Richie Furay |
1944年5月4日。アメリカ・オハイオ州生まれ。 スティルスと共にAu Go-Go Singers (1964)に参加。 解散後スティルスは The Company を結成しライヴ活動を行いカナダなどへ行くが、フューレイは参加せず就職する為にアメリカに留まる。 スティルスを探しにカナダから来たニール・ヤングと出会い♪Nowadays Clancy Can't Even Sing (ニール・ヤング作)など数曲を聴く。 一度は諦めた音楽活動だが、スティルスの動向が気になり手紙を書くが、スティルス本人はロサンゼルスにいっている為、返事が来ず悶々とした日々を過ごす。 後日、新バンドを結成する為に「順調にいっているよ。お前も来いよ!」とスティルスからの嘘(?)の手紙を信じて、ロサンゼルスに呼び出される。 フューレイ、スティルスの乗った車と、ヤング、パーマーが乗った車が偶然(?)出会い、以前フューレイがヤングから教えてもらった曲(♪Nowadays Clancy Can't Even Sing)のアレンジしたヴァージョンをニール・ヤングに聴かせたところ意気投合し本格的にバンド結成の話が進む。 スティルスと共に Buffalo Springfield を結成。 1stアルバム(Buffalo Springfield (1966))ではシンガーに徹するが、2ndアルバム(Buffalo Springfield Again (1967))から自身の作品を発表するようになり、ついに解散後発表されたラスト・アルバム(Last Time Around (1968))では♪Kind Woman という名曲を発表する。 ジム・メッシーナと共にPoco を結成。1989年にはオリジナルメンバーで1枚のアルバムを突如発表するが、ライヴ活動は行わず。 J.D.サウザー、クリス・ヒルマンらとサウザー・ヒルマン・フューレイ・バンドを結成。当時は『スーパーバンド』といわれたそうだが、実はレコード会社の企画に3人が乗っただけのバンドらしく、ライヴ活動などは行わなかったらしいです。 そんなバンドが長持ちするはずはなく2枚のアルバムを残しあえなく解散。3人はその後何事もなかったようにソロ活動に入り、フューレイはリッチー・フューレイ・バンドとしてソロ活動を始める。 近年はあまり新作を発表しなくなっています。 それにしても、これだけ業績のあるアーティストなのに、バッファロー・スプリングフィールドやポコを除きフューレイのベスト盤が今まで発売されていないのが不思議でなりません。 |