The House is Rockin'!? From Japan, Saito"G"〜!!! 私の名が呼ばれたようなのでステージへ。Colieも同じセットでやるものとばかり思っていたが、「Saito"G"+Colie」と汚い字で記名したのが災いし、一人の人間と勘違いされたようだ。わざわざステージまで上がってきて「手違いがあって今日は一緒に出来ない」と詫びるColie。さらには、マイクを通して「From Japan, Saito"G"〜!!!」とアナウンス。訳が分からないながら大盛り上がりの場内に、嬉し恥ずかしの私。 1曲目のメンバーは、女性ボーカルに私と先程の若手ギタリスト、ハープのおじさんとホストのベースときてドラムは、どうやら日本人らしき若者であった。このドラマーも先程叩いるのを聴いた限りでは、ここまで一番良いドラムであった。 か、身体が動かないぃぃ・・・ その若手ギタリスト君が対戦相手だというのに、私にあてがわれたアンプは「ジャズ・コーラス」。ニューヨークくんだりまで来て、である。私以前の使用者のセッティングを見ると、ボリュームはほぼ目一杯。生音がそもそもデカい私、そのままやるとまずいと思い3/4以下まで絞る。ふと見るとColieが同じセットに呼ばれた女性ボーカルに、「Keyは、Gm!」とか訳の分からないことを吹き込んでいる。これは要するにColieが私と一緒にセッションしたかった曲がKey in Gmだったようで、以前の印象でそのキーで私が良い演奏をしていた記憶から無理矢理やらせようとしていたようだ。 おかげで現場は多少の混乱をきたす。ボーカリストにキーは何かと尋ねると、案の定「Gm!?」という答えが返ってきた。「え〜っ、Gm!?」と聞き返すと、「だってあの人に言われたんだモン」とColieを指さす。「あんた、ボーカルだよね?」と思わず言ってしまう私。 自分でキーを決められないボーカルに不安は残すが、まずまず良いセットになりそうなメンバーに恵まれたようだ。が、私はと言えば、ステージの照明で徐々に解凍されつつはあるものの、まだ指だけではなく身体全体が動かない。上の写真はかろうじてクールに見えるが、右の写真では完全に硬直している様子が見て取れる。 そして演奏開始 Gmと言っていたが、曲が始まってみればKey in G。不安のあったボーカリストも、サングラスをして顔にディストーションを掛けているだけあって、歌い始めてみるとドスの利いたなかなか格好の良い声であった。解凍が進んでいないため指がもつれ気味だった私は、取り敢えず様子見。ステージ上の全員に、歌、曲、音楽を大事にアンサンブルしようという姿勢を感じる。若手ギタリスト君は、相変わらず的確なバッキングだ。と、いきなり最初のソロが私に回ってきた。まだ思ったタイミングで音を出せないことに苦しんでいたが、「えい、ままよ」とギターのボリュームを上げる。が、一発目の音が予想外の爆音で、自分自身驚いてしまう。私の前方の客は、一様にのけぞったことだろう。ここでひるんでボリュームを下げるほどみっともないこともないので、一気に弾き抜ける。思い通りに弾けず辛かったものの、何とか切り抜ける。 次はハープが良い感じにソロをまとめあげ、客席の拍手を受ける。いったん歌に戻った後、くだんの若手ギタリスト君が抑制の利いた、しかしながらニュアンスに富んで内容あるソロを披露。それにしても、ホストのベースは手堅く、ドラマーは生き生きとしたビートを叩き出してくれて非常に気持ち良い。ここに来て気付いたのだが、アメリカ人は「俺が、俺が」と皆我が強いものと思っていたのであるが、意外や譲り合いの精神というか、まあ音楽優先なのであろうか。ともすればイニシアチブを取る人間が(この場合、本来であればボーカリストが取るべきであったのだが)不在となりがちなほど。その後、再びソロを入れるような雰囲気になったが、誰に回すのかと思ったら、ステージ上の全員が「行け、行け」と私を見ている。遠慮するような私ではないので、新参者ながら二度目のソロに突入。指の方も幾分馴染んできたしで、先程よりは良い感じ。結局最後まで締めさせてもらった。私の爆音振りに客席には動揺が走ったようだが、それでも結構、受けていたようだ(まだ確信はない)。 2曲目は、お祭り騒ぎ 見事に「謙虚な」日本人のイメージを覆し、傍若無人振りを発揮してしまった私。相方ギタリストがステージを降りるのが見えたので、私もお役御免かと勘違いして降りかけると、進行役が「君はまだ居て良い」と言うことで再びステージへ。降りかけたとき一瞬不満のブーイングが起こり、戻った際に拍手が湧いたのでちょっと良い気になる。しかし、爆音が日米摩擦の火種になるかも知れない、とアンプのボリュームを更に絞りに行く。直後、進行役がバンドのベースに、「奴の音量を少し下げさせろ」ってなことを言っているのが聞こえ、胸を撫で下ろす。 さて2曲目は、ポール・リード・スミスを抱えた若手ギタリスト「その2」が加わる。こちらの若手ギタリスト君は何やら歪み系のエフェクターを持ち込み、「ブォー」とか言わせているので再び心配になる。Key in Aということで若手ギタリスト「その2」がカッティングを始める。歌い出したらこれが、「ムスタング・サリー」。と言うことでみんな好きなのであろう、ホストのサックスとコーラスのおっさんが私の脇に上がって急遽参加。 2曲目ともなると解凍も完了し、もう余裕と言うか、「素」である。おまけに私にも馴染みの曲なので、オブリを入れて曲にアクセントを付ける。ここでも最初にソロが回ってきた。音量も控えめになったので、安心して大きくソロを取ることが出来る。客席からも一際大きな拍手が上がる。嫁の撮った写真を見て驚いたのだが、ここで私はしっかりのけぞって弾いていた。若手ギタリスト君は、意外や意外控えめで、ソロは辞退したようだ。サックス奏者もノリノリで、「あ〜、日本だとなかなかR&Bのサックスって見つからないんだよな〜」と思ってしまう。 後半、ホンの一瞬崩壊の危機を迎えたがリズム隊と共に乗り切る。最後はボーカルと一緒に締めさせてもらったが、場内この日一番の大盛り上がり。なかなか鳴り止まない拍手に、私も上機嫌。ステージを降りて戻ってくると、色々な人から声が掛かる。最初の対戦相手だった若手ギタリスト君にもお褒めいただいたが、ここは謙虚に「いや〜、君こそ」と返す(明らかに年下と分かる奴に褒められて喜ぶほど目出度くない)。 と、「やー、良かったよ。君」と話しかけてくるロバート・デ・ニーロ風の男。「R&Bは、やるのか?」と聞かれたので、「好きだ」と答える。すると「R&Bバンドでギターを弾かないか? ここに連絡してくれ」と名刺を渡される。見ると「Doc Side Music」とある。その男がDocさんという名らしいので、要するに「北島三郎音楽事務所」みたいなもんであろう(規模は大幅に違うと思うが)。東南アジアとかに売り飛ばされちゃうのも恐いし、「いや〜、通りすがりの者なんで」と言うのも無粋なので、「じゃ、こちらから連絡します」と一言。「セッションに来て、こんなに簡単に仕事がもらえるなんてやっぱりアメリカは良いな〜」と思いながら席に戻ると、「サウンズ・グレイト、メ〜ン」とColie。奴の彼女もいつの間にかご機嫌で、良かった良かった、と話しかけてくる。嫁は、「本領発揮できなかったでしょ」とこれまた良く分かってらっしゃる。 Thank Colie! 我々4人、アルコールも回って(Colie達はタバコも吸わないのに「ライターを貸してくれ」と言ってステージ裏のソファで二人、何やらやっていたのでそのせいもあるだろう)すっかり上機嫌である。が、ここらでColie達はニュージャージーまで帰るという。「明日ウチに遊びに来いよ」と誘われるが、残り少ない滞在日数、やらねばならないこともあったので残念ながら辞退。Colieの彼女は、演奏後私を見る目が変わったのであろうか。すっかり気に入られた様子で、抱きついてくるなり耳元にキスしてきた。大きなバストが押しつけられてきたのは嬉しかったが、後ろで嫁さんが見ていたので慌てて腰を引いてしまう(案の定「どう反応するかと思って、しっかり見ていた」らしい)。Colie達と再会を約束して、別れる。しかし、この晩、タクシー代から夕食、そしてここでのビール代まで全てColieの驕り。余計な出費をさせて申し訳ないと思うと共に、感謝、感謝、なのである。 私と嫁は、それから暫く残ってセッションの続きを楽しむ。実は嫁はドラマーで、スティックと練習用パッド持参でニューヨーク入りしていたが、この日になって「国際的に恥をかくのは嫌だ」と弱気になり参加を見送っていた。しかし、その後登場する現地のドラマーを見ているうちに、自分も参加すれば良かったと思い始めたようだった。いずれのドラマーも手首が固く、テクニック的にそれほど上手い訳ではない。出来ないことは思いっ切り省略していたりして、これなら自分が入っても通用したと感じたのであろう。私としてもせっかくだから嫁が叩くのを、見たかった。 その後、インターバルと言うかホスト・バンドの演奏に移る。ホスト・バンドが何曲かやって、再びセッション第二部が繰り広げられるのであろう。申し訳ないがここで帰還することに。名刺をくれたDocさんに一応挨拶して(その際一緒にやった日本人ドラマーとも話したが、英語学校に通いながらドラマーとして活動中、とのことであった)、Chicago B.L.U.E.S.を後にする。 総 括 私の参加したセットは、この晩最もメンバーに恵まれたと言っても良かったであろう。言葉の面もあって最初は若干の不安があったものの、音を出せば万国共通、であった。NYCはブルースのメッカと言う訳ではなく(中央線沿線の方々の方が余程ブルースに忠実である)、この晩の全体的なレベルもそう高いものではなかった。しかし、歌、曲、音楽を大事にアンサンブルしようという姿勢、お互いを暖かく包み込もうという気持ちを強く感じ取ることが出来、またそれは非常に心地良いものであった。これは以前、Otis Rush Bandで暫くギターを弾いていた千田哲彦(2000年3月末現在、再びシカゴに渡って活動中)が、「アメリカはさあ、一緒にやってる人の音が受け入れよう、受け入れようとしてるのが分かるんだよ。でも日本だと"入って来んな"って言っているように聞こえるんだよね。寛大じゃないんだよ。」と言っていたのと通じるであろう。比較的自己主張の強い人も当然のようにいたが、そう言う人に向けても懐の深さは、発揮されていたように感じる。 プレイヤー、そして客の反応も実に素直なのがやはり印象的(私は「内輪受け」が大嫌いなのである)であった。また、こういうセッションで仕事が拾えることが私にはとても羨ましく、「このまま暫くNYCに居ようか」と嫁共々思ったものである。「凄い人達」と一緒に演奏することは叶わなかったものの、充分に得るもののあったセッション参加であった。 実はこの日まで我々は、連日地下鉄と徒歩でNYC中を動き回ったため、すっかり疲労困憊してお互い精神状態もよろしくなかったのである。しかし、Colie達とのディナーに続くChicago B.L.U.E.S.での一夜は、嫁にとっても相当楽しかったらしい。翌日はすっかりご機嫌になって持ち直した。と言うことで、これまで登場を控えていた嫁の、翌朝のショットである。 で、後日談。旅行の写真が出来て嫁と見ていたのであるが、私をスカウトしたDocさんなる人物が、実は「ムスタング・サリー」でコーラスを入れていた人だと判明(さらにはセッションの一番手で登場したギター・ボーカルだったらしい)。私がギターを弾いているのをかたわらで嬉しそうに眺めるDocさん、てな写真が何枚もあった(「そして演奏開始」の写真参照)。どうやら相当気に入られていたらしい。もしも再びNYCに行くことがあったら、その時はまた宜しくお願いします。 |
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