23.リズム(4Beat)を考える

 本質的にジャズのリズム・セクションの軸になるのはベースです。そのベースが主に四分音符をもとにビートを4の倍数で刻んでいくことを”4ビート”といい。音楽全般で言われるところの”四分の四拍子”と異なるところは、基本的に4つの拍のうち2拍目と4拍目にアクセントが置かれ微妙に違う1・2・3・4の拍のカラーがビートして打ち出されるところにあります。常に均等に4つづつリズムを刻むべーシストをたまに見かけますがそれでは”4Beat”になりません。
 左のアルバムは僕の愛聴盤でブルーノート・レーベルのバド・パウエルの「The Scene Changes (The Amazing Bud Powell) 」ですが、このベース奏者のポール・チェンバースのプレイを聴いていただければ僕の言わんとするところが理解できると思います(上記のサイトで試聴できます)。ドラムスのアート・テイラーを加えたこのトリオはジャズのバイブルのひとつと言えるでしょう。壁にぶちあたったひとの多くはこのような音源の中にその答えを見出すことが出来るでしょう。
 このベースの”4ビート”の2拍・4拍肩を並べるように二人三脚で並走するのがドラムスのハイハット(左ペダル)です。さらにその二人三脚に推進力を加えるのがトップシンバル(ライドシンバル・右手)です。これにメロディーや色彩感をつけるのがここではピアニストと言えるでしょう。
  ドラマーやピアニストがリズムの主導権を握ろうとしたりべーシストの腰が引けてしまうと必ずバンドは崩壊しスイングしなくなりサウンドも押し付けがましくなります。その結果バンドの音量が全体に上がってスペースもなくなり空間が音で充満してしまいます。そしてダイナミクスを喪失してしまいます。
 僕はフロントなんでよく分かるのですが、フロントの音量はその多くは一時的に変化するものであって、絶対的な音量の継続を意味するものではないのです。現実的な事例で言えば、フロントが急に音量を上げたときにリズム・セクションが常に音量で呼応してきた場合、結局は全体的に音量が上がったままになります。分かりやすく言い換えると、映画館で場面に関係なくサウンドの音量が大きいときはヴォリュームを下げ、逆のときは上げるという作業をコントロール・ルームで常にすると映画は台無しになるでしょう。つまり静けさの中での大音量と喧騒の時の大音量とでは意味合いが違うということです。言い方を変えればソロの音量にコンピングの音量で常に対応するとソロの音量の効果が薄れてしまうことが少なくないのです。
 作者メモで既出のマイルス・デイビスの「My Funny Valentine」の中の”Stella By Starlight”やアルバムタイトル曲を聴いていただければ特によく理解できるでしょう。
 これらの反応の誤解の多くは”ベースを軸に”ということを怠る場合に陥ることがほとんどのようです。
 また、ベースが前述した4ビートの特性を守らないとリズムが一拍ずれてひっくり返ったりピアノやドラムの”おかず”が変なところに入ったりします。
 ここまで述べたリズムの基本的なありかたをその他のセクションの人が理解しそれに応えればコンピングやアドリブのフレーズやソロ・リズム(ポリ・リズム等)の変化の対応が可能になるでしょう。そうすればアドリブの世界も広がり、より可能性のある空間が見えてきます。皆さんも”ベースを軸に”(リズム&ハーモニー)の原則を胸に自分の可能性にとりあえず挑戦してみてください。あくまでそれがすべてではなく”道”の出発点であることは前人の歩みを噛締めれば理解できるでしょう。

 余談ですが、近年ジャズは行き詰まった感があるように強調されますが、ルイ・アームストロングやチャーリー・パーカー、アート・テイタムやバド・パウエルら真に天才と言われる人たちと対等レベルのミュージシャンが普通に存在する時代が来ない限りジャズの可能性は未来に開かれていると僕は思います。裏を返せばその可能性を否定できるような演奏家はまだ一人としてこの世には現れていないと思われるからです。