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1. 1993 年 当時のライヴハウス事情
2. 1993 年 当時のバンド事情
3. 1993 年 当時の通信事情
4. バンドマンあるある
5. 俺たちに明日はない


2. 1993 年 当時のバンド事情

- 今日の T シャツは?

OKAZZY!:今日の T シャツは 1993年の VOIDD 。1st アルバムをリリースした年でした。シャツはイン。

Shige : 俺は DEMOLITION 。俺もシャツはイン。

kuma:二人ともバックル見せがかっこいいからセーフ(笑)

Niwa:俺は 1993 年の ETERNAL ELYSIUM 。シャツはインじゃないよ。

OKAZZY!:俺もそれ、色違いを持ってる。

Niwa:エターナルとリーサルアッシュ、どっちにするか迷ったんだよね。クマと俺は涼しそうだね。

kuma:俺は T シャツですらない。でもこのメンバーの中では一番年下だから大丈夫!

OKAZZY!:クマは俺より年は若いけど、やりはじめたのが早かった。バンドはデビュー順のやりはじめた年が重視される。

kuma:職人さんや芸人さんと同じだね。同い年の同期は、、、名古屋だとほとんど誰もいなくなっちゃって、今も一緒にやってるかんちゃんと DEMONOID13 の JUN くらいかな。オカジと丹羽君の絡みは面白いよね。同い年だけどオカジが先輩。シゲさんはどうやっても呼び捨てにできない。シゲさんの世代は怖かった。

Shige : シゲちゃんでいいよ。

kuma:無理です(笑)

Shige : 気に入らなかったら殴るから大丈夫。

kuma:あ!昔はそういうフレーズが普通だった!シャキッとします。



- 2012 年 12 月 23 日 (日) 「 SUB-EFFECT #48 〜 忘年会GIG 〜 」が皆さんにとって、初めての組合せとなる対バンになるんですよね?

kuma:そうです。20 年経って初めて実現してました。それぞれとの対バンはあったけど、VOIDD 、 HIDDEN 、 BEDLAM の 3 つが揃ったことはなかったんですよ。

Niwa:今まで繋がるようで繋がらなかった。

OKAZZY!:シゲさんとは、やってた時期がちょっとずれるしね。

Niwa:けど、VOIDD 、 HIDDEN 、 BEDLAM の 3 バンドでやってたら、ファームだと、お客さんが入りきらなかったんじゃない?

OKAZZY!:平日だったら意外と来ない。ファームで VOIDD とBEDLAM で初めて対バンしたとき、始まるまでは完全に偽りの会話だったけど、終わったときに自然に本音で話した。「ふたバンドでやると客こねーなぁ。」って。

お互い集客のいいバンドだったけど、平日だったから、蓋を開けてみたらいつもの半分くらい。当然他にもメンバーはいたけど、チケットを売ってたのは俺とクマだけ。

kuma : フライヤーをまいてたのも俺とオカジだけ。

OKAZZY!:今と変わってない。

Niwa:平日に藤が丘は大変じゃない?

OKAZZY!:俺ら大学生だったし、お客さんも若かったから、平日も何も関係なかった。

kuma : あー、そういうノリ。だから俺、大学生は嫌いだった(笑)

Shige : 俺も大学生じゃなかったし、大学生は嫌いだった(笑)

・・・・・・・・・・・・

- 似たかんじの対バンとかは、どうですか?

Kuma:今回に一番近い状態っていうと、今池のボトムラインで、DISK HEAVEN 企画のカバー大会をやったときになるかな。あのときシゲさんっていなかったっけ?

Shige : ボトムラインには出たことがないと思うよ。

Kuma:俺、VOIDD も HIDDEN も名前は知ってたけど、そのとき初めて見た。俺は God's Dignity で GBH をやってて、アウトレイジの直樹君がヴォーカル。カバー大会だったから、シゲさんじゃないドラムの人だったのかもしれないね。でもカバーと言いつつ、PSYCHO DEMENZ はキリング・ジョークを 1 〜 2 曲やっただけで、あとはオリジナルをやってた。

Shige:クマ、God's Dignity だったの?

OKAZZY!:俺、God's Dignity 見にいったよ、ココバットとやってたとき。クマやせてた。

kuma : そう、俺ベース。俺やせてた(笑)God's Dignity は、水谷君の後が俺で、俺の後が林。林はシゲさんがやめてから PSYCHO DEMENZ に入った。

Shige:俺が PSYCHO DEMENZ をやめて、小泉君が入って、アキラがいっとき入って、そのあとに林が入った。

kuma : 小泉君は PSYCHO DEMENZ の前は MATTISE だった。

OKAZZY!: 小泉君、MATTISE の前は、アイコノクラストだった。アイコノクラストは俺、仲良かった。

Shige:クマのベースは大好きだ。アウトレイジのローディで見てクマのことは知ってたけど、BEDLAM で初めて見た瞬間、かっこいいと思った。

OKAZZY!: クマのベースはかっこいい。ベースだけは好きだ。

kuma : ベースだけ!?俺ベースだから、俺にとって名古屋一のロック・スターはアウトレイジのよっちゃんなんだ(笑)俺、よっちゃんのフィギュアがあったら欲しいもん(笑)。

OKAZZY!: それ俺も欲しい!

・・・・・・・・・・・・

- 当時周囲から「名古屋のスラッシュシーン」と言われていたそうですが、現場から見てどうですか?

kuma : 仲が悪くてなんぼでしたね。とにかくそれぞれのバンドが、自分達以外のバンドは蹴落とせという感じだったので、結果、第三者から見た場合にそれが名古屋のシーンと見えたんだと思います。「 名古屋のスラッシュシーン 」 という概念は皆持ってなかったと思いますね。

OKAZZY!:俺は名古屋の人間じゃなかったからよくわからなかったけど、蹴落とせという感じは 「 バンドの話 」 から 「 バンド界隈の話 」 にまで広がって、みんな若いから荒れ方も読めないし、時々ひどくものものしいこともあった。

Shige:俺の周りは、喧嘩はなかったよ。こうらいやのつぼ八にジュークボックスがあって、みんなでいっぱい曲をかけてさ、面白いことばかりだった。平和だった。

・・・・・・・・・・・・

- 当時を無理矢理思い出していただいて、「ライヴクレーン!特製 俺たちのクロスレビュー 」に落とし込んでみましたが、かぶったコメントが気になりますね。

OKAZZY!:BEDLAM のクマが加入前は冴えないっていうやつ!(笑)加入後はほんとにメジャー感があった!実際メジャー・デビューの話があったんだよね?

kuma:あった。God's Dignity のときも某大手インディーズ・レーベルからのオファーはあったし、BEDLAM のときも、某メジャー・レーベルがライヴを見て気に入ってくれて、次のデモがセールス的にも内容的にもよかったらそこから出そうっていう話になった。

当時、自主 CD の制作費は 100 〜 150 万円位かかる時代で、デモ・テープを出すか、メジャー・デビューするか、二択だけ。で、メジャー・デビューするにはマネジメントがついてることが条件だったから、心当たりの会社に電話をかけたんだけど、スラッシュ・メタルを引き受けてくれるはずのマネジメント会社が「スラッシュ・メタルはもうやんないから!」と明るく一言。それで終った。

OKAZZY!:クマから数えてセカンドだから、実際はサードだよね。あれは演奏も音もよかった!



- 丹羽さんはオカジーさんがいなかったらこの世界にはいなかったと。

Niwa:そう、大学でサークルに勧誘されたっていうきっかけもそうだし、海外のバンドとのやりとりとか、T シャツの作り方も、ここが安くてここがいいよとか、色々なことを教えてもらいました。それで出来た T シャツが激売れして、東京でやったライヴのとき、会場の半分くらいが HIDDEN の T シャツを着てた。あの光景は嬉しかったし、オカジに感謝した。

Shige : 丹羽君の声を初めて聞いたとき、日本人でもこんな風に歌える人がいるのか〜って驚いた。素晴らしい声だね。

OKAZZY!: HIDDEN は、パワーメタル志向でハイトーンで、とても個性があった。もし丹羽ちゃんのハイトーンがなかったらそんなに話題にならなかったかもね。バンドってインパクトじゃん。

Niwa:HIDDEN では、最初の大阪ツアーもオカジに色々お世話になった。車に積む機材の内容チェックまでしてもらって。

OKAZZY!:結局そのツアーには、俺もついていった。相談役なのに運転手。先輩なのに、ローディでマネージャー。そしてライヴハウスでは、丹羽ちゃんがマネージャーと間違えられた!

・・・・・・・・・・・・

- PSYCHO DEMENZ 村井さんの印象も格段ですね。毎年夏、ハックで開催される [ MOTO-FES ] で今も多くの方に偲ばれている方ですよね?

kuma:村井君は名古屋を代表する人だった。

OKAZZY!:クマは BEDLAM で勢いがあったから、目をつけられてた!

kuma:村井君は、俺がガキの頃から知ってるから、昔は仲がよかったし、かわいがってもらってたんだよ。暫く疎遠だったけど、亡くなる前に和解できたからよかった。村井君はすごく耳がよかった。とりわけドラムにうるさかった。

Shige:俺の師匠が村井氏だった。「 これだ 」 っていうものを見つけるのが上手で、「 これがいいよ、あれを聞くといいよ 」って、色んなバンドの色んな曲をたくさんすすめてもらって、教えてもらった。

OKAZZY!:プロングとかキリング・ジョークが好きだったね。

kuma:奇妙で奇抜なサウンドメイクが得意でね、俺らにやれないことをやってくれてた。教えてもらったこともたくさんあった。カリスマ性があった。

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- やっぱり皆さん、意外とそれぞれ気にされてますね。

kuma:「 悪口メタル 」っていう言葉もあったくらい(笑)みんな、自分が一番と思ってやってるし、若いから、負けたくなくてけなす、そのために気にする、ということだったかも。でも、色々話しながら思ったのが、昔って他バンドを蹴落としてなんぼでやってたけど、自分がやってたバンドのメンバーの方が引退しちゃった。

OKAZZY!:振り返ると色んな人がいる。でもまだまだいた。ネタのない人もいっぱいいる。

kuma : シルエットくらいは浮かぶけど、もやーっとしか顔がうかばない。

OKAZZY!:みんな髪が長いから区別がつかない。でもみんないなくなった。思えば学園祭みたいなものだったかも。パッと盛り上がって、社会人になって終了っていう。

kuma : 人としてはそっちの方が賢い(笑)

OKAZZY!:メンバーや対バンの心配をしなくていいし。

kuma:で、色々あったけど、結局、音楽が純粋に好きな人間だけが残ってる。

OKAZZY!:むかつくなと思ってても、音楽でかっこいいなと思ったら残るし、知らないうちにしゃべれるようになってるね。

kuma : そうだね。東京でテラー・スクアッドと対バンしたときは顕著だった。BEDLAM のときに東京で 2 回一緒にやったんだけど、彼らは俺にやれないスラッシュ・メタルをやってた。ほぼ同い年だし、面白くなくて、勝手にひどくむかついて、打ち上げでも口をきかなかった。

で、何年か空いて、20 代後半に BOLD FAT MISSILE になってからまた一緒にやったとき、「 大嫌いだった 」 って話したら、BEDLAM に対して全く同じことを思ってたと。考えたら通ってきた音楽ってみんな一緒なわけだし、それから仲良くなって、今じゃすごく仲がイイ。

OKAZZY!:残るといえば、時間を守るやつも残る。

Shige : 俺も音楽が好きだからここまでやってる。時間も守る。リハの会場入りはメンバーの中で一番早いよ。最近は facebook とかで引退した昔の仲間に再会できるから面白いね。

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【 LINK 】

■ BOLD FAT MISSILE
https://www.facebook.com/boldfatmissile

■ VOIDD / CLANDESTINED
http://www2.odn.ne.jp/~cga46880/

■ VIGILANTE
http://vigilantemetal.com/

■ SxAxT
http://sat666.web.fc2.com/

■ SUB-EFFECT
http://sound.jp/sub-effect/

■ バランス整骨院名城
http://www.balance-meijo.com/

※ 参加者の各プロフィール等はこちら。
■ ライヴクレーン!特製 俺たちのクロスレビュー  

※ SUB-EFFECT #48 〜 忘年会GIG 〜 のライヴレポートはこちら。
■ Report File No.17 SUB-EFFECT #48 〜 忘年会GIG 〜


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