nararinnのページ > My Little Diary > nararinnによるナラ紹介 > 和菓子づくりの基本
和菓子の種類は多種多様です。それぞれ、深い味のものが多く、見た目に圧倒されるものもあります。
和菓子を作る際には、感謝の気持ちをもって、集中力が必要とされます。
晴れの日、雨の日、その日の気温や湿度によって、味が微妙に変わってきます。
和菓子づくりの際は、感覚で作るということも大切となってきます。
和菓子は、昔から「くさくだもの」と言われ、
野生の実や、草の実が菓子の役割をしていたようです。
垂仁天皇の命で、田道間守が霊薬を求めて、
はるばる中国に渡り、やっとの思いで探し求めたものが、
みかんの原種、橘でした。喜び、
急ぎ帰国してみると、天皇はお亡くなりになっていました。
大そう嘆き、悲しんだという伝説があります。その為、
菓子の祖神として、
田道間守を祭る社もできたと言われています。
当時は、柿、栗、橘、なつめなどの自然の甘味は、
ぜいたくな菓子だったそうです。
その後、奈良時代に、遣唐使によって、
唐の珍しい菓子や技術が入ってくるようになり、
それらを唐菓子-からくだもの-と呼んで、
日本に広まっていきました。
この菓子は、主に、もち、うるちの粉をこねて、
油で揚げたものが多いです。
日本の和菓子の元祖として、後々まで影響を残しました。
鎌倉時代には栄西禅師が、
茶を中国から持ち帰ったことで、
禅宗の中で茶の間食として、
点心(茶菓子)が作られるようになりました。
点心は、まんじゅう、麺類、ようかん類などです。
中でも中国の僧、林浄因が奈良で
塩瀬姓を名乗って、作られたまんじゅうは有名です。
これから、日本の各地に、まんじゅうが育っていきました。
一方、東洋的な菓子の成り立ちに対して、
桃山時代にはスペイン、ポルトガルとの
貿易によって砂糖が入り、
今までの蜂蜜、甘葛の甘味から、
砂糖の甘味に移りました。
宣教師によって、織田信長に贈られた菓子が、
日本で始めての金平糖だったと言われています。
有平糖、カステラなど次々に
西洋味が入ってきましたが、これを
南蛮菓子と呼ばれるようになりました。
この時代まで貴族階級だけが、
贅沢な菓子を食べてましたが、
ようやく一般庶民の間でも、
口にすることができるようになりました。
こうして優美な菓子から庶民の菓子へ移り、
多種多様に開花したのは
なんといっても江戸時代です。
素朴にして粋な感覚で作られた、
わらびもち、くずもち、桜もち、きんつばなど、
今もって親しみのある菓子として、
現代までも受け継がれてきました。
また、俳句菓子、踊り菓子など、
江戸時代の風俗を写し出した菓子も考案され、
祝につけ、不祝儀につけ、菓子が
生活の中にじっくりと入ってきたのもこの時代です。
また、駄菓子、雑菓子とも呼ばれる
今川焼、ゆべし、たんきりあめ、かりんとうなど、
人気ある菓子が街頭を売り歩く
菓子屋によって、広くひろめられました。
明治に入って、バターやミルクを加味した、
洋菓子風な和菓子もつくられるようになりました。
しかし、基本的に純粋な和菓子は、
根強く日本の生活に定着し、
あわただしい生活の中で、
憩いと安らぎを求めるときに、求められました。
長い歴史と日本の風土に培われ、
わび、さびをめでる和菓子の一つ一つに、
あらためて親しみと、愛おしさを見つけ、
大切に次の世代へ受けついでいきたいと思います。
中学時代のレポートを下記に記します。何かの参考になればと思います。
・調べーた1 〜和菓子について〜
・調べーた2 〜10年前に訪れた老舗メモ〜
・調べーた3 〜まとめ(中学生編)〜
・旅録
日本食のいいところをまとめました。
・日本食のいいところ
楽天での商品情報詳細はコチラ。
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