第4回放送~小林旭を語る・その4 ゲスト・遠藤 実 その2
 
《要約版》(完全キキトリ版未着手)
【ダンチョネ節】
宍戸錠の本に「何だコレ。都会の民謡か?」と言った。
原曲に作曲の補作曲となっているが単なる補作ではない。
オリジナルがあって民謡とドコが違うか分からないほど
溶け込んでいる。
西沢爽の新しい作詞に、狛林のマンボアレンジ、そして
遠藤実のオリジナル。(昔、著作権協会に補作でないと
クレームを付けたことがある。)
 
【コロムビアのシステム】
「海から来た流れ者」たまたま大島だったので、作った。
出だしを作った(後ろを作るのは楽だけど、頭を作るの
は難しい)
マブチさんとやりあって作った。今はココとココの音が
繋がらないという大喧嘩などせず仲良く作ってるから、
いいモノ出来にくい。
 
【ズンドコ節】
「流れ者シリーズ」(ダンチョネやズンドコはこちらで、
“渡り鳥”じゃない)
ドリフもこの曲やってる。
最初の“ズン”が重要で、歌い出しを印象づけるフレーズ
自然に出てきた。
中山晋平の「カチューシャ」も「ララ」を入れただけで、
随分印象違う。
私(遠藤)も「さ」を付けただけで変わる曲作った。
「新宿育ち」最初は阿波踊りみたいだった
(→「おっとこなんて」「男なんてさっ」)
“さ”がないとリズムに乗らない。
ズンドコは出だしが肝心。アキラのキャラにピッタリでだった。
(街のみんなも振り返る グットナイト)
西沢爽の歌詞も凄い。このころノリまくってるし、一番、
楽しかったのでは。(博士号持ってる作詞家は彼ぐらい)
狛林さんも何でもない歌謡曲をモダンにジャズアレンジした。
彼はかわべこういち(要調査)のバンドマンが最初では。
 
【遠藤実の作曲方法】
自分はレコーディングはダンチョネも含め全部立ち会っている。
わがままでも自分の曲を人任せにしない。
ジャズアレンジャーが、AmならAmでもってハイの中の低音と
いくところ、僕らはDの低音を入れてからAmへといく。
西沢、狛林、遠藤は三位一体だった。
作曲、作詞などみんなで総合的にやるため書家や画家のように
自分がいい悪いだけの世界じゃなく、やめたいと思ったことも
あった。
 
【東西の三位一体】
クレージーの萩原哲晶、青島幸夫、植木の方も同じ1960年の
頃に「なんとか節」やってる。どちらも重要。(大瀧にとって)
 
【鹿児島小原節】
一応は小原をやろうとした。浅丘ルリ子と別れるところで朗々と
かかる「パ〜パ〜パリラ」のメロディ好きで、映画館でずっと
残ってる(大瀧)
 
「ジョーミークの天使の女性ボーカルのような情緒溢れる名曲。By tony」
 
【ツーレロ節】
ズンドコにとどまらず戯れ歌などもやった。ツーツーレロの最後のレロ
を2回にした。
1番は「話しようかキスしようか」(「はーなししようか」と延ばすのが
普通。)これを「はなし」と歌った。1語だから符割も延ばさなかった。
 
2番では「喧嘩するほど仲がいい」だが、「会えば分かるか」という
ときもある。映画では「喧嘩しようか」ってなってる。これは小林旭が
間違えて覚えたのかも。
 
【練習の虫(エルビス)】
小林さんは大ざっぱに見えてあんなデリケートな人いない。
僕ら(遠藤ら)がオーケーを出してもそれでやめない(弟子でもそんな
歌えませんということもあるのに)。ミキサーと二人にして1人でやら
せといて後で行ってみてもまだ納得がいってないよう。1つの芸に自分
が納得するまでやめない。吹き替えがイヤだからスタントマンを使わな
かったりと。時々、納得がいかないと1人でマイクの前をぐるぐると回
ったりしだす。井出はく(要調査)さんも「今日はまた朝までか」と、
こぼすほど。夜の8時から始まると夜明けまでやってる。この頃はもう
カラオケだったので、よかったが、バンドマンだったら疲れちゃって、
もたない。エルビスもそうだった。
 
【遠藤の作曲2】
自分はとにかくキーをアキラのキーで作った。原調でないと伝わらない
ところある。無理に高くてもアキラのキーで歌ったので、ポリープが
できたのもおそらくあのせい(笑)声が低い人には必死で低く歌う。
その人の身になって、即歌えるようでないとダメ。
 
【ソーラン節】
民謡の元曲はソーランだけであとはオリジナル。この曲だけは狛林じゃ
なく、“やまじしんいち”という人。彼は浜口庫之助の弟子だから、
ドコかラテン系。ツーレロからすべて、今聞くと自分のドコから出たの
か不思議。また、1つとして同じものない。“ソーラン”のB面は
「チョンコ節」。これまた凄い(遠藤は覚えておらず、「薄情な親」と
表現)
 
 
【炭坑節】
多分このとき自分の部屋にレッスンに来た。
「千万年でも生きる」からエンディング凄い。
「短いこの世の恋だもの かけもちさたとて 間に合う世の
 さーのよい」
コレは人生訓。
涙をこみ上げるようなとこもあるし、にこやかにしんみりしつつ
1つになって部分部分で喜んだり悲しんだりぜんぶできちゃう。
これはやっぱり、西沢爽先生や僕(遠藤)やアキラがただひたすら
やって出来たというのではなく、“歌作りの神様”がこんな曲を大衆
に伝えてと言われてつくったという気がする。
(ここまで2006.10.3UP)
 
 
Speach Baloon Chapter 2
2001-10-27