《要約版》(完全キキトリ版未着手)
【ホルモン小唄】
大瀧と星野は共作仲間。クラウンに細野(晴臣)がいたときオファーが来た。クラウンのディレクターに細野と大瀧ともうひとり誰かの3人についてこれからの音楽を作っていくのはこの人達だと紹介された。詞をパラパラと捲って、「コレ」といわれたのが「ホルモン小唄」。星野先生と作れるならと二つ返事をした。しかし、企画ごとボツになった(マスターテープも残っていない)。
なぜかというと「昔の名前で出ています」が売れたから。
「ホルモン〜」は精の付くものを全部並んでる曲だが、
叙情的なモノを書いて、我慢できなくて時々コレをやる(星野)
【売れっ子作詞家前夜】
当初全然とってくれなくて、嫌気がさしていた。クラウンの社長になったさいとうさんが時々みてくれる。酒を飲む金もないし、帰らなきゃいけない。でもネオンがぴかぴか光ってるそれで、「あっ、俺を笑ってるな」ということで詞を書いた。
(織井茂子「夜が笑ってる)
【想い出さん こんにちは】
サガンの「悲しみよこんにちは」を読んで、明日までに歌詞を作れと言われた。
それは、ディレクターの指示か?(大瀧)
いや、船村先生自身。ただ、自分は読むのが遅いので、歌のイメージで作った。ディレクターにいらないと言われて、泣く泣く田舎に帰った。女房(当時は予定者?)は放送局に勤めてたので、おいて帰った。そして、全く違うディレクターから電報があり、「至急上京されたし」とのこと。これはいけると思い2等列車に乗って上京。ただ、夜いったん出てから入ってプラットホームで夜明かしをしたので、出るに出られない。駅員につまみ出された。レコード会社にいったら、「御大が待ってるよ」といわれて、船村先生かな?とおもったら「いい歌作ってくれてありがとう」とお礼を言われた。「曲は聴いて下さったかしら?」と言われ(「・・かしら?」ってよく言うらしい)まだだと答えたら、ピアノのレッスン室につれていかれて聞いたが、涙が止まらなくなった。
「雨のベンチで泣いている」はその日の上京の時みたい(^_^)
(大瀧)
その歌は、平凡の懸賞の歌で発表の日に女房と同時に本屋に開店前から並んで、何冊も買って郷里(くに)や友達に送った。お千代のお陰。
【スリーキャッツ】
S35に浜庫さんのスリーキャッツの大ヒット曲があったが、これなんでこういう歌にしたか?服部先生の弟子の3人組かなんかで“ウッフン”って出てた。「いけないな」と思いながら流行もあるし出した。これもさいとうディレクターがかんでる。浜庫の家にいくつかもって行きなさいと言われ、いったら、ろくに原稿も見ず、ピアノを弾きながらリズムを決めていった。「星野さん、僕はこんな儲からないことはやりたくないんだよね。ワンステージ5万円だから。」っていわれて、自分はその頃の専属料が4千円で、1曲2千円だからすごいと思った。
“体当たりスレスレ娘”の曲を明日まで、ということで言われて浜庫さんが占い師に「黄色」がいいといわれ、黄色いサクランボはどうですか?ときいたら、それでいこうということになった。
年頃の娘はまだ紅くないから。ワンコーラスできるまで、次は?次は?で作っていった。途中で僕は電車が無くなりますからと帰って2番3番を作った。売れたけど、直ぐに放送禁止に。
まあ、逆に売れたけれど。ミリオンセラーになって印税をもらったときにビックリした。一番困ったのは、服部先生からクレームがついたらどうしようということ。浜庫さんは全然平気そうだった。
【ホロホロ東京】
アキラS34のホロホロ東京の補作詞となってるが。募集歌かなんかじゃないか。クラウンに逃げてくるまでずっと西沢爽先生。「アキラのデカンショ節」何番か足したか?直すときは全部直す。
このB面は市川昭介。女房が「可愛い坊やが毎日来て歌ってる。今日はくると思うから早く帰ってきて」と。帰ると、僕が坊やのお守りをしてるから。クズが出るでしょ。そのクズを僕に下さい」と言われた。「参った!君の仕事をする」と答えた。誰に向けてと聞いたら、守屋浩、小林アキラ、美空ひばりというから、無理だよといったら、「大丈夫。ちゃんと会社と約束してきたから」とかなんとかいう。その後、“次々に明日会社に来て下さい”と電話が
かかってきた。
【呼び名】
銀座の店で、もう“先生”とは呼ぶな。今日からは50:50。なにかいいのあるか?ときいたら、「やい、テツ!」といわれ、それはヒドいのではといったら“テツ”の下にさんをつけて、”テツさん”(てっさん)と今でもみんなに呼ばれるが、彼が最初。
【ラバさん】
ノーエ節とラバさんがいい。真骨頂。ラバさんの原曲もすごいが、これは「味は大和の吊し柿」だもの。「一人娘に惚れたなら養子に行くつもりで手を握りな」と。「ノーエ」もいい。小林旭は曲中の曲の最後のところで、声を上げる。美人っ!とか。でも、お尻が重いってトコロの“重い”は重いだけあって上げない。この手のタイプの歌唱力って認められない。諧謔性が町中から少なくなってる。