■僕はいかにして打楽器奏者になったのか【その11〜社会人・最初の市民バンド活動〜】

高校を卒業して僕は就職した。勤務地が正式に決まるまでは音楽活動はしないと決めていたので、正式に自宅から通勤できるところに配属が決まった6月に、とある市民バンドのドアを叩いた

このバンドを選んだのは深い意味は正直なかった。ひょんなことから定期演奏会に一度行ったことはあったが、それだけだった
誰か知り合いがいたわけでもないし、決して自宅から近くで練習していたわけではないし、複数の団体を見学してからこの団に入ることを決めたわけでもない

今思えば、もう少しいくつかの団体を見学してからの方が良かったのかも知れない、とはいえあまり多くの団体がある地域に住んでいるわけでもなかったし、複数の団体を見学したからといって善し悪しが当時分かったとは思えないのだが・・・

そのバンドは僕が入団当時に結成6年目で団の運営も安定したものだった
打楽器も基本的に練習会場に団の備品が常備されていて、かつ通常日曜日夜が合奏練習で土曜日の夜も同じ会場で個人練習ができるという後で考えるととても恵まれた環境にあった

僕はここで出会った打楽器パートのメンバーに驚愕した。
皆、とても上手いのだった。というより僕が下手すぎた。冗談抜きに下手すぎた。
周りのメンバーとの技術・スキルの差が歴然としていたのだった

ショックを受けた僕は、毎週土・日ともに練習会場に通い基礎練習からやり直した(土曜日は自主練習)
それでも他のメンバーの技量には追いつくことは最終的にもできなかったわけだが・・・

所属する市内に複数の市民吹奏楽団体があった関係で、念に何度か合同演奏イベントもあった
そんなツテもあり、御誘いをうけてICEBOXのライブにマーチングバンドのメンバーとして参加した

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