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そして、4枚のアルバムのリマスタリング・リイシューですが、特にファースト収録の“アイル・ビーン・ウェイティング・フォー・トゥモロウ”や“ジャイアント”のパーカッション部分など、リマスターの結果が非常に楽しみです。 Matt:ああ、うんうん! 素晴らしい音になってるよ。40%ぐらい音量が増してる。『魂の彫刻』が出た頃ってまだCDが普及してなくて、最初はヴィニール盤だったんだよね。でCD化された時はリマスターせずそのままコピーしただけだったんだ。 ちなみに、ジョージ・マーティンが、ビートルズ作品のリマスター作業中、その曲を録音していた当時の記憶が様々と蘇り、それら全てが楽しいものばかりとは限らず、非常にタフな経験だったというようなことを語ってた記事を読んだことがあるのですが、あなたの場合はどうでしたか? Matt:ああ、僕の場合はいい思い出ばっかりだなあ。きっと選択的記憶ってやつだよ(笑)。でもいろいろ思い出すことはあったな、ほんと。いつもマスタリング作業はニューヨークでハウイー・ワインバーグと一緒にやってたんだけど、その時のテープが全部出てきたから、目の前に積まれたその山を見て、20年前の自分の筆跡なんかも目にして、いろいろ蘇ってきたよ。 何か特にしみじみしたこととか強烈な思い出とか、ありましたか? Matt:うん、一番最初の曲“アンサートゥン・スマイル”を作ったときのこと。あのとき初めてニューヨークに行ったんだよ。1982年で僕は20歳だった。波乱のひとときでね。マネージャーと一緒にニューヨークに飛んだんだけれども、彼は翌日にロンドンにとんぼ帰りしなきゃならなかったんだ。僕は一人きりでニューヨークに残されて、知り合いも誰もいないし、しょうがないからクラブとかに行っていろんな人と出会って、結局ある女性と知り合い、むこうにいる間ずっと彼女と暮らしてたんだよね……そしてスタジオではマイク・ソーンと仕事して。ほんと、強烈な時期だったよ。今でも思い出すな、あのときのこと。僕は17のときにアメリカに行ったことはあったんだけど、ニューヨークはそのときが初めてだったんだ。あの頃と比べるとニューヨークは変わったよ。でも知らない土地って、最初に行ったときの記憶が一番強烈なもんだよね。スタジオの中とか街自体の雰囲気とか、どことなく緊張してた感じとかよく覚えてる。20歳で一人で乗り込んでいって初めてレコードを作ったんだもんな。あの旅の記憶が今回、一気に蘇ってきたよ。このヴァージョンの“アンサートゥン・スマイル”を聴いたのはものすごく久しぶりだったしね。それから“パーフェクト”を録って、ロンドンのブリック・レインにあるスタジオでポール・ハーディマンとミキシングしてたときのこととかも。夏で、めちゃくちゃ暑かった。そう、ものすごく鮮烈な記憶だよ、どれも。音楽って、匂いと同じくらいそうやって一気に過去の瞬間に自分を引き戻す力があるよね。魔法みたいに。気づいたらその瞬間に戻ってる自分がいるんだ。どの曲もそう思ったよ、ああ引き戻されるなあって。これを聴く人たちもそうだといいなと思うよ。 まちがいなくそうでしょうね。さて、今後ボックスセット、ドキュメンタリーフィルム、DVDボックスと発掘企画はまだまだ山盛りありそうで、ファンとしては非常に嬉しい反面、純然たるニュー・アルバムはどうなるのかも気になります。新曲もどんどんいいのが出来てるとさっき口走ってらっしゃいましたが、実際どんな構想なのか等、できるだけ教えていただけませんか。 Matt:うんうん。ニュー・アルバムは僕のルーツに返るんだ。すべての楽器を自分で演奏する。それって19のとき以来だよ。あの頃から比べるとテクノロジーはとても進歩したし、当時使っていたテープ・ループやドラム・マシンなんて今考えるとおもちゃのようなものなんだよね。今はものすごい機材がいろいろある。それを利用して自分ひとりのアルバムを演りたいんだよ。ともかく趣旨はルーツに戻るというものでね。今度メルトダウンっていうデヴィッド・ボウイ主宰のイベントに出ることになって、そこではジム・フィータスをゲストに迎えてやるんだけれども、彼と一緒にプレイするのも1982年以来なんだよ。 じゃあメルトダウンはあなたとジム・フィータスの2人のショウになるんですか? Matt:いや、ザ・ザとしてだけど。あと映像フィルムを使ってね。ジム・フィータスは今、ベイビー・ジザニーというサイド・プロジェクトをやっていて前座として出るんだけども、ザ・ザのステージにも参加してくれるんだ。実際、もう20年前になるけど彼もザ・ザ・にいたことがあるし。ステージに一緒に立つのはそのとき以来だから。そんなふうに、自分のルーツを最近振り返っていたんだよね。『バーニング・ブルー・ソウル』からこっち、僕はバンドを作りツアーをやり映画を作りオーケストラや聖歌隊やブラス・セクションとも仕事をし、ハンク・ウィリアムズのカバー・アルバムを作り……そんなふうに考えていたらいきなりスタートに帰ってみたくなったんだ。今はそうするにはいい時期だと思うよ。 具体的にはどのぐらいまで始まっているんでしょう、新譜の作業は? Matt:まあ、今は曲を書いてるとこだけど。ほら、今はプロモですごく忙しいだろ? だからあんまり時間がなくて……構想はどんどん立てているんだけど実際のレコーディングにはとりかかれてないんだ。でも時間ができたらすぐに始めるよ。ライヴのハーサルとか、インタヴューとか、いろいろ目の前にあってさ……。 あ、いいんですよ。そんなに弁解してくださらなくても。 Matt:あ、ああ(笑)。遅いっ!って叱られてるのかと思った。うん、そういうわけで、新譜は希望としては来年中に出せればなと。でも別のアイデアもあって、その前にもうひとつ、ソニー以前の作品のボックスセットを出すんだけど―――あ、はじめに言ったかもしれないけど、『スピリッツ』『バーニング・ブルー・ソウル』『ポルノグラフィー・オブ・ディスペアー』の3枚を『ベッドシットランド』っていうタイトルでね。で、そこにニュー・アルバムも入れようかとも考えてて。ほら、その3枚はどれも全部自分で演奏してるだろ。だから、この次の新譜と一体化させてもいいんじゃないかな、と。面白いアイデアだと思うんだ。 分かりました。心から楽しみにしております。ところで、ちょっと話は逸れるんですけど、ベーシストのスペンサー・キャンベルさんは、今もあなたのバック・バンドにいるんですよね? Matt:うん、“ピラー・ボックス・レッド”と“ディープ・ダウン・トゥルース”で弾いてくれたよ。実はちょうど30分前に僕に電話してこようとしてた。けど酔っ払ってたみたいだな。呂律が回ってなかったよ。 それなんですよ(笑)。彼はアルコールが入ると自分を失ってしまう人だという話でしたが――― Matt:だってあいつ、客が嫌いなんだもん。オーディエンスが彼の大敵なんだ。よく客を舞台に引っ張り上げてブン殴ったりしてる……ハハ……。 じゃあ、禁酒の誓いを守ってるわけじゃなく、相変わらずそういう調子なんだ。 Matt:んー、昔に比べればだいぶおとなしくはなったけどね。でもキレてるからさ(笑)、あいつ(※その後03年に入って、『ネイキッドセルフ』を作り上げたキャンベルを含むラインナップのバック・バンドは解散した)。 ところで、あなたはメジャーの音楽産業システムに嫌気がさしてナッシングを離れたわけですよね。 Matt:ああ、っていうかユニバーサルね。ナッシングはレーベルなんてものじゃなかった。言葉のとおり“無”だったんだ。僕は事実上インタースコープ/ユニバーサルと契約してたんだよ。ナッシングの正体は残念ながら結局わかんなかったな。まあ僕のウェブサイトを読んでもらばわかるけど、ユニバーサルとの状況は最悪だったよ。あんなひどい状況は僕も初めてだった。こっちとしては頭を下げて下げて下げまくって、解放してくれって頼んだんだ。ほんとにひどかった。 もうそこまでメジャーでうんざりする目にあったってことは、新作のリリースもあなた自身のレーベルからってことになるわけですよね? Matt:僕はラザラスと契約している形になっていて、ラザラスがすべての権限を握っている。ソニーでもどこでも、好きなところとライセンス契約が結べるんだよ。実際いくつかのレーベルとその手の話をしてるとこなんだ。でももう今後、メジャーと直接契約するのはごめんだね。ただのぼったくりだよ。 トレント・レズナーに先ごろインタヴューしたのですが、彼は「インタースコープがユニバーサルに買収されたことが原因で、心から尊敬しているマット・ジョンソンのためにナッシングが十分なサポートを出来なくなってしまって非常に残念だった」と語っていましたよ。彼もまたメジャー・レーベルの企業的な面と闘いながら自らの創造信念を貫こうと日々努力している人間ですし、その点ではあなたと共通しているはずだと思います。あなたが彼とは道を同じくできないという結論に至った決定的な理由はなんだったのでしょう? Matt:彼はナッシングというレコード・レーベルの運営には何も関わっていなかったんだよ。というかナッシングというのは誰もいないレーベルだった。トレントのマネージャーのジョンはトレントの面倒をみるためだけにいて、僕のことは誰も何も世話してくれなかったんだ。電話一つかかってこない、サポートしてくれる人間もいない。レーベルとして存在してたとはいえないんだよ。僕は契約するまで何度もメシを奢られたりしてさんざん声をかけられて、契約したとたん、全員雲隠れしてしまったんだ。トレントには一度だけ会ったけど、特に彼が僕のサポートを申し出て連絡してきたこともないし。まあ、彼だって忙しかったわけだよ、自分のアルバムを出さなきゃいけないしさ。そうして彼のアルバムが出たとなればナッシング側の人手は全部そっちに供出せざるをえなかった、と。僕はまるっきり一人でやるしかなかった、誰も僕のサポートについてた人間はいないんだ。 ……それはなかなか大変でしたね。 Matt:ああ、実にやりづらい状況だったよ。だからできるかぎり早くに抜け出したかった。ほら、昔から言うだろ。実情はパンフレットに描かれているのとは少々違います、ってね(苦笑)。パンフレット上ではすごくいい感じなんだけれども、実際にその場に行ってみると、ちょっと待てよ……っていうね。 (笑)。 Matt:いや、まったく妙だったよ。あんなふうに放っとかれて、あれはフェアじゃないって。ツアーだって14カ月間やって、費用は全部自分もちだったんだぜ。7万5千ドルも自分の懐からだよ。小さな額じゃないだろ? 僕じゃなくて、レコード会社がもっていいはずだよ。不当だった。自分でレーベルを運営して他のアーティストと契約しようとなったら、真剣に考えなきゃだめだよね。こういうアーティストを自分のレーベルに置きたいっていうエゴからじゃなくて、そのアーティストのキャリアをサポートしていくんだっていうふうにさ。僕は自分のレーベルには他の誰も契約しないつもりだ。失望させたくないんだよ。フェアじゃない。もし契約するなら、本気で後ろ盾になってあげないとね。
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