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なるほど。

Ted:まあ、それでもかなりの期間レーベルに置いてもらえて、なかなか恵まれてたと思うよ。ヴィデオもたくさん作らせてもらったし……ま、中にはあまり自慢できないような代物もあったがね(笑)。しかもヴィデオ1本作るのに、6万ドルだったか7万ドルだったか、とんでもない大金を費やしてたんだ。ところが実は一番よくできたヴィデオはCBGB時代に作ったやつで、友達が手持ちカメラで撮ったモノクロ映像で、画像も粗いんだけど、俺に言わせればそれこそがプロングのベスト・ヴィデオだった。でも、さっきも言ったように、プロングがソニー時代に作った音楽のことは、今でも誇りに思ってる。で……そうだ、ゴッドフレッシュの話だった。プロングの後ゴッドフレッシュに入って、全米ツアーをやって、ヨーロッパ・ツアーがあって、『Hymns』がリリースされて――全部、3年ほどの間の出来事さ。彼らとプレイするのは大好きだったよ。一服の清涼剤的な存在というか、実際「こういう連中にいつも囲まれていたい」と思わせるような連中なんだよね。さっきも言ったように、プロングの時代には、ピリピリした空気が漂うこともあったから……まあ、レイヴンが加わった時は、空気を入れ替えられたような感じがして嬉しかったけどね。メンバーもアティテュードも一新して、全てが新しくなった気がしたんだ。

なるほどね。

Ted:で、ゴッドフレッシュで全米ツアーをやることになったんだけど、『Hymns』の直後くらいにベニーが「もうたくさんだ」って脱退してしまって、それで俺が、ポール・レイヴンにバンドに加わるように誘って、ツアーにも参加することになってたんだけど、結局は実現しなかったんだよね。ジャスティンが参ってしまって、バンドを続けたくないって本気で思うようになったんだ。俺のためにしばらく続けてくれてたけど、とにかくゴッドフレッシュをやることに疲れてしまったんだと思う。他のことがやりたくなったんだよ。実際その頃もうイェスーの音楽を書いてたしね。でも俺の方は、そういったことの合間に、フィータスのツアーに参加したり、ビル・ラズウェルともちょっと仕事したり、バケットヘッドのアルバムに参加したりしてた。もともとビル・ラズウェルは、プロングのアルバムをすごくプロデュースしたがってて、スタジオにも招いてくれたんだけれど、その結果にはあまり満足できなくてさ。ビルのことは本当に尊敬してるけど、ロック・プロデューサーとしては、彼はいまひとつなんじゃないかな。もちろん、手がけたアルバムの中にはいいものもあるけど、もっとダブとかワールド・ミュージックとかジャズに興味の中心があるようだし、実際そっち方面の彼の作品はゴージャスだからね。ま、そういう経緯でビル・ラズウェルと知り合って、いくつか一緒に仕事して、バケットヘッドのアルバムにも参加したんだ。

プロデューサーの話が出たところで、テリー・デイトについては、どう評価していますか?

Ted:偉大なプロデューサーであるだけでなく、人間的にも素晴らしい男だよ。すごく忍耐強くて、バンドにやる気を起こさせてくれる。テッドがプロデュースするビートって、とにかく……。たとえばプロングがサンプリングを導入した時、彼はサンプリングのことなんて何も知らなかったんだけど、驚くほど素晴らしい結果を出してくれた。本当に素晴らしい、本当にナチュラルなドラム・サウンドや、グレイトなギター・サウンドをモノにしてくれたよ。一緒に仕事するには最高の男さ。知っての通り、彼の出発点はサウンドガーデンやパンテラやデフトーンズで、そこでも本当に素晴らしいアルバムを残してるよね。あと、ナイン・インチ・ネイルズのチャーリー・クロウザーに来てもらって、プログラミングやなんかをやってもらったこともあったけど、それも素晴らしかったよ。チャーリーは元々ドラマーだから、イカしたループの作り方も心得てて、エコー&ザ・バニーメン風からZZトップ風、何から何まで対応することができるんだ。それで……ゴッドフレッシュの話まで来たんだよね。他に何か質問ある?

その後、一時期キリング・ジョークでも叩いてましたよね?

Ted:ああ、ずっと後の話だけどね。もちろんベースのポール・レイヴンつながりで参加したんだけど、あいつはキリング・ジョークの他のメンバーと、まさに愛憎関係にあったっていうか、兄弟みたいに愛してはいたけど、同時に兄弟みたいに喧嘩して憎み合ってもいたよ。バンドを出たり入ったりしてたしね。とにかく、キリング・ジョークは80年代のお気に入りのバンドのひとつだったから、一緒にやらないかと誘われた時はめちゃくちゃ嬉しかったよ。「ウソだろ!? 夢みたいだ!」ってね。もちろん曲は全部知ってたよ。あれは3ヵ月間のめちゃキツい、ものすごくキツいツアーだった。

どんなツアーだったんですか?

Ted:ヨーロッパにアメリカにオーストラリアを回ったんだけど、この時も面白いメンツが顔を揃えてたというか……俺はいつも、バンドをやることを結婚生活になぞらえてるんだ。結婚もバンドも、うまくいく時もあればいかない時もあるし、自分がもうちょっと譲歩しなきゃならない時もあれば、もうちょっと強引にならなきゃならない時もある。それぞれの性格が、どうもうまくかみ合わない時期もあるしね。俺もジャズ・コールマンのことは大好きだけど、あの人って、気が触れたみたいにヘンになることがあるんだ――特にアルコールが入るとさ。ある晩も、バスの中で、プラスチックのスプーンでみんなに襲い掛かってきてね――「皆殺しにしてやる!」って。こっちは「へえ〜、プラスチックのスプーンで俺を殺すっての?」ってな感じで……ムフフフフ!

(笑)。

Ted:一方でジョーディは本当に親しみやすい、いいやつだったよ。俺も彼のことが大好きだったし、そのギター・プレイを崇拝してた。ただあいつも、酒の量が半端じゃないんだよね。しかもチェーンスモーカーだし。毎日ウォッカをボトル2本空けてたよ。身体にいいわけないだろ?(苦笑) で、ゴッドフレッシュを辞めてキリング・ジョークに参加するまでの間は、いくつかのローカル・バンドとプレイしてて、あと、ノルウェーに引っ越したんだ。プロング時代にワイフと出会って、当時彼女はソニーで働いてたんだけど、会った途端に一目惚れしてしまってね。当時の俺は、プロングがニューヨークからカリフォルニアに移った後、そのままカリフォルニアで暮らしてたんで「どうやったらうまくいくだろう?」って、そのことばかり考えてたよ。最初の結婚は、プロングのツアーの多さが原因でダメになったんだ。1度大学時代の恋人と結婚して、10年いっしょだったんだけど、そのほとんどの期間プロングで活動してたからさ。で、2度目の時は、プロングを辞めるちょっと前で、「どうしよう、どうしよう」ってずっと考えたうで、思いきって彼女に「ブルックリンに越してきたら?」って提案したんだ。俺自身、プロングを脱退したらブルックリンに戻ることにしてたしね。で、彼女が越してきて、赤ん坊ができて、そこで「俺の生まれ故郷のボストンに行こう」ってことになったんだ。その方が俺の実家にも近いからさ。ボストンでは2年ほど暮らしたよ。でも彼女に、故郷ノルウェーのレコード会社の仕事のオファーが来て、「よし、じゃあノルウェーに行こう」ってことになったわけ。彼女もちょっとホームシック気味になってたからね。それからノルウェーで暮らしてもう7年になるよ。オスロに住んでて、子どももふたりいるんだ。8歳のハンターと4歳のナディアさ。毎日大変だよ(笑)。こうして家族を持つようになって、ツアーもあまりできなくなったけど……子どもがいながら四六時中ツアーに出てるなんて、やっぱり身勝手だと思うし……ま、中には相変わらず、ずっとツアーやってるやつらもいるけどね。両立することができてるか、単純に家族を見捨ててしまってるかの、どちらかなんだろうな。とにかく……最近はNIC(Necessary Intergalactic Cooperation)っていうバンドで活動してる。今日CDを持ってきてるから、君も聴いてみてよ。どちらかというと、ジャズ/ダブ/エレクトロニカっぽいサウンドなんだ。実はダブ・ミュージックには、ニューヨークに越して以来ずっとハマってて、レゲエ・ラウンジにも入り浸ってたんだよね。キング・タビーとかが特にお気に入りさ(とCDを差し出す)。

ありがとうございます。

Ted:このCDには、元PILのキース・レヴィンや、ノルウェーのトランペット奏者、ニルス・ペッター・モルヴェルがゲスト参加してくれてたりするんだけど、俺も今までと全く違うスタイルのドラミングをしてて、自分でもものすごく気に入ってる。この作品には商業的な期待っていうのは全然してなくて、心の中からあふれ出てくる音楽を形にしたかっただけなんだ。まあ、とにかく聴いてみて、君自身で判断してくれよ。とにかくそんなわけで、キリング・ジョークのツアー以降は、このプロジェクト中心にやってきた。キリング・ジョークでのツアーは、ワイフにかなりの負担になったらしくて「ツアーをやるミュージシャンとは結婚したくない」って言われたよ(苦笑)。だけど俺も今年で46だし、ツアーももう散々やってきたからね。ただ、日本にだけは、ずっとまた来たいと思ってた。日本のことが大好きだから、来れるチャンスを2年間ずっと待ち続けてたんだ。イェスーでは、俺はアルバムの制作には参加してるけれども、ツアーにはあまり参加してない。変な話だけど、ジャスティンのやつ、アメリカ・ツアーの時は他のベーシストとドラマーを連れてって、UKツアーはオリジナルのラインナップ、つまり俺とさらに別のベーシストとやって、そして今回の日本ツアーでは、ベーシストはアメリカを回ったやつで(苦笑)ドラマーは俺なんだよね。で、この後またUKに戻るんだけど、そこでは……(苦笑)、ドラマーはアメリカを回ったやつに戻って、ベースはオリジナル・ベース・プレイヤーが担当することになってる。つまりジャスティンは、実質4つのヴァージョンのイェスーと一緒にやってることになるわけ、アハハハ。

(笑)。では、そろそろまとめに入りたいのですが−−

Ted:そうそう、ふたつだけ言っておきたいことがあるんだ。この1年の間に、俺の人生に起きたすごく重要なことなんだけど、まず、4年前に脳に腫瘍ができてるっていう診断を受けたんだ。それで放射線治療とか化学療法をやってたんだけど、当時は相当落ち込んだよ。でもどうにか生き延びることができた。頭の中にできてた大きな腫瘍を、手術で摘出もしたんだぜ。だから(頭を指差して)ここに傷が残ってるんだ(笑)。ただ、そういう従来の癌治療もやったけど、同時に瞑想もすごくたくさんやったよ。ワイフがヒーラーとして、色んな治療をやってくれたおかげで、すごく良いエネルギーをたくさん取り込むことができた。今はどこにも腫瘍がなくて、医者も何故なんだかさっぱり分かんないって感じさ(笑)。素晴らしいニュースだろ。自分自身、そして子ども達のために強くならなきゃいけなかったんだ。知っての通りみんないずれは死ぬわけだけど、自分が癌だなんて知らせは誰だって聞きたくないよね。しかも、それまで入院したことさえなくて、この時が生まれて初めてのことだったんだ。でもおかげで癌に打ち勝つことができたよ。今は腫瘍ゼロさ。

それは……本当によかったですね。

Ted:それが、ここ数年の人生で最もハッピーな瞬間だった。だけど今度は、3週間前に不運の方が訪れてね……。ポール・レイヴンと俺は、フレンチ・インダストリアル・バンド=TREPONEM PALのアルバム・レコーディングに参加するために現地を訪れてたんだ。ポールとはキリング・ジョークで一緒だった時以来会ってなかったから、久しぶりの再開をビッグ・ハグで喜んで、昔の思い出話で盛り上がったよ。で、その晩いっしょに飲みに行って、泊まってた家に戻って、目が覚めると……。前の夜は、ふたりともかなり飲んだんだよね。テキーラにジンに……俺自身あそこまで飲んだのは本当に久しぶり、っていうくらいだったんだ。何せ癌患者だったから(笑)ここんところはずっと健康的な生活を送ってたんだよ。

ええ。

Ted:で、目が覚めたら、あいつががっくりと椅子に座ったまま崩れ落ちてるのが目に入った。過去には、ツアー・バスやツアー・ヴァンじゃ、お馴染みの光景だった――レイヴンがそんな風に眠ってしまうのは、珍しいことじゃなかったんだ。ところが顔を見るとものすごく青白くて、脈を調べたら脈がないんだよ。そこで、彼は死んだんだと分かった……急いで床に寝かせて心臓マッサージも施したけど、でももう彼が逝ってしまったということは、俺にも分かってたんだ……。

…………。

Ted:………(涙ぐんでいる)“ポール・レイヴンが死んだ”ってね。たった3週間前の話さ……。いちばん辛かったのは、あいつの家族や友人に伝えなきゃならなかった時だね。あれは本当に辛かったよ。俺もすぐにでも家に帰りたかったけど、12トラック中6トラックしかレコーディングが済んでないことをワイフに話したら、「スタジオに戻ってプレイしなさい。あなたのやるべきことはそれでしょ。彼もそれを望んでるはず」って言われてね、それで気力を奮い立たせてスタジオに戻って、残りのトラックをプレイしたんだ。そして、レコーディングをやってた町の、まさに俺とポールが、彼の死ぬ前の晩に飲んだバーで、かなり大規模な追悼の会が開かれた。キリング・ジョークのメンバー全員が来てたよ――ビッグ・ポールもジョーディもジャズもね。それに、ガールフレンド4人に奥さんふたりに子ども10人も!(笑) 兄弟も駆けつけてたな。とにかく悲惨で、すごくシュールな体験だったね――最高に幸せなことがあったと思ったら、次は打ちのめされるような目に遭って……。でも、あいつはじゅうぶん充実した人生を送ったよ。長い人生じゃなかったけど、充実した人生だった。1回で人生5回分生きたんじゃないのかな?(笑) 俺が人生で会った中で、いちばん面白いやつだったしね。というわけで、別に暗いトーンでインタヴューを終えるつもりはないんだけど(苦笑)、これがこの1年間のうちに俺の人生に起きたことなんだ。あいつが死んだ翌日インターネットを見たら、もうそこらじゅう“ポール・レイヴン死亡”のニュースだらけだったよね。猛烈な勢いで広まっていった。ウェブはもちろん、MTVニュースでもどこでもその話で持ちきりで、信じられなかった。ほんのこないだ、そう、3週間前の話さ……。あいつが死んだなんて、いまだに信じられない。だってまだ46だったんだぜ……。そういう年齢になったら、もうあんな風に身体をいじめちゃいけないんだよな。身体が大量のアルコールを受け付けられなくなるからね。実際、正式な死因は、心臓発作と急性アルコール中毒だったそうだよ。

僕も本当にショックでした。ではここで、あなたの今後の活動計画について聞かせてください。

Ted:さっきも言ったように、家族もできたし、ツアーはもうあまりやってないんだ。日本には3年前から来たいと思ってたから来たけどね。日本は最高だよ。NICとしてのレコーディングは、これからも続けるつもりさ。新しいアルバム『NIC In Dub』も出たんだ――他のアーティストに作ってやった曲を、ダイアレックがミキシングしたり、キリング・ジョークのオリジナル・ベース・プレイヤーのユースや、あとジャスティンもミキシングしてくれる。ジャスティンが手がけるミックスは、どれも魔法のような魅力を持ってるんだよね。実際、次のNICのアルバムは、彼にプロデュースしてもらうつもりさ。ということで、NICはこれからも続けるし、あと、オスロの地元クラブでダブやエレクトロニカを中心にDJもやってるし、それから、絵の世界にも戻ろうと思ってるよ。実際、壁画を描き始めてるんだけれど、すごく楽しいんだ。ドラムを叩いてる時のような高揚感は得られないけど、違った類の高揚感を与えてくれるのさ。

イェスーについては?

Ted:たぶんレコーディングには参加すると思うけど、やっぱりツアーはそんなにやらないだろうね。1回限りとかならやるかもしれないけど。あと、キース・レヴィンとも仕事を続けるつもりだけど、あいつも浮き沈みが激しい男で、頼りにならないからなあ、アハハハハ! でも……とにかくレコーディングは多少やるだろうね。インターネットを通して、色んな人達と一緒にレコーディングしたりもしてるんだ。今後のプランについては、そんな感じかな――でも、いちばん大事なのはノルウェーに戻って、ふたりの子どもをできる限りちゃんと育てて……。あとは健康を維持する、と。

わかりました。では最後の質問なんですが……。

Ted:好きな色は、って?

(笑)。たとえばマイケル・ジラ、ジム・フィータス、ジャズ・コールマン、トミー・ヴィクターと、すごく個性的な変わった人達とたくさん仕事してきていますが、そういった人々とうまくやっていくコツって何でしょうか?

Ted:相手の状態をちゃんと把握して、今どういう気分でいるのかを知ることだよ。さっきも言ったように結婚と同じなんだ。奥さんがムッツリした表情で現れたら、どういう態度で接したらいいか、瞬時にわかるだろ? 生理前なら何やっても無駄だから、すぐその場を立ち去るに限るわけで(笑)。とにかく、相手のことを知ることだと思う。そして、いつ引き下がって相手のテリトリーから出ていくべきか、そのタイミングをきちんと把握しておくんだ。そうやって一緒に仕事していくんだよ。ジャズ・コールマンもマイク・ジラもトミー・ヴィクターも、みんなすごくユニークな連中だけど、こっちとしてはとにかくそれぞれの性格を知って、いつ口を閉じるべきかを判断し、そして自由に話をしていい時には言うべき意見をしっかり伝える――それが彼らとつきあっていく秘訣だね。

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