにピンと来るアナタはお友達。そう、フランドル地方と言えば『フランダースの犬』。ルーベンスの絵を見上げると、いつも心にパトラッシュ。ネロと横たわる大聖堂の床の冷たさを、きっと感じたことがあるでしょう。マリア様、ぼくはもう思い残すことはありません… 大聖堂上空から天使が迎えに来て…

 こんなにも救いのない哀しいアニメを、感受性の強い幼少期に見てしまった僕ら。数多くの日本人がアントワープ市に旅行しては「ネロとパトラッシュの銅像はないのか?」と尋ねまくり、ついに市の観光案内所前に像を立てさせてしまったというのは有名なお話。

 金正男氏にも、強制送還前にちょっと見せてあげたかったな、と思った。


2001年5月3日(木)

 昨日に引き続き『食べ放題』について考えてみたい。
 今日は、食べ放題ファンの1人として、好きなお店をリストアップしてみよう。この1年はすっかり自炊生活でほとんど出かけていないので、最新情報でない点はご勘弁を。予算はいずれも1,000円程度なり。

【和食部門】魚八
 渋谷。本当は新宿のアイランドタワービルにあった「魚七」のほうが好みだった。極端に素晴らしい一品があるわけではないが、イタリアンやエスニックじゃちょっと…という日にはよい選択肢となる。その名のとおり魚系にはなかなか強いようだ。>゚)))彡  

【エスニック部門】タイしゃぶ・エラワン
 新宿。タイ飯バイキングも一時乱立したが、どうも日本人向けにアレンジされたニセモノの味になっていてよろしくない。そんな中でこのエラワンは、例えば辛さもピリ辛などではなく鈍痛として口に沁みてくる、あのバンコク出張の思い出を蘇らせてくれる味だったりして、好き。

【焼肉部門】アサヒビール館
 吉祥寺。ここはなかなか穴場でせう。ランチバイキングではやはりカルビとタンをお腹いっぱい食べたい。お肉に飽きたらカレーや冷麺で変化をつけるのもいいね。実はなかなかデザートが侮れず、良く冷えたシュークリームのたっぷり詰まった濃厚なクリーム部分には、「これだけでも来る価値あり」と思わせるすごさがある。夜は2,000円で寿司やケーキもつくが、その価値はないように思われる。

【中華部門】新海王
 横浜関内。ディスクユニオンから遠くない。悪名高き周富輝?のお店を横目に裏通りに入ると、派手な造りの中華料理店がそびえていて一瞬立ちすくむ。が、そこでひるまず店に入り、ウェイターに「飲茶食べ放題に来たんですけど…」と言うと、「お二階へどうぞ」と案内され、天国に足を踏み入れることができる。手作りの飲茶が実に美味い! 実はあまり教えたくない穴場店、近ければきっと毎週のように通ってるハズ。

***

 GW中、間違いなく日本中で一番囁かれた動物の名前の座をゲットしたであろう『レッサーパンダ』。こんな形で話題になってしまって、果たして喜んでいるのか、悲しんでいるのか。


2001年5月2日(水)

 『ハプナ』といえば、その筋の人なら知らぬ者はいない有名店。品川プリンスホテル新館1階、和洋中全てが揃うブッフェレストランだ。昼(2,000円+税)はしゃぶしゃぶやローストポークなど45種。カニやローストビーフもあり、デザートも充実しているのだから、その人気もうなずけるというもの。

 400席以上あると聞いていたので、やや油断があった点は否定できませんが、それにしてもこれほどの行列とは! あっという間に戦意喪失、あえなく挫折。しかしチラリと垣間見たお食事の様子は、やはりその筋の人々から極めて高い評価を得ているだけのことはある。それだけでも収穫だったと自分を納得させつつ4階の中華『孫悟空』へ。こちらも素晴らしいお料理でございました。プリプリした海老チリといい、ふっくらした餃子といい、香ばしいあん入りゴマ団子といい、十分に堪能。量はあまり食べられませんでしたが、いいんです。少しずついろいろなものを食べられるのがランチブッフェのよいところ。

 食べ放題のお店って、周りの人のお皿の中が気になりませんか? 行列から帰ってきた人が、それまでなかった新しいアイテムをお皿に盛っているのが視界の隅に入ったりすると、つい自分もそれを食べたくなってしまったりするもの。周辺のテーブルがチラチラ視線を走らせながら急にそわそわし始める、緊張感あふれる一瞬。それもまたひとつの醍醐味。

 食後、ごちゃごちゃした街に行ってみたくなり、武蔵小山に移動。駅前からずーっと奥まで伸びる長い商店街には、激安衣服店や靴下/ストッキング屋さんなどが大量に並ぶ。奈良駅の周辺もストッキング屋さんが多かったような印象あり。ずいぶん歩いたなぁと思ったら1万2千歩。雨も降ってきたので帰宅することに。目黒からバスで三軒茶屋に移動、世田谷線経由で京王線に乗り継いで仙川へ。

***

 帰宅後、昨晩録画したドラマ "FRIENDS" と映画『誘拐騒動/ニャンタッチャブル』(1996)を見る。後者はクリスティーナ・リッチ好きとネコ好きにのみおすすめ。ディズニーの『シャム猫FBI/ニャンタッチャブル』(1965)のリメイクらしかったが、全体としてはジョークも毒も空回り。ううむ。

 さあて、明日は何をしようかな。


2001年5月1日(火)

 5月になってしまった。

 新人クンたち、新人さんたちはもうペースをつかめたかな? 4月はあっという間に過ぎ去ったことと思う。学生ならオリエンテーションと新歓コンパで終わってしまったのではないか。社会人なら研修と配属でバタバタしているうちに過ぎ去ったことだろう。

 そしてゴールデンウィーク。1ヶ月の喧騒からほんの少し心と身体を休め、自分の在り方について思いを馳せるのもよいだろう。考えすぎて、休み明けから学校や会社に行けなくなるかもしれない。世間ではそれを「五月病」と呼ぶ。

 とりあえず、JR中央線に乗ろうとして友達に「汽車来たから、はよ乗ろ!」とか口走って場を凍らせるような「都会の洗礼」のトラウマは、いつまでも大事にしたい。

***

 今日初めて知ったこと。
 「オロナミンC」の名称の由来は「オロナイン軟膏」+「ビタミンC」なんだって。

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