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なるほど。90年代のオルタナティヴ・ロック全盛期は、インディー・レーベルがメジャー・レーベルに侵蝕された時代でもあったと思います。あの時にあなたたちはどんなことを学びましたか?

Tim:オルタナティヴと呼ばれたものが素晴らしい音楽だってことは最初から気付いてた。でもいったんブレイクしたら、メジャー・レーベルが進出してきたことによってあっけなく崩壊してしまったよね。だから90年代の中期は多くのインディー・レーベルにとって再建の時期だったんだ。例えばサブ・ポップなんかは抱えていた素晴らしいバンドが全部メジャーへ移籍してしまったし、オルタナティヴというジャンルで突出していたから、ブームの終焉とともにレーベル自体も路頭に迷うことになった。新しいバンドとの契約もないし「これからどうすればいいんだ?」ってね。メジャーの参入でたくさんのバンドやレーベルが潰されたんだ。やがて90年代後半には、バンドが「インディーに戻りたいかも」って考えるようになった。そして今のアメリカの現状は、10年前に逆戻りだね。また同じことの繰り返しだよ。パンク・ロックやエモがブームになって、その流れに乗ってメジャー契約するバンドも増えてる。ただ、ひとつだけ言えるのは、ティムも俺も「過去に同じことを見てきた」ってこと。2年も経てば今のブームも衰退して、メジャーからバンドが帰ってくるって想像できるんだよ。俺たちとしてはそこら辺を賢く見極めたいと思ってる。10年前は小さなレーベルだったし、メジャーに移籍したバンド数も少なかったから打撃が少なかった。でも今契約しているバンドは自分の友人でもあるし、これから大きくなるであろうバンドなんだ。彼らに俺たちが見てきたことを伝えることもできるしね。それに、トレンドなんかに流されることなく、自分たちが気に入ったバンドだけと契約していこうと思っているよ。バンドがメジャー移籍を望むならそれを止めることはできないけど、うちのレーベルには前例がないんだ。漸く気付いたっていうのかな、インディー・レーベルの栄枯盛衰を目の当たりにしたことがあるからこそ、これまでのスタンスを変えずに続けていきたいと思う。もし10年前みたいな大ブームが再来したとしても、その後の10年間、誰もインディーに興味を持たなくなったとしてもね。

遠く離れた日本にいても、現在のアメリカン・インディー・シーンをとりまく状況が10年前と同じような雰囲気になっているのは何となく感じるんですが、現場にいる人間として、現状に対する評価と今後の展望を聞かせてください。

Tim:現状はよくないね。90年代中期に起こっていたことが、今度は直接俺たちに悪影響を及ぼしそうな気がするんだ。実際にメジャー・レーベルの連中がうちのバンドを物色したりしてるんだよ。契約できそうなバンドを探しまわってね。

Darren:バンドを獲られる可能性もあるかもね。昔の競争相手は同じインディー・レーベルだったのに、今ではメジャーが相手だもんな。

Tim:パンク・ロックがメインストリームになったことで良い部分もあるとは思うよ。これまで目立たなかったバンドが注目されるようになったり、一般的なポップ・カルチャーが好きでパンクを知らなかった人たちが「テレビで見てるのはどうしようもないバンドだ」って気付いて、もっと影響力のある本物の音楽を聴き始めるようになったりとかね。でも、いちばん最初にパンクが始まった頃とは状況が全く違うってことを忘れちゃダメだ。今のご時世、オリジナルな音楽を作るのは難しい。特にメジャー・レーベルはパンクをもてはやして、お金を稼ぐためには搾取できるものは全て搾取しようとしている。今の状態を見ていると、今後どのくらいこの人気が続くかわかったもんじゃないね。まだ人気が上がり続けてるのに驚いてるくらいなんだから。グリーン・デイがブレイクした時点でパンク・ブームはピークだと思ってたんだ。なのに、それにBLINK 182が続いて、今ではもっと一般化してるよね。すでにビッグなバンドだったにもかかわらず、それでもまだ大きくなり続けてるんだ。そして食いものにされるんだよ。レーベル経営者としても、いち音楽ファンとしても、今のパンク・シーンがどこに向かっているのかわからないよ。人気はあるけど、全体として見ると決して健康的であるとは言えないな。俺はメインストリームよりもアンダーグラウンドでありたいね。

90年代中盤にも、メジャーに青田刈りされたバンドが理不尽に契約を打ち切られたりとか、悲惨なケースがたくさんありましたけど、それらの事例が新しいバンドにとって教訓になっていたりはしないのでしょうか?

Darren:なっていないな。だって、結局10年前と同じことを繰り返してるんだからさ。僕が思うに、人間って「自分には絶対不幸は訪れない」と考えていて、「自分たちはうまくいく」と信じて疑わないみたいだよ。まあ、中には実際に成功するバンドもいるからね。ほんの2ヵ月前に自分のライヴで前座だったようなバンドが、MTVに出演したり200万枚のセールスを記録しているのを見たら「たいしたバンドでもない奴らが売れるんなら、人気と才能のある俺たちにだってもっとチャンスがあるはずだ」と思わずにはいられないだろうし。でもさ、バンドが売れる理由なんてはっきりしてないわけ。人気を上げるための営業戦略とかは色々あるのかもしれないけど、最終的には運命なんだよ。誰にもコントロールのしようがないんだ。

一方で、現在ではインディーでもインターネットを利用したりとか、メジャーの資本力がなくても、違った形でより多くのリスナーに情報を発信できるようになりましたよね。10年前と比較して状況は改善されているような気もするのですが?

Darren:ああ、すごく助かってる。

Tim:ほんとだよな。遅かれ早かれ、もっと多くの人々にうちのレーベルやバンドを知ってもらえるようになると思う。いろんなジャンルのバンドがいるから、例えばひとつのバンドに興味を持ってもらえたら、そこから他のバンドに繋がることもあるかもしれない。そのためにも俺たちとしては作品をリリースし続けるよ。これからも自然な形で成長していければと願ってる。物事はなるようにしかならないとは思うけど、向上し続けたいと思っているんだ。

Darren:情報へのアクセスの可能性が大幅に広がったのは紛れもない事実だし、音楽に関する情報の入手方法もかなり変わったね。音楽ファイル交換には興味のない僕でさえ、インターネットとE-メールだけとってみてもビジネスへの影響は驚異的だと思うよ。世界各国の人々と連絡が取り合えるし、世界中の人がうちのサイトに来て、写真や文章を閲覧するだけじゃなく、試聴だって可能なんだもんな。10年前はまだ郵便を使っていて、アメリカから日本へは20ドル以上かかって、6〜8週間は待たされるのが常識だったっていうのに。ネットに関して言えば、過去10年間で世界は大々的な変化を遂げてきた。そのおかげでこのレーベルを知ってもらうチャンスも増えたし、すごくポジティヴなことだと思うよ。

ではここで、お2人がそもそもレーベルを始めたきっかけについて教えてください。

Darren:最初に会った時は、2人とも別個にレーベルをやってたんだ。どっちもシングル専門のね。ティムは親友とそのレーベルを経営していたんだけど、ちょうどお互いに「そろそろ潮時かもしれない」って感じてて、それぞれそのレーベルはたたむことにしたんだ。で、僕は勉学に専念するつもりだったんだけれど、ティムから「別の名前で新しいレーベルを作る、出すバンドももう決まってる」って話を聞いて、最高にクールだと思ってね。それで「勉強が忙しくはあるけど、もし良かったら僕にも手伝わせて欲しいな」って申し出たんだ。そしたら「いっしょにやらないか?」って誘ってくれてね。ティムが出す予定だと言ってたバンドは、以前にやってたレーベルとも契約してたから、第1弾リリースの準備はほとんど整っていたんだ。さらに、他にも新レーベルに興味を持ってくれているバンドもいたし。そんな感じで2人でレーベルを始めたんだよ。お互いに上手くサポートし合えると思ってね。僕がビジネス担当、ティムはA&R担当って言えばわかりやすいかな。その前のレーベルも両方とも世間ではそれなりに認められてはいたんだけど、どちらもパートナーがしっかり仕事をしなくて不満に感じることも多かったんだ。そんなこんなで、とにかくやって様子を見てみようぜって感じでスタートした。そのまま、13年経った今もまだ続いてるんだよね。

Tim:そう、最初から具体的な計画があったわけではないんだ。とりあえず1枚出してみようってことでさ。でもその直後、さらに2枚のリリースが決定して……そうしているうちに、いつの間にか13年も経ってた、って感じだね。設立したのが1990年、今年の10月にリリースされるレコードで89枚目になる。ダレンはデラウェアに住んでたんだけど、友達がワシントンD.C.にライヴを観に来ることもあって、そういう形で友情を深めてきたんだ。まあ言ってみれば、そこでシーンが生まれたってことかな。

さらにさかのぼって、そもそもあなた方が最初に音楽に興味を持ったきっかけ、そして最初にレーベルを始めようと思った動機について教えてください。

Darren:昔からずっと音楽が好きで、若い頃は地元のデラウェアのバンドをよく聴いてた。音楽好きなら誰でも一度は夢みたと思うけど、僕もロック・スターになりたかったよ。でも自分にはなれないってわかってたからさ(笑)、それで、いつか自分のレーベルを持てたら最高だろうと考えるようになったんだよ。80年代後半のアメリカでは、レーベルを作ること自体あまり流行ってなくて、インディー・レーベルの数はまだまだ少なかったけど、それでも「いつか自分のレーベルを持ちたい」ってね。ミュージシャンじゃなくても音楽に関わっていられるし、こんなに音楽が好きなんだから試す価値があると思った。まさかこうなるとは思ってもみなかったけどね。全く想像もしてなかったよ。

Tim:俺の場合、子供の頃はスケボーとかBMXとか、アメリカのキッズらしい遊びをしてたね。パンク・ロックに目覚めたのは1987年頃、高校に入ってから。80年代後半のワシントンD.C.には素晴らしいパンク・シーンがあった。それでまずファンジンを1冊発行して、次のステップは7インチ・レコードをリリースすること、さらに自分のレーベルを立ち上げることだって思ったんだ。好きになったからには自分もシーンの一部として可能な限り活躍したかったからね。パンクという音楽が俺の人生を変えたと言っても過言ではないよ。友達と一緒に仕事ができるのは最高だ。会社に行く必要も誰かの下で働くこともないしね。それで、俺もダレンも音楽を好きになるきっかけを与えてくれた数々のレーベルやバンドに恩返しがしたかったんだ。彼らがしてくれたように自分達もしたいと思ったんだよ。つまり、両親が子供に影響を与えるように俺もキッズへ影響を与えたかった、パンクという音楽を通して価値観や思想を伝えていきたかったんだ。人には生まれつきポップ・カルチャーからそういった影響を受ける性質が備わってる。そんな風にして、人々に良い影響を与えれいられればいいと願っているよ。シーンに関わっているという手本になれていればいいね。

イアン・マッケイにインタビューした際、アメリカという国は資本主義的な考え方が支配的なので「とにかく会社を大きくしなければ」ということを優先的に考えていないだけで異常なものとして扱われる風潮がある、というような話をしました。あなた方もそういった傾向を感じていますか?

Darren:ああ、それはいつもプレッシャーだったね。それでも、イアンから受けた影響を忘れずに、僕たちなりのやり方をプラスしてやってきたんだ。最終的には、自分自身で納得できなくちゃどうにもならないよ。ティムも僕も、妥協抜きに物事に取り組んだうえで、今日1日に果たした自分の仕事に満足できるような毎日を送りたいと思ってる。そういう考え方は、ヒットや金稼ぎばかりが目当てのアメリカって国では珍しいことなのかもしれないし、結果としてJade Treeは他のレーベルに比べて収入が低くなってるのかもしれない。でも僕たちは、バンドへのケアを忘れず、彼らが良い状態でいられることをいつも優先的に心掛けるようにしているんだ。そんなことはアメリカの音楽業界では重要視されてないね。残念ながら、どの業界でも最初に来るのは金なんだよ。僕たちとしては「みんなをハッピーにしたいし、そのうえで収益も上げたい」と言えるようでありたいね。儲けやレーベルとしての成長がないままでは13年間もこの仕事は続けてこれなかっただろう。でも、この13年間、ファン中心の活動とは相反する企業とのタイアップやスポンサーなんて持たない範囲でやってきたし、そうやってJade Treeがゆっくり成長する姿を見せてきたからこそ、今でも繋がっていられる人たちがいるんだ。

Tim:会社を大きくしたいと思うのは当然のことだけど、ダレンも言ったように俺たちはそこをうまくコントロールしてきたんだよ。常にその時々で存在価値を持った、活気のあるレーベルでいたかったからこそ、毎年少しずつ成長していることが自分できちんと実感できるような前進を遂げたかったんだ。いつも元気一杯でエキサイティング、そして時代の先を進んだレーベルでありたいね。


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