Diary -Sep (2) 2001-

日記才人

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30 Sep 2001
Sunday

 金木犀の香りが、大好きなのです。

 たぶん、この世で一番好きな香りだと思います。やや控えめに、それでいて気高く、秋の訪れを告げてくれる香りが、街中に漂う季節になりました。自分の住む上祖師谷はあちこちに金木犀が植えてあるみたい。うちのマンションの正面にも植えてあり、自分の部屋のベランダから木に手が届きます。部屋いっぱいに流れ込むその香りを、思わず深呼吸してしまいます。

 今年も、いい季節になってきました。

 オレは働く男だし人生は上々だ。ある意味開店休業状態だが、それでも素晴らしい日々には違いない。それじゃどちら様も、ハヴァナイスデー。たとえオレが大迷惑極まりない自転車泥棒であったとしても。



29 Sep 2001
Saturday

 日記はその日のうちに書くべきです。

 人の記憶力ほどあてにならないものはありません。こうしていくうちにも時間はどんどん流れ去り、もう昨日のことは思い出せません。いわんや先週飲み会で隣に座っていた女の子の名前をや。

 とはいえ、どうしても日記を書くことができない日もあります。例えば仕事が爆裂モードに突入し、職場で徹夜してしまい日記どころではなくなった夜とか、飲み会で隣に座っていた巨乳の女の子と大いに盛りあがってしまい、気がついたら翌朝彼女の部屋のベッドの中で全裸で目覚めた、という場合などです。(しかもたいてい彼女の名前は思い出せません)

 でもどうしても毎日日記を更新したい。明日もものすごく忙しくて、間違いなく日記を書けないであろうアナタに、それでも絶対に日記を書ける方法をお教えしましょう。


 それはズバリ、『今夜のうちに明日の日記を書いておいて、明日はその通りの行動をとる』 です! 例えば次のように。

***

 9月30日(日曜日)
 朝起きたらちょうど11時30分だった。テレビをつけたら当然の如く「ハロモニ。」をやっていた。相変わらず加護があまりにも可愛すぎて、一瞬にして目が覚めた。愛してるよ、マル。

***

 うーん、それくらいなら実現可能かもしれない。ただし今すぐ眠って、かつ目覚まし10個くらいセットすればの話だが。今週はそれくらい疲れが溜まっていて、部屋のシャッター下ろして眠ると本当に日曜の夕方くらいまで眠りそうな勢い十分。10月後半まで続くこの業務ラッシュに、身体が壊れないことを祈るのみ。いやむしろ、その前にココロが壊れないことを…



28 Sep 2001
Friday

 いよいよ仕事が爆裂モードに突入し、何とか終電で帰宅してはみたものの、とうてい日記を更新できるような状況ではなかった上に、朝起きてからちゃちゃっと書けばいいやという邪悪な考えが脳裏をよぎったのもつかの間、次に意識が戻った瞬間は既に土曜日の昼であったという場合、果たしてそれは金曜日の日記を書いていることになるのかどうかは疑問なしとしないかもしれないが、書き手がそう主張する以上は頭ごなしに否定するわけにも行かず、そして読み手は途方に暮れるという美しい情景を想像しつつ、これが9月29日土曜日の日記の序曲あるいは前奏曲であることだけは間違いない、そう確信させてくれるだけの何かが感じられるか、若しくはしょうがないなあ、でもアイツのことだからきっと今夜はそれなりに読めるテキストを書いてくれるんじゃないのかな、と淡い期待を抱かせることができさえすれば僕の所期の目的は達成されたも同然で、濃いレギュラーコーヒーの助けを借りてようやく目覚めつつある脳を振り絞りって綴ったこの文章も終わり時が近いらしく、察するところ続きは明日の日記あたりに書かれるのではないでしょうか。アイ・ラヴ・ユー、ピリオド。



27 Sep 2001
Thursday

 ほっとくと朝まで終わらない仕事に見切りをつけ、見切りをつけられず朝まで残りそうな皆さまに不義理を詫びて根津に足を運ぶ。根津で飲む。なんと甘美な響き。

 そもそも、大学に通っていた頃も含めて、根津近辺を歩いたことがほとんどない。改札を出て階段をのぼると、「赤札屋」というプチスーパーみたいなお店があって思い出した。学園祭の時に、紙コップだか食材だか、とにかくクレープ屋で必要なものを買いにきたことがある。

 前の会社の同期7人が集まった。うち1人の転職を祝って、という名目だ。同期は9人いたが、1人は入社直後に亡くなり、1人は女の子で結婚して今はシンガポールにいる。今回の転職者は大学1年からの英会話サークル仲間だから、付き合いはずいぶん古い。通信業界から、某メーカーの経理部門に動くということだった。

 7人中、独身が3人で既婚者が4人。うち2人は子供持ち。またこれで、元の通信企業に残っているのは7人中2人だけとなった。どちらか最後まで残っちゃった方はぜひ社長までいってほしいね、と笑って語り合う。

 「子供が生まれて一番の発見は、人間ってこんなに眠らなくても生きていけるんだなぁ、ってことだったね」

 語ったのは元ビートルズカヴァー系サークル、その名もアビーロード出身の男。いやもちろん眠らないのは赤ちゃんじゃなくて。夜中もずっと起こされっぱなしの両親のお話。でもそれがちっとも苦じゃないところが、子育ての子育てたる所以なんだろうな。この世に唯一「無償の愛」があるとすれば、それは親から子に注ぐ愛じゃないかなあと思う。もっともそこに代償を求める人もいて、ちと面倒な親子関係に陥ることもある。どっちにしても、ソロである自分にはよくわからないこと。

 根津で食べた玉子焼きは、最高に美味しかった。



26 Sep 2001
Wednesday

 友人が宇宙飛行士になっちゃった。Spacewoman。

 大学時代のサークル同級生。Prince & The Revolution 好き。けっこう天然っぽいところあり。よく道に迷ってたような気も。宇宙じゃ方角がないから迷うこともないのかな。ご覧のとおりの美人ですが、おあいにくさま、既に旦那さまあり。実際に飛ぶのはもっと先になりそうだけれど、May the force be with you。

 BBSの方で、アメリカとか映画とかについて書きこみがありました。確かに聖書のストーリィをモチーフとした映画は多いような気がします。何回か触れたことのあるフェイヴァリットのひとつ、『ポセイドン・アドベンチャー』なんかもそうでしょう。それこそ主人公が神父さんだったりするわけです。横転した豪華客船の中で、「絶対に助かる。自分を信じてついて来なさい」と生存者を率いて脱出口を探す神父に対して、一部の人々は彼を信じずに別の方向に行って死んでしまったりします。

 何より象徴的なのは、最後の最後で、誰かが犠牲にならなくては全員が死ぬという場面が訪れて、神父が「神よ、いったい何がお望みなのです?」(いったいいくつの命を奪えば気が済むのか、だったかも)といったようなセリフを吐いて、自ら犠牲になって残りの生存者を助けるシーンです。結果、神父は死に、生存者たちは直後に救出されて、「やっぱりあの神父さんは正しかったんだ」と泣きます。三浦綾子の『塩狩峠』などにも通じるテーマかもしれません。

 正義の味方であった主人公が救われず、最後は死んでしまうという描写は、最初にテレビ放映で見た小学生の頃にはなかなかピンときませんでした。こんな終わり方でいいのか?と疑問だったのを思い出します。後追いでキリスト教の知識を多少かじった今なら、例えば映画のテーマ曲のタイトルが "The Morning After" であることや、生存者たちの中に心を入れ替えた元売春婦がいたこと(しかし彼女も命を落とす)や、心臓が悪い太ったおばさんがこれまた自分の命を犠牲にして水に潜り、他の人たちのために命を落としたシーンなどが、実に慎重に配置されていたことに気付くのです。

***

 マンション購入の件は、ひとまずキャンセルしちゃいました。
 大きな買い物はやっぱり苦手みたいです。



25 Sep 2001
Tuesday

 今日は道を歩いていたら突然涙が溢れてきて、とても日記なんか書くことができないので、トッド・ラングレンの "Can We Still Be Friends" を自分なりに訳すのが精一杯です。

 もうふざけてはいられない
 でも友達のままでいられるだろうか
 今までのようにはいかなくなった
 でもまだ友達でいられるだろうか
 分かってるはず もう車輪は回り始めた
 砂粒がひとつまたひとつ
 気がつく前に みんななくなってしまった

 僕らが過ちを犯したことは認めなきゃ
 友達のままでいられるだろうか
 耐え難い胸の痛み
 でも友達のままでいさせて
 奇妙な 悲しい出来事
 僕らは何も気にかけなかった
 辛い気持ちのままで時間を無駄にしないで
 一緒に苦しい時を乗りきってきたじゃないか
 
 友達でいさせて

 僕らは夢から覚めてしまった
 物事は目に映るとおりとは限らない
 想い出は甘く切ない昔の歌のように
 決して消えることなく心に響き続ける



24 Sep 2001
Monday

 何かがひとつの方向に向かい始めるのが、苦手なのです。

 世の中に絶対的に正しいこととか、絶対的に間違っていることなんて存在しないと思います。すべての価値観は相対的なものだからです。百歩譲って仮に絶対的に正しいことがあったとしましょう。それでも、それを他人に押しつければそれはファシズムです。ひとつも反論が出ない状況とか、全員が賛成している状態は、自分にとってひどく不自然なのです。居心地が悪いのです。

 アメリカ合衆国というところに面白い部分があるとするならば、それは価値観の多様性だったはずです。自由と民主主義と価値観の多様性を掲げて、逆に人種や宗教や言語の壁を極力取り払った実験的な国家としての米国が、今急速にその在り方を変容させようとしているようです。もともとそういう要素を内包していたのかもしれませんが、どっちにしろ極端な表れ方です。

 たとえ最後の1人になったとしても、おかしいと思えることには「おかしい」と言える人間でありたいと思っています。「自分以外の何か」に生き方や考え方を決められるのだけはごめんだから。。

 こないだの "America: A Tribute to the Heroes" と合わせて、こちらでちょっと引き伸ばしてみました。



23 Sep 2001
Sunday

 自分の住んでいる部屋からわずか200メートルくらいのところに、新しくマンションが建つことになった。右の写真のとおり、元は駐車場で、まさに今ショベルカーで掘り返しているところ。来春の竣工が予定されている。

 自分は今住んでいる街、仙川がとても気に入っている。商店街には丸正・西友・京王ストア・クイーンズ伊勢丹の4つのスーパーがあって激しい競争を繰り広げている。野菜・果物類の安さは文句のつけようがないし、西友と京王なんて、夜11時まで開いている。駅前の再開発も進んでスターバックスやUNIQLOもできてどんどん便利になっている。そのくせ、基本的には住宅街なので、閑静なことこの上ない。緑も比較的多いし、住環境としてはきわめて優れているように思われる。

 そんなわけで、仙川(実はうちは世田谷区上祖師谷)に終の住処を購入してもいいかなぁ、と思いつつ、軽い気持ちでモデルルームに出かけてみた。

 …ハマりました。

 ヤバイっす。衝動買いっす。約70u・3LDKなのだけれど、リビング隣接の和室は要らないので、最初からつぶして15畳強の広いリビングに変更可能。カウンターキッチンも欲しかったんだよね。南向き、プラス各部屋の西側に出窓がついて日当たり最高。ついでにバスルームにも出窓付き。南向きのバルコニーではプチガーデニングもできそうだ。

 でも、家って本当に買う必要あるのだろうか? 賃貸じゃダメなのかな? どうしてみんな必死になってローンを払ってるんだろう? 家を借りるか、お金を借りるかの違い?

 確かに毎月の支払いだけ見れば、今の賃貸マンションと新築分譲マンションのローンとでそれほど大きな違いはない。でも「千万円」単位の借金をすることにはやっぱり抵抗がある。それを背負って毎日働くってことでしょう? 何だか考えただけで憂鬱になりそう。

 シンプルライフが大好きな自分としては、できるだけ余計な荷物は抱えたくない。正直言って、70uも必要ない。自分1人で暮らし、ときどき友達を部屋に呼んで食事したりするくらいなら、今の部屋で十分だ。でも、歳をとったら賃貸物件は貸してくれなくなる、という話もある。確かにそれは困る。でも、どんなに貯金/支払い能力があっても誰も貸してくれないのかな? そうなると、人生の終末方面を想定しながら、本気で死に場所を探していかなきゃならないことになる。

 まあ、上の新築マンションについて言えば申し込み用紙に記入しただけで、源泉徴収票も預り金も渡してないので、ハッキリ言って全然まだまだなんですけど。目の前にいかにも世田谷の狭い車通りがあるのが気になってます。車の音なんて1週間で耳が慣れるという説もあるけれど、できればもう少し引っ込んだ、本当に閑静なところに住みたいし。そして今の部屋はそれを十分に満たしているし。

 数日間、猛烈に悩むことになりそうです。



22 Sep 2001
Saturday

 米国4大TVネットワークが同じ番組を放送した。米国同時多発テロ追悼チャリティ2時間番組で、映画・音楽・スポーツ各界のスターが総出演するという、いかにもアメリカンな企画。

 Billy Joel が "New York State of Mind" を、Bon Jovi が "Livin' On A Prayer" を、Paul Simon が "Bridge Over Troubled Water" を歌う。Sheryl Crow も Eddie Vedder も Stevie Wonder もいいパフォーマンスだった。そのあざとさが苦手だった Sting の "Fragile" も、今日だけはすんなりと受け入れることができた。好きな曲だったのに、「"Fragile" を好きな自分」を恥ずかしがって受け入れようとしなかっただけだということに今ごろ気が付いた。

 マライアもよかった。これはBBSに書くつもり。
 でも一番よかったのは最後の Willie Nelson。なんて優しく、美しい歌声なんだろう。アメリカの心をしっかりと守るカントリー・シンガーの姿に、久しぶりにぐっときた。でも、Willie の目は決して「戦え!」とは語っていなかったように思う。この問題についての自分の考えは事件直後の日記に書いたとおり。報復合戦には終わりがないのだから。

***

 こんなニュースで笑っていられるのも今のうちだけ、かもしれない。


ギタリストをテロリストと聞き違え空港で拘束

18日付のシンガポール紙ストレーツ・タイムズによると、同国チャンギ空港で15日、インド人2人がテロリストと間違えられ、当局に身柄を拘束される騒ぎがあった。

 空港ラウンジで、インド人の1人が米国人と会話した際、自分のことを「ベースギター奏者(ベース・ギタリスト)」と言ったのを、米国人が「ボスニアのテロリスト(ボスニアン・テロリスト)」と聞き間違え、空港の警備員に通報。シンガポール航空の香港行きの便に乗り込もうとしていた2人は直ちに身柄を拘束された。その後、誤解は解け、2人は無事香港に向かったという。(時事)

(9月18日17:00)

***

 彼は Megadeth のカヴァーバンドのメンバーだったことが後に明らかになった。香港でのクラブギグのセットリストには以下のような曲目やアルバム名が散見されたという。

 "KILLING IS MY BUSINESS... AND BUSINESS IS GOOD!"
 "PEACE SELLS... BUT WHO'S BUYING?"
 "Holy Wars... The Punishment Due"
 "Symphony of Destruction"
 "COUNTDOWN TO EXTINCTION"

 "Crush' Em"

 そして、"THE WORLD NEEDS A HERO"

***

 冗談はさておき。戦争だけはやめとけ。



21 Sep 2001
Friday

 つい、ひとこと言い過ぎた。

 そんな後悔ばっかりの自分の人生。今日もちょっとばかりやり過ぎた。人にキツく当たっても、何も得るものなんてない。むしろ帰り道に自分の胸が痛いだけ。どうして優しくなれなかったのだろう。どうして笑ってあげられなかったのだろう。そんなつもりじゃなかったのに。


 今夜もつい、ひとこと書き過ぎた。



20 Sep 2001
Thursday

 昨日あんなに褒めちぎってあげたってのに。

 NEWSPAPER OF SEVEN DAYS こと seven をもう一度よく読んでみたら、全然使えなかったYO! 何とテレビ欄は夜だけ、すなわち18時〜深夜のみ。よく見りゃちゃんと書いてある。「NIGHT TV」。

 確かにそんなライフスタイルの若者も多いけど。確かに1週間先のワイドショー欄は書けないけれど。だからと言って、テレビ欄の一番上が「ちびまる子 『走れ藤木!!』」とかになっている日曜はちょっとヤだ。

 何と言っても、平日午後のテレビ東京でマタ〜リとやってるB級映画を録画して週末にマタ〜リと見る必要性に鑑みれば、これは使えんと言わざるを得ないと思われ。そして何より週末のテレビ欄に「ハロモニ。」が載ってないことは許されないと思われ。

***
 
 さらに seven、記事自体のヤバさが日を追うごとに明らかに。

 読むほどに、屈指の力作「ヒゲロック」をあっさり朝日にパクられた8月22日付の日記が苦い記憶とともに蘇る。許されるまじ朝日新聞社。夕刊&アサヒ・コムでは飽き足らず、新創刊の seven においてまでもオレにケンカを売る気かね? 創刊号中ほぼ唯一の教養系テキスト、「中東問題っていったい何をもめてるの?」には大胆不敵にもこんなフレーズが。

「…モメているのがイスラエルとパレスチナだということも想像できます。でも、新聞を読んでも、『PLOのアラファトにはヒゲ?』くらいしか分からないし…」


 ん??? ヒゲ?
 …フツーそんなこと思わねえよゴルァ!

 「ヒゲロック」を意識しているとしか思えないこの唐突なフレーズ。よくもオレが seven 創刊号買うって分かったな。仕掛けられた罠にまんまとハマった自分、まさしくネズミ取りに指挟まれたトム&ジェリーのトムの気分です。一度でいいからあの三角形で穴開いたチーズ食べてみたい気分です。


 ていうか「新聞を読んでも…」つー部分、それ朝日新聞社の書くフレーズとしてはカナリ面白いっすね。じゃ、 Prince & The New Power Generation ネタで "7"(全米最高7位、シャレだろ?)や "The Morning Papers" でも聴きながら寝るとします。オヤスミナサイ。



19 Sep 2001
Wednesday

 スターバックスコーヒーファンの皆さんこんばんは。

 昨日、首都圏のスタバに妙なものが出現したのにお気づきでしょうか? そう、朝日新聞社から9/18に創刊された新しい「週刊新聞」seven であります。たったの100円、まずは創刊号を試しに買って、コーヒーを飲む合間にパラパラめくってみましょうや。


 こ、これは…

 ヤバイ。ヤバイっす。あたかも有島博志の如き貧困ボキャブラリモードに陥ってしまうくらいに。オールカラーの紙面、表紙はもちろん米国同時多発テロ事件。中心部に燦然と輝くタイトルは 『WAR 戦争?その理由を知りたい』。そして創刊特集のニュースは 『つんく、ナベツネ、ちゅらさん、中田に聞いてみました。あなたのNEWSは何ですか?』

 文章といいレイアウトといい、この徹底的な軽さは素晴らしい。もはや笑うしかない。ウェブサイトを見る限り、ターゲットは20代の若者、特に普段朝日新聞なんて読まねーよ、でもスタバやTSUTAYAやコンビニには毎日行ってるぜ、という世代。「イスラム原理主義って、いったい何なのさ」っていう彼らのために、アメリカとビンラディン氏の憎悪関係を分かりやすく図示したコーナーもあるし、「基礎から分かる "中東問題"」などと説き起こしてくれる親切なページがあったりする。

 さらに、前の週に起きたニュースをざっとまとめてくれてある「1週間ニュース早わかり」なんてページ゙もあるし、発売日以降1週間分のテレビ番組欄が付いているのは実用的だ。スポーツページ(中田&イチロー、ベタでしょ?)あり、たくさんのコラムあり。

 コラム? 「街の同義語」なるコラムのタイトルを教えてあげようか。【キャバクラ】と【飲食店】。そう、先日の歌舞伎町ビル火災で死者を出した、あの『スーパールーズ』というお店のネタである。ご存知の通りスーパールーズはこの界隈では「抱きキャバ」として知られる店で、チップ2000円でミニスカ&ルーズソックスの女の子が膝の上に抱っこちゃんスタイルで座り、乳房を触らせ、舐めさせるサービスが売りだった。それをNHKがニュースで延々と「4階の飲食店では」「飲食店の客は」と繰り返し報道した点を突っついて、スーパールーズを飲食店と呼ぶべきかどうかをネタにしたコラムというわけだ。だがこれまたご存知のように、多くのテキストサイトはこのネタを当日、ほぼリアルタイムで取り上げていた。その意味でこれは完全にタイミングをハズした、死にネタだと言わねばならない。

 だがしかし、である。

 よく考えてみればネタの死に具合においては、実は朝刊新聞でさえもアウトなわけだ。TVやラジオはもとより、ケータイやPDAにより出先でもリアルタイムでニュースを追いかけることができる現在、新聞メディアの役割は速報性よりテキストの掘り下げ具合やビジュアル表現などに移っている。とすれば、敢えて「日刊」すら捨て、「週刊」というまさに週間遅れの隙間メディアを、「週刊誌」ではなくて「新聞」というスタンスで狙ってみようかな、というそのセンスはぜひ買いたい。特に新聞を読まない若者層を狙って、スターバックスを主要販路に据えたこの seven のマーケティングはとても興味深い。しかもよく見ると、ニュース早わかりページの下隅には小さく、「掲載されたニュースの詳しい内容は朝日新聞で」などと書いてあるじゃないか。実はかなり抜け目ないのである。


 そんなわけで。
 新しモノ好きの皆さん、スタバ好きの皆さん、そして「創刊号」コレクターの皆さん、もしよかったらシャレだと思ってぜひ手に取ってみてくださいな。たったの100円という価格設定も小憎らしい。できればもっと広告を載せまくって50円とか20円とかで買えるようだと、スタバでオプションのホイップクリーム並みの気軽さで「ついでにこれも」って言いやすいんだけど。

 あと何号続くのか分からないけれど、もしうまく軌道に乗って、記事も面白くなり始めたら自分も朝日朝刊・夕刊をとるのはやめちゃうかもしれない。朝刊や夕刊は www.asahi.com でチェックできるし、テレビ欄もこの seven で事足りそうだし。でも本当は AERA に1週間分のテレビ欄が付いてる方が嬉しいかもしれない…



18 Sep 2001
Tuesday

 朝日新聞の火曜日朝刊、家庭欄に「ティーンズメール」というコーナーがある。

 ティーンのお悩み相談を4人の回答者が毎週交代で行うものだが、4人中3人までの回答者は、実は自分にとってはかなりどうでもよい。一応毎週目を通してはいるけれど、読んでみるとやっぱりどうでもよい。どうでもよくないのは結局、ピーコだけだ。

 服飾評論家、ということになってはいるけれど、この人のいう言葉はいつもいちいち核心を突いていて、服飾なんかに留まらず人生全般の鋭い批評になっている。そもそも、○○評論家なんてアヤシイものだ。そのジャンルでの知識をどれだけ深めたとしても、決してよい批評なんぞできはしない。そうではなくて、その人がどういう人生を生きてきたか、あるいはどういう姿勢で人生に立ち向かっているか、というその全体像が言葉の端々に感じられるからこそ、小さなジャンルに区切った時にも揺るがぬ説得力を持つことができるのだ。

 さて今日の相談は、両親がケンカを続ける家庭の女の子から。父にはののしられ、母には愚痴られ、そういう事実上崩壊した家庭に帰りたくない、という悩み。ピーコは「親から離れるしかない」と断言する。その両親を変えることはもうできない。ならばあなたがその家を出ていくことを考えた方がいい、と。その前に、自立するにはどうすればいいかよく考え、今は勉強すべきだ、と。

 親を恨んでもしょうがない、一番大事なのは自分の人生。あなたの人生を棒に振らないで。こんな(今から考えれば)当たり前の結論が、例えば高校生の段階ではなかなか出せなかったりするもの。ピーコがこれだけ断言できるのも、自分自身がいろいろな辛い経験やなんかをしてきて、その上で何か確実なものをつかんだからなのだろう。そして信念に貫かれているからこそ、迷いがないし後ろめたさもない。

 そんなわけで、ひたすら痛快なことに、今の自分にとってほとんど確実に信頼するに足る言葉をしゃべる人間の1人だったりするわけだ。



17 Sep 2001
Monday

 米国テロ事件はどうやら中東への米軍攻撃が近いようで。朝日朝刊には、NY州立大のウォーラーステイン名誉教授と、米コロンビア大のバグワティ教授のコメントが載っていたが、そのスタンスは微妙に異なっている。

 ウォーラーステイン、と聞けばちょっと国際政治学をかじった人ならすぐに「世界システム論」を思い出すだろう。中心(center)と周辺(periphery)、準周辺(semi-periphery)、外部(external area)といった概念を駆使して語られる覇権の循環の中で、覇権を獲得するための最大の条件は金融支配力だった。まさしくその象徴たるウォール街、世界貿易センタービルが今週はもう存在しないわけだ。

 その彼が言うには、市場経済原理を追求した結果、米国が「一人勝ち」状態になったこと、共産主義が崩れたことにより、市場経済システムの対立軸がなくなったことが一部の途上国の不満に拍車をかけている。400年以上の歴史を持つ資本主義システムそのものが危機に瀕しているという。

 一方のバグワティ教授は、市場経済システムそのものはやはり間違っておらず、あくまでもそのやり方が問題なのだという。自身の母国インドの例も挙げながら、適切に適用することによって成長率が上がることを示してみせる。

 久しぶりにぱらぱらと imidas 2001 の国際政治のページをめくってみた。今般のイスラム原理主義 vs 米国の対立構図は、S.ハンチントンの『文明の衝突』論の具体例として語られることが多い。ポスト冷戦の世界における主たる紛争要因は、イデオロギー対立ではなく文明間の衝突だ、とするもので、自分が学生の頃に持っていた imidas には載っていなかった概念だ。その頃はまだ、ジョゼフ・ナイらの「相互依存 (interdependece)」論がまだまだ幅を利かせていたような気がする。かつて大学で、早稲田の政経から引き抜いたと言われた鴨 武彦教授から国際的相互依存論や安全保障論をベースにした国際政治学の授業を受けたのを懐かしく思い出す。

 『文明の衝突』では、西欧対非西欧、とりわけ西欧文明とイスラム文明の対立は激化し、和解はあり得ないとする。一見、現状を的確に予言したようにも見えるが、実際のところは大いに乱暴な議論だろう。いつまでも米国対●●という二項対立原理から脱却できない、底の浅い説だと言えなくもない。米軍、ひいては世界の番人としての米国の存在意義を失わないための御用学説的な部分がゼロとは言いきれないのではないか。

 鴨教授は自分が授業を受けた数年後に急逝されたが、「世界平和は必ず実現できる」という信念に貫かれた授業はとてもポジティブで、聴いていてすがすがしい気持ちになったものだ。確かに机上の空論かもしれない。だがそれも国際政治学者の仕事のひとつではないのか? まだ起きてもいないことをネガティブに方向付けすることではなくて、希望に満ちた国際社会を作り出していくための基礎理論を打ち立てていくことも。

 過去の過ちから学び、未来に活かすのでなければ、学問なんて存在している意味がない。



16 Sep 2001
Sunday

 昨晩は WINTER WONDERLAND 第1回オフ会@渋谷。MAX13名が集まって、洋楽ネタを中心に終電まで盛りあがりました。一部は終電を逃した模様ですが。

 1次会で使った「汁べゑ」は、自分も知人から教えてもらったお店ですが、まさに「渋谷の秘境」と呼ぶに相応しいロケーションと、かなり美味いメニュー&リーズナブルな価格設定で、2ヶ月間で既に3回も通うお気に入りのお店です。

 普段は掲示板で語り合っている皆さんと、顔を合わせてしゃべるのもまた楽しいもの。ぜひまた何かの機会に集まって飲みたいものですね〜。




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