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“ダウン・イン・ザ・スーワー”の「下水で生活してネズミ人間を繁殖させる」というアイデアや、“ジェネティックス”のような歌は、元々は生物化学者だったというあなたのアイデアで書かれた歌詞ですよね? Hugh:そうだよ。“ジェネティックス”は上の方の学校で生物科学の単位をとる時に教えられる分離の法則の話さ。メンデルの法則ってやつだよ。そのアイデアを借りてきたんだ。いや、お勉強だね、はははは! あなたにとって、大学の博士課程まで行って留学もしてというアカデミックな過去は吹けば飛ぶ塵のように重みのないものになっているみたいですね。 Hugh:(笑)。物事の重要性っていうのをどこかで取りこぼしてきたらしいんだ、俺は。まあ、当事者である時はその意味が分からないもんなんだよ。つい先日も、ジュールズ・ホランドが司会をしてる音楽番組“LATER”に出て自伝本について喋ったんだけど、「当時パンクの真っ只中にいてどうでした?」とか聞かれて、「あんただって同じぐらい知ってるだろ、スクイーズにいたんだからさ」と言ったんだけどね。でも俺達が当事者としてその場にいた時は誰も、それがすごく重要なことで後々語られるようになるなんて思ってもいなかった。重要性は後になってから気がつくものなんだ。博士課程の勉強をしてた時も同じさ。そんなに意味のあることだとは思っていなかったよ。本能的に今自分のやってることの重要性を感じ取れるというのはすごく恵まれた才能といえるだろうな。凡人はだいたい、振り返ってみてわかるもんなんだよね。 トーリ・エイモスのカバーした"ストレンジ・リトル・ガール"は聴きました? どういう感想を持ちましたか? Hugh:うんうん、とてもいいね。すごく気に入ってるんだ、あれ。彼女はいい仕事をしたと思うよ。 現在、イギリスでもフランツ・フェルディナンドとかリバティーンズといった若いバンドが出てきて、久々にロックが活気づいてきているように思えます。ここのところの音楽シーンをどのように見ていますか? Hugh:ギターは復活したよね、確実に。なんたってそこが最高さ、ロックンロールはいつだってギターだったんだから。キーボード、っていうかピアノじゃない。あれはクラシックやジャズの楽器だ。ロックンロールとブルースは昔からギターなんだ、申し訳ないけどね。これは人生の事実だから。ギターが戻ってきたからこそ、ロックンロールはリバイバルしたんだ。あー、そうかぁ、忘れてたよギター、ってわけで(笑)。 若手バンドに限らず、最近これはいいなと思って聴いているような音楽があれば教えて下さい。 Hugh:もちろんフランツ・フェルディナンドはそこら中で見かけるから気付かずにはいられないよね。俺なんかに言わせれば、彼らからはすごくストラングラーズが聴こえてくるよ。たぶん彼らは認めないだろうけどね。認めてくれればいいんだけどな、いい奴らみたいだし。今起きてることに対して自分たちが何かしらの影響を与えてるって認めてもらうのは、やっぱり嬉しいからね。それから、まあ最新というわけじゃないけど、コールドプレイのセカンドは本当に素晴らしいと思う。あの多調性がね。俺はいつの日か多調性に挑戦するバンドが出てくると思ってたんだ。それをやったのがコールドプレイだったということだね。それもすごく巧みだし。うん、いろいろ良い新しいバンドはいるよ。でも俺が面白いと思うのは、必ず何か一捻りある連中なんだよね。そしてユーモアがないと。フランツ・フェルディナンドとか、すごくユーモラスなところがあるだろ。一曲ドイツ語で歌ってる曲があったりするじゃない?(笑) さて、たぶん「聴いてない」と言われそうなんですけど、いちおう質問しておきます。あなたが脱退してから残りのメンバーで存続しているストラングラーズの作品、たとえば04年の頭にもニュー・アルバムが出てますが、もし耳にした機会があれば、感想を聞かせてくださいませんか? Hugh:えーと、何年か前に出たやつを1枚聴いたことはあるけど。どれだったっけ。俺が辞めてから2〜3枚目のやつだよ。でも、そんなに詳しくは聴いてないから。とにかく自分で買いに行ったことはないと言っておこうかな。 分かりました。で、ちょっと聞き難い質問なんですが、あなたが唐突に辞めてしまったことを、残されたメンバーは未だに許せないと思っているようなところが感じられます―― Hugh:それは間違いなくそうだと思うよ。 で、そんなふうにきっぱり関係が切れてしまったことを、あなた自身はどう考えているのでしょうか? 「まあ、しょうがないな」というような感じ? Hugh:そう、他にどうしようもなかったんだ。ああいうやりかた以外、勇気を振り絞って行動に移す以外に方法はなかったんだよ。あんなに長く一緒にいた間柄ではね。 かつてストラングラーズの初期には、気に食わないジャーナリストはブン殴り、4文字言葉の書かれたTシャツを着てステージに昇り、日本公演ではノリの悪い客を挑発するため同じ曲を3回連続で演奏するなど、数多くの武勇伝を残しているあなたですが、あれはやはり当時のパンク・ムーヴメントの空気に触発され「時代に突き動かされた」要素が大きかったのでしょうか? それとも現在のすっかり落ち着いた様子に見えるあなたの内側にもまだああいう燃え滾る焔のような感情は秘められているのでしょうか? Hugh:あのころ燃え滾っていた焔は、俺達の置かれていた苦境ゆえのものだったんだ。そして、確かに荒っぽい時代だったからオーディエンスも荒っぽかったし。俺達のパフォーマンスに対する反応とかもね。だからあの激しさは両側から焚き付けられていたものだったんだよ。ああいう雰囲気は今は感じないな。まあ俺の中では、1990年にそういう部分は捨ててきたっていう感じだな。それからは、ステージでニッコリしてみせるようになったりしてさ。ハハハハ。 分かりました。では、あなたが来日してくれることを、そして再びインタビューできる日が実現することを心から願っています。最後に、日本にまだ大勢いるファンに向けてニュー・アルバムをアピールしてください。 Hugh:うんうん。ほんとにすごく日本に行きたいよ。そうだな、ニュー・アルバムはとてもシンプルなんだ。作り始めた時に頭にあったのはボブ・ディランの『ジョン・ウェズリー・ハーディング』のようなアルバムにしたいということだった。昔から大好きなアルバムの1枚なんだよ、アコギにベース、ドラムス、ハーモニカっていうとてもシンプルな構成でね。で、『BEYOND ELYSIAN FIELDS』もそういう形で始まったんだけど、もちろん後からギターやオルガンを少し加えたりした――そう沢山ではないけど。バック・ヴォーカルやコーラス・ハーモニーも殆どないし。だから作るのはとても簡単だったし、自然に形になっていったという感じだったな。大きな決定をしなきゃいけないような瞬間も殆どなくて、複雑な作品ではなかった。楽だったよ。そういうのが俺はいいな。人生を必要以上に難しいものにしない方がいいんだ。もし、ストラングラーズ以降の俺の作品を聴いてないっていう人がこのアルバムを耳にしたら最初はちょっとショックかもしれない。全然違うからね。でも2〜3回は聴いてみてくれ。案外とても気に入るかもしれないからさ。
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