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2003年にミューのサポートとして初来日を果たしたヴェルヴェット・ティーンは、翌2004年に力作セカンド『Elysium』をリリースし、それを受けて今度は待望の単独公演という形で再来日を実現。渋谷クラブクアトロに詰め掛けたオーディエンスの熱気は、彼らが日本において最も大きな規模で成功しているアメリカのインディー・バンドであることを印象づけた。 筆者は運良く、クアトロ公演の終演後、当日共演したザ・グッド・ライフのメンバーと合同で行なわれたオールナイト・カラオケ大会の様子を覗くことができたのだが、TOTO、ジャーニー、ピーター・セテラ、ボニー・タイラーなどなど、80年代の全米ヒット・チャートを賑わせたAOR系ポップスを抜群の歌唱力で次々に歌いまくるリズム隊の2人(ジョシュと新ドラマーのケイシー)の勇姿に圧倒されてしまった。一方、ギター/ヴォーカルのフロントマン=ジュダは早々にグロッキーの様子で、途中で姿が見えなくなってしまったので、てっきり先に帰ったものと思いきや、なんと非常階段の踊り場で風にあたって休みながら、朝5時のお開きまでしっかりとつきあってくれたのだ。「他のメンバーを残しては帰れない……」、一見したところ奔放な天然キャラに見えるジュダだが、その内面には友人を気づかう心優しい性格もそなえているのである。だてに「趣味が編み物」の男ではない。 ここに掲載するインタビューはその翌日(っていうか当日)に行なわれたもの。徹夜明けでボロボロの体調にもかかわらず、政治や宗教のことまで一生懸命がんばって話してくれました。お疲れさま! 「メジャーには行かないと思う。今のところは友達の手助けを借りながら自分達の手でやっていきたい。そうすれば、成功した時には自分の力で勝ち取ったことになるわけだから」 渋谷クアトロでのショウ、楽しませていただきました。最新アルバムの『Elysium』を生でどう再現するのかが興味深かったのですが、スタジオ・ヴァージョンとはまた違った趣が感じられて良かったです。緻密なサウンド・プロダクションを施した作品をライヴで演奏する際には、どんなことに気を使っていますか? Judah:ライヴでどうやって再現するかは、アルバム完成時に僕達自身も色々と考えたんだ。サポート・メンバーを頼もうかっていう話もあったけど、やっぱりアルバムで実際に使ったバックトラックを採用するのが手っ取り早い気がして、最終的にはバンドだけで演ることにしたんだよ。あまり設備の整っていない小さなライヴハウスでは自分達のPAを用意することもある。バックトラックを使うのって案外楽しいんだ。3人だけでやる以上に音に幅やバラエティーが生まれるからね。 昨日は演奏の最中に、新ドラマーのケイシーが、ドラム・セットからラップトップの位置まで走って操作している姿が2度ほど見られましたが、あれはどういった理由で? Judah:ああ(笑)。昨晩のライヴは結構メチャクチャなところがあって、僕がバックトラックを停止するのを忘れてしまって、次の曲が始まってたのに前の曲のトラックがまだ流れ続けてたんだ。それでケイシーが止めに走ったってわけ。恥ずかしい話だよ。 (笑)他にギターのトラブルとかもあって、ライヴの流れが切れてしまったりもしましたが、その後すぐ盛り返して最終的には良いライヴになったと思います。それはあなた達の気持ちの切り換えが早かったことに加えて、オーディエンスの熱による部分も大きかったんじゃないでしょうか? Judah:そうだね、みんな忍耐強くて待ってくれて本当にありがたかった(笑)。弦の張り替えにあんなに時間を使うものじゃないし、替えのギターを用意しておかなかったことを心底悔やんだよ。自分で弦を替えたらあんなに時間はかからなかったと思うけど、そうなってしまったからさ(笑)。今回ローディーとしてついて来たスタッフって、実は僕らの所属してるレーベル「Slowdance」のオーナーだったんだ。彼は弦の張り替え方を知らなかったんで、アメリカを発つ前に教えなくちゃならなかったりしてね(笑)。終演後に聞いた話では、ステージ横でみんな彼を手伝おうとしてくれて1人でやるよりは早く終わったらしいんだ。でも、結局3人ぐらいの手を転々としたらしくってさ。弦を替えるのに10分もかかるってのは馬鹿げた話としか言いようがないけど、まあアクシデントってのは起きるものだし、仕方がないって思ったよ(笑)。 その場でセットリストを入れ替えて、先にキーボードを使った曲を演奏したりして切り抜けていましたが、そういったアクシデントへの対処法は長年のツアー経験を通じて、もう充分に出来上がってる感じですか? Judah:そうだね。似たようなことは前にもあった。でも弦を張り替えるぐらいでほとんど済むんだけど。それでも何か起きたら臨機応変に対応したいと思ってる。 さて、さきほども名前の出た、新メンバーとして初来日したケイシーなんですが、そのキャラクターも含めて本当に素晴らしいドラマーが入ったと思います。ここで、彼がバンドに加入するに到った経緯を簡単に聞かせて下さい。 Judah:ケイシーは僕達が昔からファンだったThe Americasっていうバンドのドラマーなんだ。The Americasは僕達と活動拠点が近くて、知り合ってからかれこれ2年ほど経つんだけど、以前には共演したこともあって、お互いに一目置き合う存在なんだよ。で、前任のドラマーだったローガンが病気になって『Elysium』発売後のツアーに同行できなくなるという事態が、まさに出発の1日前に起きてしまって。後で脳腫瘍だって分かったんだけど、当初はまだ何の病気か不明で、とにかく大事を取りたいっていう話でね。それでもキャンセルしたくなかったから、僕達はローガン抜きでアコースティック編成のツアーに出たんだ。でもその時のライヴの内容はお世辞にも褒められたものじゃなかったんで、それで友人を介してケイシーにツアーのサポートを依頼したんだよ。彼は電話した当日に車を飛ばして来てくれて、リハーサル抜きで本番に臨んだにもかかわらず、本当に素晴らしい演奏をみせてくれた。ケイシーのことは昔から大好きなドラマーの1人だったし、僕自身ライヴであれほどのアドレナリンを感じたのは久しぶりだったね。で、そう、性格もすっごくいい奴なんだ。バンドに参加してもらえて心から嬉しいよ。 なるほど。では、『Elysium』について幾つか質問させてください。作風の大胆な変化に驚かされたリスナーも多かったと思うのですが、ラップトップを駆使したサウンド・プロダクションを追求していく方向性には、どのようにして進んでいったのでしょう? Judah:最初は2曲入りのEPにする予定だったんだ。未完成のピアノ曲もあったし。それに今回はスタジオを借りずに自分達でレコーディングするつもりでね。時間や費用を気にせずに済むだろうと思ってさ。というのも、前作の『Out of the Fierce Parade』は1週間しか時間をかけられなかったんで、今回はもっとじっくり取り組みたかったんだ。そしたら、レコーディングを続けていくうちに自然に方向性が変わってきた。僕達って同じことを続けていると飽き易い性格なんで、やる気を損ねないよう色んな音作りに挑戦したのさ。だから今回のような作品になったんだと思う。結果、自分達が望んだ音に仕上がったよ。
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